六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ノーベル文学賞と映画

2012-10-12 17:04:37 | アート
 以下は私の友人のブログにコメントとしてつけたものですが、こちらへも転載させて頂きます。

           

 ノーベル文学賞は中国の莫言氏に決まりましたね。
 しかし、その略歴を読んで驚きました。なんということでしょう。このひとの原作で映画化されたものを全部観ているのです。「紅いコーリャン」、「至福のとき」はチャン・イーモウ。そして「故郷の香り」は「山の郵便配達」のフォ・ジェンチイ監督によるものでした。
 この最後の作品には香川照之がスナフキンのようなアヒル使いの役で好演していました。

 偶然といえば、昨日読んでいた水村美苗の「日本語が亡びるとき」という本の中に、アメリカのアイオワで開かれたIWPという文学学校のような催しに各国の作家が参加する話があり、そのメンバーのひとりでほとんど英語を話さない中国から来た「田舎のあんちゃん」(水村)が実はカンヌで特別賞をとった「活きる」(監督はチャン・イーモウ)の原作者と知って驚くシーンがあるのですが、それを読んだあとで上の事実を知って私も驚いたわけです。

 もちろん、この「活きる」も観ています。
 いずれも、チャン・イーモウらがハリウッド資本に絡め取られる前の中国映画の良き時代の作品ですね。


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アートでない人が読む『アート・ヒステリー』(大野左紀子)完

2012-10-08 17:04:08 | アート
     

 
 遅々として進みませんでしたが、書評ではなくこの書に触発されて自分のことをいろいろ書いてきたわけですから致し方ないですね。
 いよいよこれで終わりです。
 「第三章 アートは底が抜けた器」が一応終章となっています。
 
  この章では比較的最近のアート・シーンを題材にしながらアートの可能性と不可能性を論じる仕掛けになっているのですが、私があまり好きではないヒロ・ヤマガタについての実情や、私にいわせれば「ハレンチ学園」の延長でしかない村上隆の作品が背後にもっている意義のようなものついては「へぇ、そうだったんだ」と目から鱗のような箇所もあります(まあ、私がそれだけど素人なだけなのですが)。

  もちろんその「目から鱗」は、それでもってアートがわかってしまったということではなく、ますます藪の中なのですが、読み進むうちに例のフロイトの「文明とは性的欲望(リビドー?)の昇華されたものだ」というくだりに差しかかると共に、著者の結論めいたものの輪郭が見え始めます。

  フロイト自身と、フロイトを援用しようとしたアンドレ・ブルトンなどのシュール・リアリズムとの対比がその鍵を提供してくれます。
 フロイトの昇華への欲望は欠落したなにものかへの出会いを求める行為(対象a?)でありながら、しかもそれは常に「出会い損ねる」ものでしかないとされるのに対し、ブルトンらは必死にその出会いを求めるわけです。しかし、彼らもまたその出会いを果たすことができず、その失敗の痕跡こそが作品だというわけです。
 そしてその作品の傍らには相変わらずポッカリと空いた穴が埋められないままに残されます。
 著者はそれをドーナツの穴に例えますが、それはまた、この章のタイトル「底が抜けた」に通じるものでしょう。
 同時に、その穴を埋めるための連綿たるアーティストの作為は、この書のタイトル『アート・ヒステリー』に通じるものだろうとも思います。

  そこで問題は、「他者との出会い」、「他なるものとの出会い」に絞られることになります。
 そしてアートが、それへの意識的、無意識的挑戦であるとしたら、それは何もアートのヒステリックな戦線にとどまることでなくても良いのではないかというのが著者の「アート離れ?」の説明であり(「おわりに」の部分)、同時に本書の結論ともなります。

  ずいぶん頓珍漢な読解ですが、たとえ見当違いでも、多くのものを学ばせてもらったことは事実です。また、「アート」に関する自身の曖昧な概念に多少の整理がついたことも事実です。
 あくまでも全体的にはこの書を肯定しながらですが、それでも気になったことを少し述べてみようと思います。

  それはこの書が著者自身が認める如く、フロイト=ラカンの「エディプス・コンプレックス」に多くの部分を依拠している、というか全体を整理してゆく上での理論的な支柱にしているということです。
 具体的には、父の抑圧としての象徴秩序への従属、あるいは父親殺しなどが、例えば幼児の表現の定型化、「フォルト/ダー」の話、ちゃぶ台返しとしてのパラダイム・チェンジ、アウトサイダー・アートとインサイダー・アート、村上隆の「父殺し」、西洋vs東洋(オリエンタリズム)といったさまざまな例で用いられています。
 それが間違っているということではありません。ただ、それによって整合的に叙述された反面、除外された側面がありはしないかという怖れをもつのです。
 もちろん、門外漢の私がこれと具体的に指摘できるわけではありませんが、アートにはもうひとつの見方もありうるのではという漠然とした思いです。

