怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

まだまだ現金払いが安心かもしれないぞ。カード払いは恐ろしいと感じた経験。

2018年01月31日 | カテゴリー分けするのに飽き
世の中は現金支払いがなくなっていくという記事を何度も目にするようになってきた。
特に中国ではそれが顕著なようで、旅行者か短期滞在者と思われる中国人がパン屋でカード払いを求める姿を何度も見た。わずか数ユーロの買い物もカードで済ませることができる中国なんだろうな。
実際、私も実家生活では近所のスーパーでクレジットカード払いをしていたものだ。
ここのスーパーでクレジットカード払いは怖くてできない。
ちょいと前の話になるが、ドラッグストアでクレジットカード払いをした人が、あとから身に覚えのないアメリカでの買い物の請求が来たそうな。
今ではそうした犯罪がなくなる努力がなされているとは信じているけど、やっぱり怖くて使えない。

怖い怖い、と思っていたらいけない、と勇気を振り絞って、デビットカード払いを試してみることにした。
たまたまその時は現金の持ち合わせが少なかったので、そうせざるを得なかったのだけれど。
バイエルン州一日乗車券を券売機で買おうとした。

この画像の左側の機械。
最後の支払いの段階で、カードを入れた。暗証番号入力を求められたので、四桁のそれを押した。
反応なし・・・
ひゃっ!
ちょいと怖くなった。
もう一度、暗証番号を入力。動かない・・・
これ以上操作すると、切符2,3枚の請求があとから来るかもしれない。
中断し、財布の中の小銭をかき集めて25ユーロの切符代を現金で支払った。
さあ、その日は気が気でなかった。
カードで操作した分が引き落とされているのではないか、と。
すぐさま夫に連絡し確かめる方法はないか、と尋ねてみたりもした。結局、帰宅してからネットバンキングで確認。
翌日も、その次の日も。
デビットカード利用はすぐに銀行残高記録に反映されるのか不安だったからだ。ここだったら2,3日後かもしれないぞ、って。

買った切符はこれ。
25ユーロを2枚も3枚も買ったら、ビンボーな私には大損害だ。
返金の手続きは受け付けてくれない気がする。してくれるにしても、あれこれ面倒なことは容易に想像できる。

そういう経験をしてしまったので、やはり、カード払いは極力控えようと決心してしまった。
ドイツの自販機は本当に怖い。
カード払いの問題だけでなく、衛生的にも・・・衛生観念の低さに慣れる
つり銭機能がない場合も・・・自動販売機に注意




日本人彼女募集

2018年01月30日 | カテゴリー分けするのに飽き
何度も登場してもらっているアフガニスタン人難民Sさん。
今までここで二人の女性と交際していたが、いずれもダメになってしまったそうな。
「ここで生まれたトルコ人女性はきれいだったけれど、親があれこれ口出してきてうるさくてかなわなかった」
「もう一人の彼女は、いつもしゃべっていてうるさくて・・・」
というわけで、彼は寡黙な女性が好きらしい。できれば義両親は遠くに住んでいるほうがいい様子だ。
7年前にドイツに難民として入国。現在28歳。彼も所属する某ボランティアグループのおばちゃん連中からは非常に評判がよい。

5ヶ月ほどSさんは配線工事の仕事をしていた。
体調を崩し、2週間ほど入院していたら解雇されてしまったそうな。ドイツは大企業や公務員でない限り、簡単に首を切られることを知った。
現在は週に二度ほど改築工事現場の仕事を手伝っているそうな。

先週出会ったときは、私の手を握り、
「僕は日本人女性と交際したい」と言ってきた。
その真剣な様子に心打たれたわたしはブログ記事にすることにした。

ただ・・・
彼はパスーポートを持っていない不安定な身分だ。
国外退去命令さえでているらしい。
そんな状況なので定職を探すのも困難だ。
また、日本人女性やドイツ人女性にとって彼と付き合う上で考慮にいれなくてはならない大きな問題は、彼がイスラム教徒であることだ。
婚姻となると、真面目な彼は改宗を要求し、また、単に形だけの改宗でなくきちんとしたイスラム教徒であることを望むだろう。
良い面は彼の温厚さ、真面目さ、語学能力。もしかして、容姿もいいかもしれない。長身、細身とはいえないが、定期的にトレーニングに通い、太らないよう気をつけているそう。
彼が難民でなかったら、イスラム教の壁はかなり低いかもしれない。

街の大学には20歳代の日本人女性がいつも数名留学していて、Sさんは彼女らと道ですれ違うことはあるだろう。
声をかけ、交際に至るまでは・・・・
非常に難しいとは思うが、可能性はゼロとはいえず。
Sさんに幸運を!












