怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

油壺の思い出

2014年02月28日 | 家族
台所の棚の上に並ぶ重そうなつぼは、単なる装飾品ではないとは予想していた。

年に一度、棚から下ろして洗うのだが、そのときに義母が明かしてくれた。これらの容器は豚の油を保存していたものなのだそう。

ラップフィルムが被せてあるのは内部が埃で汚れないようにするため。そういう目的には日本のラップフィルムがとても役立つ。容器にぴったり張り付くものね。

マーガリンなどの人造油脂が普通に普及したのはここドイツでも戦後しばらくしてからだそうだ。
それまで調理に使われていた油は豚を絞めたときに取れるものだけだったとか。豚や鶏などの家畜飼育は、貧しい家庭だとできなかったらしい。
「近所の人が『油を貸してください』ってよく来たものだ」と子供の頃の様子を思い出して話す義母。
今でこそ、ふんだんに、いや過剰なほど油脂まみれの料理を毎日毎回の食事に摂取しているドイツ人にそんな時代があったなんてにわかには信じがたい。
また、豚脂で作るパンケーキ(膨張剤を入れない平べったいもの)はとてもおいしかったそう。そう言いながら義母は「動物油より植物油のほうが健康的」と考え、ラードやバターより人造の怪しい油脂を好んで使う。
この集落にセントラルヒーティングが一般家庭に普及し始めたのは1960年代になってからだ。それまでは一つの家屋に暖房してある部屋は一部屋だけが多かったそう。娘時代の義母の寝室の壁は石造りだった。冬はその室内の壁に氷が張っていたそうだ。そうした過酷な生活の当時は、豚脂を摂取したところで、すぐに体温維持のエネルギーになっていたのだろう。
おいしい豚脂を我慢して怪しい油を使ったパンケーキを食べるのは、暖房設備の整った快適な屋内環境の代償だろうな。
この油壺は100年前くらいの品だそう。今も使っていないが、これからも使われる可能性はまったくなく、こうして飾って昔の貧しい生活を思い出させてくれるのだろう。って、その実体験を思い出すことができるのは義母だけなのだけれど!


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ここ数年義母が使っている油はアブラヤシが原料のもの。常温で固体なのよね・・・たぶん、私の胃腸にはとても負担が大きいと思う。時々「この油をあまり使わないでください」と懇願すると「これは身体にとってもいいんですよ」と強烈に切り返される。
遠くマレーシア(たぶん!)で育ったアブラヤシがここで義母に気に入られている。










みんな作りたがる巻き寿司

2014年02月27日 | ひとびと
ひと月ほど前に知り合った近所在住の台湾人に招かれた。
またしても「巻き寿司の作り方を教えてください」ということで。
到着すると、すでに中華饅頭を作り始めていた。
 
似たような饅頭はアジア各地にあるのをドイツに住んでから知った私。
北はモンゴル、南はベトナム。シンガポール、マレーシア、インドネシア・・・
 
餡は三種類あった。ひき肉、野菜のみじん切り、小豆餡だった。一番不味かったのは小豆。
台湾のあんまんの餡は日本のそれよりかなり薄味なのだそう。
餡はもっと甘くなくては、と私が主張したら「日本の食べ物は味が濃すぎる」と切り返された。
では、ドイツ料理は台湾人にはとても耐えられないのでは、とほくそ笑む意地悪な私。
寿司飯。
饅頭作りとともに寿司の指導を始めた。
寿司飯に微妙に色が付いているのは黒砂糖を使っているため。白い砂糖は使わないのだとか。
どこの国の人たちも健康に気を使っているのだなぁ。

 
さて、今回の訪問先は出たがりがいた!台湾人女性の婚約者、ドイツ人のKさんだ。
お互いにタイ国で出張の仕事をしているときに知り合ったのだそう。
このKさんは日本人とも交流があるとかで、一度日本に知人の結婚式のために行ったことがあるのだとか。
かなさんと言っていたかな、偶然この写真をご覧になっていたらご連絡ください。
Kさんは今年12月にこの赤いシャツの台湾人女性と結婚するそうですよ~
 