  実用品にスノビズムが余剰を加味し(それ自身が欠落を埋める行為かもしれません)、それらが自立してアートになる過程があるわけですが、それらを評価する「共通感覚」の役割が「アート」という世界を成立せしめている要因にとって大きいのではないかと思います。
 具体的にはカントの第三批判で述べられている「趣味判断=美的判断」の問題です。周知のようにこれらは第一批判の「真」や第二批判の「善」のように公理的なものからの演繹によっては導き出せない判断です。
 では、何が判断の基準かというと複数の他者との間に成立するまさに「共通感覚」というべきものです。したがって、この共通感覚は当然のこととして「他者」ないしは「複数性」を含むものです。

  もちろんこうした共通感覚はスタティックなものではなく、通時的・共時的に動くものですし、複数の人間の活動によっても左右されるのだろうと思います。
 しかし、この共通感覚も、著者が随所で触れるように市場原理によって覆い尽くされ、「資本主義的」かつ「民主主義的」なものとしてしか機能していないことも事実です。ようするに、自由な人間の共同体における共通感覚の、いわば「疎外態」として現状はあると思うのです。

  だとするならば、「自由な複数者」の「活動」こそが希求されているのであって、もちろんそれはアートであっても、そうではなくとも、あるいは政治であってもいいわけだと思うのです。
 「政治」もまた自由な複数の人間による「美的判断」に近いものたるべきだと考えています。

  なんだかすっかり脱線してしまいましたが、この書で多くのことを学ばせてもらいました。
 もちろんそれは「アート」プロパーの問題をも越えてです。
 さて、もし次に美術館へ足を運ぶとしたら、どんな表情で出かけるべきでしょうか。

  最後にもう一度書名などを。
   大野左紀子 『アート・ヒステリー』(河出書房新社 9月30日初版)











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アートでない人が読む『アート・ヒステリー』(大野左紀子) Ⅱ

2012-10-08 03:06:03 | アート
 さて、大野さんの著書、『アート・ヒステリー』(河出書房新社)に触発された感想ですが、いろいろ「死」について考え込んでいる友人とのメールのやり取りなどあってすっかり遅れてしまいました。

            
 
 その第二章は「図工の時間は楽しかったですか」という問いかけになっています。
 その問に素直に答えるとすると私の場合は楽しかったのです。図工、音楽、体育はどちらかというと楽しかったのです。それに給食も(笑)。
 なぜかというと、その他の科目はいわゆる学であり、何らかの知を体系的に習得しなければならなかったからですが、その点、図工、音楽、体育は幾分遊びのような感じで楽しめるように思ったからです。

 ただしこれらの科目もそれほどお気楽なものでなかったことはこの第二章を読むとよくわかります。近年だけでいっても、「ゆとり教育」の是非などいわゆる一般の「教育論争」とも決して無縁でなかったことが様々な資料を駆使して語られています。
 これらのアートと教育という相互の視点からの資料の整理と展開には説得力があり、いろいろと教えられました。
 
 にも関わらず、私がお気楽に図工を享受していたのは思うに私の少年時代が戦後の混乱期で(昭和二〇年国民学校入学)、図工の教育方針にまで手が回らないアナーキーな時代だったからかも知れません。当時の図工の教科書というものをどうしても思いだすことができませんから、著者も触れているように、そんなものはやはりなかったのだと思います。
 図工の教科書といえば、私の少し上の世代にはいわゆるお手本帳があって、うさぎや馬やとんぼなどのお手本が載っていて、それを見ながら描くというより引き写すのですが、私の時代にはそれすらもなく、それがとても欲しかったのを覚えています。

 教師もほとんど戦場にとられていましたので、代用教員ばかりで、図工の指導といったものをされた記憶はほとんどありません。彼女(代用教員は女性が多かった)たちもまた、何を教えていいかわからなかったのではないでしょうか。
 第一、画材そのものがなかったので、褐色のわら半紙に鉛筆で何かを描くのみでした。クレヨンというものを手にしたのはしばらくしてからです。
 ついでながら、音楽の時間も学年にたった一つしかないハーモニカの回し吹きで、前のやつが青洟など垂らしていると、受け取ってから自分の服の袖で必死に拭いてから口にするのでした。

