怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

忘れないように。

2012年04月29日 | 風景
街中でいつもは歩かない細い道を歩いていると、歩道上に何か金色の物体が埋め込まれてあるのを発見した。
何かしら(金目のものかしら?)、と近づいてみると・・・・


ドイツ語が全くわからなくても、最後の一行の言葉で全体の内容を理解できることと思う。
ここに住んでいた1890年生まれのベルタさんはアウシュビッツに送られて殺された

街中にはもっと目立つ、あの惨事の犠牲者たちの追悼碑がたくさんある。
歩道に小さくちょっとだけ目立たせてこのように表現するのは、大きくて目立つものよりインパクトが大きい。
私は目の前の建物を見上げて、ちょっとの間、ベルタさんのことを考えた。
世界のどこかでこうした悲劇が起こらないよう、常にその決意を新たにするためにこうした追悼碑は効果的だ。

一時間もかからずに回ってみることができるこの街の繁華街、大抵のところは見ているはず、と思っていたら、
まだまだ知らないものがたくさんあるのだろうな。

街中の旅行社の広告。

イスラエル旅行の宣伝はテレビでもよくやっている。初めてそのCMを観たときはびっくりしたものだ。
両国の平和な関係を知ることができ、なによりである。

アルパコンサート

2012年04月28日 | 日本
東京に住む友人のコンサートを大宣伝





添付画像が大きくなってしまって申し訳ない。でも、大きいほうが読みやすいし。
すでに長く親しくしている人なので、大きく宣伝したいし。
私は聴きにいくことができないし。私の代わりにたくさんの人が聴きにいって欲しいものだ。
2010年11月の記事にも彼女やパラグアイ音楽コンサートのことを記事にしていたなぁ。こちら「パラグアイハープ生徒募集」

私がパラグアイに住んでいたときに知り合った根津さんだ。徒歩で訪ねることができる近所に住んでいたこともあり、いろいろ食べさせてもらった(ああ、考えていればパラグアイでも食べることに苦労したのか??)


アルパのレッスン室

これは根津さんのブログ。開設したばかりなので、これも大宣伝。
東京近辺でパラグアイハープ(アルパ・パラグアージャ、と書かないと根津さんに叱られそうだ!)に興味のある方、ご一読を。


缶コーヒーは存在するのか??

2012年04月27日 | 風景
あまり外界との接触のない私のドイツ生活、日本の人たちに質問されてわからないことだらけである。
もう、半年以上前になるだろうか、日本の人に「ドイツには缶コーヒーがあるのか」と尋ねられた。
コーヒーを愛飲する国だから、缶入りのコーヒーなど邪道と考えらていて存在しないのではないか、という意味の質問だったと思う。

日本ではコンビニや自動販売機で簡単に手に入る飲料、ここでは買い物に少々手間がかかる。
いや、そんなに差がないはずなのだが、どうもこちらの買い物は面倒に感じて仕方がない。
私の今の生活が、台所を任されていないので食材を買うことがめったになく、そのせいで食品売り場をよく見る機会も少ないのだ。
缶コーヒーの存在について訊かれてからもなかなか売り場を観察する気分になれずにいた。

昨日、缶コーヒーらしきものの空き缶を道で発見。早速撮影して報告。
どうも、缶コーヒーはあるらしい・・・・
飲んでみたいが、いったい、どこに売られているのだろうか?
同時に、こんなにドイツの物事を知らずに生きていて大丈夫だろうか、とも心配になってきた。

ちなみに、道端に転がっている空き缶、ペットボトルは圧倒的に他の清涼飲料水の事が多い。
ビールの空き缶(こちらでは缶ビールはかなり珍しいほうだが)、他のアルコール飲料のビンも散らばっている。
ちゃんと片付けろよ、ドイツ人・・・・とか思いながら観察している私さ。



スカイプでドイツ語学習

2012年04月24日 | 近隣の人たち

友人のロルちゃんが彼のYouTubeでドイツ語講座をやっている。



ドイツ語学習より彼の日本語能力に感心せざるを得ない。まったく、ドイツに住ませておくのがもったいない人だ。
この動画中の終わりごろに以下の画面が現れる。

スカイプで彼に直接ドイツ語を学ぶことができるそうだ。スカイプだから、日本に住んでいる人も可能だぞっ。
私のブログで大宣伝さ。
ロルちゃんのドイツ語レッスン、だいぼしゅう

