怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

アウディ100周年

2009年08月30日 | ここの品々
少々時期を逸してしまった。
先月16日、アウディが100周年記念式典をやったようだ。
たまたま当日に街の中心に行くバスがアウディ本社の前を通るので知った私。

新聞も大きく広告。

右の写真は地元で無料配布される雑誌なのだが、式典に参加した首相とアウディ社長が表紙を飾った。
赤い蝶ネクタイ・・・

16日の本社での式典は一般人の入場はできず、招待客のみのようだった。
バスの中から、めったに見ることができない正装したドイツ人男女がぞろぞろ歩いていくのを目撃。
(写真を撮るのをわすれたりす)

その式典の内容は、街中の広場で放送された。


去年はここでサッカーヨーロッパ選手権を同様な形で大スクリーンでやっていたものだ~

ちょっとテーマが外れるが、式典を盛り上げているこのオーケストラ、
東洋人のメンバーが目立つ。




おそらく、彼らは日本人だろう。
日本のオーケストラにメンバーにヨーロッパ人らしきのを見た経験はないが、
本場ヨーロッパには日本人がぞろぞろいるのである。

国際コンクールでも上位入賞者に日本人が多いし、そもそも参加者も日本人を初めとする東洋人が多いものだ。
最近は中国人の進出も激しく、アウディの顔の一人としてLang Langがしばしば登場する。


左:これはミュンヘンのオーケストラの冊子だが、メンバーの名簿を見ると日本人らしき人がぞろぞろ出ている。
右:図書館で借りたCDなのでスティッカーだらけで失礼、Lang LangのCD。
ちなみに、ここの図書館で日本人演奏家のCDを見つけることができない。
中国・韓国人のはちらほらある。がんばれ日本!

どうしても東洋人のほうが教育熱心なので、幼少からの繰り返しの訓練が必要な楽器演奏は西洋の教育方針で育てるより上手になってしまうのだろう。


街の中心をちょっと外れたところの環状交差点の内側にに、なにやら銀色の物体が設置された。


実物の約1.5倍ほどの大きさの「車像」である。
あるのは車像のみで、アウディを示す文字やロゴもない。
日本だったら、確実に表示するだろう。
こういったところが景観に対する感覚の違いのようで、興味深い。
インゴルシュタットの唯一ともいえる産業だから、わざわざ「Audi」とつけたり
オリンピックと混乱しそうな四つの輪の重なりを飾らなくてもよい、と判断したのだろうか。
この環状交差点の名前も「アウディ」だから誰でもどこの宣伝かわかるだろう。

そういうわけで・・・
アウディ創業100周年の今年。
ウチは関係者ではないが、この会社の発展は街の発展でもあるからわたしも応援。
自動車購入の際は、アウディをご検討ください




サッカー観戦

2009年08月28日 | 日本
夫が新聞で、日本の少年がサッカーの試合をしにインゴルシュタットに来る、
という記事を発見した。

普段スポーツに関心のない私でも日本のチームがわざわざここまでやってくるということなのだから、忙しい夫に頼み込んで連れて行ってもらった。

浦和レッドダイヤモンドの浦和レッズJrユースU-14が、
FCバイエルン(いや、FCインゴルシュタットかもしれない)の同様なジュニアチームと対戦したのだ。
(8月28日現地時間18時30分から)



夫も私も、サッカーの試合の実物をみたのはこれが人生初かもしれない。





私がかなり心配したのは体格が違いすぎるのではないか、ということと
日本が負け続けてしまうのではないか、ということだった。

体格についてはざっと観察した様子では、大して変わらない。
ほっとしたものだ!
忙しい夫の都合で、半分ほどしか観戦できなかったが、そこまでは両チームとも
得点できず、互角にやっていた。
これにもほっとした!


観客席はほぼガラガラ。
ドイツチームの家族が4~50人くらいいたかな?
日本人らしき人が5,6人いたが、在住者ではなく子供達の親だろう。


ここはFCインゴルシュタットのホームスタジアムだそうだ。
東京近郊から来たと思われるこの子供達、ここ周辺のなあ~んにもない様子に
驚いただろうか・・・



または少々古臭いこの施設にあきれたかしら?
アウディの協力で新しいスタジアムを建設中だそうだから、
次の機会にそちらに来たらいいだろう!

いずれにせよ、もしかして将来のスター選手の日本の少年達、
大きな怪我や事故がないように影ながら応援しているぞ。
こちらで注射をする羽目になると、
う~ん、すべてではないので声、あ、文字を小さく・・・
注射針をあちこちに接触させ、雑菌をつけながらしてくれる可能性があるから!






