怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

義母に初めての料理

2018年12月31日 | 健康
これを材料にした料理を義母は人生ではじめて作った。

ブレッツェはドイツ人移民などにより古くから世界中に広まっているらしい。
だが、ここ以外ではかなり高価なので、これを10個ほど買ってわざわざ薄切りにして水分を加えて練って団子に形作り茹でる、などということはもったいなくてできないだろう。

ここでは古くなって固くなったパン類の再利用の方法としてパンを団子にする料理がある。
普段は普通の白い丸いパンなどを使う。その品はブレッツェの三分の一程度の値段なので使いやすい。
義母は、この高価な材料を今までの人生で使えなかったのだろう。私がフードシェアリングでもらってきたんだ!
少しは家計に貢献しているいいヨメさ。
薄く切って卵、牛乳などで崩しながら混ぜる。
団子に丸め、沸騰したお湯で数分、火を弱めて10分ほど待って出来上がり。

↑。最近義母はますます一人で料理することにこだわっているような印象だ。もう、私が手伝う隙はない。
なんだかねぇ・・・

ウチではこうしたソースと一緒に食べる。
レストランなどでは肉料理の付け合せになっている写真をよく見かける。(現物に出会うことはめったにない私の生活)

茹で上がった団子を半分に切って、ちゃんと火が通っているか確かめたところ。

上手くできた。また、おいしかった。
もしかしたらあと数十年、私が死ぬまで台所の主導権は義母かもしれない。
ま、それも私の人生さ、と受け入れる心の余裕ができた2018年。

来る年には、ますます心の余裕ができて、周囲のドイツ人や在住外国人に何を言われても冷静に怒鳴ることなく返答できるようになりたい。今年はかなりやってしまったものだ。ここの人々の自己主張の強さに苛立つのをどうにかしなくてはならない。






雪のない冬を嘆く義母

2018年12月31日 | 気候
夜明け前午前8時の外気温は3度。
義母は暖かくて雪がないことを嘆いている。この辺りに雪が降らなくなってすでに数十年が経過している。
義母が子供の頃はかなり降っていたようだ。

冬でも青々としているこちらの芝を見ていると、まるで年中暖かい国のようにも思える。雪が降るのは気温が低いという条件だけではないと読んでいる。

北海道のほとんどの地域よりここの冬季は外気温が高い。北海道は最高気温が0度にならないことも多いと読んだ。
また、こちらの人と同様、コートの下は非常に薄着で、家の中はむちゃくちゃ暖房が効いているとか。
こちらの人々が特別に寒さに強いわけでも、エネルギー枯渇に意識が向いていない訳でもないことを知った。

近々、この空き地に道路が造成される予定だ。
義父が記念撮影をしておけ、と私に言ったんだ。こうして世界中に公開。

向こう側の住宅街は30年ほど前に造られたものだそう。
以前は樹木や草で覆われて、さまざまな動物が生息していただろうに。

人口が増えて、それぞれが昔より大きな住宅や自動車を所有すると自然が破壊される。
それはみんな知っているのだろうけれど、人間の活動が優先されてしまうのは本当に仕方がない。
ヒトの経済活動が地球の温暖化を促進させたとしても(疑問だが)受け入れなければならない。
みんなで貧乏しましょう、ってできない。
寝室の壁が冬中氷で覆われていた(義母の経験)、枕元に雪が積もっていた(山形出身の日本人女性の経験)なんて生活をもう一度したいなんて誰も思わないだろう。
移動手段がなく職場まで毎日片道十数キロ歩いたり、現金がなく医師に病気の親を診せることができなくて死んでしまったり(義母の実父がそうだったらしい)するのも勘弁して欲しい。適度に豊かさを享受できる平民でいられる先進国の現状を喜ばなければならない。

今年も無事に生き延びることができた私だ。感謝、感謝。






義母に認められた数少ない物事のひとつ

2018年12月30日 | 義母
訪問先の掃除機を使わせてもらって驚いた。
軽いんだ。これは日本で一般的に普及している品と同じ感覚だ。なるほど、ドイツにもちゃんとあるのね、と感心。