地下利用

2012年04月24日 | 家屋
三月下旬の話で申し訳ない。
冬タイヤの交換のために義父が外で働いていた。

ちなみに、夫は自分でやらない。業者に任せる・・・・

車庫を見てびっくりした。

4年もここに住んでいて、初めて見る車庫の地下室。普段は板が敷かれているので見えないのだ。


かなりの深さで、降りていくのが怖いぞ。


奥にはじゃがいもが鎮座していた。家の中で保存するには暖かすぎ、外にそのまま放置するには寒すぎるので、
車庫の地下室に保管しているそうだ。
ニンゲンもここで生活すると長持ちするかなぁ。くだらないことを考えた。
まるで防空壕だなあ、いや、防空壕ってどんなものか本物を見たことがないのだが。

車好きには自宅で下から自分の車を整備点検できるいい場所ではないのか?
ドイツではこうした車庫が一般的なのかよく知らない。なんてったって、自宅のこれだって、最近やっと知ったのだし。車に興味ないし。
よし、これからちゃんと他家の車庫も観察しようっと。








味噌ソースでおいしい昼食

2012年04月22日 | 頑張って食べる
今日の昼食。
とんかつ、野菜の煮物(この二点、当然ドイツ風)きのこのソース、スパゲティ、じゃがいも。私には米飯。
とんかつを作り始めた義母に飛んでいって頼んだ。
「私の分は何もつけないでください」
肉や衣に塩コショウをするのが嫌だったからだ。

なぜかと言うと、写真右、在独仲間で愛知県出身のnomuakiさんからの贈り物を使ってみたかったから。
愛知といえば、味噌カツ。味噌カツに使われるような、調味された味噌を私の実家の関東周辺で手に入れるのは少々難しい。
非常に貴重なこの品を十分に味わうためには、義母調味された肉にはもったいない。


焼いただけの肉に調味味噌。おいしかったぁ~。あと7袋しかないぞ、貴重品、貴重品!!

ドイツのほかの家庭ではどうなのか知らないが、ウチでは食卓に調味料を置くことはない。
調理時に味付けされたものをそのまま受け入れるしかない。
テープルの上でそれぞれの好みの塩加減にすることができないのだ。
下手に義母の目の前で塩コショウするのは彼女に対する冒涜にもなりかねない
っていうか、すでに塩分過剰でスープなどはお湯で薄めたいこともあるけど、それも当然やりにくい
日本の食習慣は合理的にできていると思う。それぞれの好みで塩分を調節できる機会が与えられるのだから。
塩も油脂も入っていない米飯で、煮物などの塩分の強い料理を口の中で薄めながら食べる習慣も世界的には珍しいものだと思う。
義母の作る米飯はその米の種類も激マズなのだが茹でるときに塩、仕上がったらバターをまぶす、という病気まっしぐら調理法

義母も次第に私の食べることに対する要求を聞いてくれるようになったので助かっている
一家揃ってそれぞれ違うものを食べるのだぞ、あはははは・・・・






上手に付き合う

2012年04月17日 | 家族
義父の発言には時々困ることがある。
「ドイツにいるのだからドイツの食事にしなくてはならない」
「20歳の頃食べていたものは年をとったら変えなければならない」
特に、食べることに関してのテーマは私には腹立たしく感じてしまうものだ。

ドイツはすでに多民族国家である。
頭巾姿のイスラム教徒の女性たちをそこいらじゅうで見ているはずの義父。
私がイスラムの知識がないと思ったのか、彼らの宗教で定められている食習慣をよく説明する。
ドイツの食事をしていない人々が大勢いるのは義父も当然知っているわけだ。
私がしぶしぶ義母の料理を食べていること、最近では私だけの和食メニューを一人で食べているのを快く思っていないのだろう。