 先にも触れましたが、こうした私の無邪気な(?)図工の受容にもかかわらず、その背後にはわが国開国以来の図工、ならびに美術教育一般の紆余曲折の経緯があったことがよくまとめられています。
 これはまた、美術を教えるということはどういうことなのか、そこで何を教えるのかが私が享受した「アナーキーで虚妄な自由」をも凌駕して検討されていたことがよくわかります。

 なおこの章の末尾にある「金子・柴田論争」なるものは、これまでの美術教育の歴史的経緯を象徴すると共に、教育論にとどまらず、美術(の伝達)というものへのある種の姿勢についても問うところがあるように思うのですが、余裕があれば後述いたします。

 さてさて、またしてもだらだらとした感想の羅列で、第二章にとどまったままなのですが、私よりもずっと後の時代に美術教育(図工)を受けた人は、自分の往時の経験と、ここでの大野さんのレポートとを付きあわせてみると面白いと思います。

 というようなわけで(どんなわけだ?)、私の文章はまたしても完結しません。
 したがって次回へとズレこむのですが、次回はこの書の最終章、第三章の「アートは底の抜けた器」と題されたものへと進みます。どうやらこれは、いわゆるアートへの離縁状のようなもの、とりわけ、著者大野さんがアーティストから卒業(逸脱?脱落?)してゆく過程を示すようでスリリングではないかと思います。

 長くなってゴメンナサイ。では、またね、
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アートでないひとが読む『アート・ヒステリー』(大野左紀子)

2012-10-06 16:41:38 | アート
              

 大野左紀子さんの『アート・ヒステリー』(河出書房新社)を読みました。

 本来アートとはさほど縁のない人間だと思っています。
 それでもビックネームの美術展があったりすると観に行ったりすることがあります。
 それもさほど頻繁ではありません。
 それが現代アートになればいっそう疎遠となります。
 最近では、ジャクソン・ボロックやマックス・エルンストを観た程度です。
 それも、親しい人からチケットを頂いたからで、そうでなかったら自分で見に行ったかどうかはいささか心もとないものがあります。
 それでもしばらく前には、アンディ・ウォーホルやルネ・マグリットも見たことがあります。
 デュシャンへの関心は美術というより、現代思想絡みの文脈においてでした。

 そういえばこの書で取り上げられている「ゲリラ・アーティスト」のバンクシーが監督をした『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』という映画も観ています。
 これは面白かったですね。真贋(そんなものがあるのだろうか?)が入り乱れて、ついにはこれを撮ったバンクシー自身の立脚点そのものにも迫るという皮肉な構成は、つまるところ、現代アートというものの「二次性」、そしてそうであるがゆえの危うさのようなものを示しているように思いました。
 念の為にいっておけば、現代アートならずともあらゆる芸術がそうした「二次性」を含むものでしょうが、それらが顕著なのはやはり現代アートにおいてだろうと思います。
 どこかで、既存の作品のコピーを濡らして乾かしただけで自分の作品と称している「アーティスト」への非難を読んだことがありますが、それなら私にもできそうな気がしたものです(そんなことをする気は毛頭ありませんが)。

 とまあ、「教養主義」的にしか関わっていないのが実情ですが、しかし、上に述べたようにこちらから意識的に接近したのはすべて西洋の作家だといえます。
 もちろん、荒川修作や草間彌生のものなどは観ようとしなくとも視界に飛び込んでくるのですが、あえて注視する機会は少ないのです。村上隆のものも、図鑑やネットでは見ていますが、こちらから観に行こうとはしません。その作品で、一昔前の永井豪のマンガ『ハレンチ学園』をさらに進化させたような『マイ・ロンサム・カウボーイ』というフィギアが、ザザビーで約16億円で落札されたというニュースも、まさにニュースであってアートの問題としてはピンとこなかったのが正直なところです。
 こうした西洋偏重も、この著者の大野さんにいわせれば「父」への拝跪ということなのかもしれませんね。
 
 こんな私をこの書へ誘うのはその帯に書かれたこんな言葉かもしれません。
 「何なの?これ」「アート」「え、こんなことやっていいの」「うん、だって、アートだから」
 そして裏表紙の帯には「こんな人に読んでほしい!」とあって4項目ほどが挙げられているのですが、私の場合は強いていうとその4番目の「《普通》を選んでいるにもかかわらず《ちょっと謎めきたい願望》を抱く社会人」に相当するでしょうか。