家にばかりいて周囲との接触が少ないと、物事を知る機会がなくなってしまう良い例だな、とも思った。
ただ、ウチで使っている重厚な掃除機と単純に比較すると、安っぽさを感じるのは否めない。性能がどうであれ、だ。
義両親たちはそうした安っぽさに不安を感じるのでわざわざ倍以上する製品を買うのだろうか。
長い間親しんだ習慣や物資に対する感覚を替えるのは容易なことではないことは想像できる。

ここの台所の流し台は大抵日本のそれより小さい。掃除機とはえらい違いだな、と書いていてちょいと笑ってしまう。
排水口も当然のことながら小さい。

この小さい穴から流れ出る野菜くずや食べ残しが水道管を詰まらせるということで、義母にはしょっちゅう「流さないように注意しなさい」と言われている。
あちこちで売られているこの製品を私が買ってきて、私が洗い物や炊事をするときに使っていた。

米粒もちゃんとキャッチしてくれる。

義母は今朝、初めてこの道具の有効性について私を褒めた。
「これは使えるわね」
義母にとっては人生で初めての品。数ヶ月使っていた私を影でばかにしていたのだろうが、やっと便利なことを発見したようだ。

掃除機だって、きっと小さくて軽い方が使いやすいと思うのだけれどなぁ。
黙って勝手に掃除機を買ってくるのは危険だ。
まあ、義両親たちが元気なうちは、彼らの気に入るように振舞い続けよう。









こちらの物資の扱い方、久しぶりに失敗

2018年12月29日 | ここの品々
ギフトカードの番号を入力するために番号保護シールを剥がそうとした。

こちらの生活にも慣れ、どんな物資が頑丈で、どんなのが壊れ易いのか無意識に選別して扱えるようになった。
昨日は長期保存ができるパンの個包装をうっかり外出時に持って出て、途中で食べたくなって取り出して慌てた。
日本の製品だったら、手で切りやすくプラスチック包装を工夫しているだろうが、ここのは何が何でも刃物が登場しないと開けることは不可能だ。
う、やられたっ、と一瞬思ったが、かばんの中に小さなナイフを持っていることを思い出した。こういうときのために入れっぱなしにしてあるんだ。
無事、腹を満たすことができて、嬉しかった。
そういうわけで、たまには失敗をするが、どうにかこなしている。

さて、そのアマゾンンギフトカードのシール。
きっと力が要るだろう、と定規の短いところを使って丁寧に力を入れてはがしたら・・・

ぎゃー、も、文字が破壊されてしまった??
力の入れすぎ?黒くなってしまったところが、ちゃんと読み取れるか心配で、すぐさま入力してみた。
無事、作業終了!
よかったー、現金をどぶに捨てるところだった・・・もし読み取れなかったら、日本アマゾンはどうにかしてくれるだろうが、ここはかなり無理だろうと予想。サービス砂漠はまだ続くドイツ・・・

ところが、日本語でこのシールはがしについて検索したら、たくさんのサイトが並んだので驚いた。

こうしたコツを説明するものが存在するのは、このカードは国際的にきれいにシールをはがすのが難しいのだろうと知った。
ドイツのせいではなかった、ってことで、許してやらなければならない。何かあると、今でもドイツのせいにする私。
次回は、もっともっと慎重にはがさなくてはならない。ああ、ストレスだなあ。もう、買わないぞ、って思う客も多いのではなかろうか。
世界のアマゾンよ、どうにかしてくれ~



小銭の種類が多すぎか、キャッシュレス化は日本より遅れているドイツ

2018年12月28日 | 物品
随分前に2000円札が発行されて、そのデザインの美しさが気に入っていた。
だが、一般的な評判は悪かったのか、現在では存在しなくなっているのだろうか。
紙幣や硬貨の種類は多すぎないほうが間違いが少ないと思う。
ユーロには同じような色や形、大きさの硬貨が日本よりたくさん種類があり、来た当初は区別をつけるのが難しかったものだ。
ここの高齢者たちにも見分けが付かないとときどき聞く。

