怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

基本的な動詞の活用くらい、身につけようぜ、と言ってみたい

2022年09月05日 | ドイツ在住難民・移民

右は20年前カザフスタンから移住してきた女性77歳。

左は7,8年前にトルコから移住してきた45歳イスラム教徒。

この二人はおしゃべりが大好きなのだけれど、

ドイツ語はあまり上手でない。

ドイツ語レベルに関しては私も他人のことを

どうのこうの言える立場ではない。

だが、下手な人の会話を聞き取らなくてはならない

苦しさは彼女たちから学ばされた。

流ちょうで聞き取りにくいのとは

また違う大変さがあるんだ。

ドイツ語が母語の人にはそんなにつらくないと思う。

夫や他の日本語を操るドイツ人が

いくら下手でもちゃんと耐えて聴いていられる私。

気のいいこの二人と一緒にいるのは楽しいけれど、

おしゃべりについていくのが大変。

ちなみに私は比較的おとなしいほうなので、

ひたすら聞き役だ。

辛い・・・・


日本人とほぼ味覚は同じなのか、台湾人。

2022年01月24日 | ドイツ在住難民・移民

12月中旬に台湾入国、

二週間の隔離期間をホテルで過ごし、

両親のもとに帰省中の近所の台湾人K子さん。

今日は日本料理屋に行ったようだ。

親子丼だ。

鶏肉の切り方にちょいと違和感があるけれど、

日本人でもこんな風にする人がいるだろうから

許容範囲だな。

「戻ってきたら、一緒に作りましょう」

と早速返事をしておいた。

会社を二カ月休んで、二カ月の帰省だ。

日本では考えられないだろう。

凄いよなぁ、こういう部分はまねが不可能だろう。

ただし、大企業だからできることだと思う。

中小企業では微妙だ。

 

夫など、年中無休、休暇旅行無しの

働きっぱなしだ。

貧乏暇なし、の言葉がそのままの人生。

会社員にはこうした自由がないが、

自営業者にはいくらでも働いていい自由も

ちゃんと存在しているドイツ。


中国語の知識がないと応募できない店

2021年04月07日 | ドイツ在住難民・移民

街中のタピオカミルクティーの

店頭に貼られてあった求人広告。

まるでドイツにいることを忘れてしまいそうだ。

こんな風に求人してもいいのだろうか。

ここの公用語はドイツ語だから、

ドイツ語で表示しなければならない、

なんて決まりがありそうな気がする。

まあ、現在、どの店もやっていないので、

今すぐ採用したいわけでは無かろう。

 

 

 


テレビもPCもスマートフォンもない生活

2020年10月06日 | ドイツ在住難民・移民

アフガニスタン人難民Nが

何気なくテーブルに置いた電話機みて驚いた。

私が「ここではマスクをしなくてはいけません」

と注意したら

「え?もう、コロナは終わったんじゃあないの」

と彼は答えた。

彼が住む難民用住居には

テレビもインターネットの環境もないらしい。

母国の戦乱でまともな教育も受けていない。

彼は決してバカではないが、

基礎的教養に欠けていることに

しばしば気づかされてしまう。

インゴルシュタット市のコロナ感染状況の

グラフを見れば一目瞭然、と私の携帯電話で

そのサイトを開いて見せようとしてやめておいた。

彼がそのグラフを読みとることができるかどうか

不安だったからだ。

下手をすると、彼の自尊心を傷つけてしまう。

ただ、マスク拒否だけは

きつく注意しなければならないと義務感から、

おせっかいな義母ごとく、ガンガン言ってやってもらった。

外国人労働者中心にコロナ感染が広がるのは、

彼らが情報に接することが難しいからかもしれない。

シンガポールのような移民労働に頼り切っている国の

移民労働者もスマートフォンやテレビに接していないのかも。

ドイツの難民たちは、

健康を保ってもらうようにしてもらいたい。

彼らは隔離されて生活しているわけではない。

その辺で何気にすれ違っている毎日だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ロシア語は世界語という認識