義両親たちも、以前はたんぱく質信仰があったらしく、現在より多量の肉を摂取していたらしい。
朝食にハムやソーセージを添えていたとか。今はたっぷりの生野菜と果物を食べている。
私が比較的質素に米飯と質素なご飯のお供で済ませているのをこれまた快く思っていないのか。
私にも同じようなものを食べて欲しいのだろうなぁ。

先日、早朝に米を買いに行って帰ってきたら、また絡んできた。
「米に違いがあるのか?それは・・・」
彼が話し始めるとだらだらとしつこく長い。
義母はそうした自分の配偶者の性質をよく理解していて、私が面倒がっているのを一目で見抜いて、
私に用事を言いつけてその場から逃してくれた。

義父は私の行動が気に入らないのではなく、私に構って欲しいのだ。
ここに来た当初から「ドイツ語上達のためには学校などより私たちと話すのが一番だ」としつこく言われ続けている。
が、いざその気になって話しをしようとしても、義父は一人で演説するだけで私に発言する機会をほとんど与えない。
挙句の果てには「りすは全然話さない、もっと話しなさい」と言うのだからどうしようもない。
高齢者だけに限らないのだが、一般的に言うと高齢になるほど人の話を聴かずに自分だけしゃべり続ける人が多いように感じる。

だが、義父に「ドイツにはすでにたくさんの外国人が住んでいてそれぞれの食文化で毎日食べている」とか「和食は高齢になるほど日本人の身体にあっている」とか「日本人は米の微妙な味の差がわかる」とか「あなたは私に話せ、と言うがあなたばかり話し続けてちっとも私のことを聴かない」などと反論するのは義父に反省を促すどころか傷つけることにもなるだろう。
「そうですか、はいはい」
と受け流してその場をやり過ごすのがいい様子だ。
義母も何気にそうしている私を観察してほっとしているようだ。



右は故障した脱水機。左はいよいよ出番が来たと思われた予備の脱水機。
ところが・・・・
義父は何度も故障している脱水機を修理して復活させてしまった。
左の予備は再びどこかへしまわれてしまった。
ここで私が義父を盛大に褒め称えれば、私に絡んでくることは無くなるかもしれない。なんとなく彼は私にないがしろにされていると感じているのかもしれない。
人の存在価値を認める言動は大事である。
日頃あまり義父を構わない自分を反省。(ってやっぱり面倒なんだけどだって、話題が合わないし、昔話を何回も聞くのも退屈だし)












よく食べるリス

2012年04月16日 | 日本
BAROQUEさんからまた井の頭公園のリス写真が届いた。
飼育されているリスは肥満気味のようで、まあ、それもかわいい。



週末のお決まりのケーキ焼き、今回はこんなものになった。
市販のパイ生地にチーズ、カスタードクリームなどを包んで焼くだけの簡単なもの。
私は思いついて冷凍保存しておいたあんこを包んだ。他の家族は食べないので自分の分だけ3つ。
二つ食べたら気持ち悪くなった。パイ生地に含まれているたっぷりの油分が、私の弱っている胃にはきつすぎたようだ。
ああ、油断大敵、ドイツ生活。






みんなで詠んでみた、同居嫁

2012年04月14日 | 文化
静岡在住のみどりっちさんの書いたものから、私が一句作った。
『胃潰瘍 同居嫁の 必須病』
原文は「胃潰瘍は同居嫁の必須病」だった。「は」を取り除いただけでできちゃった。
みどりっちさんはお姑さんと同居生活30年近くの大ベテラン。
人間ドックで見つかった胃潰瘍を明るく書き飛ばすことができる。

すると、次々とこの句の後に続作が投稿された。放っておいて消滅してしまうのが惜しくてこのようにブログ記事として残しておくことにした
『胃潰瘍 同居嫁は いたいよう』 
千葉のとしさん。