さて、時々経験する嫌がらせのようなつり銭の渡され方を撮影しておいた。
おつりが9ユーロになる支払い方をしたときだ。

日本の感覚だと、5ユーロ紙幣と1ユーロ硬貨を4つのお釣りだろう。
ここでは1ユーロ硬貨4つの代わりに2ユーロ硬貨2枚でもいいだろう。

ところが、こちらの人たちはさまざまなバリエーションでお釣りをくれるのでドキドキする。
紙幣や硬貨の種類が日本より多いのでそれが可能なのだ。
きっと、上の写真の場合は1ユーロ硬貨が少なくなってきたのでまだ充分ある50セント硬貨を選んだ、と考えたい。
だが、客から丸見えのレジ機の中の硬貨はどの種類も溢れんばかりにいっぱいに入っていた。
溢れそうだから減らしたいためにさまざまな種類を使ったのか・・・

自動つり銭機はとうとうここで見ることができなかった。自動レジ機は普通になってきたのでそれが主流になっていくか、あるいはカード払いがもっと普及していくか。

私が今使っている銀行は毎月手数料が400円以上かかる。
利息は全く付かない。

銀行にお金を預けるとお金が減っていくというむちゃくちゃな時代に突入した。
だが、銀行を経由しないで報酬を受取ったり支払いをしたりするのも難しいので口座を持たないとう選択はできない。
いったい、世の中どうなっていくのか。ちゃんとドイツもキャッシュレス化進んでいくのか。
税金取りっぱぐれないように、ぜひとも達成しなければならないのだろうけれど。











学生食堂の昼食主料理にも甘い料理がある様子

2018年12月27日 | 健康
街中の学生食堂の献立表を手に入れた。
どんなものを食べられるのか興味があったんだ。

価格は三つに分かれていて、学生が一番安く、部外者の一般人が一番高い。
12月14日の主料理の一番上に甘いものがあった。
これを選択できるのは、両親が、いや、母親がこの近辺で育った人々だろう。
ちょいと地域が違うとドイツでも食生活がだいぶ違うらしいし、同じ地域でも家庭によってえらく差があるようだ。
「これはなんだろう」
と、間違えて外国人学生が注文して面食らっているかもしれない。あれれ?いきなりデザート?って。

その学生食堂金曜日の一番上の料理がこれだ。ウチのだが。

バニラソース添え、とある。わたしは昼食にバニラソース添えるのがどうにもこうにもできなくて梨のシロップ漬けを数切れ食べた。
この食事について、この日はちょいと義両親たちと議論になった。
彼らの言うことはもう、はちゃめちゃだ。
あくまでも自分たちのやることは正しいのであって、私の好みや文化背景などまったく考慮しない。
「りすが、食事前にクリスマスクッキーを食べるから甘い食事が食べられないのです!」
と義母が言ったときは、もう、あきれて返す言葉が見つからなかった。
クッキー食え食え攻撃に従っているのに・・・従っている、というよりせっかく義母が焼いたのだからできるだけフレッシュなうちに食べようと努力しているのに、それを認めないのだろうか。
たとえ、食事前にクッキーを食べなくても、甘い昼食をおいしく食べられるとは全然思えない。
「私にはそういう食習慣がなかったから仕方がありません」
と、半ば降参した意見を言っても、彼らには受け入れられない様子だ。

こういうときは、こう考えなくてはならない。
口に合わないものを食べるのも家賃、家賃、家賃・・・・

夫が「もっと太ってください」と言うと本当に悲しくなってくる。
口に合わないものを食べて太れるわけがないではないか。
夫の言うことも反論してはいけない。彼が充分稼ぐことができなくて、このように親の家に寄生しているのだから、彼の無能さを指摘するようなことを口にしてはならない。

世界の女性たちよ、結婚は墓場というのはある意味本当だ。自分を殺さなくてはならない部分は本当にある。
それに耐えてまでするものではない。
私はさまざまな理由から、この道を選び、まっとうしようと決意した。
たとえ健康状態を害しても・・・いや、夫より長く生きなくてはならない、という使命があることは認識している。彼は一人で家事はほとんどできない。

