怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

難民の歴史を知るというテーマの市役所展示に、おいしいもの目的で行ってみた。

2018年09月30日 | ドイツ在住難民・移民
インゴルシュタット戦後難民歴史がテーマの小さい催し物に行ってきた。
別の用事で待ち合わせた台湾人とドイツ人の三人を誘った。

上の画像の男性はこの展示を企画した市役所職員女性の伯父さんなのだそう。
では、彼女自身もロシアにルーツを持つのだな。

役所の通路を利用した展示。来場したのは5,6人だったか。その他は市役所職員がほとんどだった。
なにせ、宣伝の仕方が小さすぎ。身内でこじんまりとやった様子。
下、窓から見える市役所前広場の様子。普段、なかなか入れない部屋から撮影した貴重なもの。

さて、私がここに来た目的の第一は、実はこれ。
無料スナック提供。開催時刻が12時から13時まで、宣伝パンフレットに「軽食あり」とあったので、もしかしたらタダメシにありつけるのかと予想したんだ。
その予想は見事に当たり、同行した他の二人もちょうどおなかがすいていて喜んでいた。

「肉を使っていないベジタリアン食です」と職員は言っていた。
イスラム教徒の難民たちも来ることを予想してそうしたのだろうが、彼らは誰も来なかった。

イスラム教徒のベジタリアンというのはあまり聞いた事がない。彼らは逆に肉食を非常に好む傾向がある印象だ。
ここでハラル肉やハラルハム類を入手するのは高いので、ベジタリアン食にしたのはむしろ経費節減のためだったのかも?
おいしいサンドイッチだった。
私はひとつしか食べられなかったけれど、同行した二人は3つも食べていた。



なぜすべての日本人はほっそりしているのか。

2018年09月29日 | 日本
孫娘がシンガポールで働いているという年代の近所に住むドイツ人B子さんが、こんな番組を観たそうだ。

ドイツ語の放送だけれど、何となくわかると思うので通して見て欲しい。
テレビや雑誌で取り上げられる外国は、その国や地域の一部の事情しか伝えることができない。
こうしてブログを書いていて、それがとてもよくわかるんだ。「これは一般的でなくこの地域のだけ、ウチだけ、私の経験しただけ」といちいち断り書きを書くのは面倒と言うか、流れとして不自然になってしまうのだ。
この動画もそうだと思う。
B子さんは「日本は朝からさまざまな種類の料理をたくさんの小さなお皿で食べるのですね、それは素晴らしい」と私を絶賛するので困った。
褒めるのなら、この動画に出ているさわむらさん一家を褒めるべきである。他にも日本の家庭でこうした食卓を毎日準備できる例があるだろうが、そういう習慣の無い人だってたくさんいる。
子供の朝食や弁当さえ用意できない家庭は今も昔もある。
「私の朝食は食パンにバターと、冷たい牛乳だけでした」
と、私がB子さんに言うと、
「まあ、日本でも牛乳を飲むんですね」
意外な方面に驚かれて、参った。
戦後直後からの牛乳飲め飲め運動はドイツ一般人に知られていないのだろう。知るわけ無いだろうな。
それより知られているのはモンゴロイド種の人々の多くが乳糖不耐症で乳製品を摂取できない、ということだ。
B子さんにもそれを指摘された。
「はい、クラスに何人かそういう子がいましたが、牛乳摂取は義務なので飲まない選択をするのは難しかったようです」

この番組では日本人に肥満がほとんどいないのは食生活のせいだと結論付けている。
確かにそうした要素もあるだろう。
だが、私の観察ではたとえ欧州人が日本で日本食の生活をしても彼らは日本人より大きくなっていくに違いないと思っている。
実家近所の欧州人をお母さんに持つ子供たちが周囲の日本人同学年の子達より大きかった。決して肥満ではなく、大きいんだ。
お母さんは日本の食文化に大きく影響されていて、彼女の食卓はほとんど毎日日本食だった。
(お母さん自身は自分のためにときどきライ麦パンを焼いていたものだ、気持ち、わかるぞ!)
それでも、その、一般的にハーフと呼ばれる彼女の娘さんは「服が皆小さくて買えない」と嘆いていた。

もともと大きくなる遺伝子をもつ欧州人には、日本人ほど痩せ願望はないので必然的に日本人より大きくなってしまう。多くの一部は肥満になっていく・・・・
私はそのように理解してる。
これを一生懸命B子さんに訴えたけれど、納得してくれたかな。
日本同様、ここでもマスコミの影響は非常に大きく、私の話すことなどより番組を信用しているだろうな。
ああ、勝手に思ってくれ、日本の一般家庭の朝ごはんは豪華だぞ~!