 本書の第一章は「アートがわからなくても当たり前」と、ひとまずは私のような門外漢を安心させる仕掛けになっています。
 わからないものの代表としてピカソ、ないしはピカソ的なものが挙げられているのですが、これについて私はとても恥ずかしい思い出があります。
 もうずいぶん前ですが、何気なしに入った画廊でハガキ大のピカソのリトグラフか何かが展示されていました。黒一色で、私たちがボールペンのインクの出が悪いとき、傍らの紙にクシャクシャクシャと矢鱈に線を書いてみるような、まあ、いってみれば落書きのようなものです。
 しかし、それはとても魅力的でした。何が魅力的かというと、その作品ではなく価格でした。
 その作品の下には「10,000」と記されていたのです。
 ピカソの絵が一万円!それだけ出せば私もピカソの絵が持てるんだ!
 私は大いに逡巡しました。
 しかし、やや冷静になって考えるに、どうもおかしいのではないかと思えるのです。
 そこでもう一度よくあたりを見渡しました。
 すると、なんとすぐ横に「表示した価格は千円単位です」とあるではありませんか(あえて計算はしません。ご自分でどうぞ)。

 私の中で恥ずかしさが込み上げてきました。こうしたものの相場というかそうしたものに暗いということに対してではありません。
 たぶん、これが道端に落ちていても、「なんだ子供の落書きか」と拾いあげても見ないようなものに、「ピカソ」という名がついているだけで大枚一万円を払おうとしたおのれの浅ましさについてです。
 それ以来、アートと聞いただけでへっぴり腰になるのですが、反面、「価格」の権威からは免れてそれらを観るきっかけにはなったように思います。

 脱線の多い感想文ですが、本書の方に戻りましょう。
 この第一章では「アートがわからない / わかる」がどのような背景で語られるのかが述べられます。
 それは、著者がアーティストであった経歴、アートの教育に携わっていたことなども踏まえながらも、決してアートの範囲内からのみではなく、わが国への美術導入の歴史的経緯、美術をめぐる社会経済的な要因、さらには心理学的な要因(これについては後述の予定)などなど、さまざまな切り口から問題の所在を示してくれます。
 例えば、つい最近問題化している大阪の橋下徹市長と在阪の文化施設(文楽、オケ、児童文学館など)との関連といったアクチュアルな問題も登場します。
 そこで私たちは、「なるほど、一口にアートといってもそうした背景のもとに私たちに提示されているんだ」と納得するわけですが、まだ、「わからない / わかる」の問題が解けたわけではありません。

 そこで著者は、私たちの受けてきた美術に関する教育の問題へと遡行するわけです。
 そんなわけで、第二章のタイトルは「図工の時間は楽しかったですか」ということになるのですが、私の悪癖が出てまただらだらとした文章になってしまいました。
 この続きは改めて書くことにします。
 しかし、書きかけてはみたものの、別に見通しのある文章ではありませんので、またまた考えながら書いてゆきます。したがってその行方は杳としてわかりません。
 ただヨイショではなく、出来ればちょっとした「イチャモン」などもつけてみたいと思っています。 (つづく)
 





 

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ソクーロフの長回しではない方の「エルミタージュ」

2012-09-14 14:53:31 | アート
  写真は最初の一枚を除いては開催された名古屋市美術館の周辺のものです。

 鬼才、アレクサンドル・ソクーロフの映画『エルミタージュ幻想』を観たのはもう10年ほど前だろうか。
 この監督、ソ連時代、その作品はほとんど上映禁止であった。
 解禁後撮った「権力者4部作」としてアドルフ・ヒトラーを描いた『モレク神』、ウラジーミル・レーニンを描いた『牡牛座 レーニンの肖像』そして昭和天皇を描いた『太陽』は観ているが、その最終章『ファウスト』は現在各地で上映中なのに名古屋地区は飛ばされているようだ。
 三重の進富座や静岡では上映するのになぜなんだ!
 シネマテークよ、なぜ見送ったのだ!

               

 とまあ思うのだが、書きたいのは映画の話ではない。
 現在名古屋市美術館で開催中の「大エルミタージュ美術館展」を見てきた話だ。
 
 冒頭に述べたソクーロフの映画は、ロマノフ王朝時代のピョートル、ニコライやエカテリーナ、アナスタシアなどなど時代を彩った人々が時空を越えて登場し、その収蔵品なども映し出されるのだが、なんといっても圧巻は90分のこの映画がカット割りなしのワンカットの長回しで撮られていることであった。

               

 イントロから最後の舞踏会が終了して人びとが階段を降りるシーンまで、まったくのカット割りのない映像がどのようにして撮られたのか私には謎だ。
 それは例えば、ルキーノ・ヴィスコンティの『山猫』の冒頭シーン、建物のしかも二階の窓に迫るカメラが、いつの間にかその内部を映し出していた謎をさらに拡大した感があった。