菓子食事で夫より健康で長生きしなくてはならない。義両親より先に天国行きになる可能性もあることを想像したこともあったものだ。

無事に2018年も生き延びることができたことに感謝しようっと。






質素な我家のクリスマス食卓、クリスマスは愛だよなっ

2018年12月26日 | 奉仕活動
クリスマス25日の我家の食卓。
普段の食事とあまり変わらないような。

義母は「これはよく煮えなかったし、ソースは上手くとろみが出なかった」とイライラしていた。
夫は「肉ばかりで好みじゃあない」と不機嫌だった。
義父はそんな二人を落ち着かせたいのか「いやいや、旨かった」と締めくくった。
私は何を言っても聞いてくれないだろうから黙っていた。

特別な料理でなく特別な演出が必要なのではないか、と考えさせられる他のドイツ人家庭の様子。

テーブルクロスを敷くとか、普段大事にしまっている食器を使うとかするだけで雰囲気が変わるのにね。


クリスマスはモノだけじゃあない。集まって食べることに意味があるのだろう。
携帯電話ではさまざまなクリスマス向け動画をみんなでやり取りした。
その数ある中で一番良かったのがこれ。

日本語で検索(リス ハリネズミ クリスマス)したら、たくさんの日本語サイトが出てきた。
日本の人たちにもこの動画が気に入られている。
私には、このリスが大活躍なのが嬉しい。私も、このリスのようなニンゲンになりたいと思った・・・・

このリスの動きや表情は女子のイメージだよなぁ。












クリスマスツリーは23日に飾りつけるウチ

2018年12月25日 | 家族
23日日曜日。
日曜なので、昼食はいつもより品数が多くなる。多くなるといっても日本の一般的な夕食の風景より貧しげだろう。
出来合いの冷凍物の魚棒。子供向けの商品だと思っていたら堂々大人も真面目に食べている。

質素は身を守る、というのは私も同意できる。豪勢な食事を続けるのは身体によくない。

義父が「なぜ手伝わないのか」と言ってきたので仕方なく手伝った。

クリスマスツリーの飾りつけ。

要するに義母の僕として動かなくてはならないので面白くないんだ。自主性など求められない。

下半分が取れてしまった品。

写真になるときれいだが、実物は藁のゴミをちょいと結んだだけと思われる飾り。

飾り付けの材料を観察していると、植物のようなものが多い。
プラスチック材料などなかったころはそうしたものを好んで飾ったのだろう。昔の貧しい時代でも普及し易かったのではないのだろうか。
日本の五月人形、雛人形などは一部の特権階級だけのものだったことと比較すると明らかだ。
ウチでさえ、毎年クリスマスツリーを飾ることができるのだから!





クリスマスおめでとうございます

2018年12月24日 | いろいろ
クリスマスは単にキリスト教圏のお祭りではなく、古くから人類が多く生息していた北半球において、その高緯度地域に住む人々の生活の知恵で発生した合理的な節目と私の脳内では決定された。
これから再生、今までの上手く行かなかったことも、これから希望を持って進めていけるのだ、と考えよう。

日本には英語での挨拶が主流なのが残念だ。
冬至おめでとう、ってなるかしら。



ちょいとお知らせ。
私の常用しているラップトップが瀕死の状態らしく、ときどき全くワイファイ接続不能に陥り、ブログ更新がままならぬことが起こっている。
しばらく更新がないときは私の体調よりラップトップのせいであることを了解して欲しい。
来年には事態が好転するのを願うのみ。新しいラップトップ入手は無理だろうが。


日本人よ、自信を持ってくれ、マクドナルドの客の振る舞いで(笑!)

2018年12月24日 | いろいろ
クリスマスマーケットの見納め。

毎年見慣れてしまうとたいして面白くないものだ。売られている物資は非常に高価だし、屋台の食べ物は不衛生そうだ。(実際不衛生であることを報道していた)

この街の規模にあう小さな舞台。また来年まで!