良くないとはわかっていても食べちゃうチョコレート

2018年01月29日 | カテゴリー分けするのに飽き
ドイツ、あるいは欧州でおいしいもののひとつはチョコレートだ。
友人(在独30年近い台湾人)宅で出された某有名メーカーの品。
彼女はこれが好きで、ときどき自分のために買っているらしい。わたしは・・・どういうわけか、こうした見目麗しい凝ったチョコレートはあまり好きでない。
その時も「あ、今、おなかいっぱいなんで」と断った。

板状のミルクチョコレートが一番おいしく感じる。メーカーは欧州のものならどこでもいい。

去年年末にいただいたチョコレートはリス型だった。
手前のろうそく立ても同じ在独日本人仲間からの頂き物だ。彼女にはずいぶんリスグッズをいただいている。
私はリスが好きなのではなく、夫が私をリスのようだ、と表現したんだ。それで、ハンドルネームは「りす」にした。リスのようにちょこちょこと家の中を走り回っているらしい。

このリスチョコ、賞味期限の3月までこうして飾っておこうと思った。
が、リスチョコの誘惑に負け、とうとう食べることにした。

そうっと、上の包装をはいでみると、中のチョコレートはナッツ入りだった。
なるほど!リスだから、ナッツ入りかぁ。
クリスマスや復活祭など、行事の前にはそれに相応しいシンボルの形をしたチョコレートが売り出される。
それらはどれもミルクチョコレートで、私の好みだ。
このリスチョコは90グラムだったので、今日は半分だけ食べることした。
明日は残りの45グラムを食べちゃおう。
ずっと取っておきたかったけれど、チョコレートも長期保存で劣化することを、義母のリスのような食料溜め込みで知ったのでね。
うん、義母に学んでいるさ!


来月半ばの春節のために折り紙犬を繁殖させたい。

2018年01月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
年が明けてから逢う人ごとに折り紙の犬を提供している。
「今年は戌年なんですよ」
みな、たいして興味もなさそうだが、素直に受取ってくれる。

さて、薬物中毒(ただし、医師から処方された薬物)のドイツ人B子さんにもいくつか贈った。
数日後に彼女の家を訪問すると、折り紙犬たちはこのようにビミョーな風に飾られていた。
薬物中毒の彼女らしい置き方だな、っと笑ってしまった。

「B子さん、これはなんですかっ」
と、私が言うと、彼女はへらへらと笑っていた。
同席していたスーダン人のAさん(♂、20歳代)もニタニタしていた。

さて、今年の春節は2月半ばだ。
日本の干支も元は中国大陸から輸入されたものだから、2018年1月1日から2月半ばまでに生まれた子たちは、戌年ではないという扱いになるのが本当ではないか、と常々疑問に思っている。
現在の生活では干支など、ほとんど関係ないのでどうでもいいことだろう、追求するだけ時間の無駄かもしれない。

とはいえ、ここで親しくしている中国を初めとする旧暦の正月を祝う国の出身者にはまだ折り紙犬を渡していない。
2月に入ったら、贈ろうと思う。

B子さんの愛猫、パバーニ。

この日はご機嫌よくて、一段と愛らしかった。
だが、人がしつこく絡むと嫌がる長毛種。
私が触っているうちに、面倒そうに立ち上がって去ってしまった。




何を食べるか。

2018年01月27日 | カテゴリー分けするのに飽き
日本から出張でドイツに来ているOさんに尋ねられた。
「外では何を食べますか?」
尋ねられた瞬間は、自分があまり外食を好まないため、何と答えていいのかわからなかった。
頻繁なドイツ出張で少々お疲れ気味のOさんは、ここの外食事情の詳細を知りたかったようだ。
今回は台所が設置されたホテルに滞在中だ。食材も日本から買い込んできていた。
仕事に大切な身体のために、在住していない日本人がドイツ食を頻繁に食べるのは危険である。

家に戻ってきて気付いた。
そうだ、昼はイタリアレストランでシーザースサラダを食べたではないか。あのサラダはいろいろなレストランで食べている。他の献立と違い、激しく不味いことがほとんどない。

左上にちょっと見えているのはパン籠。シーザースサラダについてくる。飲み物は炭酸水。アルコールは外出時には厳禁(具合が悪くなる可能性アリ)、甘い飲み物もできるだけ避けている。
日本人成人女子にはたっぷりの量のサラダと、パンだけでおなかがいっぱいになる。いっぱいになるけれど苦しくない。
そうだ、Oさん、私はドイツでシーザースサラダを食べるのが好きだ!