 したがってその折は、まさに「映画」を観ていて、収蔵された作品を鑑賞するいとまはなかった。
 その収蔵作品が来るという。これは行かずばなるまいと出かけた次第である。
 ロマノフ王朝が権勢と財力によって収集した収蔵品の、たぶんほんの一部にしかすぎないものに「大エルミタージュ」と冠するのはいかがなものかという思いもあったが、やはりいってよかったと思う。

               

 端的にいって展示された個々の作品の面白さは無論あるのだが、私のような西洋美術に疎い者にとっては、年代順に展示されその概要がわかりやすく、西洋美術史のおさらいのような意味合いを持つものでもあった。
 ルネッサンスを皮切りにした作品群は、西洋絵画の変遷を十分系統的に示してくれる。

 ただし、バルビゾンや印象派以降の近現代のそれに関してはいささか貧弱である。しかし、それもやむを得ないであろう。
 19世紀末から始まったロマノフ王朝の衰退は、20世紀に至っては完全に打倒されてしまうからである。

               

 私自身の感想からいえば、ルネッサンス期に描かれた人間像が、その後の絵画と比べても、その色彩や明度の面でとても開放的で明るくて、中世のキリスト教権力において否定的に描かれた「原罪」を背負った人間とは異なる人間をそれ自身としてあでやかに表現しているのが印象的だった。

 もちろん、キリスト教の戒律からまったく自由であったわけではなく、題材もまた聖書などからとられていたが、それらの絵画はこれぞわが生=セ・ラ・ヴィを謳歌しているようで奔放で明るかった。

               

 映画『エルミタージュ幻想』ではそのラストシーンにクライマックスがあったのだが、この絵画展においてはその冒頭のルネッサンス期の人間肯定に私は惹かれたのだった。
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20世紀の絵画だ! マックス・エルンストを観る!

2012-08-24 15:32:01 | アート
     写真は美術館近辺のものです。

 マックス・エルンストの「フィギア ? スケープ」と題した美術展にいって参りました。
 愛知県美術館です。
 実はこの美術展、開催してすぐに、ちょうど会場近くで少し時間が空いたので、観ようかどうか迷ったのでした。しかし、その折の時間がせいぜい40分ぐらいしかなかったので、そんな駆け足ではと思ってやめにしたのでした。

             

 それが正解でした。というのは程なくして、日頃、お世話になている方からチケットを送っていただいたからです。そして、そのお手紙には、ご自分もご覧になったのですが、やはりじっくり観たほうがと書き添えられていました。それはまったくその通りでした。実際に私がそれを観るのに要したのは、途中小休止をしながらとはいえ、ゆうに2時間を越えたのですから。

                

 マックス・エルンストについては、いわゆる美術史上の位置づけのようなものは知っていましたし、その作品のどれかも観たことがあったと思います。
 しかし、その個別性のようなものをはっきり確認するほどまとめて観たことはありませんでした。
 当然のことですが、ブルトンなどと同様にシュール・リアリストと云われても、その作風にはあきらかに独自の感覚に基づく特有の表現があり、それらを観ることなく彼を語るわけにはゆきません。

             

 様々な方法を模索した人でもあります。コラージュ(貼り合わせ)、フロッタージュ(擦りだし)、グラッタージュ(削りとり)などがそれですが、これらの表現は、必然と偶然、人為的な計算とまったく恣意的なもの(それは当然シュール・リアリズムの意識と無意識の境界の追求と重なるのですが)などがさまざまにオーバーラップする境地を追求したもののように思いました。
 なぜそのような次元にあえて挑むのか、それは彼の次の言葉が指し示しているように思います。
 「外部であると同時に内部であり、自由であると同時に捕らわれている。この謎を解いてくれるのは誰だろう?」

             
 
 この言葉は、19世紀後半から始まった新しい人間観(マルクス、フロイト、ニーチェ、ソシュールなどなど)の延長上にあるものであり、思えばシュール・リアリズムそのものが、そうした人間観の美術への適応ともいえるものであったわけです。またその思想上の歩みは、例えば、ハイデガーなどの哲学的人間観を経て、いわゆるポスト構造主義にまで至るものでした。