地元のショッピングモール。
この飾りつけは25日が過ぎてもしばらく楽しめる。夫が日本のクリスマスが25日でぱったりと終了し、正月飾りに激変するのを驚いていたのを思い出す。

ショッピングモール内にあるマクドナルド。
久しぶりに入ってみたら、カウンターの様子が違うので戸惑った。
しばらく観察。分った。脇にある自販機で注文するんだな。カード払いだけだったら止めておこう、でもとりあえず、操作だけやってみよう、と思った。

注文機にはちゃんと現金払いの選択もあった。日本よりキャッシュレスが遅れているドイツだ。
私が一番心配するのは、機械自体の不良だ。機器自体の誤った作動で倍額引き落とされたりする可能性がここにはありかねない。
日本に住んでいると「日本より進んでいるはずのドイツがそんなことないだろう」と思うだろう。逆だ!!ドイツは物資については非常に遅れている。(精神性については進んでいる、と記事にして見たいが反感買うだろうな。物事に大らかさがあるドイツ人、大らかさは大人の精神だ)
1ユーロのコーヒーを頼んだ。

隣に座った家族連れと思われる子供二人を含む四人はドイツ語で会話をしていた。
ドイツ語で会話をしていればドイツ人、という可能性は高いが断定はできない。
彼らが立ち去ったあとを見てびっくりした。

トレイはそのままな置きっぱなし。(ただし、ここではそれは基本的に許されている)そのトレイの様子も食べ残しばかりで非常に汚い。
普段、家庭でそのように食べているとは全く思えない。「マクドナルドのようなレベルの低い場所では食べ散らかしていい」となっているのだろうか。
また、テーブルの下には新聞が。ドイツ語の新聞なので、おそらくこの家族はドイツ人の可能性が高い。
せめて拾ってテーブルの上に置いておく気遣いはないのだろうか?
ドイツ人、ひどい。

中国に経済力を抜かれた日本は、ここ数年劣等感にさいなまれているのがよくわかる。
「日本は凄い」という日本の番組や記事が非常に多いからだ。
人は落ちぶれると、いや、落ちぶれた気分になると自分を強く見せたがる傾向になる。
それが国家全体にも起こることを私は知った。

日本の皆さんには、このマクドナルドのドイツ人のマナーで自信を持って欲しい。
日本人の行儀の良さは世界一。
国は落ちぶれても(それでもまだ先進国に属しているのだから大丈夫なはず)行儀の良さで勝とうではないか!
貧しくても人々は親切で丁寧で衛生的で質実に謙虚に楽しく暮している、というのを皆どこかで憧れている部分がある。貧しくなりたくないだろうが。










アフガニスタン人から贈られたクリスマスカードとプレゼント

2018年12月23日 | ドイツ在住難民・移民
在独3,4年ほどのアフガニスタン人女性A子さんに招かれた。

3歳のE子ちゃんと一緒に昼食だ。
トマトのサラダ、辛い漬物、インド風(インドを中心に西南アジア、中東でも好まれるバスマティ米の炊き込み飯)ブリヤニ。

料理が好きなようで、あっという間に仕上げたA子さん。

作り置きしてあるこの漬物はとても辛い。
「日本も唐辛子をたくさん遣う料理があるのでしょう?テレビで観ましたよ、唐辛子でたくさん粉を作って保存する調味料があるって」
いったいどんな日本紹介をしてくれたんだ?アジア地域を一緒くたにしている人々はまだまだ多い。日本人だって、そうした彼らを非難できない。

さて、そんなことを書いてしまったが、イスラム教徒の彼女は多少なりとも地元文化への理解を示しているこの品。

A子さんから私への贈り物だ。
クリスマスカードに天使の置物、丁寧に包装された手作りクッキー。まるでドイツ人と同じことをしてくれるではないか!
左端に見えるのはアフガニスタンの緑茶だ。この味は日本人にも受け入れ易い。高い日本の緑茶を常飲するより経済的。
さすがに住まいをクリスマス風には飾っていなかった。