指導する私もだんだん慣れてきて、ほとんどの場合初めての人でも失敗なく巻くことができる。
私が巻き寿司初心者のときは何度も失敗したのにっ。
指導者がいるのと独学では違うのだなあ、と思ったぞ。

話題が日本の食材になった。「カレーが好き」と私が言ったら彼女はこれを出してきた。

ハウスバーモントカレー、台湾輸出用製品!きゃー。
パッケージは日本語と繁体字の中国語混ざりで英語のそれとはまた違う味わいがある。台湾では2ユーロ(250円)程度で買うことができるそう。日本で通常の値段が200円前後であることと比較すると台湾では日本食材がかなり安く手に入る様子。
ここは軽く3倍以上になるからなぁ~
次回はカレーパーティをしましょう、ということでお開きになった。

最近知り合う日本人を含む東洋人女性たちはすでに外国での勤務経験がある人が多い。
女性の社会進出は当然だが、女性の世界進出まで激しい今の時代。
赤いシャツの台湾人女性もすでにドイツで勤務を始めて2,3年なのだそう。

違った環境への適応力はどちらかというと女性の方が優れているように私も思う。
でなければ、私は毎日義母料理を食べ続けることはできないしぃ。







家族サービスも楽じゃあない

2014年02月25日 | 
週末の午前中。夫が「カメラ、カメラ!ヘリコプターです!」と叫んだ。
二年ほど前からこの集落にはたびたびヘリコプターがやってくるので、さして私には珍しくないものとなってしまった。
「はいはい、撮ります、撮ります」と仕方なくカメラを持って窓辺に急いだ。家族サービスも楽じゃあない。
時にはやりたくないこともやってやるのが妻の役目。

前に来たときにもちょうどあの辺りに着地していたな・・・同じ人物が危ない状態になっているのかしら。
降り立った二人の隊員(医師?)はめったに見ない急ぎ足で向こうのほうへ行ってしまった。

他にも救急車がやってきた。ヘリコプターは20分ほどで再び飛び立とうとエンジンをかけ始めた。
料理中だったが急いでカメラを持って外へ走ったわたし。Tシャツにエプロン姿の私。暖冬の晴天で室内は暖かいのだが、さすがにまだ屋外は外套なしでは寒かった。うう~早く飛びたってくれ~。見渡すと、同じようにカメラを持った周辺住民がちらほらと・・・
住民サービスにこの上空を一回りして欲しいな、とか願ってみたけれど、あっけなく向こうへ飛んでいってしまった。

せめて、機体の下の部分を撮影させてくれても良かったのにぃ~とか、ぶつぶつ言いながら家に戻った。

この日の昼食献立はパン団子ときのこのソース、きゅうりとピーマンのサラダ。肉食を避ける息子のための義母献立。たっぷりの油脂を使うのをどうにかしてくれ、と私は脇で思いながら手伝った。

私の皿。この日に添えた米飯は玄米。一週間に一度程度玄米を摂取するようにしている。

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夫は私がヘリコプターの写真を撮ることを喜んでいると思っているのだろうな。「もう飽きた」とは口が裂けても言ってはいけない。「りすの実家のあるところではヘリコプターを近くで見られないでしょ?ドイツに住んでよかったでしょ?」と言いたいのだろうな。






薄味はおいしい

2014年02月24日 | おいしいもの
街で一番古いといわれているバイエルン料理レストランで食べる予定だったのが、ご馳走してくれると約束した人物の体調不良の連絡で、集まった四人は直ちにそのレストランを去ることにした。
で、向かったのは中国料理屋。ベトナム人の経営なのだけれどね。

私のほかの三人は台湾人留学生、在住台湾人、ドイツに帰化した台湾人。つまりみんな台湾人~
焼きそばと焼き飯を一皿づつ注文した。四人には少ないのでは、と思ったのだが私より在住年数が数倍長い彼女らはここの一人前の量を熟知している。
「うんと薄味にしてくださいね」と付け加えるのも忘れていなかった。ドイツ人向けに非常に濃い味に仕上げるここの中華料理屋に対する対抗策だ。
その結果、この焼きそばは激ウマだった。隣に座った帰化ドイツ人と半分ずつなのが惜しいくらいだった。

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ほとんど毎日バイエルン料理を食べている私だ。正直に言って招いてくれたドイツ人の急病は嬉しかった・・・ああ、失礼!
家庭料理でないバイエルン料理をたまには食べないとね、彼が元気になったらもう一度招かれてやろう、バイエルン料理レストラン!