義母は20メートルで引き返した店

2018年09月28日 | 衣類の工夫
ネットで検索すると、まだ日本には進出していないのに日本語サイトがたくさんある。
「プライマーク」激安衣料・雑貨店だ。
価格帯はH&Mより低く、値段の低さとともに品質も更に下がっている。
大きな袋いっぱいに(袋は有料だが皆気にせず買っているのだろう)買い物した人々がうろうろしている。
世の中、総安い衣料、って感じになって行くのか?
ユニクロなど、超高級品だぞ。私は以前からユニクロのほとんどの商品の質の良さを知っていた。当時、みな、ユニクロをばかにしていたものだが。

ともかく、衣類の激安売り傾向はしばらく続くのだろう。
数度着用して処分する、という使い方をするのが正しい衣類に対する態度となるのだろう。
悪口めいたものを書いてしまったが、実を言うと、私は気に入っているプライマーク。
なぜなら、小さいサイズが揃っているからだ。
非常に見つけるのが難しかった下着のパンツ。成人女子用私サイズが並んでいて嬉しかった。
4枚入りで約500円から。もうぺらぺらすぎで、日本の日本人には耐えられないだろうと思う。
すでにドイツ化激しい私はぺらぺら品もOKさ。

義母にも「一度見に行くといいですよ」と勧めておいた。
彼女の年齢層には絶対気に入られないとはわかっていたが、世の中の傾向を知るにはもってこいの場所だ。

数日後、義母は私に言った。
「入り口から20メートル歩いて、すぐに引き返しました」
もう、商品など触ることもせず、全体的な雰囲気で自分の場所ではないと悟ったようだ。

経済のグローバル化って、どこの国に行っても同じ会社の商品が並んでいるという事なのねぇ。
頭巾女性の多いカイロにもH&Mがあって、こちらの品揃えと変わらないものが売られているとか。
短いワンピースも下にパンツを組み合わせれば立派に敬虔なイスラム教徒用になっちゃうものね。

ま、義母にはプライマークで買ったとは報告しないよう気をつけることにする。




朝食会が存在する理由

2018年09月27日 | 健康
先週いただいたコメントにここでの「朝食会」について質問があった。
そういえば、日本の集まりで朝食を一緒に摂るというものはほとんど無かった。
こちらに来て「ここではだんなや子供を家から送り出してから主婦たちが集まる習慣がある」という話を聞いた。
過去記事を検索するとこんなのがあった。「朝食パーティー」この記事はポーランド人女性の集まりだった。2014年当時、みなほぼ専業主婦のような生活をしていたものだ。今では彼女らのほとんどが忙しく働いている。
そういうわけで、彼女らが再び朝食会をするのは退職後になるだろう。そのうちの一人は難民の子供たちにドイツ語を公立学校でしている。仕事の合間に私とときどき逢っている。

インゴルシュタット市が外国人女性のために朝食会を開催することも多い。
2011年2月に初めて朝食会に出席しているのを記録している。

義母が朝食会に行くと言う話は全く聞いた事がない。
もしかしたら、街に住む女性たちの習慣なのかもしれない。田舎は昔から農作業、家畜がいればその世話などで集まって食事するなどできなかったのか?子供だった義母も学校に行く前にさまざまな仕事を言いつけられていてそれを片付けなければならなかった悲しい思い出があるそう。当然その母親も朝食会に行くなどという余裕は無かっただろう。

現在は、家庭労働でなく現金収入を得るため外で働いている女性ばかりなので、朝食会には高齢者と外国人女性ばかりが来る。
下の画像の一番上が朝食会の案内だ。タイトルが「国際女性朝食会」だ。

開催時間も9時から13時まで、朝食を摂る目的でないのは明らかだ。

不思議なのは、先週のトルコ人宅での朝食だ。
在独2年弱の彼女がすでにここの昔の習慣を知っていたのか。トルコでもあったのか?彼女自身はフルタイム勤務の教員だったので、そういう生活には無縁だったはずだ。