2020年09月07日 | ドイツ在住難民・移民

ウクライナ人難民G子さんから

届いたメッセージのカード。

私たちの共通語であるドイツ語を使わず、

自分の母語で堂々送ってくるその根性に少々いら立っている。

彼女はウクライナ人だが、

地域的にロシア語を話す場所で生まれ育ったので、

母語はロシア語なのだそう。

ドイツ語で話すのが面倒になると

私にロシア語で話しかけるんだ。

「だって、ここの外国人の多くがロシア語わかるんですもの」

アジア顔のロシア国民もいるだろうから、

そう考えるのも無理はない。

 

同様にフランス人も

所かまわずフランス語を使いたがるのは

世界各国に植民地を持っていたせいだろう。

 

そのうち、中国人も平気で欧州人に

中国語で話しかけるようになると考えると、

ちょいとげんなりしてくる。

 

 

 

 

 

 


L社の破綻を予想し、ますます人恋しくなっているM子さん

2020年08月22日 | ドイツ在住難民・移民
「何日か会っていませんね、りすさん、さみしいです」
と言ったM子さんに対し、
少々うざいと思った私を許してくれ。

日ごろいつも楽しく仕事で忙しくしている彼女だ。
半年余りも自宅にほぼ閉じこもっている生活は、
彼女の人生にはなかったはずだ。

招かれて、エチオピアスナックの
ダボコロをいただいた。
画像の左半分、豆のようなものだ。
粉を練って、小さくまとめて油で揚げたお菓子だ。
簡単に作れそうだ。
日本語でのレシピもどこかにあるだろう。
一度手を付けるとやめられないおいしさがある。

右側は、ドーナツを小さく作ったものとほぼ同じもので、
あまり興味を持てなかった。

M子さんの勤務先、
誰もが知る航空会社L社は
いよいよ破綻の危険さえあるのだそう。

「私の天職です」
と、地上勤務スタッフの仕事が大好きなことを
常々口にしている彼女だ。

いつもより饒舌で、
自分の半生を事細かに語ってくれた。
その一つは別ブログに公開予定。

M子さんに幸運が舞い込むことを願っている。








布袋でも持つ人によって全く印象が変わる例

2020年08月02日 | ドイツ在住難民・移民
花模様の布袋は10年ほど前
南米在住の友人からの頂き物だった。

生地は傘に使うものだそうで、
防水性は抜群、
光沢のある非常にしっかりした品だった。

だが、私には華やかすぎる柄で、
なかなか使う気になれないでいた。

たまたま、これを持って、
外出したところ、
半ば失業していて時間がある
エチオピア人M子さんとばったり出会った。

彼女と話しているうちに、
彼女の肌色と布袋が
似合うのではないかと思って、持ってもらった。

凄い・・・・
華やかな雰囲気のM子さんにぴったりだ。
M子さんも気に入ってくれて、
めでたく、彼女に使ってもらうことになった。

物資はなるべく有効に使いたいと、
日ごろから持ち物一つ一つに
気合を入れているこの頃だ。







人口増加中

2020年06月23日 | ドイツ在住難民・移民
この新聞記事の写真でどんな記事内容なのか想像できるだろう。
出生率の低さか高さのどちらかと大方の人は思うのではなかろうか。

「1997年以来の出生数の高さ」と始まっている。(バイエルン州について)

ドイツは女性の社会進出が容易だから、子供を産むドイツ人女性が増えた、と考える人は少ないだろう。

少なくとも、私の観察している範囲ではそのようにしか感じない。
母国で学校に行ったことがない女性たちは大抵3,4人目の子をここ1,2年の間に生んでいる。











アフガニスタン人女性は料理が上手

2020年05月19日 | ドイツ在住難民・移民
親しくしているアフガニスタン人女性から送られてきた画像。

先週末は彼女の娘の誕生日だったんだ。
去年は大勢家に招いて盛大なパーティーをしたのに、今年は家族だけでお祝いしたそうな。
それでもこの凄まじく完成されたケーキには気合がみなぎっている。

