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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

私とバタフライと世界の蜜月

2009-02-11 13:24:00 | 社会評論
 前回の日記に変なことを書いたばかりに、配慮あるコメントをいただいたりメールをいただいたりで、恐縮しています。

 しかし、実際にそれが気になりはじめ、自分の中で次第にうじうじと膨らんできそうで、これはヤバイという気がしたのです。そこで、思い切ってブログで公表しました。
 どうやらその逆療法は成果があったようで、それを書くということの中である程度問題を整理できましたし、何とか自分のポジションを取り戻せたようです。
 あの日記を書いて以来、スポーツカーは現れません。また、現れても現実的に対処できると思います。

 

 しかし、この問題を考えていたら、意外に別の問題と突き当たりました。
 ようするに、世界で進行している全事態と、他ならぬ私がどう関わっているのか、あるいはどのような関わりのうちに捉えられているのかです。
 どんな人間も、世界と無関係に存在することは出来ませんから、様々な事態と現実的に、あるいは観念的にそれなりの関係を取り結びます。その場合ひとは、どんな基準でその関係を成立させるのでしょうか。
 
 もっとも現実的なものは、実用的な効用を基準としての関係のみをリアルとするものです。多かれ少なかれ、私たちはそれらを基準としています。しかし、同時に他の関係にもある程度の配慮をはかります。
 しかし、現代はこの効用一本槍が恐ろしい形でむき出しになっている時代です。各種犯罪や企業ぐるみの偽装、政官財の巧妙な収賄・贈賄の仕組みなどなど、彼らはこの「効用」のためにその他の基準(例えば倫理的なそれ)を総てスルーします。
 先般見たNHKの特集番組では、オレオレ詐欺の参加者が実にあっけらかんとそのビジネスとしての側面のみを語っていました。彼らの世界との繋がりは効用=銭、そしてその消費としての快楽(悪銭身につかずとはよく言ったもので、巻き上げた金は実にくだらない浪費へと費やされているようです)でしかありません。

 

 一方、幾分過剰な世界との関わりもあります。それらは、イデオロギー的であったり、宗教的であったり、歴史や伝統に依拠したものであったりしますが、いずれも「観念的な部分」を含んでいます。
 本来関連のないものに自己を結びつけ、かつまた、他人にもそうすべきだと強要する手合いがいます。それらの過剰な強要は私の領域を著しく侵犯します。その先鋭化はある種の原理主義であったり、さらにはオカルティズムにも通じるものです。
 だから人々はそうした「観念的」領域からは身を隔て、身の丈に合わせた効用を重んじながら、それを社会的規範を超えない範囲に留めようとします。

 

 しかしです、私たちは本当にそのようにしか世界と繋がっていないのでしょうか。
 エドワード・ローレンツが提唱した「バタフライ効果」(=ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こす)ほどではないにしても、私たちは気づかないところでもっと深く世界と結ばれているのではないでしょうか。
 例えば今日、私が満腹したことと、地球上のどこかで飢えで死んだひととは無関係でしょうか?
 あるいは、平和を謳歌している私たちと、地球上の三分の一が顕在的、潜在的戦場であり、今日も複数の人たちが生命を失っていることとは関係がないのでしょうか?

 

 「勝ち組」と「負け組」を峻別する自己責任論がありますが、この論理の矛盾はみんなが努力をすればみんなが勝ち組になることは決してないという構造上の問題を不問に付しています。しかもその構造が、「改革」や「規制緩和」という美名のもとで、あるいは世界的に言えば「新自由主義」という名のもとに行われたきわめて人為的なものであることをも見ようとはしません。私たちが何組に属するかはともかく、私たちはそうした世界へと常に既に組み込まれてしまっているのです。

 確かに、偏狭なイデオロギーやオカルティズムが渦巻く中で、世界との関わりを最小限にとどめよとする志向は理解できます。しかし、ここで引くわけには行かないのです。私が身をこごめていても、世界は私の領域に、あるいは私の内面にまでズカズカと踏み込んできます。
 そしてそれは、危機の時代には広範な人々を巻き込んで行きます。歴史や世界とは無縁だと思い、私的な領域で生きていた人たちが今、危機の前面へと引き出され、処刑されています。

 

 私が感じた「スポーツカーへの恐怖」は確かに病的な過剰反応でしょう。しかし、現実に私たちは自分が勝手に引いた線分を越えて、世界へと晒されているのです。
 私が反応した「スポーツカー」は、そうした不可視ではあるが私たちを確実に捉えて放さない世界の化身だったのではないかと思うのです。
 私は、私の疲労が生み出した幻覚に、改めて恐怖しています。


    写真はすべて私の家の近所の建造物です。







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