そういうわけで、私には朝食会についてよく知らない。いや、何度も出席しているけれど、どうしてそういった集まりがあるのかよくわからない。

つい先日まで青々としていた木々の葉が、いきなり茶色くなて落葉するドイツ。

季節がだんだん変わるのではなく、いきなり「はい、今日から秋です」という変化の仕方をするのは味気ない。

いい子ちゃんぶらないで、いや、私もぶりっ子したい。

2018年09月26日 | ドイツ在住難民・移民
外国人、あるいは有色人種・イスラム教徒を嫌うドイツ人やドイツ在住外国人はたくさんいるが、今のようにおおむね難民が良好な状態で暮しているのはたくさんの支援する人々のおかげだ。

すでに知りあってから長い年金生活者のM子さんからは頻繁に休暇旅行先から画像を送ってくれる。
経済的に余裕がある証拠だな。
彼女はアフリカ系の子供を連れて歩いたりするのが好きだ。

写真も送りつけてくる。
私の仕事先にも、ぞろぞろとアフリカ人を連れてやってくる。フードシェアリングの食糧を持って行かせたり、生活問題相談者と逢わせたりするためだ。

もう、数年にわたってこうした彼女の活動を知っているので何も疑問を持たなかった。
今回の写真にはちょいとくどさを感じて書きたくなった。
「私は嫌われているネグロイド種の人々を愛している良い人です」
と周囲に言いふらしたくてたまらないのが感じられるのだ。

「彼らはこんなに低い手当で暮しているのですよ」
と、私に訴えていた。
そりゃあ、長期の休みのたびに休暇旅行に出かけているM子さんからすれば、その所得は低すぎると感じるだろう。
採用されて数日で辞めるのを繰り返しているアフガニスタン人Nさんなど、しばらく見かけないな、と思っているとひょっこり現れて、近隣を旅行してきた、と平然と話す。
アフリカ人女性の多くは非常に栄養状態がよさそうだ。また、彼女らはまっすぐ背を伸ばし堂々とした態度で入るので哀れさのひとかけらも感じさせない。
飢えてガリガリに痩せているアフリカの子供たちの写真をよく見るが、ああいう子供たちは難民としてドイツに来る資金さえないのだろう。

難民支援活動の一端を担っているM子さんの退職後の生きがいを否定することはできない。
わたしだって同じ立場で日本に住んでいたら好んでアフリカ人と連れ立って歩くかもしれない、とちらりと思考して自分に驚いた。
同質の思考や行動、見かけを嫌悪するあの、感覚だな。
たとえ、いい子を演じたくてやっていても、それは意味があることかもしれない。
なんでも一応肯定しておくのは、お得な人生だ。






たまには贅沢、遊覧船で食事して歓談

2018年09月25日 | 交友関係
夫の事務所では毎年夏にバーベキューパーティをするのだが、今年は趣を替えて遊覧船で食事をすることになった。

事務所の人たちとその家族総勢約40名が午後4時半時に出発。

船から見える湖畔の景色は豪華。
↓、湖に立つ十字架はおそらく例の人気の彼が亡くなった場所。

このシュタルンベルク湖はお金持ちが住む場所として有名だ。
噂によると、オリバー・カーンの住まいがどこかにあるそうな。

↑、城だよな、城。

夫の同僚C子さんはここに来る前に初日のオクトーバーフェストに行ってきたそうな。
日本の日本人はこのC子さんをみて太っていると思うのだろうか。年々ガリガリに痩せている女性を美しいと選ぶ日本の考え方が怖くなる。この服は日本人の思う「太っている」女性にしか似合わない。

5時半に食事が始まった。ビュッフェ式だが、ちゃんと座る場所があるのが嬉しかった。

私の皿。左上のサバ三切れは非常においしかった。もっと食べておけばよかった~。
料理はどれもおいしかった。欲を言えば、米飯があれば・・・
用意された全種の料理を食べるため、数度料理とテーブルを往復した。

食後のコーヒーとデザート。

デザートは二種。

ちょいと食後のナプキンの状態を観察した。ほとんどの人たちがこのようにたたんでテーブルの上に置いていた。
けっして料理は不味くなかった。とてもおいしかった。
ビュッフェ式と給仕が付く食卓で、テーブルマナーが激しく変わるとも思えない。
日本の西洋料理のマナーはとても難しい。王族、貴族と食事するときには便利な知識かもしれない。



食後は飲み物片手に歓談。湖上を吹く風は冷たかった。

午後20時半ごろ、到着して終了。

家を出る前の義母との争い(どの服を着るか)、夫が湖の集合場所がわからず長く歩かなくてはならなかったこと、など始まる前は「もう、こんなパーティ来るものか」と思ったものだが、楽しく終了して「またやりたい」と思う私は単純すぎな脳みそか。