到着してしばらくすると暑く感じたので着ていたセーターを脱いだ。
肉付きのいいA子さんはこんな格好で家にいるようだ。

これは真夏じゃあないかい?
半袖Tシャツ一枚と、これまた薄手のパンツだけ。素足、室内履きさえ履いていない。
私の家での格好とは大違いだ。(半袖肌着、長袖Tシャツ、その上にハイネックTシャツ、セーター、タイツの上にコーデュロイパンツ、外出用ジャケット、厚地の靴下、ぶ厚く仕上げられた室内履き、このまま外出できそうだぞ。義両親たちも同じような格好だ)
彼女が寒さに強いわけではなく、暖房を効かせすぎなのは、私がセーターを着ていられないことで明らかだ。
こんな家庭がドイツでうようよあるなんて、それは確実に資源の無駄遣いではないか?
日本では夏の冷房下限何度まで、冬の暖房上限何度まで、という生活目安数値をときどき見聞きするものだ。ここではそういえば全くない。
各自、勝手に自分たちの方法で生活していい自由さを感じる・・・・と書けば聞こえがいいが、日本では「環境大国」などと憧れのドイツじゃあないか?
もちろん、関東周辺の家屋より冬場の暖房に非常に効率のよい構造をしている家屋なので、少ないエネルギーでよく暖まるのかもしれない。しかし冬にこんなに薄着で過ごすのは違うのではないかと思う。
マレーシアやシンガポールなどの年中暖かい国では冷房が狂ったように効いている。映画館ではジャケット持参が必須だ。凍えてしまう。
その発想と同じなのだろうか、ドイツ。

日本(関東周辺)では寒さも暑さも我慢、我慢の生活だった。それに耐えるのが人生のような印象だった。
もっとも、戦後すぐまではここも暖房は貧しく、台所などの一部屋しか暖房がない家庭ばかりだったそうな。
義母と彼女の妹の寝室は、石の壁で、冬になると結露した水分がびっしり凍りつづけていたそうだ。
冷蔵庫のような部屋で寝ていたなんて。現在ドイツでは、子供の寝室は16度だったか18度だったか、これは目安の数値があるようだ。
山形出身の現在70歳代の日本人友人も子供の頃の話をこう言っていた。
「朝、目が覚めると枕元に雪が積もっていた」
今、こんな生活を子供にさせると虐待扱いになるかもしれないぞ?

一世紀も過ぎないうちに、夏も冬も季節に反する冷暖房が可能な地球。
環境破壊まっしぐらなのは当然かもしれない。
ああ、私もりす部屋をガンガン温めて裸で過ごしてみたい・・・・・




口頭で報告するのは苦手な私

2018年12月22日 | 義母
私にはめったにないレストランでの食事。

クリスマスパーティだ。こうした忘年会のような催し物は普通にあるようで、そのためにちょいと華やかな衣装なども普通に売られている。
この日も、そんな品を着ている女性が数名いた。

前菜。あらかじめテーブルに用意されていた大皿から各自取り分けた。
主料理の量のことを考え、控えめに取った私。

主料理は献立表にある4つの中から各自が選択。
カモ、シカ、サケなどの獣肉料理と菜食主義者用らしいものがあり、私はそれを選んだ。

クレープのような生地にチーズが巻き込まれていた。たった3切れで大丈夫か、と思った。
山のようなサラダが付いていたのが嬉しかった。ウチでは生野菜摂取量が少ないからね。こうしたふわふわに盛り付けられた野菜をナイフフォークで食べるのは苦労する。箸がいるぞ、箸!あるいは指を使ったほうが上手に品よく食べられるかもしれない。インドとその周辺の食卓マナー万歳、などと思ってしまった。
おいしかった。外れ外食が多いドイツでは珍しい。量も私にちょうど良かった。欧州人たちには物足りない量かもしれない。
ちょうど良かった、とはいえ、次の朝には胃が重くて一日中食欲がなかった。
やはり、外で食べるのは危険だなあ、と思った。

隣に座った中国人女性はサケを注文した。これもおいしそうだ。
日本だったら「ちょいと一口食べさせて」と気軽に頼むことができたかも?

