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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

忘れた手紙とフロイト先生への感謝状

2008-01-07 14:57:03 | よしなしごと
 以下に掲載する写真は、一枚を除いて、文中に出てくる私の家と郵便ポストとの間の風景です

 ある人のブログに記憶の問題が書かれていたので、それについてもっともらしいコメントを付けた後、とんでもないことを思い出しました。

 昨年末のことでした。ある人に手紙を出す必要があって、それをしたため投函に出かけました。
 ポストは家から三百メートルもないほどの近さです。それでも冬の外気は冷たく、早く投函して帰ろうとつい早足になるのでした。

 ポストの前に着きました。
 ないのです。
 ポストじゃぁないですよ。
 投函するはずの手紙がないのです。

 急いで家にとって返しました。
 玄関で、私が靴を履いた傍らに、それはちょこんと置かれていました

 
    玄関先の蛙六匹です。揃って新年をムカエルことが出来ました。

 フロイトは、その『精神分析入門』の中で、人の失錯行為にはそれなりの理由があるとしています。
 今、思い出す例では、どっかの国(ドイツ?)の議会の開会に当たり、議長が、「只今より、第○○回議会を開会します」というべきところを「閉会します」といってしまったのです。
 日本語ではは文字は似ていますが、発音は違います。その国(ドイツ?)の言葉では発音が似ているところがあるのだそうです。
 
 私たちなら、「ああ、だから間違えたんだな」と思ってお終いにするのですが、フロイト先生はさらに考えます。
 その議会というのは、その議長の属する与党側にとって大変厳しいものだったというのですね。まあ、今の自公政権のようなものです。
 従って議長には、その議会を一日も早く乗り切って閉会したいという願望があり、その願望が無意識のうちに働いてそうした言い間違いをしたのだということになるのです。

 
        私の家のすぐそばのモルモン教会

 フロイトは、熱烈な恋愛で結ばれた夫妻のことにも触れています。彼らは恋愛時代、激しい恋心を訴えたラブレターを交換していました。夫の方は、時折それをとりだしては読み、その愛を反芻するのでした。
 ところがある日、どこを探してもその手紙が見つからないのです。懸命に探したのですが、遂に見つかりませんでした。
 そしてどれだけかが経ち、彼らの愛は醒め、ついには離婚することとなりました。
 するとどうでしょう。あれほど探しても見つからなかった例の手紙が、なんだこんなところにあったのかというところから見つかったというのです。

 そこでフロイト先生はいいます。実は、本人も気付いていなかったにもかかわらず、その手紙が見つからなかった段階で、既に夫の方の愛は醒めていたのだ、と。従って、懸命に探していたにもかかわらず、無意識のうちでは、もうその手紙は見たくないというので、そのあるべき場所を探さなかったというのです。

 

 さて、その応用です。私が手紙も持たずにポストまで出かけたというのは、実は、その手紙を出したくはなかったのだということになります。
 もちろん、私はその手紙を必要があって出したのであり、今のところその人を忌避する理由は表面的にはなにも見いだせません。しかし、フロイト先生にいわせると、私の意識下には、その人への嫉妬か羨望か、あるいは密かな憎しみといったコンプレックスが潜んでいることになります。

     
     これのみ、ポストから少し行った冬の川。春には桜が・・。


 というようなわけで、今の私にとって、フロイト先生はとても便利な方なのです。
 なぜなら、明らかに認知症の始まりである私の失錯行為を、フロイト先生は精神分析学の言葉で、そうではないものに翻訳してくれるからです。
 フロイト先生、これからもなにとぞよろしくお願い致します。

 ア、それから、私が置き忘れて出かけた手紙、決してあなた宛のものではありませんからね。
 エ? じゃぁ誰宛かって? それは、ナ・イ・ショ



コメント (2)
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