日本人先生の英語講義を生まれて初めて聴いた

2018年09月24日 | 日本
在独約30年のポーランド人知人の友人の旦那さん(つまり私には全く関係ない人物)が勤務する大学で、日本から招いた大学の先生の講義がある、とそのポーランド人J子さんに誘われた。
ちょいと面倒くさいな、とは思ったがJ子さんとしばらく逢っていなかったので彼女のために行くことにした。
「りすさん、英語はわかりますか」
と尋ねられた。
「いまじゃあ絶望的にダメです」
日常会話ならともかく、化学関係の講義を英語で聞き取れって、それはもう私には不可能だ。
そういうわけで、まるで気乗りがしなかった。
一般向けの講義ではなく、その大学の学生向けだ。今回はわざわざ日本から招いている、ということで一般人も聴講可能だった様子。

真新しい教室で、始まる前にドイツ人スタッフたちと歓談していたN先生は温和そうな人だった。

日本人アクセントの英語は一般的には非常に聞き取り易い。
また、英語の文章の癖が、どうしても母語の日本語に影響されるので、日本人の話す英語は日本人にわかりやすい。
そういうわけで、私は眠たくなるほど退屈だったわけではなく、むしろ、ちょいと聞き込んでいた。
銅や銀を使って物質を接着する研究についてだった。
隣に座ったJ子さんの学生時代はドイツ語学だったので、彼女はだいたい私と同じような感覚で聴いていたかもしれない。

講義が終わって、帰り際にちょいとN先生に挨拶すると
「拙い英語で申し訳ない」
などと、これまた日本人らしい久々の謙虚さに触れ好感度絶大だった。

終わってからJ子さんと簡単な昼食をとりながら久しぶりに話し合った。
19歳の長女は医学部志望だったのだが、アビトゥア得点数とギムナジウムの成績平均評価点が低いことで、ドイツ国内の医学部への入学枠が絶望的に無いという話まで聴いていた。
ところが、8月下旬にスロバキアで医学部入学試験があることを知り、急遽受験し、合格になったそうな。

そこの大学では授業は英語。
将来は英語圏でしか医師としての就業、開業は難しいのではないか、という私の質問に「EU圏内はOK」とJ子さんは答えた。
彼女の情報がどこまで正しいかわからない。
日本人にとっては医学部を国境を超えて受験できるという事実だけでも凄まじい驚きではないか。
外国で医学部を終えて、日本で医師ができる可能性は無いだろう。ドイツでは難しいかもしれないが、あるらしい。

ドイツだったら大学の授業料などはほとんどかからないらしいが、このスロバキアの医学部は半年ごとに1万ユーロの授業料を支払わなければならないそう。
J子さん一家にはちょいと重い負担かもしれない。年間250万円の授業料、書籍購入(実際は貸与料)寮費、一ヶ月に一度は帰宅させるための交通費・・・

私たち夫婦にはとても真似できないだろう。昔は貧乏人の子沢山と言ったが、今では金持ちの子沢山だろうな。「育てられないなら子供を産むな」というネット上の記述も方々で読んだことがある。

J子さんの長男はすでに就業していて外国駐在中、次女も長女と同時にアビトゥアを終えて、ただいま、これから何をするか模索中。
そのこれまた、日本では考えられない方法だ。まずは大学に行って、将来を考えるのとは大違いだ。長女と次女は年齢が違うのに一緒にギムナジウムを卒業するのも不思議だ。

J子さんが言うには、今回のこの大阪大学の先生を招いたのは、大阪市とインゴルシュタット市が友好都市になる計画があるからだとか。
夫にそれを話すと「都市の規模の大きさが違いすぎます」と言って笑った。
ネットで検索すると、大阪市はすでにハンブルクと友好都市ではないか。
たぶん、J子さんは間違っているか、あるいは私が彼女の発言を間違って聞き取っているか、だ。

だが、インゴルシュタット市が日本のどこかの街と友好都市になるのも良いな、と期待はしてしまう。
数年前、インゴルシュタットは中国の某市と友好都市になったものね。日本をどんどん追い越していっている中国を感じてしまう物事のひとつのようで、ちょいと対抗意識を燃やしてしまう。

















実家はでっかいマケドニア人

2018年09月23日 | ドイツ生活の外国
セルビア人友人一家を通じて知り合ったマケドニア人一家。彼らは国籍は違うが言葉は共通なのだそう。

19歳の長男は大学進学のために母国の学校に通わせ、夫婦と長女でドイツに働きに来た。
在独約2年。旦那さんは凄まじくハードな仕事らしいが、稼げるという点で満足している様子。
奥さんT子さんはスーパーの仕事をしている。長女は来月11歳の誕生日を迎えるが、夏の帰省時に祖父母からの誕生日プレゼントをもらった。