 以上はいい古されている解説の域を出ませんが、彼の作品に戻ってその感想を述べてみます。
 あまり一般的な評論などでは見かけないもので、以下は私のきわめて主観的な感想ですから大いに的はずれだろうと思うのですが、あえて書きます。
 それは彼の作品が美しく心地よいということです。
 ダダの作家やシュール・リアリストの作品にそれをいうのはお門違いかもしれません。
 しかし、本当にそう感じたのです。
 確かに彼は意表を突くようなさまざまなフィギアを生み出します。しかしそれらのどれをとっても、グロテスクでななくすんなりと受容できるのです。

             

 とくにタブローなどでの色使いにそれを強く感じました。
 暗いものは暗いなりに、明るいものはそれなりに、どれをとってもその色使いや色彩相互の関係がとてもクリアーで心地良いのです。
 不快なものによる衝撃というのも美術のひとつの方法かもしれません。
 しかし、彼に関する限りどの作品にもそうしたものがありません。
 かといってそれが既存の枠内に収まっているわけでもありません。

 彼は、先にみた「外部であると同時に内部」という表現を、「鬼面人を驚かす」といった手法によってではなく、極めて自然に追求したのだろうと思います。
 これを退廃芸術として処分したナチは、やはりその審美眼が相当歪んでいたのだと思います。
 
 見終わってからもある種の爽快感が残りました。いいものを観ることが出来ました。
 チケットを送って下さった方に心からお礼を申し上げたいと思います。
 そして、そのご助言通り、今回は前後に(映画などの)予定を入れず、それに専念してじっくり味わうことができてよかったと思います。

 ちょうど処暑に相当する日、暑さはさほど和らいではいませんでしたが、美術館を出るともう西陽が差し、日が短くなったことを示していました。

    

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五〇万本の安全ピン!!!

2012-02-21 23:33:47 | アート
          
                         (これは六の落書き)

 
 前のアートに関する記事ですが、作者のHP宛てに「こんなの載せたよ~ん」とメールしたら、ご本人の土田泰子さんから丁重なご返事をいただきました。
 そしてその一節に、
 「ちなみに50万本以上の安全ピンでできています!」
 とのこと。
 数万本かなと思っていたのですがなんとその一〇倍でした!!

 私だったら100本ぐらいでダウンでしょうね、
 でもよく考えたら、時間的な制約からして一本々々というより何か手早く植えつけることができるノウハウがありそうですね。
 なかなか興味はつきません。

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アート!アート!アート! これは何でできているのでしょう?

2012-02-19 00:46:44 | アート
 16日のことである。
 昼食を含めた集まりを終えて、せっかく名古屋へ来たのだから映画でも観て帰ろうと思ったのだが、映画までにはかなり時間がある。喫茶店で粘るというのが苦手なタチなので、ある程度暖がとれて読書でもできる公共的なところということで愛知芸術文化センタ―2階に陽あたりの良いベンチがあるのを思い出し、そこへと向かう。
 「オアシス21」を経由し、地下2階に相当する部分からその建物に入る。
 入ってすぐ、いつもは休憩所などがある辺りに変なモノがある。
 どうやら何か作品のようである。
 近くに受付のようなところがあって若い人達がいたので、「これって撮影してもいいですか」と尋ねると、「どうぞ、どうぞ」と快諾された。

        
             ん?この富士山のようなものは???

 何でも撮すのが好きだが、こうした場合は一応承諾を得ることにしている。
 特に近くにその関係者がいればそれが礼儀だろうと思う。
 
 何年か前、まったく同じ場所で、動物のキリンを模した立体作品を展示していたので、やはり同様に承諾を求めた。その折は「これは作品ですからダメです」とにべなく拒否された。まあ、致し方ないなあと思って諦めて10階に上がったらやはり同じ作者の象を模した作品があった。やはり写真は撮らなかった。
 問題はここからだ。しばらくして再び地下2階へ降りてきてキリンの近くを通りかかって、実に不快な気分にさせられた。というのは、女学生の一団を含む複数の携帯ががそれを大っぴらに撮しているではないか。どうも様子からして、私と同じ通りかかりの一行で特に許可を得たわけでもない様だ。
 で、先ほど承諾を求めに行った受付のところにはやはり複数の人間がいるのだが誰もそれを咎める様子はない。

           
           近づいてみたがなにでできているのかはわからない

 そうかい、礼を尽くして承諾を求める者にはどこかの官僚気取りで禁止を言い渡しながら、黙って撮る者には知らんぷりかい。それともカワイコちゃんの女学生ならいいが、私のようなオジンはダメというわけかい。
 ふ~ん、わかった。写真に撮られて困るようなもん公の場所に飾るな。
 展示室ならともかく、ここは来館者が通る通路じゃないか。10階の展示にしたって、その設置場所は不特定多数が集うロビーではないか。
 このちぐはぐさと最前の官僚的物言いとが相まって不愉快極まりない思いをしたのだった。
 