隣の席では友人の旦那さん(ドイツ人)がこれを食べていた。

あれ。イタリアレストランじゃあなかったようだ。
はい、典型的な南ドイツのかつては午前中だけ供されたといわれている献立。私も嫌いではない、むしろ好きだ。
だが、この白ソーセージを三本平らげるのは至難のワザだ。頑張ったところで具合が悪くなる。
ブレッツェ二つも大変だ。
私にはせいぜいブレッツェひとつにソーセージ一本。そうした量を提供するレストランもあるだろうけれど、レストランではあまり食べたくないとも感じる。

学生の頃ドイツを頻繁に旅行したOさんはこう言った。
「昔は駅構内や駅周辺にビールを立ち飲みできる店がたくさんあった」
へぇ。私は人々が往来でビールを立ち飲みしている光景を見たことがない。
新橋駅周辺ではよく見かけたような。
「ソーセージを挟んだパンを売っている店もたくさんあった」
私自身が人口規模の小さい田舎街郊外に住んでいること、あまり遠出しないので、大きな街の様子を知らないことなどで、Oさんの質問の内容も「そうなんだぁ」としか思えなかった。

私よりドイツ事情に詳しい方が、Oさんのこの質問に答えてくれると嬉しい。
ビール、ソーセージを提供する店は少なくなってしまったのか。
そうだとしたらいったい、それはどういった事情でか?(売れなくなったから、政府がアルコールに関して屋外で飲むのを禁止する傾向になっている、などが想像できるけど)





裏返しにそのまま着用の快感

2018年01月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
腱鞘炎のせいで、靴下を二つにまとめることや、頭から被る衣類の着脱に非常に手間がかかるようになった。
それに対処した生活方法を編み出している。最近気付いたのは、裏返しに着ること。
肌が敏感な人は、縫い目を表にババシャツを着るということを知っていた。
私はそれとは無縁、とちょいとばかにしていたものだ。だが、腱鞘炎になってから、裏返しになったシャツ類を表に返してたたんだり着たりするのが億劫になってきた。その作業が痛いんだ。
試しに裏返しのまま着てみたら、全然違和感なし。肌着だものね、鏡を見ても見えないのは当然。
レギンス、タイツ、ストッキング類もそうしてみたら、全然影響なし。

すでに10年以上使っている品だ。(ちなみに、15年くらい前のユニクロの製品。強度抜群、義母絶賛)日本の生活だったら廃棄するが、ここではまだ使える。
だいたい、ジーンズの下などに穿いているので、見た目に関しては大丈夫。
義母はもっと激しくボロボロのを使っていて、洗濯で干すときなど私がそれをみるたびに惨めな気分になるものだ。
いちいち表に返さないようにしたら、手の負担が大きく減った。
いやー、発見。
そのうち、セーターなども平気で裏で着るようになっちゃうかも、恐ろしい。
そうなる前に、手の腱鞘炎が良くなってくれることを願う。
手だけの問題でなく、腕や背中の筋肉にも関係があると見て、毎日ストレッチや筋力増強のために黙々とりす部屋でガサガサ、くねくね、ぴょんぴょんしている。

あと一度上げて欲しい

2018年01月25日 | カテゴリー分けするのに飽き
義両親たちはここ数週間体調が悪かったせいなのか、もう、私に言いたい放題言っているような印象だ。
私が彼らの意見に言い返しても、まず、相手にされないので黙って聞いているようにしていた。
尋ねられれば返答しているけれど、もう、話の筋が通らないハチャメチャな会話に感じる。