デザートはティラミス。フォークがケーキの側面に刺さって提供された。
こんな小さい一切れで、ドイツ人たち、大丈夫かしらとちょいと気にかかった。夫は絶対にもう4,5切れ欲しいと思うだろう。

壁にかけられていたこれが気に入って撮影。

1,2度入ったことがあるレストランだが(コーヒーだけのため)、二階に小部屋があることを知らなかった。
こうしたパーティ向けに使っているのだろう。
20人ほど集まったのは、ドイツ人をはじめとする欧州人たちだ。隣の中国人女性を含め、皆流暢にドイツ語を操る。楽しく歓談していて、静かではない。
その喧騒の中で私がドイツ語を聞き取るのは非常に困難だ。的外れの返答をしちゃったりして、困った。
特に、男性たちは何を言っているのかよくわからないことが多い。不思議な現象だが、どちらかというと女の人の発音の方がはっきり聞き取れることが多いんだ。これは南米でも体験している。
また、ティーンエイジャーの話し方も聞き取りにくい。日本でNHKラジオ英語講座でそれをテーマにしたことがあって、昔からそういう傾向があるのは分ってはいた。義父など、すでに孫が何を言っているのかわかりにくい、もっとちゃんとしゃべるようにさせねば、などと孫のせいにしている。

翌朝、義母に「どうだった?」と尋ねられた。
義母は地元婦人会などのバス旅行などの後は、長々とその経験を解説してくれるものだ。
同じように私の体験を聞きたい気持ちはわかる。
言葉の壁もあるが、私は日本語でもどちらかというと寡黙なほうで、まるでティーンエイジャーのように「うん、楽しかった」としか答えるのが精一杯だ。
どうして長々説明する気になれないのか、自分でも不思議だ。
外国語会話力は、母語でおしゃべりな人の方が上達するとつくづく思う。できれば黙っていることができる環境を望んだ子供の頃を思い出す。

こうして書いて報告するのは好きだ。
写真などは、一気にその説明ができるしねぇ。そういうわけで、ブログ、万歳。





プレゼントは何が良いか、という質問は苦しいからやめてくれ、と思ってしまう。

2018年12月21日 | 節約
ウチでは贈り物のやり取りが基本無しである。
義母は自分の誕生日やクリスマス前に毎回宣言している。「贈り物は必要ないからね!」と。
この気持ちはよくわかる。
義母だってわかっているはずだ。それなのに私に尋ねる。
「クリスマスには何が欲しい?」
大人の欲しいものは難しい。
「ミュンヘンに家が欲しい」と言ってみたいものだ。
多少現実的な物資としてはラップトップだ。
すでに10年近く使っているこのラップトップ、いろいろ差しさわりあって困っている。
だが、義父は更に古いコンピューターを二台も使っている。
私が新しい品を欲しがることに反対するだろう。
また、もらう品の価格をどの程度に考えているのだろう?せいぜい数十ユーロ(数千円)に違いない。
数百ユーロ(数万円)の品を私に贈るのは無理だろう。
衣類なども嬉しい贈り物だが、これはサイズや好みの問題があり、一緒に買いに行くほうが無難だ。
そんなクリスマスプレゼントも面倒くさい。
下着のパンツなどもそろそろ新しいものが必要だ。(義両親たちはボロボロのを使っているが)
「パンツが欲しい」なんて言えない。
また、これまたサイズの問題があるぞ。

これは日本からの品だ。私の尻は日本のLサイズ!(貯めておいたストックを洗って乾かして撮影したものだ)
ズボン類はユニクロで言うと成人女性向け一番小さいものを買うことが多い。なのにどうして下着のパンツはLサイズなのかさっぱりわからない。
ここでは成人女性向け肌着売り場で見つけるのは非常に困難だ。
なので、ぜひ義母が苦労して探して贈り物にして欲しい・・・・は、無理だろう。