 あ、あの時の不快感が蘇って話が全く別のところへ飛んでしまった。
 この16日に訪れた際には、そんなことはなく、快く了承してくれたということをいいたかったのだ。
 今回の展示は「アーツ・チャレンジ(Arts Challenge)2012」という催しらしく、地下2階から地上11階にわたり、さまざまな空間に比較的若いアーティスト10名の作品が展示されていて、それらを全部回ると何やらグッズが貰えるスタンプラリーも催されている。

        
              何やら点状のものからできているのだが

 映画の前に読んでおきたいものがあったので全部は回らなかったが、そのうち最初に目についたものの写真をここに載せた。これの素材がキーになるが、順次みてもらうとそれが分かるようにした。

 この作品の作者は土田泰子(ひろこ)さんといって、パンフレットでは自分の作品にこんなコメントを付けている。
 「安全ピンは努力の象徴 他者に敵意という針を向けるのではなく自分の内に秘めるもの。内なる戦い。その努力の積み重ねによって人は頂点をめざす!(以下略)」
 どうやらこの人、メタルを素材とした作品が多いようだ。

 で、どんな人かと思ってネットで検索したら、モデルさんを思わせるとっても可愛い写真があった。無断転載禁止とあるのでお見せできないのが残念だが、興味のある人はここで見ることができる。

 http://brigit.jp/snap/1830/3/?height=2&item=6&category=6

 知り合いの大野左紀子さんに『アーティスト症候群』という書があり、それもひと通り読んだが、現代アートというのはよくわからない点もある。もっとも大野さんの著作は、自身が「アーティスト」であったところから離れていった時点で書かれたものである。
 一口に現代アートといっても、それらの作品には伝統的な絵画や彫刻からさほど飛躍していないものもあるし、作品として対象化することが困難なパフォーマティックなものもある。それらをひとまとめにしての評価は不可能だろう。したがって、自分で見聞して面白いものは面白いというまことに自己撞着ないい方しかできないのが正直なところだ。

        
              これらは全部安全ピンでできていました
              携帯のアップでいまいちぼけていますが


 しかし、なにはともあれ、この安全ピンの集積はすごい。何個あるのかはわからないが、これだけのものをこの形状に作り上げるには、その着想や設計はともかく、かなりの根気が要るように思う。私なら陰々滅々となってしまうようなこの作業を若い作者はどのような気分でこなしたのだろうか。ルンルン気分で鼻歌混じりだったのだろうか。それとも深い孤独感に苛まれながらだったのだろうか。
 先にみた作者のコメントからするとかなりポジティブな気分のうちで作られたようだ。
 それが若さの特権なのだろう、きっと。

  なお、これらの展示は2月26日まで行われている。



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夭折の天才・村山槐多と岡崎市美術博物館

2012-01-29 01:08:06 | アート
            

 「村山槐多の全貌」展、この29日が最終日だというので、やっと27日に行くことが出来ました。
 村山槐多の絵は散発的には観たことがあるかも知れませんが、まとめて観るのは初めてです。
 22歳で夭折、というより病をおしての無茶な行動でほとんど自殺のように世を去ったこの画家が、それでもその短期間の制作のなかで、かなりの点数を残してくれたのは救いです。

              
           風船を被った自画像 1914   裸婦  1914~1915
 
 彼は19世紀末の既成の価値観に懐疑し、芸術至上主義的な立場をとったフランスのボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、イギリスのワイルドらのいわゆるデカダン派の影響を強く受けた人でした。
 デカダンスを気取ることはあっても、彼ほどそれを自分の生として意識的に生き続けた人も少ないでしょう。早熟であった彼は、15歳の頃からその死去まで、一貫してその姿勢を崩さなかったようです。
 定住と安定に抗うように放浪と退廃を、砂漠への旅を生き続けたのでした。

               
            尿(いばり)する裸僧 1915   カンナと少女  1915
 
 絵についてはあえて説明しません。後期の赤の色彩が強烈になる頃に彼は燃焼しつくしたのかもしれません。
 面白かったのは、1982年に発見されたという彼の300号に及ぶ大作「日曜の遊び」の真贋を巡って、この岡崎市美術博物館の学芸員が20年以上にわたって調査研究した成果と共に当該作品が展示されていて、美術品をめぐるミステリアスな話題を提供していたことです。

          

