春の訪れを待つ人は多い。
この不況で職をなくした人、仕事が来ない中小や零細の企業主、外食控えで閑古鳥が鳴く飲食店主、その他、その他・・。
なかなか春の兆しは見えないが、その中で懸命に今を生きる他はない。
悲惨の拡大を最小限にとどめながら、修復を図るのが課題であるが、政治や行政の歩みはたどたどしい限りである。
こうした状況とは別にわが身の春を待つ人々がいる。
病院で暮らす人たちである。窓の外の風景は春めいてくるのだが、その人たちにとってはその風景へと踏み出すことが春の到来であろう。
窓の外を眺めながら、車椅子で寄りそうような二人の男性がいた。
そのうちの一人は、私がよく母の見舞いに行くため顔見知りになった人だ。
時折、寒いのに、病院の外へ車椅子で出てタバコを吸っている。
先日も、「こんなところで寒いでしょう」と声を掛けたら、照れたようににんまりと笑顔を返した。
入院してまでタバコとは難儀な話であるが、それでも早く退院して堂々と吸えるようになったらいいと思う。年令からして今さら禁煙は無理だろう。
これらの人たちに春が来ることを祈る一方、もはや春の陽光を浴びることが不可能な母を思う。蓮の花が咲き誇るところで春を迎える他はないのだろうと密かに思っている。