これまでのドイツ生活で複数のアフガニスタン人女性の料理を食べてきた。ほぼ例外なく、彼女らの料理はおいしかった。
近隣在住台湾人女性たちの料理が「・・・・・」と思うことが多いのと比較すると、感慨深いものがある。
(ただし、台湾料理そのものがおいしいこと、日本人の味覚と似たような部分が多いので、下手でも喜んでおいしくいただいている)

ヨメにはアフガニスタン人女性を・・・などと書きたくなってしまう。
今の時代、料理ができるより、いかに金を稼げるかが妻となる人物に求められるから意味が無いかもしれないなぁ。
いや、もう結婚という関係自体が廃れていくかもしれない。
好きなときだけ一緒に暮らし、嫌になったらお別れ、というほうが合理的って。
それを褒め称える雑誌記事などがまだあるのかな?

あ、テーマが外れてきた。
このケーキの素晴らしさを書きたかっただけさ。
ああ、食べてみたかったなぁ~




初めて見たハロウィーンのかぼちゃ作り

2019年11月01日 | ドイツ在住難民・移民
ハロウィーンを楽しむ習慣は、子供たちを中心に定着しつつあるようだ。
ドイツ人・中国人夫婦宅で見たもの。例の、あのかぼちゃランタン作りだ。
ナイフを持って切っているのはもちろんお母さん、中国人。抑えるのを手伝っているのは彼女の長女9歳。
ランタン作りはすでに4回目だとかで、大変そうだが慣れた手つきだった。

この品種のかぼちゃ、日本で手に入れるのは難しいのではなかろうか。食べても日本のほどおいしくないし。
いや、売れるものなら何でも売る日本の商人のことだ、値段は張るだろうけれどきっと手に入れることができるのだろう。

中身をくりぬく作業がまた大変そうだった。かぼちゃのかなりワイルドな臭いが台所に充満した。
「もう4回目ですからね、これも子供たちのためよ」
来年は長女の進学先が決まる。小学四年生で進学コースと職業コースに分かれるドイツは世界的にも珍しいシステムだ。自分と同様、大学まで卒業して欲しいと思っているお母さんだ。
ひと月ほど前から、彼女は地元の大学に通っている。本来なら週に30時間の講義に出席しなくてはならないのだが社会人ということで特別な配慮がされているらしい。見せてくれた本は数学!もちろんドイツ語だ。
日本語でさえ数学はまるっきしだめな私だ。それを母語で無い、しかも欧州語とは遠い中国語母語の彼女がドイツ語でやるって、凄すぎるっ
そんなお母さんの姿を見て育つ二人の娘は勉強することに抵抗はないだろう。
行っている大学では3歳児までの託児所が設けられているらしい。社会人の学生が普通に受け入れられている様子がよくわかる。けっして、できちゃったので仕方なく生んだ若い学生の子供のため、じゃあないと思うっ!?
彼女一家の住む地域では、このかぼちゃランタンが玄関先に置いてあれば、お菓子を請求できるという合図なのだそうだ。
すでに大きな布袋いっぱいに菓子を買い込んでいるのを長女が見せてくれた。
自分自身の勉強もあるのに、子供たちの勉強や行事、友人関係(誕生日に招いたり招かれたり)も大事にしていて、日々1秒たりともムダにできない生活をしている彼女。凄すぎる。

さて、この家の居間の室温を計測。

10月30日正午ごろ。外気温は確か10度くらいだったか。
室温25度は、半そでシャツになるには少し低いかもしれない。子供たちは長袖パーカーを着ていた。
私はハイネックTシャツに薄手のカーディガンを着ていた。

このように、ときどき訪問先の室温を報告していこうと思う。

アンカラからの来客にごちそうになった上におみやげをいただいてしまった。

2019年10月30日 | ドイツ在住難民・移民
数年前まで「地球温暖化説」をまったく信じていなかった私。
ここ2,3年、おかしいと感じている。大抵10月に入ると、ウチでは薪暖房を始めるのだけれど、今年はまだ一度もない。灯油暖房だけで充分なんだ。
往来で見つけたこれ。

タンポポが咲いているって、10月にここで見たのは初めてだ。昨日はひまわりが咲いているのを確認。
あまりの驚愕に撮影しておくのを忘れた。
いくら温暖化しても、関東周辺ではひまわりは咲いていないだろう?こちらの植物は寒さに強くてちょいと暖かくなると咲いちゃうのか?