うさぎ。
街のど真ん中の充分広いアパートの自室で、大きなケージに入れて飼っている。

暮らしぶりも普通で、食生活など贅沢だ。
ウチのような質素なものではない。

夏休みに一家で帰省していたときの写真を見ると凄まじい。
プールつきの親族の家。自分自身の実家も豪邸。(日本の首都圏の普通の家屋との比較。あるいは今の私の住まい・・・じゃあない、義両親の家との比較)
去年もそうだったが、3週間帰省して、そのうち一週間はギリシャの海辺でくつろぐという贅沢。

ドイツに働きに来ると、贅沢な暮らしができる、というわけだな。
夫婦二人とももともと貧しい家庭に育ったわけではない。実家と親族の家が大きいのはもともと大きくて、彼らが働いて送金しているわけではないらしい。
外国に働きに行く、という発想や行動ができるのは、ある程度の経済力や教育がないと難しいようだ。
(一部、物乞いを生業にしている外国人は違う雰囲気をさせているが)

難点は長女だ。
8,9歳の時点でドイツへの移住だ。
能力のよしあしにかかわらず、母語とドイツ語を操るのは可能になるが、双方の言語の読み書きなどをきちんと教育するのは親の努力や本人の才能にかかわってくる。
学校では遅れているらしく、親は心配している。

まず金を稼ぐのが重要と思っている家庭は世界中に多いのだろう。
そうだ、教育はお金がかかる。母国に残している長男はマケドニアではなく、もっと安全な国の大学で勉強させたいと言っていた。

外国生活の不自由さを満足させるために、長女をうんと甘やかしている両親。
10月には11歳。気難しくなる年齢はもうすぐだ!
離れて暮す長男も、甘ったれの長女も幸せに暮して欲しい。





無意識に、夫が話しかけることを想定して眠っているので、熟睡していないかもしれない。

2018年09月22日 | 
夫の夜食。

茶色いカスタードソース、と考えるとわかりやすい。
牛乳500ミリリットルと大さじ2杯程度の砂糖、そしてこのカスタードソースの素を使う。
牛乳400ミリリットルを熱し、残りの熱していない100ミリリットルに素を溶かし、鍋の牛乳が温まったら一気に投入してだまにならないよう素早く書き混ぜなければならない原始的な製品。
1分間沸騰させてできあがり。器に移して台所に常温状態で置いておく。
なぜ、こんな変な夜食を食べるのかというと、帰宅が非常に遅いからだ。
夜中にきちんとした食事をするともたれるのでこの消化のいい菓子夜食を夫は要求する。

なんてったって、午前0時、1時の帰宅が普通だ。
私はとても起きていられない。
さっさと就寝するのだが、夫は帰ってきてから眠っている私に話しかける。
「明日の朝ごはんは8時にお願いします」
私は眠っているはずなのに、なぜか夫のしゃべっていることが聞こえるんだ。
「はい」とちゃんと返事をすると、再び深く眠る。
こんな生活が1年半ほど続いている。もしかして、私は無意識に浅い眠りで夫の命令を待っているのだろう。
恐ろしい。
これで体調悪くしないほうがおかしいよな。
砂糖攻め食事と熟睡できない環境。

寝ている妻に話しかける神経がわからない。
メールやSNSなどさまざまな方法があるじゃあないか。
夫は私に起きて帰りを待っていてもらいたいのかしら。そのためには昼寝が必要だ。
私の起床は5時とか6時で、夫が帰宅するまで待っていると、睡眠時間4時間になってしまう。
要するに、死に物狂いで生活しなければならないわけだ。結婚は人生の墓場、っていうか、墓場により近くなるいい例だな。過酷だ。独身で自分を養うために仕事だけしているほうが楽な場合もあるだろう。

カスタードソース夜食を作っている下のオーブンには、義母が作っている梨チップス。

これがまた、激甘で、実を言うと非常においしい。
甘いものは基本的に好きな私だ。
好きだが、やはり、義両親と夫の甘い物好きには負ける。
「おお、お前も甘い物好きか、どちらがたくさん砂糖食べられるか競争しよう」
なんてことになると、すぐに根を上げるのは私であることは確実だ。