これは昼食。
質素な昼食ながら、材料や調理にかかる光熱費、鍋や皿も義両親たちのものだ。(米は私が自分で買ったものだ!)
こうして毎日のように贈り物を受取っているわけで、これ以上もらおうと思うのはよくないのではないか、とも考える。






クリスマスツリーももらい物

2018年12月21日 | 節約
貧しい我家はクリスマスツリーの材料も毎年もらい物である。
林業農家の親族宅にもらいに行く。
並んでいるそれらは、きちんとした店にあるものと比較すると、何気に枝葉の量が少なく、侘しげな印象だ。

そのなかの一本を選び、お持ち帰り。

他の家庭はどうなのか知らないが、ウチは直前に飾り付ける。
その飾りも、もう数十年使っているという年代物。決して上等な品というわけではなく、普通のレベルのものだ。
中には義母手作りのものとか、義姉がティーンエイジャーの頃作ったものもある。
そんなわけで、うっかりすると壊れてしまうものさえある。
毎年毎年、11月になるとクリスマス関係の飾り物が大量に売られているけれど、ウチ以外の一般家庭は毎年買い換えているのか?
ウチだけ貧乏でこんなに節約しているのか?
私のドイツ生活経験はウチだけなので、周囲がどうなっているのかよくわからない。


自分の作品を使ってくれて嬉しいクリスマスツリー

2018年12月20日 | 奉仕活動
ボランティア勤務先のクリスマスツリー。私が到着すると、すでに誰かが仕上げたあとだった。

この古本再利用天使は私が去年作ったもの。
頭の部分は工作材料店で買ってくるようだが、お金をかけたくなかった私は子供の頃習った「風船」で代用した。
これがドイツ人その他在住外国人に受けて、えらく好評だった。
使う用紙の本は日本語だとあまりぱっとしないだろうな。ドイツ人にはエキゾチックに感じられていいかもしれないが、読めてしまう私には美しく感じないだろうと予想。

同じく、私が作った折り紙星。
どちらも去年使って、もう捨ててしまったかと思っていたので私は感激。

さて、ここで待ち合わせの約束をしたのはウクライナ人難民G子さん。
前日のメッセージやり取りを私は誤解した。

緑の部分は私。「おにぎり食べたいですか?」
G子さんはすでに私の塩むすびの大ファンだ。私と逢うときはほとんど彼女におにぎりを贈っている。
だが、この返事を私は誤解した。
最初の単語は「ありがとうございます」だ。(本当は真ん中辺りで分けて二語にしなくてはいけない)次の行の「nicht」は英語で言えばnotとかnoの意味。その語と最後の「ただ提供する」の組み合わせで、私は彼女の言いたいことがちょいとわからなかった。
その時、私は忙しくておにぎりを作りたくない気持ちが強く、その気分がこの文章をこう解釈させた。
「いつもごちそうになってばかりだから今回は遠慮します」
で、わたしは「了解した」と絵文字を送り返した。

さて、G子さんと逢うと・・・
「今日はおにぎりはないのですか」
と遠慮がちに尋ねてきた。
ええ?!
「あなた、いらないって書いてきたじゃあないですか!」
叫んだ私に彼女は「はい、欲しいです、って書きづらかったの~」と答えた。
「ちゃんと、はっきり書いてください、そのほうがドイツ語も簡単でしょう?」
お互い、母語でない言語でのやり取りだ。こうした行き違いは別の人たちとも時々起こる。
彼女のドイツ語レベルでは、すでに婉曲に丁寧に物事を頼む表現を習っているはずだ。
このメッセージはきっと母語のロシア語的な発想の遠慮がち要求なのだろう。
だいたい、文末の動詞が間違っている。ほとんど反対の意味の似た語を使っているぞ。「くれ」と「やる」を間違えた彼女。
指摘したかったけれど、数年もすれば彼女の方がずっと私よりドイツ語が上手くなるだろうから黙っておいた。
次回はいつもの倍のおにぎりを持参してやろうか、