冬場の庭仕事

2014年02月23日 | ひとびと
ちょっと目の休息を・・・と窓辺によると義両親たちが庭仕事をしていた。冬場はあまりやることが無いはずなのだが無理やりやっているのかしら。

せっせと働く様子を部屋から盗撮するヨメ。「良いヨメ」には程遠いぞ。

今年は積雪がほとんど無いから、雪かきで消耗するはずの体力が有り余っているのかも、と前向きに考える私。
と・・・午後には林業農家の親族から暖房用木材が届いた。

このトラクター、いつ見てもかっこいい
 
いつもは夏場から秋にかけて来る木材、どうしてこんな真冬に?好景気のせい?暖冬で樹木が育ちすぎ?

いずれにせよ、義父には「やること」ができてはつらつとしている。すぐにここまできれいに切って並べられた。
雨が降ってきたので今日はここで作業終了。
退職した男性たちがせっせと家事をやってそれに充実感を見出すことはまれのようだ。こうした原始的な男仕事は義父を元気にする。

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いつも思うのだが、これらの庭仕事、いったい私たち夫婦はできるのか??
夫もその姉もこういった仕事を手伝わされたことはほとんど無い様子。義両親よ、勉強ばかりさせていたのかい??
「なんとかなるさ」と思うようにしているが、そんなに甘いものじゃあないぞ、とも予想できる庭仕事。
運が悪いと障害が残ったり死亡の危険さえあるダニにやられる可能性、凶器のような道具を振り回しての剪定、20リットルの水が入ったジョウロを両手に持って何度か往復すればすぐに腰痛だろうし。
やれば楽しいのだろうか?きゃぁぁ・・・と小さく叫んでみる・・・


違いのわかる私

2014年02月22日 | ひとびと
去年11月、アルパ(パラグアイハープ)コンクールを聴きに行ってきた。
←クリックで拡大。
日本という国は本当に外国の文化や物事を取り入れることに積極的で驚いてしまう。パラグアイなどどこに存在するか知らない日本人も多いだろう。このパラグアイ音楽のコンクールは二年に一度開催されていて、すでに9回目を迎えている。

前回までの優勝者の写真の展示がされていた。上松美香さん(右から二人目)はメディアに頻繁に登場した時期があるのでこのハープのことをご存知の方も多いことだろう。

このコンクールに誘われたときはいまひとつ乗り気がしなかったものだ。詳しくない私にはどれも同じで面白くないだろうと予想したからだ。ところが、10人ほどの出演者の演奏は、明らかに「いまひとつ」と感じた自分に驚いた。
縁あってパラグアイに在住し、パラグアイ音楽を頻繁に耳にし、また帰国後もCDやコンサートを聞く機会があったのでそれなりに自分の脳内に「理想的な演奏」が出来上がっているのだ。
そんな私の耳に2,3人の演奏は「いいな」と思った。そうしたらその人たちが入賞した。
 
ホール内での撮影が厳しく禁じられていた会場。終了後に撮影させてもらった。
写真左。一番左はパラグアイ在住の私の友人でアルパの指導をしている根津さん、その右の青いコートの女性は去年の優勝者、彼女は根津さんの指導を受けている。その隣は今年の優勝者、塩満友紀さん。塩満さんというとルシアさんだが、なんとご親族だそうで。
写真右。根津さんのとなりは今回次点だった根津さんの指導している生徒さん。悔しくて泣いていたけれど、次回があるさ、頑張りましょうって根津さんと私は励ました。