体調悪いはずの義母は、どうにもこうにも家事の主導権は私に譲りたくないので、ハアハア言いながら料理や洗濯をしている。
「このシャツやパンツはまだ洗うほど汚れていない」
と、私の出した衣類を突きつける。
汚れとは目に見えるものだけでないのは誰でも知っているはずだ。もう、嫌がらせレベルの質問なのか?
「もう、臭いですよ」と私が答えると、彼女はクンクンとシャツの匂いを嗅いで「あら、本当ね」と言った。
嫌がらせではなかったようだ。
「自分のは自分で洗います」と主張しても、どうしても聞き入れない。
「これは手洗いでなくてはいけない」とバスマットを指して言った。
洗濯機でそれを洗うのが嫌なのかしら?
「わたしのバケツ洗濯機を使って洗います」
と、言っても全く聞き入れない。そのうち、勝手に(そのバスマットは私のだ)手洗いを始めた。
「これは脱水機を使えないから、床にしばらく置いてから干すのよ」
床をびしょびしょにぬらして洗濯ができる環境の住居は少ない。
多くのドイツ家庭はマット類も洗濯機で洗濯しているはずなのに、どうして義母はここまで手洗いにこだわるのだろう。
洗濯機洗いの方が生地を痛めないという意見もあるくらいなのに、彼女は絶対それを受け入れないだろう。

いつものように暖冬気味のこのあたりだ。
関東地方の冬のようによく晴れていることさえ多い。
暖かいのは嬉しいが、家の中はどういうわけかうすら寒い。
例年冬場は20度ある台所、このところ20度を切っている。

18度か19度。
身体を動かす仕事をしていればそれほど寒く感じないが、台所で本を読んでいると寒い。
ウチでいつも一番暖かい場所なのに、どうしちゃった?
もしかして、義父はさらに家の中の温度設定を低くしたのかしら。
彼ら、凄まじい厚着しているものなぁ。うん、私ももう一枚。

義母化。ドイツ化ではない。

2018年01月24日 | カテゴリー分けするのに飽き
また靴下に穴が開きそうになってきた。
いろいろ思いながらも、まずはもう少し使ってみようと努力する私。過去記事も何度も靴下について書いている。

このキノコ型の屈した修繕道具がちょいとお気に入りでね。
義母の所有物で、いちいち使用許可を求めなければならないのが難点。
キノコを靴下の穴部分が広がるように入れ、太い針に糸を四本通して補強する。

縫い物は上手ではないが、やっていると楽しいと感じる私だ。

さあこれでまた何年か使えるかな、この靴下。
義両親たちのボロボロ、くたくたの靴下を洗濯時に見ていると、この写真の品などまだ新品に近いぞ。
以前は直した部分が肌に当たって気になって仕方がなかったものだが、なんと、それも何度も身につけているうちに慣れてくるんだ。
今も困窮状態だが、もっと困窮しても大丈夫、という凄まじい自信がでてきたっ

質実剛健なイメージのドイツも、ほとんどまるのまま食べ残したパンがゴミ箱に捨ててあったりするのをたびたび見ると、それは大昔の話とすぐに気付く。
こんな風に穴をかがって靴下を使っている人はもう、高齢者しかいないかもしれないドイツ。
親しくしている難民のS君など、月収は数万円程度だろうと思われるのに、数万円の携帯電話を持っている。
とてもお洒落で、絶対穴の開いた衣類など身につけたくないタイプだろうな。
靴下工場も、人々がどんどん靴下を買ってくれないと困るだろうから義両親や私のような人物は絶滅して欲しいと願っていることだろう。

まだクリスマスの飾りつけを残している場所が方々にある。

これは銀行の飾り。
折り紙風なツリーなのが気になって撮影。
片付けるのが面倒なのか、クリスマスが大好きな行員がいるのか、単に忘れているのか、クリスマスの飾りは普通に一月下旬もOKなのか。どうでもいいのだろうな。テキトー、ドイツ。


まだまだ治安のいいドイツ?

2018年01月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
義母の妹一家は人口密集地(総人口15000人)の中心に住んでいる。
彼女の家を訪問するといつもぎょっとするのがこれ。

玄関ドアの外側に鍵を差し込みっぱなしにしてあるんだ。
義両親たちは自分の家にこんなことをするのは絶対に許さないだろう。
戸締りには非常にうるさい彼らだ。近い親族がこんな風であることをどう思っているだろう?
「昔はこの辺りは戸締りなどしなかったものよ」
と義母がよく話している。
それは実家生活でもよく聞かされた。実家周辺はすでに私が物心付いた頃から戸締りに厳重な注意がなされていたけれど、車を2,30分走らせた地域ではそんな話をしていた。
家に戻ると、友だちが冷蔵庫から飲み物を出して飲んでいた、という話はソウルに留学していた知人の話。
いわゆる「在日」の彼女だが「あたし、韓国、嫌い」と公言していた。

鍵を開けっ放しで生活できる感覚はもう絶滅したと思っていたのに。
ドイツにはまだ平和な地域があると自慢することにしよう。




他人の料理はおいしく感じるのはなぜ?