『胃潰瘍 りすさんまだなの 意外だよう』
 
ううっ。私が胃潰瘍になるのを楽しみにしている狸さん。

『胃潰瘍 同居義母は うるさいよう』  
ミッキーさん、よく義母をご存知で。
最後を「よう」で三句まとめた、なかなかの連係プレー。

『胃潰瘍 別居嫁にも できるかも』   
これは近所にお義母さまが住んでいる在独仲間のnomuakiさん。苦労しているご様子で・・・


『浜の真砂は尽きるとも 嫁の苦労の種は尽きまじ』
 
再びとしさん。なんだかいきなり芸術的にっ

『屋根の下 絶えて義母のなかりせば、げにこの世は のどかけらまし』

ミッキーさんも負けずにっ

『同居嫁 謎の体調不良に 襲われる』

Lunaさんはお友達のことを詠んでくれた様子。彼女、体調不良で心霊商法に引っかかったそうで。私も気をつけなくっちゃ

最後に発端のみどりっちさんから感想がきた。
あたくしの胃潰瘍が発端でこのように、グローバルかつ文学的に発展的に語られるなんて、、本望ですわい
みどりっちさん、いつでも明るくて、素晴らしい。その胃潰瘍、早く治してくださいねぇ。
私はまだ胃潰瘍と診断されていませんからご安心を。

さて、この写真は昨日の昼食の残り。

3,4日前に自分のためにフレンチトーストを作っていたら、義母がやってきてやり方が違う、とわめいていた。
彼女の家に伝わる(!?)やり方は、まず、日本のそれと同様に卵と牛乳の液に浸したあと、さらに小麦粉を牛乳と卵で溶いたパンケーキを作るような生地に浸すのだ。
それをたっぶりの油で焼くのだから、これはもう、パンの天ぷらだっ
そのパンの天ぷらをたっぷりの果実のシロップ漬けを添えて食べるのだから、日本のフレンチトーストの数倍のカロリー摂取量である。食べる量も日本の平均の1.5倍から2倍くらいだし。
ドイツ人の胃の強靭さを目の前で披露され、常に負けを宣言している私だ。
ああ、胃潰瘍になってしまうっ
「胃潰瘍 同居嫁の 必須病」ああ、再びつぶやいてしまった・・・・







自分に自信を与えたい

2012年04月12日 | ここの生活
たまに読んでいるドイツ語学習サイトでレベル判定テストがあったのでやってみた。
Einfach Deutsch lernen(Einstufungstestをクリック)

その結果が以下の文章。
Sie sind schon (fast) perfekt und können wahrscheinlich alle Texte in Deutsch perfekt lesen und verstehen.
Die mit "SCHWER" markierten Texte auf dem Niveau B2-C1 sind genau passend für Sie!


短く訳すと「よくできました、中級です」だ。
とはいえ、毎日の生活ではテレビ、ラジオの聞き取り、新聞の読み取りなどは非常に苦労している。
義両親の話すことが一言もわからないこともしばしばである。
このサイトのテストは文字上で4つほどの選択肢から選ぶだけのものだから、レベル判定はあまり当てにならないものと言ってもいい。
でも・・・
かなり高齢でドイツを学習し始めた私には(外国語習得は20歳代までと感じる)この複雑な言語習得は無理、と日頃から考えているのに「あんたは上手い」と褒められれば、少しはやる気になるものだ。
このサイトは気落ちしがちなドイツ語学習者を励ますためにあるのだなあ、と感謝しよう。

ああ、感謝ぁ、感謝ぁ、これは人生で大事な要素らしい。
今日も体調不良ながら生きているぞ、嬉しいな、感謝、感謝

復活祭2012

2012年04月08日 | 頑張って食べる
復活祭は降誕祭に続くキリスト教では大事な行事の一つである。
降誕祭ほど盛り上がりがないのは、待降節のような盛り上がり準備期間が無いためだろう。
「待復活節」とか作っちゃえばいいのにさ。毎日卵チョコ1個づつ食べるとか、いいじゃあないかっ。

なんだかんだ言っても、復活祭も降誕祭も食べることに苦労する。
行事食は、おそらくどの国でもお決まり料理で現代の味覚には少々合わない物が多いのかな。
っていうか、私にとっては異国の味。これがまずハードルさっ。


復活祭パンの作り方、と写真を撮影し続ける予定だったのが、途中で私がソファで横になっている間に出来上がってしまった・・・
牛乳、卵、油脂をふんだんに入れたふわふわの、日本人の口にも合いそうなパンである。