コンクールの演奏のほかにコンサートもあり、すでに日本で長く活躍している演奏家たちが彼ら。

右の松木さん、赤いシャツの男性カレーラさん夫婦は演奏や指導をしている。残念ながらモザイクさせてもらった女の子は頬がとっても可愛い彼らのお嬢さん。すでに舞台慣れしている雰囲気さえしていたぞ。
アルパスタジオソンリサでは演奏・指導を常時受け付けているそう。関東周辺にお住まいの方々、ご利用ください。
また、パラグアイ、アスンシオン市在住は根津さんはアルパ演奏家としての活動とともにスカイプレッスンをしている。日本・パラグアイ間でレッスン可能なこの時代、凄いなー
彼女のブログは更新が止まっている様子なので、詳細は私にお尋ねください。


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弾けない私がこう書くのもなんだけど、一般的に日本人のアルパ演奏は整いすぎていて面白くない。
arpa parguaya で検索するとたくさんのパラグアイ人の演奏が出てくる。調弦などちょっとくるっていたほうが現地風。食べ物もそうだけれど、その土地で聞くその土地の音楽がやっぱり最高かも。


頬キスの挨拶

2014年02月21日 | ひとびと
台所の窓から見えるところで、人々が挨拶をしていた。
「ぶっしぃ、ぶっしぃ(どうも、キス、のことらしい)あら、もう一回」と義母はぶつぶつ言いながら得意の仁王立ちで彼らの様子を観察してた。
「ああいった挨拶は昔は無かったものよ」と義母は言った。
お互いの頬を重ねる挨拶は外国から来たものなのだそう。フランスやスペインなどからだろうな、と私が言おうとしたら「おそらく東からね」と義母は言った。う~ん、そうなのかな。

南米在住時に嫌だった物事の一つに、この両頬キッスの挨拶があった。
面倒だし、自分の髪の匂いとか口臭とかを相手に気づかれる恐怖もあった。何より他人とえらく近づくのが苦手だ。
ドイツは大丈夫だろう、と思っていたらすでに多民族国家のここ、あらゆる国の方法で挨拶するぞ。
親しくしているエチオピア人に両頬キス挨拶のモデルをしてもらった。
 
軽く頬をあわせるだけなのだが、やっぱり面倒だ。エチオピアでは三回だとかで、私も三回を強要される。彼女とならいいが彼女の旦那まで「おいおい、僕とは挨拶しないのかい」と迫るので憂鬱だ。
フランス人もやりたがる。「地方によって2回か3回の違いがあるのよ」とか説明していた。
ドイツ人は親しさの度合による。初対面では握手だけなので安心。二度目くらいになると抱擁の挨拶になることも。
うう、憂鬱。でも両頬キッスほど面倒じゃあない。
よくわからないのがモンゴル人や中国人・タイ人・ベトナム人その他のアジア人たちで、こちらの習慣を真似ることもあるのか、やたら抱擁したがる人も多い。もっとも彼らの母国では家族などの間柄では頻繁に抱擁をする様子なので、日本人の感覚とはかなり違うのかもしれない。

ある日、義父と意気投合した。
「風邪を引いている人と握手した後は手を洗うことにしている」という義父。
「日本の挨拶はお辞儀ですからとても衛生的です」と私。「そうだな、そう思う」と義父も賛成してくれた。
西洋でもお辞儀の挨拶をときどき観察できるので、全く彼らに無理ということはないだろう。
よし、お辞儀挨拶普及に努めるかな、わたし。おにぎり普及も進行中だし。

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去年の帰省時に新宿駅構内で目撃した。
20歳代くらいの日本人女性と、肌の色の濃い若い男性が両頬キスをしていた。
東京でこの挨拶を見るのは珍しく、私は立ち止まって観察してしまった。どちらも慣れた様子だったし、また唇へのキスと違って嫌な感じは全くしなかった。男性はエチオピア人?南米人?ああ、追いかけて尋ねればよかったかっ
うむむ、東京も多民族国家になりつつあるのかな、とちょっと感心。





マカロニグラタンはおかず

2014年02月20日 | 頑張って食べる
アウフラウフと呼ばれるものなのだが「グラタン」としたらいいのか「スフレ」としたらいいのか訳に悩むこの料理。(辞書には両方載っている)