2018年01月22日 | カテゴリー分けするのに飽き
知人宅でごちそうになった。

七面鳥のカツレツに米料理。リゾットと呼ぶのかパエージャと言うのか?
この写真には表現されていないが、ご飯もカツレツも大量だ。
四人家族みんな肥満で大量に食べるからか?

私はこの量を二回食べた。
おいしかった。
義母の米料理はほとんど牛乳煮しかないので比較しようがない。
カツレツはよくやるので、どうしても比べてしまう。この家の方が旨い。
隣の芝生は青い、状態なのか。

義母はこのところ体調を崩していて、私は積極的に家事を手伝っている。
いや、義母には私のやることは不満だらけのようで、料理する私の横からいちいち口出しする。
具合の悪い彼女にはむかうのは違う、と心得ている私も我慢の限界がくる。
義母は目玉焼きを焼くのが苦手だ。いくら油を注いでもフライパンに焦げ付いてしまうからだ。
私は何年も前からふたをすると上手くいくことを主張して、それを実演して見せているのだけれど、彼女はそのやり方を認めないんだ。
ガタガタと小うるさく料理の方法にケチを付ける彼女にしばらく我慢しながら私の方法で目玉焼きを焼いていた。
いっぺんに七つを焼き上げ、するっときれいにはがれる様子を義母に見せ、
「ほら、きれいに取れましたよ」
と自慢した。
うー、すっきり!
「しょうがないわね」というようなことをつぶやいた義母。私の方が家事ができるとつまらないのだろうなぁ。

気温は高いが雪はちゃんと降る1月。

1920年代のある一月はひと月の間、インゴルシュタット中心部を流れるドナウ川が凍ったそうだ。
その上を歩く人々の写真が残っている。
そう言えば、5,6年位前までは12月にスーパーの特売にスケート靴があったものだ。
ここ何年か見かけない。
湖が凍って、そこで滑るらしい。
私がここに移住してからは一度も湖で滑る話を聞かない。
1920年代より明らかに暖かいここ周辺の様子が証明されている。
暖冬は悪い側面ばかりではない。年間数十万円かかるウチの暖房費が少しでも節約できるのはいいことだ。
雪を見ながら暖房を切る私。
室温20度あるものね、我慢我慢。




紙質があまり変わらない

2018年01月21日 | カテゴリー分けするのに飽き
地元某金持ちが道楽でやっている古本交換ボランティアを手伝っている。
比較的暇なので、届けられる本をみていると、面白いものが見つかる。
使い込まれた讃美歌集。

フラクトゥール、と呼ぶことを知った。この古い書体。読みづらい、いや、私には読めない。

1933年の出版なのか、凄すぎる。

挟まっていた紙片を広げてみた。うほー、1945年9月の催し物の案内状?

これは上とは関係ない入場券のようだ。

字体がひげ文字でないところをみると、戦後かなり経てからのものなのか?(ウィキペディアから得た情報♪)
この紙質と形のチケット、今でも存在するドイツ。なかなか味わい深くてよろしい。

こんな家に住みたい

2018年01月20日 | カテゴリー分けするのに飽き
これくらいの大きさの家だったら管理がしやすいだろう。
ちょっと手入れが不足している感じも私好みだ。
収納場所はたくさん必要だ。この規模の家屋では無理だろうか。
一度、中に入ってみたいぞ。
知人宅の前の家なんだ。もうすぐ取り壊されるらしい。もったいない。

手に入れてみたかった物、ステンレス製インド式弁当箱

2018年01月20日 | カテゴリー分けするのに飽き
インドなどで好んで使われている弁当箱を手に入れた。

以前から欲しいな、と思っていた品だ。
弁当箱を日常的に使わない生活だから、必需品でもない。単に一度所有してみたかったんだ。
こういった物の考え方はミニマリストには程遠い。いいの、私はなれないの。

