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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

満天星とダルマの眼

2008-04-20 04:11:51 | 花便り&花をめぐって
 岐阜市の北部にある大龍寺というところへいってきた。
 ここで知られている事柄は二つある。

 
         寺へのイントロ。背後は満天星。

 ひとつは、別名「だるま観音」といわれるように、だるま像やだるまの絵画を所持し、毎年一月に「だるま供養」という行事が執り行われることである。
 念願かなって両目を入れられただるまは、ここへ持ち寄られ、手厚く供養される。
 僧侶の読経のもと、山と積まれただるまが燃やされる映像を、テレビなどで一度はご覧になったことがあるのではないだろうか。

 
        ダルマ供養のようす(これは借用写真)

 もうひとつは寺の庭園を中心とした一帯の「満天星(ドウダンツツジ)」の群生である。
 このツツジ、花は白い小柄なもので、ひとつひとつは地味なのだが、群がって咲くとなかなかの見物である。
 寺と周辺の山に今を盛りと咲いていて、風が吹くとさざ波のように揺らぐ。

       
        お庭の満天星(「岐阜新聞」より拝借)

 この満天星(ドウダンツツジ)、実は二度美味しくて、一度はちょうどこの開花の時期、そしてもう一度は十一月中旬の紅葉の時期である。
 白いさざ波は、紅蓮の炎となって燃えさかる。

 土曜日とあって、混雑を予想していたがさほどのことはなかった。
 拝観料でもって広い敷地を管理する寺には申し訳ないが、物見遊山の身にとってはその方がありがたい。

 
         借景となっている裏山の満天星
 
 履き物を脱ぎ、案内に従って廊下を辿れば、苔むす庭園に今を盛んと満天星や普通のツツジが咲き誇っている。
 その背後に目をやると、借景といおうか、裏山もまた満天星の群生が押し寄せているのであった。
 自生ではなくて、寺が管理しているのは一目で、きちんと手入れが為されている。

     
          高さ五メートルのダルマ像

 ドジといおうか、この庭園がメインなのに、その写真がない。
 撮ったことは撮ったのだが、マニュアルカメラの方に夢中で、デジで撮るのをすっかり忘れてしまったのだ。
 気がついたのは駐車場に出てからであった。

 
     寺から離れたところにもこんなに大きな満天星が

 従って、ここに載せた写真は、すべて寺の外部、拝観料無料の場所ばかりである。一枚だけ、庭園のものがあるが、これは「岐阜新聞」のページから拝借した。
 それと、「だるま供養」のものも拝借の写真である。

 
         接写失敗。ピンぼけの満天星

 雨後の岐阜は、昼過ぎからすっかり晴れ渡って、温度は初夏並み、爽やかで空気が美味しかった。
 日頃の不健康を少しは取り戻せたのではないだろうか。

 
      振り返れば寺の横手の山にも満天星の若木が

 ところで、私がここでだるまを買ったら、どんな願い事をするのだろうか。
 そして、どうなったら両眼が揃い、ここのだるま供養に持ってくることが出来るのだろうか。
 どうも、持ってくることが出来ないような気がする。多分、私の願い事はさほど簡単に叶えられそうもないことばかりなのか、あるいは抽象的なものなのだろう。

 願いが叶ったといって両眼の入っただるまを抱えてこの寺を訪れる善男善女を、決して馬鹿にしているのではない。
 むしろ、そうした形で素直に自分の願いを託し、それに一喜一憂し、叶ったら率直にそれを喜ぶという人たちが羨ましいのである。

 私の場合は、だるまに託せる具体的な願いそのものを、まずもってはっきりさせねばならない。
 いつの間にこんなにひねくれてしまったのだろうか。



コメント (1)
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