牛乳と生クリームを混ぜ、塩コショウで味を調える。マカロニは茹でておく。仕上がったマカロニはくっつかないようにたっぷり油が注がれている。

容器に油をたっぷり流してから、切ったハム、パセリ、たまねぎをパスタと交互に重ねていく。塩も振っていたぞ。上写真右の手前はチーズを持ったリす指。(チーズも一般的にここの製品は塩辛い)
二人がかりでこの作業・・・私がいなくても充分なはずなのだけれどねぇ。

最後に牛乳溶液を回しかけ、チーズを載せてオーブンで30分焼く。

マカロニグラタン、白菜・にんじんのサラダ、赤カブの酢漬けがこの日の昼食献立。

私のほか三人はマカロニグラタンに米飯を添えるなどしない。私にとって油分・塩分たっぷりなこのグラタン、ご飯と一緒にすると中和されておいしかった。

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米飯は私の健康を守る余計な塩分・油分摂取を減らす役割さ




ビュッフェが大好き

2014年02月19日 | 
極まれに夫と外出時に帰宅がとても遅くなる場合、ホテルに宿泊することがある。
そんなときの夫の楽しみは朝食のビュッフェだ。

夫は小柄だが一度に食べる量は驚くほど多い。食べ放題のレストランでないとおなかがいっぱいにならないので、そういう意味でも彼はあまり外食を好まない。
朝食がビュッフェだと、その日は朝食以降全く食事を取らない。私が夕食を用意しようとしたとき「なぜおなかいっぱいになるまで食べなかったのですか」と夫が尋ねたことがあるので仰天した。
食いだめができる夫の体質を恨めしく思ったものだ。今では彼も私の小さい胃袋を理解してくれるようになった。


写真はよく行くホテルの朝食。数種類のパン、サラダ、ハム、ソーセージ、卵料理、ベーコン、チーズ、コーンフレークやミューズリ、果物などが並ぶ。もっと料理を撮影したかった。なかなか勇気が必要なのさ。


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様々なブログを覗きにいくと、スーパーやレストランで撮影されたと思われる写真を多く見ることができる。
珍しい品々が並ぶ海外のスーパー、食べてみたいと思わせるレストランの食事、堂々と掲載されている。
ブロガー根性、わたしはまだまだ足りない。

胃酸過多

2014年02月17日 | ひとびと
友人宅の猫。

左が母親、右は息子。
 
フラッシュが眩しくて目を閉じちゃうんだ。
 
とりあえず半開きの目。暖炉のそば、あったかいな。彼女の家、冬場は室温30度にすると聞いていて、私は温度計を撮影するのを楽しみにしていた。
が・・・なかったのだ、温度計。持っていくべきだったぁ~体感で30度にしているのかい??でも私は着ていたセーターを脱げなかったぞ。
 
ケーキをご馳走になる。ドイツ人の彼女、ケーキを焼けない。ドイツ人は皆ケーキが焼けると思ったら大間違い。
「私のお義母さんも甘いものが嫌いでケーキなど焼かない」という話を在独日本人仲間からしばしば聞かされる。
市販のものでも充分さ。右のマグカップは中国人は絶対使いそうもない中国風。
 
すでに二年続く私の胃酸過多の症状がテーマになってしまった。
ホメオパシーに興味のあるドイツ人はかなり普通にいて、この彼女も延々と講義をしてくれた。
「お義母さんの料理は日本のものより油分が多いのでしょう?」と尋ねられたときは、私のことをよ~く理解してくれている彼女に感激した。おおっ、持つべきものはいい友人

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医師に処方された大量の胃薬は半分なくなったところで止めた。しばしばホメオパシーを薦めるドイツ人に出会うので、ちょっと勉強してみる気になっている私。


衣類を甦らせる義母

2014年02月16日 | 義母
義母の妹宅から次々と古着などの繊維製品が届く。
撮影するために裁縫部屋を覗いたが袋一つ分だけだった。
数ヶ月ごとに大量にやってくる。義母はそれらの中から使えそうなものを選んで甦らせる。
下は元シーツだったテーブルクロス。上質な麻だとかで、確かに見栄えも触った感じも良い。