 自筆の詩などもかなり展示されていました。
 惜しむらくは午後から出かけたためそれらを克明に読むゆとりはありませんでした。
 それと、この歳になると途中から疲れがどっと出て、最後の方はこれと思うものを見逃さず観るのがやっとなのです。

      

 彼の一番素直な文章が、美少年、稲生きよしに宛てたラブレターや一連の詩でしょう。

 げに君は夜とならざるたそがれの
 美しきとどこほり
 げに君は酒とならざる麦の穂の
 青き豪奢

   (中略)

 われは君を離れてゆく
 いかにこの別れの切なきものなるよ
 されど我ははるかにのぞまん
 あな薄明に微笑し給へる君よ。   (1913年 17歳)


      
 
 そして次に引用するが、死の三ヶ月ほど前に書かれたいわゆる「遺書」といわれるものです。

 自分は、自分の心と、肉体との傾向が著しくデカダンスの色を帯びて居る事を十五、六歳から気付いて居ました。
 私は落ちていく事がその命でありました。
 是は恐ろしい血統の宿命です。
 肺病は最後の段階です。
 宿命的に、下へ下へと行く者を、引き上げよう、引き上げようとして下すつた小杉さん、鼎さん其の他の知人友人に私は感謝します。
 たとへ此の生が、小生の罪でないにしろ、私は地獄へ陥ちるでせう。最低の地獄にまで。さらば。         (1918年 22歳)


      

 おおよそ100年前に生きた多感な男の少年から青年にかけての記録を目のあたりにし、それらを噛み締めながら美術館を出ると、冬の陽はもう陰りはじめていました。
 ついでながらこの美術館、岡崎市の郊外の小高いところにあって、気候の良い時分なら散策するにもいいところなのですが、何分にも冬の夕刻、しかも白いものがちらつくとあって、身震いしながら帰途のバスを待つのでした。
 しかし、寒さをおして訪れるだけの価値がある作品群だったと思います。

 村山槐多の作品以外の写真は、岡崎美術館内、あるいは周辺のものです。


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ある似顔絵の話

2011-09-29 02:59:25 | アート
 似顔絵である。
 誰がモデルかはあえていうまい。
 書いた人は私の旧知の先達で、名古屋の某デザイン学校の理事長である。
 
 この人の作品も観たことがある。
 ビルのワンフロアーを使った名古屋大空襲をモチーフにした作品で、この先達の志向を明瞭に示すものであった。
 その志向は是としながらも、ただし、文字を用いた説明が多く、この種の作品に言語を直接に介在させることに疑義を呈した覚えがある。

 この人と共通の知人である若い(?)女性と三人で飲んだ。
 酒も料理も上手く、話も弾んだ。

 宴たけなわと言うか、既にお互い結構出来上がったところで似顔絵の話が出た。
 共通の知人の話によるとこの先達の似顔絵の巧さは定評があるという。
 ということで出来上がったのがこの似顔絵である。

          

 欲を言えば、お互いシラフでともいえようが、考えようによっては酒精のもたらすままに描き、描かれるのも悪くはない。

 人の表情を写す手段には、写真や肖像画がある。
 しかし、似顔絵はそのどれとも違うだろう。
 写真は瞬間を捉える。
 撮す側は対象の瞬間の趣を焼き付け捉える。
 撮される側はそれに備えるさしたる準備もないままに撮される。
 だからプロの写真家はそのモデルを前にしてバシャバシャとシャッターを切る。

 肖像には、逆に描かれる側の志向、つまりこう描かれたいが強く反映する。伝統的な肖像画はほとんどそうで、クライアントの要求を描くのが職人芸なのだ。
 肖像を描きながら作者の美意識を明確に表出した作品もゴヤを筆頭にかなり存在するが、それらは大家にのみ許された特権であったのかも知れない。

 似顔絵はそのどれとも違う。
 例えば数分の間、描き手は対象の際立つ箇所を見出そうとする。
 描かれる方は、写真のようにフイの瞬間ではなく、自分の表情をそれなりに整えようとする。そしてその結果には「似ている・似ていない」の基準が当てはめられるだろう。

 ところで、その「似ている・似ていない」を判定するのは誰であろうか。
 少なくとも、描かれた本人ではない。
 描かれた本人は自分の表情など知る由もないのだ。
 私たちは鏡を見るが、その表情は決して他者が見る表情ではありえない。
 私たちは鏡を相手にしてではなく、他者のうちにあってこそその表情を持ちうるのだ。

 という訳でこの似顔絵が出来上がった。
 ところで葬式の遺影に似顔絵ってありうるのだろうか?

 

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