これからの最高気温予想は10度以下だ。ちゃんと冬がやってくるのだろう。
なまぬるい冬かもしれないが。

去年の夏に引っ越してしまったインド系英国人夫婦が休暇旅行でここにやってきた。
旦那さんは某大企業の社員で、世界中をあちこち転勤して回っている。
インゴルシュタット旧市街にあるインド料理レストランで、食事をしながら会話した。

マサラトーサ、きっと日本でもこれを出しているインドレストランはあるだろうから試してみて欲しい。

レンズ豆粉と米粉を混ぜて焼いたクレープに野菜を細かく切って辛く味付けたのを巻いている。

現在彼ら夫婦はアンカラ在住だ。
「インゴルシュタットにいたときより広いアパートに住んでいます」
おいおい、ここでの住まいもえらく広々していたが、さらに広いって、凄まじい。
「週に4,5日家事サービスを頼んでいるので、ここにいたときほど熱心に掃除していません」
トルコはまだ駐在員家庭にはメイドが使える経済環境なのだろうか。
夫人はインゴルシュタット在住時にも住まいをとてもきれいにしていたものだ。また、ミニマリストかと思えるほど持ち物が少なかった。

いただいたアンカラみやげ。

ロクムという、簡単に解説すると、ういろうのようなお菓子だ。

ドイツ在住初期から何度も食べる機会があったが、なぜこれが存在するのか、と不思議に思うお菓子だった。
甘いだけで、全然おいしくなかったんだ。

この頂き物で知った。
やはり、本場の菓子屋の品ではないと不味いんだって。あるいは手作りがおいしいだろう。
250グラム入りのこのずっしりとしたパッケージに少々恐怖を感じたけれど、一口食べて「あ、もっと欲しい」と思ってしまったぞ。

「インゴルシュタットの生活は楽しかったです」と夫妻は言った。
私の生まれ育った土地じゃあないが、そう言われると嬉しい。銀行手続きの残りのために来たらしいが、住んでいたアパートの近所の人たちに挨拶したりもしたらしい。本当に楽しかったのだろうな。

本来なら、すでに来客の彼らに私はご馳走しなければならないのに、逆にごちそうになってしまった。
いや、経済力を言うなら彼らの方が私などより数百倍あるだろう。喜んでごちそうにならなくては!

「是非アンカラに遊びに来てください」
とは何度も言われている・・・・
行けるわけ、ないだろう、と思いながらも曖昧に好意的な返事をしてしまった・・・・
同席したポーランド人と彼女の娘たちは世界中あちこちを旅行しているから、きっと来年あたり行くだろう。
その、彼らのばかでかいアパートに泊まってきてくれ!



いつも忙しくしていたい女性たち、私にはとても真似できない。今日もだるくて数時間おきにソファに倒れていたりす。

2019年10月18日 | ドイツ在住難民・移民
市民大学で中国語を教えている中国人が使っている教材。
ドイツ語で解説されている。ドイツ人の中国語熱は高い。ドイツ以外でも中国語学習者は多いのだろうか。
この教材、日本人らしき人物も出てくる。「恵美」さんだ。寿司の写真までちゃんと載っている。
中国と日本の違いをはっきりさせている工夫なのだろうか。

ドイツ人旦那さんとの間に二人の女の子がいる。
ただいま小学生。母国ではこんな漢字は就学前に習得しちゃっているだろう。

ちゃんと二人分。
自分の母語も子供たちにちゃんと習得して欲しいのだろうけれど、普段の彼らの会話はドイツ語だ。お母さんは大学でドイツ語を専攻していた。私などとは基礎の部分が桁違いだ。ティーンエイジャーの頃から集中的に学んだ外国語と、成人してかなり過ぎてからちゃらんぽらんに学習した差。彼女と私の差。