これはシャツだったエプロン。義母の妹の嫁ぎ先一族は大柄な人ばかりで、男物のそのシャツからは2枚のエプロンができた。

市販のものと違い、縫製が丁寧だ。

ちょうど私のエプロンの一枚がだめになってきていたところなので、嬉しかった。
こういうときには「便利な義母でよかった」と思ってしまう浅ましいりす。
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義母の妹は縫い物が一切だめなので、こうして再製できる姉に古着を回す様子だ。中にはたいして古びてもいない外套やTシャツなどもあり、義母と私は着てみるのだが大抵は大きすぎて諦める。着道楽な義母の妹一族のおかげでウチは少々助かっている。
義母でも甦り不能衣類・繊維製品は、古着を集めているボランティア団体に寄贈する。

招き返せない私

2014年02月14日 | ひとびと
三年前に一緒だったドイツ語クラスの仲良したちとは、ときどき自宅に招きあう。おとといはポーランド人のM子さんの家だった。
 
かぼちゃのスープ。盛り付けるときにちょっと汚れてしまうのはご愛嬌。(撮影する前に拭えって?はい、次回そうしますっ)主料理は・・・おっと、名前を聞くのを忘れた。きのこを細かく切ってチーズを混ぜたものをクレープのようなもので巻き、仕上げに多めの油で色づくまで焼いたもの。
 
この白いランチョンマットについて「汚したら悪いから私はいらない」と申し出た。が、M子さんは「いいのいいの、洗えばいいのだから」と譲らなかった。私は犬食いに撤して見事に最後まで一点のシミもつけることが無かったっ!M子さんは大ジミをつくっていたぞ、うほほほほ~。さてこの料理、おいしかったが2本目はきつかった。やはり油が多いものは私は気をつけなくてはならない。でもね、勧められるとなかなか断れないの。
 
デザートはアイスクリームに切ったイチゴを載せたものとマーブルケーキ。マーブルケーキはとても腹に収められなかったので持ち帰ることとなった。
食卓のすぐ後ろには日本メーカーのピアノ。久しぶりにちゃんとしたピアノを弾くことができて嬉しかった私。
いや、食事もおいしくて嬉しかった。M子さんありがとう。

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と、良い経験ということで締めくくりたかったのだが、ここで言いたいのはウチの事情。
M子さん宅はすでに二人のお嬢さんが独立して生活している夫婦二人だけの住まい。もう一人の仲間のスペイン人女性は独身、広いアパートで自由を謳歌している。ウチは・・・相変わらず寄生生活、知人友人を招くときはどうしても義両親を巻き込まなくてはならない環境だ。
私は何度もこの二人の住まいに招かれているのに、ウチにはただの一度も来てもらったことが無い。
これはよくないなぁ、と思っているのだけれど、義両親のことを考えると面倒でたまらない。
M子さんは外食を極端に嫌う人で、私がレストランに招くなどと言えばきっと「私の家でいいじゃあない」と言い出すだろう。
もう、仕方がないから義両親と一緒に5人で義母料理を食べてもらう、ってのでいいかな。うわわ、それを考えるだけでも憂鬱になってくる・・・




義母のバレンタインデー

2014年02月13日 | ひとびと

「日本にバレンタインデーはあるのか」
と義母に尋ねられた。
「女性が男性にチョコレートを贈る日ですよ」
と答えると
「それはちょっとヘンね」
と言いながらも、義母は納得していた。
ここでもバレンタインデーにさまざまな贈り物が飛び交うからだ。

さて、義母の子供の頃のバレンタインデーはこのようなものだったらしい。
祖父母が孫に現金を贈るのだ。

義母の祖父は吝嗇な人だったそうだ。

2月14日にきょうだいで祖父母の家を訪ね、まず、祖父に現金をねだった。
祖父はポケットを裏返して見せ、空っぽであることを証明し、
「おばあちゃんにもらいなさい」
と言い放つのだそう。
子供たちはもとともと祖父には期待していないので、形式的にねだる振りをし、
次に祖母のところでいくらかの小遣いをもらったのだそう。