5時間一人で家にいる贅沢を味わうと、義母ケーキがいきなりおいしくなるという不思議

2018年09月21日 | ケーキ(Kuchen Torte)
義両親たちが朝から用事を済ませるために出かけた。
夫を見送り、めったにない一人で家でくつろげる贅沢を楽しんだ。くつろぐ、と言ってもソファにごろごろすることがくつろぐことではない。
洗濯するのがくつろぐことだ。最近の記事しか知らない読者には何のことやらさっぱりわからないだろう。
2008年からの記事を読み進めると、なぜ私が洗濯を義両親がいないときにしなければならないのかわかるぞ。

いまだに、義母の洗濯機を使うことは禁じられているので、1年ほど前に購入したキャンプ用の簡易電動洗濯機を使って、私の思い通りに自分の衣類を洗った。
洗剤を使わず、重曹だけで洗うんだ。私の衣類がひどく汚れていることはまず無いので、重曹で充分にきれいになる。義母の洗濯洗剤洗いより色がきれいに仕上がるのもいいところ。
義両親が帰ってくるまでに乾かないのは明らかだ。外はよく晴れているが、地下の洗濯物干し場を使った。
義母は洗濯のときにしかここに来ないから。
乾燥機は存在するが、めったに使わない。というか、義母が乾燥機を使ったのを見たことがあるのはこれまでのここの人生でたったの二回だ。

さて、こんな風に洗濯でくつろいだあと、義母に言いつけられていた「買い物日用保存食」の解凍、温め作業に取り掛かった。

買い物の日は午後1時ごろに戻ってくるので、義母は昼食をきちんと準備する気になれない。
時間と材料があるときに、大量に作っておき、冷凍保存する。その献立の名の直訳は「ズッキーニ野菜」という妙なものだ。
肉団子とズッキーニをトマトソースで煮込み、冷凍容器に別に炊いた飯とともに入れる。

冷凍庫から取り出したガチガチのズッキーニ野菜が冷蔵庫の真ん中にあった。

スーパーのにんじん1キロパックのプラスチック容器を再利用している。丁寧に製造年月日が貼られている。

アルミ箔とラップフィルムを取ると、まだ9割がた凍っていた。

10分くらい加熱するとこうなる。
この料理は不味くない。やや油っぽいが、万人受けする献立だと思う。
ちゃんと彼らが帰ってくる頃を見計らって温めたのに、まだ来ない・・・

おなかがすいちゃったので、先に食べることにした。
わたしはこのメシ入りソースにさらに米飯を添えて食べる。
食卓で一人で食べるのもつまらないので、サンルームのソファに胡坐をかいて座った。
旨い!
いやー、くつろいで食べるのって、最高じゃーん。

半分ほど食べたところで、義両親たちが帰ってきた。
買い物の荷物下ろしなどを手伝ったあと、残り半分の皿を食卓に戻し、一緒に食べた。

さて、その数時間後、義母は毎日の行事になってしまったケーキを焼いた。

今日はリンゴケーキだ。リンゴの上にはクランブル(シュトロイゼル)。
なぜだかその時は非常に食べたくなり、一切れ口にしたらとてもおいしく感じた。
合計3つも食べた快挙。
5時間一人でくつろいだのが、食欲を増進させたのだろうか。
最近、見た目にひどく痩せてしまって義母と夫にもっと食べろ、運動しろ、などガミガミ言われている。
週に数度、家に一人で半日ほど休ませてくれたら、すぐに2,3キロ戻ると思う・・・って言ってみたいけれど、怖くて言えない・・・










酷暑で豊作だった作物

2018年09月20日 | ケーキ(Kuchen Torte)
プラムの木を持つ家庭では、今年は豊作で自家消費がし切れない様子だ。
街中のフードシェアリングを手伝っている私は、続々と一般家庭から寄付されるプラムを人々に分け与えるのに大変な思いをしている。
数日しないうちに、コバエがやってくるし、すぐに腐ってくる。

義両親たちはめったに庭の作物を他家庭にあげたりしないのだが、今年はできすぎた様子だ。
二週間ほど前にブレーメンからやってきた古い友人B子さんに分けあたえたらしい。B子さんのでっかいメルセデスはいっくらでもおみやげお持ち帰り可能だった。
数日前彼女は私の携帯電話にウチのプラムを使って焼いたケーキ写真を送ってきた。

「お義母さんに見せてね」
と文章が添えられていたので、早速朝食中の義両親に電話機を持っていった。

「ふむ」
たいして興味もなさそうな反応をしていた。
そうだろうな、自分でも散々焼いているのだもの。
B子さんの焼き方の方が丁寧さがでている。義母の料理やケーキは見た目は重視されない。
少々乱暴なやり方にさえ思えることがある。

