六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

う~ん、少し危ないかも・・・

2009-02-09 15:03:00 | 写真とおしゃべり
 ちょっと危ないのです。
 変な気分にとりつかれています。
 誰か(複数)が私を監視しているのではないかという想念です。
 たぶんというかもちろん妄想でしょう。

    
      節分は過ぎたがまだ鬼の像が 高さは10メートルほどか

 でも偶然にしてはおかしいのです。
 私が車で出かけると、その前後に必ずスポーツタイプの車が現れるのです。
 灰色ないしは黒いもので、一台とは特定出来ません。
 車の形はほぼ同じなのですが微妙に違ったりもします。
 車に趣味のない私は、自分の車の車種すら明瞭ではないのですから、それらの車種を特定することはできません。

 
        冬の陽光にきらめく小川 時折銀色に光る小魚たちも

 私が出かけようとすると、どこからかそれらが現れます。
 ふとバックミラーを見ると私の二台ぐらい後にそれがいます。
 またあるときは私のすぐ前にそれがいます。
 最初は偶然だと思いました。それにしても最近はスポーツカーをよく見るなぁぐらいに思っていました。

 
                樹間を行く名鉄電車

 しかし、それが数日間、毎日のように続くと本当に偶然だろうかと思ってしまうのです。
 そこで、ナンバーなり運転者なりを特定してやろうと考えました。
 ナンバーを見たことは見たのですが、不思議なことに記憶の網をするりと抜けてしまいます。
 先日も後ろに付かれたので、スピードを緩めてその顔を見てやろうとしたら、急に車線を変更し猛スピードで私の傍らを駆け抜けて行きました。

 母の病院の駐車場でも見かけました。
 そのときもナンバーを凝視したのですがわずかに最後の2文字が「68」であったことしか覚えていません。
 私が着いたとき、もうそれは止まっていて、帰るときもまだ止まっていました。誰が乗っているのかみてやろうと少しの間待ったのですが誰も出てきません。
 諦めてそこを離れ、しばらくしてからもう一度来てみるともういませんでした。

 
             紅梅というよりやや薄い色の梅

 自分でも危ないと思います。
 かつてある人が、車のウィンカーが点滅するのを見て、「あれは私を包囲している連中が互いに連絡し合っているのだ」と恐怖を交えて語ったことがあります。私は、「車というものは進路を変える度にウインカーを出し合図をするものだが、そこには君に関する情報は含まれてはいないのだ」と説得したのですが納得しません。
 ついには、私もその連中の仲間ではないかと疑われるに至りました。
 専門医に連絡をし、治療を受けていたようですが、若くして病死しました。

    
           紅梅越しに四阿で憩うひとを

 その人危うさに通じるものがありますね。その自覚はあります。
 最近、随所に設けられている監視装置について書いたことがあります。
 それらの装置に見られているという意識が内面化されることにより、社会的規範が自ずから刷り込まれることについても書きました。Googleの「サービス」が監視の面を持ち始め、浮気がばれたとかいうエピソードもあるようです。
 それらの影響かも知れません。
 あるいは「誰かに注目されていたい」という邪な欲望の裏返しかも知れません。
 実際のところ私は、あまり自分のことは詮索されたくないくせに、反面、誰かに承認されたいという欲望は旺盛なようです。こういうのが危ない要因なのでしょう。

    
     岐阜駅南口 この近くに自転車を置いてぐるりと一周してきた

 天気がよく、暖かかったので久しぶりに自転車で出かけました。
 上の写真も車では撮れなかったでしょう。自転車を降りて歩き回った結果です。
 そして何よりもよかったのは、あの忌々しいスポーツカーに出会わなかったことです。
 



コメント (2)
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