この、義母の祖父は決して貧しかったわけでなく、むしろ、この集落での成功者だったらしい。
いまでも親族に残る広大な土地、身分不相応なウチのばかでかい敷地は彼の功績の名残である。

彼は身内には非常にケチだったらしい。
アメリカに移住した弟、ミュンヘンでパン屋を開業した他のきょうだいたちに資金援助を頼まれても一切を断っていたそうだ。

ところが、身内で無い人々には寛大だったそうで、
この集落に電気を通す事業に金を寄贈したりしていたそうだ。

自分の祖父を語る義母の表情には、彼に対する敬意や愛情を感じない。
あまりにも経済的にいやな思い出があると、このような感情になることを、私はよくわかる。
義母のバレンタインデーの思い出がケチな祖父、ってのが現在の社会状況とまるでそぐわないのでちょっと笑える。
貧しい時代のドイツ生活の様子を義母からいろいろ聴かされているが、
バレンタインデーも貧しかった彼女の思い出、ちょっと悲しい。



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スーパーなどの広告をみても「祖父母が孫にプレゼントをする日」という片鱗をうかがわせない。(右写真は孫に与えるぬいぐるみ、と見えても自然かな?)
義母の周辺だけの出来事だったのだろうか、時代とともに変遷していったのだろうか。



追記(急に思い出した)
あと数年で70歳になる友人の話。
山形の山奥が故郷の彼女の子供の頃、そこでは現金を使って生活する環境ではなかったとか。
義母が子供の頃に現金を贈られる可能性があったというのは、それだけでも凄いことだったのかもしれない。
世の中全体が貧しかった頃の話を聴くと、今の生活が質素にしていてどれだけ派手なのかを思い知らされる。




菓子作り、ノリノリ

2014年02月10日 | ひとびと
昨日の昼食のメインは肉団子。
 
作りなれていると思われる献立でも義母は確認を怠らない。ひき肉、卵、ふやかしたパン,香辛料各種を捏ねて直径3,4センチほどの球形にまとめるのは私の役目。自分より上手くできちゃうことを知っている義母。
 
これは夫の皿。マカロニにサヤインゲンのサラダ、肉団子とソース。夫は二切れだけ食べて後はソースだけかけていた。私より激しく肉食を避けている夫。

昼食の料理をしながら義母はケーキを焼いていた。昨日作ったイタリアクッキーはまだ充分残っているのだけれど!?来客があるわけでもないのにどうしたものか。まあ、作りたいだけ作ってくれ~、食べるのは誰っ??きゃー。
 
切る前はなんだか不味そうだったが、切った断面を見たらちょっと試したくなって食べたら旨かった。


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糖分摂取過剰確実な私。哀れな私にクリックを~ 食うなって?まぁ、そういう選択肢もあるけれど、義母の食え食え攻撃を交わせる人物に出会ってみたい。(夫を除く。自分の親に遠慮なく吼える)

新レシピに挑戦する義母

2014年02月09日 | ひとびと
義母はよく新聞や雑誌のレシピを切り取っておき、機会があるとそれを作ってみる。
今日のはこれだ。イタリア風ビスケット。日本でビスコッティと呼ばれているものかな?

生地のまとまりが悪くて苦労したらしい。

こう書くのは少々悔しいが、おいしかった。食事直後だったのにバクバクと食べてしまった。
私の作る日本風の食べ物には絶対手を出さない義母なのに、こちらのレシピは果敢に挑戦する。
また、こちらのレシピに東洋の料理や菓子が紹介されることはあまりない。日本人は欧米を初めとする外国のものを受け入れることに積極的なのに対し、こちらの人々はそうじゃあない、って体感している私。
ウチの中でまともに体験しているので不公平感バンバンに感じちゃうぞぉ。

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巻き寿司を作ってくれ、とか教えてくれなどと頻繁にいわれるようになってきたから、西洋も東洋のおいしいものに目覚めてきているのは確かかも。