直径13センチで、三段重ね。日本人成人女子には大きすぎる。
実際の使用を想定しない入手なので、大きさは関係ないんだ!
持っている、というだけで幸せな気分になる。インドではこんなものを使っているのねぇ、としみじみ・・・
暖かくなったらカレーを入れて公園で食べよう。ひとり分には大きいから誰かと一緒に食べよう。
いろいろと想像させてくれるのもいい。

さて、細部を見るとやはり荒っぽいつくりだ。マレーシア産。
容器の内側には汚れのような傷がついていて、研磨剤入り洗剤で洗っても落ちなかった。
閉じるときに気付いた。
 
あれれ・・・位置がずれているぞ。
もしかしたら、しっかりとした固定のためにわざとこのように製造しているのかも。
でも、日本人の感覚としては、とめるときにずれていると合わせるための余計な動作が伴うので不良品と感じるものだ。
日本以外の国々はテキトーだ。日本は最高に細かいところに気付いて、細かいところまできちんとしている製品を造る。
傷があって、とめ具の位置がずれているくらい、ドイツ生活で慣れきっているはずだ。
うん、お気に入りの品だ!








退税・・・ドイツで中国語を学ぶ。

2018年01月19日 | カテゴリー分けするのに飽き
実家帰省時にもあちらこちらの小売店で中国人向けの免税についての案内表示を見かけた。
都心でもなく、観光地でもない実家周辺に観光で中国人が来るのか、と思ったものだ。

さて、インゴルシュタット旧市街のドラッグストアの入り口でぎょっとした。

ひゃ?
税金がどうしたって??
漢字の下の英語ですぐにその驚きは、別の驚きに変わるのだけれど。なるほど、中国語で免税は退税ってなるのねぇ。
ここインゴルシュタットも観光で稼いでいる街とは言いがたい。
中国人の大好きな買い物するにしても、車で15分ほどのアウトレットモールなら理解できるけど、この規模の街中では難しいと思う。
日本人旅行客が買い物をしていた頃には、インゴルシュタットには「免税」という張り紙はされていなかっただろう。

そうか、実家周辺でもやっていたように、とにかく、中国人様が僅かでも来て大量に買い物してくれること期待して、あらゆる場所に貼っているのか。
いや、実家周辺にもインゴルシュタット旧市街にも、本当に中国人様がやってくるのか?
帰省時でもここの生活でも観光客らしい中国人と思われる東洋人はそんなに見ないのだけれど??
うーん・・・不思議だ。

妙なところで行儀悪い客、清掃員は一般的に愛想が悪い。

2018年01月18日 | カテゴリー分けするのに飽き
マクドナルドレストランでよく見る光景。

ちゃんとここでもトレイを片付ける場所があるのに、そのまま残されていることが多い。
日本でもそれは義務ではないのだろうがほとんどの客はテーブルの上に置いたままで立ち去ることはないだろう。

ずいぶん前のフランス旅行でもこんな風だった。
従業員たちが数名で、片付けられていないテーブルのすぐそばの席に座って楽しそうに歓談していた。

私はもうすぐ閉店になる街中の店でコーヒーを飲んでいた。
床掃き掃除をしている従業員がだんだんこちらに近づいてきた。
普通なら、いや、日本の感覚だったら食事中の客の足元を無理やり掃除することはしないだろう。
ここでは当然のようにやる。
とうとうここまで到達したので、私の足元を掃き易いようにちょいと足を浮かせた。
彼女はにこりともせず、礼を言うこともせず、黙って不機嫌そうにちょいとばかり床を撫でていくようにしていった。
レストランや公共施設などを清掃している人たちは、これまたどういうわけか非常に無愛想なことが多い。

事務所がたくさん入っている大きなビルで、出口を間違えて中庭に締め出されてしまったことがある。
ここのドアは中から外に出て、ドアを閉めると再び開かないシステムのところが多い。
ガラス越しに中を覗くと、掃除をしている少々高齢なお姉さんがいた。
合図をして開けてもらった。
丁重に例をいい、どうしてこんなことになったのか説明しても反応が悪い。
例の清掃員の愛想の悪さかな、と諦めかけていたら、
「ドイツゴ ワカリマセン・・・」
というような返事が来た。
なるほど、そういうわけで無愛想なことが多いのだろうか。
日本の明るくはきはきした清掃員が懐かしい。