育児と週に数回の中国語授業だけでもひどく忙しくしているのに、何を思ったのか、もう一度大学で学んでいる。
夏の帰省時に中国で書類をそろえて戻ってきた。近くの大学で教育学を専攻している。
普通の学生は暇そうにしているが、家庭と仕事を持っている学生は寝る暇もないらしい。あたりまえじゃあないか!!
「辞めようかしら」とこぼしていた。
やめたら、また何か新しいものを探して自分を忙しくするだろうな、この人。

中国人女性はそんな傾向にありがちだ。
正反対なのはアフガニスタン人女性だ。政治体制がそこに生まれ育った女性の外国での行動様式も支配するものだ、とちょいと笑ってしまう。
そう、アフガニスタン人女性たちは家にいたがる。就労の義務があるのだが、どうにかこうにかかいくぐって家事育児に専念している。いや、彼女の旦那さんも家にひっそりいたりする・・・いったい、どうなっているんだ、って怖くなる。


ちょいと気まずく感じるのは変かな。

2019年09月25日 | ドイツ在住難民・移民
街中を歩いていたら、私を呼ぶ声がするのでその方向を見たら、数人の中国人仲間がベンチに座っていた。
土曜日午前中には「日本語補習校」と同様な中国語を教える場があり、そこで教員をしている中国人女性と知り合いなんだ。
その日は、ちょいと年配の校長先生も一緒だった。日本人年配女性とはまた違う化粧、髪型、服の傾向。みな、ドイツ生活が長くてもどこかに母国の習慣や流行を引きずるものだな、と感心してしまう。
「しばらくぶりね、元気にしているの」
などと矢継ぎ早の質問を私に浴びせていた。「逢いましょう」とメッセージをもらっても放っておいた私・・・
「帰省中にりすさんに絵葉書を送ったのだけれど、届いた?」
え?まだ届いてないぞ。もう、夏休みはだいぶ前のことじゃあないか。
きっと、中国の郵便局がもたもたしているのだろう。

昨日、届いたその絵葉書だ。消印は8月27日になっていた・・・・
凄まじい経済発展をしている中国だが、絵葉書の質は悪い。ここで得意に思ってしまう日本人の私。
絵葉書ごときで得意に思うのは、すでに衰退の一途をたどる母国に秘かに危機を感じているからかもしれないな、と自分の心情にちょいと淋しくなった。

さて、ベンチに座って歓談していた続き。
しばらくすると、前を日本人知人が家族と一緒に通りかかり、夫人が私に声をかけた。
「あら、りすさん!お久しぶり~!」
しばらく逢っていないうちに家族が増えていたくらいなのだから、本当に永らく逢わなかったものだ。
ここで、一瞬、自分の気持ちが気まずくなったことに気づいた。
中国人集団と一緒にいたからだ。
特に中国人が好みではないのだが、お互い外国暮らしである不自由さの気持ちを共有できること、ドイツ生まれのドイツ人や外国人と違い、母語でない言語で話しているのでドイツ語がわかりやすいこと、そして、食べ物の嗜好が似ていることなどで、何気に仲良くなりやすいんだ。
選んでこうしているわけではないのは確かなのに、どちらかというと、中国人や台湾人との付き合いが多くなりがちになる私だ。他の外国在住者、特に欧州在住日本人たちはどうなのだろう?
私と同じ感覚の人は多いとおもう。ちっとも引け目などを感じる必要がないはずなのにねぇ。母国と近隣諸国の関係をちょいと考慮してしまう余計な神経は必要ないはずだ。国家や歴史や政治とは関係ない個人の付き合いだもの。

その数時間後。
役所で国際交流関係の仕事をしているドイツ人女性に声をかけられた。彼女の計画する月に一度の催し物には、以前は頻繁に出席していたものだ。
「りすさん、この日、この書道教室に出席してもらえませんか」