左がその出来上がり。また、巨大でねぇ。冷凍保存して数ヵ月後に食卓に上る。
右はお茶の時間のケーキ、スポンジだけ焼きあがったところ。

次の日、昼食の食卓はこうなる。

ハムとパンとゆで卵。私は肉類を食べるのが苦手だ。このハム、独特の臭みと塩辛さでどうにもこうにも他の家族のように何枚も食べることができない。
夫の皿からほんの少しだけもらってゆっくりゆっくり、時間を稼ぎながら食べた。
ゆで卵も何個も食べなくてはいけない。これも苦しい。パンを大量に食べて時間を稼ぎ、卵は2個だけいただいた。

食事が終わると、子供たちのたまご探しだ。あらかじめ隠されているたまごを探すゲーム。

姪と甥が成長するにつれ、隠し場所も巧妙にしなくてはならない。

この二つはなかなか見つけられなかった。

最後に見つかったのはこれ。

青く染められたたまごが、青い花に隠れていたためだ。

彼らが帰ってほっと一息。やれやれ、今年の復活祭も無事過ごしたぞ。
私はカレーを作って胃袋を満たしたのさ。






カヤを手作りする

2012年04月07日 | 頑張って食べる
カヤ、とはシンガポールやマレーシアで好んで食べられているココナッツと卵で作られているジャムのことである。
私はマレーシアで覚えた味だ。トーストにまずマーガリンをたっぷり塗り、その上にこのジャムをたっぷり塗る。
ドイツ人同様、高カロリーな食を好むマレーシア人さ。でも、同じ高カロリーでもドイツ食と違ってこれは本当においしい。
日本の生活では「また行って食べればいい」という感覚だったが、家庭の主婦(のドレイ)となった現在ではそういった自由も金もないので泣く泣くあきらめていた。
が、ふと思いついてネットでドイツのアジア食材店で探したら、一店だけ扱いがあることを知った。

一瓶240グラム入りで4ユーロ。マレーシアでの価格の10倍くらいか?
それでもマレーシアに行って買うより安いと思うが、まず、手作りしてみることにした。
近隣在住のシンガポール人とマレーシア人たちに「カヤを作るのは難しいよ」と言われていたので、長らくその言葉を信じていた。
(今考えると、その二人はあまり料理が得意でないほうなのでそう感じていたのかも)
検索したら、たくさんのカヤの作り方動画が出てきた!!


パンダンリーフ(タコノキの葉)が入手不可能・・・
失敗したら材料がもったいないので、日本語で書かれた少量のレシピで作ってみた。(日本にもカヤファンがいることを知り、嬉しい)
ココナッツミルク100㏄、卵一個、砂糖50gを混ぜ、弱火でかき混ぜながらとろみがつくまでかき混ぜるだけだ。

ほんのちょっぴりできあがった、カヤ!
本物とはちょっと遠いけど、一応、懐かしい味がした!
次回は上のYouTubeのやり方でやってみようと思う。初めに砂糖を焦がすところ、もしかして重要かもしれない。

ああ、ドイツ料理の習得はぜんぜん熱心ではないのに、他の国の料理を試し続ける私、どうしよう・・・うほほほっほほほほ。








年に一度のサバ

2012年04月06日 | ここの生活
去年から聖金曜日にはサバの燻製を食べることになった我が家。
復活祭くらい、嫁の好物を食わせてやろう、という計らいなのだろうか。あはは・・・

魚料理が苦手な義母はこれを一切食べない。

頭までくっついていると、魚好きを公言している夫も抵抗があるようだ。


腹から開くのだが、頭は固くてもう開けない。味は干物とそっくり。少々塩分が強いのが難点、かな。
義父と夫はパンを添えるが私はもちろんご飯と一緒。おいしい。



あ、まちがえたっ。でかくなっちゃった!
この時期は卵やウサギの形のチョコレートをもらうことが多い。
自分で買わなくてももらってしまう、いい季節。欧州のチョコレートはおいしい。

巻き寿司講習

2012年04月05日 | 近隣の人たち
近所の知人に巻き寿司の作り方を教えに行った。
到着すると、まずは料理好きの彼女の食事でもてなされた。午後3時なのに、ちゃんとした料理・・・