丁寧に焼こうが乱暴に作ろうが、私の身体はもう甘いもの受付拒否さ。
ああ、数ヵ月後にはクッキー攻めか・・・ああ、将来を案じるのは止めておこう。
今を生きる・・・プラムケーキはもういらない。





ビュレックの作り方を披露しながら長男の寮生活を語るトルコ人難民

2018年09月19日 | 交友関係
ここ数ヶ月で急に親しくしているトルコ人難民C子さん。
先月、滞在許可に繋がるドイツ語試験を受け、就業のための職業訓練を受けたり、大学へ通う手続きをしたりなど私より数倍忙しい生活をしているはずなのに、暇を見つけては周囲の人々と交流を怠らない。
彼女の朝食に招かれた。
半手作りビュレックをごちそうになった。
   
皮が市販品なので、大幅に手間が省ける。フィリングはチーズのみ。
油で揚げて出来上がり。

難民たちは当面の生活支援を受けられるが、就業の義務を負っている。
朝食準備を手伝っている旦那さんはもちろん求職中。

ビュレックがメインで、パンも添えられた。

食後のデザート。ヒヨコマメのスナック。

トルココーヒー。

料理しながら、食べながら彼女はべらべらと話していた。
在独二年、まだ拙いドイツ語だけれど、話したくてたまらない様子。

三人いる息子さんの一番上の子は、この九月から数百キロ離れた街にある中等学校で勉強しているのだとか。
寮生活で、週末に帰ってくる。まだ12歳で親元を離れて生活。
この一家、イスタンブール在住時は子供たちを私立学校に入れていたのだそうだ。
食事などの面倒も学校がしてくれるので、子供たちが帰宅したら、就寝させるだけでよかったのだとか。
母国では安定したいい仕事を持っていたこの夫婦。育児も共働きの経済力を利用してちょいと楽ができていたらしい。
そういう経験があるので、長男を寮生活させるのもあまり抵抗が無かったのかもしれない。
両親とも高学歴のこの家庭だ。息子さんもそうなるためにはドイツ語力が必須だ。寮生活でドイツ語漬けの毎日は将来のためだ、頑張れ。

教育費に糸目をつけない姿勢は素晴らしいとは思うが、難民として生活していて子供が親元を離れていると、一緒にいるよりさらにお金がかかるのは明白だ。
いったい難民たちの経済力ってどんななのだろう、と興味が湧く。
この夫婦は親が金持ちだったわけではない。C子さんなど、お母さんに「経済的に自立できるようにたくさん勉強しなさい」と内職のじゅうたん作りを一緒にしながら諭されたそう。
そのお母さんの助言どおり、大学を出て教師になり、友人の紹介でこれまた安定した職業を持つ旦那さんとであって今後の人生安泰、ってところだったのにねぇ・・・
「トルコには将来がありません」
と逢うたびに言われるものだから困ってしまう。どこの国に住んでいてもそんな不安は付きまとうものだ。

今まで出会った難民の中で、一番努力しているこの一家。ただ稼ぐだけでなく、ここの人々ときちんと付き合って生きたい、という意欲もある。
研修仕事現場の小学校では食事の前にお祈りをするのだそう。もちろん、ここではキリストの神様。
「抵抗はないですか」
との私の問いに「全然平気。ただ、十字を切るのはできないかな」
とさらっと答えていた。
ドイツでよい将来がありますように。













海辺に住むリスが存在することを確認しにいきたいが、ま、生きているうちは無理だな。

2018年09月18日 | 動物
カナリア諸島へ休暇旅行へ行っていた在独日本人仲間からの絵葉書。
川べりに住むリスか?何となく濡れているので泳ぐのか、とも思った。

最近、その彼女からいただいた磁石つきの飾り。

川ではなく、海に住んでいるのね、リスたち。
凄いなぁ、リスと言えば、山に生息しているものだとばかり思っていた。
「リス カナリア諸島」で検索すると、たくさんの画像が出てくる。やはり、多くいるのね、海辺のリス。