申し込みが少なくて、開催が危ぶまれているのだそう。
中国人女性指導による毛筆教室だそう。
このドイツ人、日本も毛筆の文化があり、子供の頃から学校で習うということなど知らないのだろう。
いや、知っていても、とにかく開催できないことに危機を感じていて、手当たり次第に声をかけているに違いない。
わたしは、また、新たな中国人と接触するのがちょいと面倒に感じた。
非常にまれだが、反日感情をあらわにする中国人も確かに存在する。
メールで丁寧に出席できないことを伝えておいた。理由はもちろん本音ではなく、別の用事が入ってしまった、ってことにしてね。









お月見の日に太陽と名付けられた菓子を食べた

2019年09月16日 | ドイツ在住難民・移民
在独30年近い台湾人女性二人と私の三人で会話。
テーブルにはこのお菓子。夏休みにひと月ほど帰省していた彼女のおみやげだ。

調べてみたらとても人気のお菓子だそうで、おいしかったのも当然だ。

三人の共通言語はドイツ語だ。
数ヶ月前、定年退職した年齢の女性のドイツ語はひどく母語訛りがあるのだけれど、タイ語の訛りと違って聞き取り易い。
話題は病気や怪我・・・
彼女の息子さん(ドイツ人男性との間の子、推定年齢20歳代前半)は脊髄を損傷し、大変な手術をしたのだそうな。
もう一人の台湾人女性は、彼女自身が網膜はく離で緊急手術。勤務を休んでいるところだ。
病気がテーマになる年代になったのね、心でため息をついた私・・・・

台湾の医療システムは、現在のところ医療機関窓口での支払いはかなり低額なのだそう。
日本では一般的に三割負担と言ったら「それは高いですね」と驚いていた。百万円の医療を受けたら30万円の自己負担だ。すぐに払えない人もきっと多いだろう。
また、居住していなくても台湾の医療保険に入ることができるらしく(彼女の実家は金持ちででない、むしろかなり経済的に大変だったらしい)彼女が帰省中に目に異常を感じたときにかかった医療費は数百円だったそう。
医療費の自己負担分だけをテーマにすると、すでに日本は台湾に追い越されているわけだな。ドイツも、基本的には窓口負担はないが、具合が悪くなって予約をとると数ヶ月先の診察、ということが多く、迅速さを重要視すると日本はドイツより上だな。また、治療・検査の丁寧さにおいてもドイツより日本の方が優れているぞ。

私のためにドイツ語会話をしてくれている二人にちょいと申し訳ない気分でいた。
私を含めない二人だけでもドイツ語で話していたんだ。複数の日本人と一人の外国人がいたとき、その外国人のために日本語を使わないで日本人どおしで話すのはなかなかないことではなかろうか。
彼女らのためにそろそろ家に戻ろうか、とトイレに立って戻ったら、二人は中国語会話になっていた。
そういうわけで、遠慮なく別れを告げることができた。






ペルシャ語では「ウシン」の「おしん」は今でも人気らしい。

2019年09月10日 | ドイツ在住難民・移民
イラン育ちのアフガニスタン人難民A子さんから送られてきた動画の画像。

「イランでは『ウシン』が人気で、放送時間になると一斉にみんなテレビに向かったものです」
と、語ってくれた。
何だ、ウシンって・・・と思ったが、一斉にテレビに集まる人気日本ドラマと言えば、凄まじく古いが「おしん」のことだな、とすぐに察することができた。
確か、日本の生活でもイランで人気という報道をしていた記憶がある。
ペルシャ語で「おしん」と発音するのが難しいか、似たような発音の悪い意味の言葉があるのだろうな。ウシン、でも結構。大事なのは日本を理解してくれることだろう。「おしん」はいろいろな面で日本の古い時代を知ってもらうのにいいドラマだと思う。すべてがドラマどおりじゃあないだろうが、似たような境遇の人々は多かったはずだ。人身売買、児童労働が普通にあった日本の過去。
30歳のA子さんには、口減らしのために幼い子供を働きに家から出すなど考えられないだろう。
そういえば、大根飯って、おいしいらしいじゃないか。私はまだ食べたことがないのだが、クックパッドで検索したらレシピがたくさんあったので作ってみたい。A子さんもわたしのちらし寿司がおいしかったのを経験しているので、大根飯もいけるかもしれない。