「巻く」という作業ではすでにこのロールキャベツで問題ない、と私は安心した。
しかも、とてもおいしかった。義母にはこんな繊細な作業や味を出すのは無理のように思った。

食事が終わるころに米飯ができあがったので早速作業開始。
具材はあらかじめ、どのようなものを巻いたらいいか伝えておいたし、彼女らも少々外食で寿司を経験しているので自分たちの考えでいろいろ揃えていた。
卵焼きだけは一緒に焼いたけど。

一度だけやって見せた。彼女らの作業にちょっとアドバイスをしただけだが、何本も巻いているうちにかなり上手になった。


はみ出方がワイルドだ!

早速、試食。わたしまでびっくりするほどおいしかった。生野菜をふんだんに使ったからかもしれない。
寿司酢を作るときにかなり大量の砂糖を入れるのに驚いていたが、仕上がった巻き寿司の味で砂糖の必要性を理解してくれたことだろう。

ご飯を炊くところから指導した。米を洗う、という観念が無いのではないかと予想したからだ。
鍋での炊飯に少々自信が無かったので、炊飯器を持参した。
普段使っているのは3合炊きで小さいので、非常用に保存しているドイツで買った10合炊ける製品。この日は6合炊いた。
こちらの炊飯器の付属計量カップも180ccだ。国際的に炊飯器は180ccカップに統一されているのか??
「炊飯器、便利ね、欲しいな」と彼女が言っていた。

・・・と、今日、某スーパーの来週からのセールの広告を見たら・・・

アジア食特集。怪しい寿司が写真になっているぞ。

私の持っている同じ機種が同じ値段で、また取り扱われている。
早速彼女に連絡することにしよう。彼女に寿司をご馳走になりに行くために!!
いよいよ日本人が欧州人に寿司を食べさせてもらう時代が来るぞ、うほほほほほほほほほほほ




まっすぐに干したい

2012年04月01日 | 家族
義母は結婚前に花嫁学校のようなところに行っていたらしい。
全寮制で、尼僧が指導した、というのだから、現在の少女たちの生活の様子を観察いている限りでは想像もつかない生活が昔は普通にあったものだ。
小説や映画にはありそうだな、うわわわ・・・

私は実家の生活ではハンカチをこのように干していた。
これは実際に帰省時の実家で撮影。
義母はハンカチ類をこのように干す。

後ろに見えるのはシーツ、まっすぐに干す
数枚をまとめて一箇所の角を洗濯ばさみでとめるのだ。
これは、アイロンをかけるときに非常に苦労する。斜めに固まったハンカチを再び正方形に戻す労力が必要だからだ。
義母は「どうしてこうするのがいいのかわからないが、こうやって習ったからずっとこうしている」
と言っている。
どう見ても合理的ではないのだが、ずっと習慣付けてきたので止められない様子だ。仕方なく、私も彼女の方法に従っているのだが。
もしかして、干し場所の節約か?大量にまとめて洗濯をする習慣は昔は普通にあったのだろうか。
この写真でわかるが、秋から春先にかけての洗濯物は地下室に干す。
薄暗いこの部屋で、2.3日かけてじわじわと乾かすのだぞ、こちらに来た頃は気持ち悪かったが、恐ろしいことにそういった感覚は次第になくなっていった・・・・

食事のあと、義母は使った皿を重ねて運ぶ。
これでは汚れる必要がない裏面が汚れてしまうのではないか、と思うのだが、義母はそれも長年の習慣でやめられないらしい。
ごくたまに、義父が「重ねないほうがいいのでは」と提案するのだが、彼女がそんな意見に同意するわけがないっ。
多くの家庭で持っている食器洗い機はウチには存在しない。辛抱強く皿の両面を私は洗い続けるしかない・・・

その花嫁学校のほかの卒業生は、いまでも彼女のようにやっているのだろうか。
それにしても義母の時代は主婦としての仕事が認められていた時代だったのだなあ、と時代の変化を目の当たりにする。
女子も現金を稼ぐのがいい人生という価値観が植えつけられてすでに長い。義母の娘も家事より現金を稼ぐほうに熱心である。