行って、確かめてみたいものだ。
無理だよなぁ、結婚移住以来、夫婦で休暇旅行などしたことがない。
ドイツ人やドイツ在住の多くの人たちが2,3週間の休暇をとって外国旅行するのは有名な話だが、できない、あるいはしない人も大勢いるのを知っている。
多くの難民たちは、帰省さえままならないのは当然だ。勝手な引越しも禁じられていると聴いている。
旅行に興味の無いドイツ人だっている。代表例はウチの義両親たち。
夫は子供の頃の夏休みにずっといたことを今でも嫌な思い出としているらしい。
難民二世のA子さんも、全く旅行らしい旅行をしていない。近々、勤務先の研修でハンブルクに何日か滞在するのを楽しみにしている、というのがちょいと哀れに感じる。

ここに書くために考えてみたが、やはり、旅行しない人々は少数派かもしれない。
次の例が出てこないんだ。

そういうわけで、旅行しない少数派のドイツ在住者わたしは、いつも知人・友人の旅行先からの絵葉書を歓迎するぞ。
今回のリス写真のように、いろいろ想像し、検索して楽しむことができる。



どんな環境でも悟ることができると学んだ、では、悟ろう、この食事で。

2018年09月17日 | 健康
週末の昼食は夫の好みに合わせて甘いものになることが多い。
義母は私が甘い昼食が嫌いなことを知っているが、彼女自身も甘い昼食が好きなのでどうしても作りたがる。
私のために、必ずスープが付く。

最近、熱い飲み物や食べ物に注意している。お茶温度計測用の温度計を使ってスープが冷めるのを待つ。
冷蔵庫の中に入れておいた昨日の米飯を混ぜると一気に適温になる。
そして、このスープでおなかをいっぱいにするのがコツ。

次のはこれ、クリームチーズを甘くして蒸したもの。

私はメシ入りスープでおなかがいっぱいになっているので、ほんの数さじを食べるだけでOK。
イライラするより、こうした工夫が大切だな。

なーんて、これを書いている今は冷静だが、義母がこれを作っているときはムカムカしていたものだ。
树木希林が病気で亡くなった記事に驚き、そんな病気にならないためにはどういう生活がいいのか検索したら「白砂糖の恐怖」などという記事を見つけておののいていたところだった。

義両親とその息子は何十年も日本人平均の数倍の白砂糖摂取量があるのに、至って元気だ。
白砂糖は日本人だけを殺すようにできているのかもしれない。

もちろん、食事のあとには義母は昨日と同じプラムケーキを焼いた。
私は全然食べなかったのに、義両親と夫ですぐに食べつくしていた。
白砂糖は健康にいいのかもしれない、ただし、ドイツ人だけに。





シュトロイゼルでますますカロリーが高いケーキを焼いて息子に食べさせるその母親に悪気がないのは明白だ。

2018年09月16日 | 健康
夫の朝食準備のためオーブンにパンを並べた天板を出し入れしているときに、オーブン内部に触れてしまった。
どうってことない軽いやけどだろう、と冷やすこともせず放置していた。

うっかり何かに触れたりするとかなり痛むのでガーゼつき絆創膏で保護した。
この絆創膏はここで販売されている一般的な品だ。もう、外観から日本のそれに負けているよなぁ。まだたくさん帰省時に買い込んできた日本のものがある。
家にいると、家事等で頻繁に手をぬらすので、何度も貼りなおす。一気になくなる。日本の品がなくなったら、こちらの高くて質の劣るものを使うようになるのだろうな、と悲しい気持ちになってくる。

義両親たちは数日前から植木を処分する作業をしている。

夫によると、いつも植木交換をしているので珍しいことではないらしい。
今回は、見たことのない幼虫が葉を食い荒らしていて、それを駆除する薬品がドイツに存在しないので植物ごと処分を決定したのだとか。
「中国から来た虫だ」
と義父は言っていた。報道関係で知ったのだろうか?日本ではよく見た4,5センチ位の黒っぽい幼虫だった。ちょいと調べてみたがどんな虫なのかわからなかった。

茶色いのは根っこだ。もう、徹底的に処分している様子が怖い。
さまざまな物資とニンゲンが世界各国から集まって来ているドイツだ。今までになかった昆虫、植物、挙句の果てには病気までやってくるのは容易に想像できる。

義母は植物根こそぎ処分の仕事の傍らにケーキを焼き上げた。恐ろしい体力だ。

収穫真っ盛りのプラムケーキ、今回はシュトロイゼルが一番上に載っている。
ますますシュトロイゼルでますます高カロリーのケーキの出来上がり。庭仕事で疲れ切った義両親たちにはちょうど良い。
デスクワークの夫には簡単にカロリー過剰だなっ。息子を病気にする気などは義母には全くないのはよくわかる。
ケーキは健康にいい、という義母論さ。