医療事故かなぁ~

2009年08月25日 | ここの生活
ドイツ南部にはダニなどが媒介するダニ脳炎という病気がある。
義務ではないが私は予防のために、ワクチンを接種しに行っている。

さて、先日、2回目の接種のときの出来事だ。

夫婦二人でやっている医院で、人気があるらしくいつも混雑している。
受付カウンターにはいつも3~4人の女性が働いているのだが、
彼女らは事務仕事と、看護師仕事を掛け持ちしているのである。
受付業務、医師との事務連絡、患者の案内、検体の検査、などかなりの量の仕事をこなしている。
健康保険証カードや現金の受け渡し、コンピューター操作などはもちろん素手で行うのだが、
看護仕事になっても手を洗っている様子もないし、
手袋を着用するのもまれのように思える。

さて、この日の私は医師の診察と問診をうけた後、受付の一人が私に注射した。
接種するすでに薬剤が入っている注射器を箱から取り出すと、彼女は受付カウンターに戻っていった。



接種の記録のノートの上に無造作に置かれた注射器。
「あら~、ブログネタぁ~」
喜んだ私は鞄から静かにカメラを取り出し、フラッシュ無しで撮影~
こんなシーン、なかなか日本ではないだろう。
ノートの上の注射器~


さて、彼女が戻ってきた。
私の上腕を消毒し終え、注射器の針のキャップを取ると、また受付から呼ばれて行ってしまった。
「ごめんなさいね、また、ちょっとお待ちください」

置かれた注射器を見たわたし・・・

ブ、ブログネタ・・・・!!!

キャップを外した針先が、机と見事に接触している!
彼女が戻る前に、是非、鮮明な写真を撮影しておかなくては!
張り切った私は震える手をどうにか押さえ、フラッシュ無しで近影に臨む。
「まだ戻るなよ~、戻るなよ~」
上が、その写真だが、位置が悪くて、針先の様子がわかりにくいが、
注射器の下方部分はういていて、針はテーブルと接触している。


無事にブログネタ撮影に成功し、嬉々としていたのも一瞬さ。

ここは医院、得体の知れない病原菌がうようよしているはずだぞ。
針先にくっついた菌は、私の体内に注入の運命だ。

戻ってきた看護兼受付嬢は何も躊躇することなく、
早口で何か私に言い、接種したのだ。


あれから一週間になるが、
私の体調にまだ変化はない。












新城市からお客さま

2009年08月22日 | 日本
朝食をとりながら新聞を読んでいる夫が言った。
「シンシロ、という街を知っていますか?そこからノイブルクに若者が何かをやりに来るそうです、時間があったら見に行きましょう」

ノイブルクはこれである。

ウチから車で約20分ほどドナウ川をさかのぼった所にある、
立派なお城がある街である。

シンシロとは愛知県新城市である。
「新しい城」という意味の名前を持ち、新城市と同様に人口5万人規模の世界中の街と交流する事業をやっているそうだ。
ノイブルクのノイは新しい、ブルクは城、人口5万人というのもぴったりだ。


ブログ掲載の許可を得ているので、堂々と~
基本的にドイツへの渡航費は自己負担だそうだが、ノイブルクでのホームステイ、
その他の補助が新城市やノイブルクから出ているらしい。

私にとっては久しぶりに見る日本の若者の集団だ。
日本に住んでいるとあまり気にならないのだけど・・・・あのぉ・・・・
う~ん、このメンバーの誰かが読んだら失礼だけど、書かせてもらおう
姿勢を良くしましょう~
体格がヨーロッパ人に劣るのは仕方がないとしても、姿勢は心がけ次第でどうにでもなる。




この場所は土曜の午前中などに市場が開かれる街の中心部だ。
ここで練習してきた歌などを披露した。
最後はシューベルト「野ばら」をドイツ語で歌った。
ドイツ旅行を楽しみに練習してきたのだろうな~

いま日本にいるC子ちゃんやアニャのことを思い出しながら聞いたものだ。
ドイツの若者は日本のサブカルチャーに魅かれて日本に行くのだぞ。
C子ちゃんなどは「野ばら」は歌えないけど、GACKTの歌なら歌えるのかも。

ノイブルクの新聞社などの取材が入っているようで、カメラ数台に囲まれている彼ら。
インタビューに流暢に英語で答える代表者。(に見える・・・)


「うわ~これなあにぃ~?」歓声を上げながら市場見学の日本女性の様子を撮影~




楽しそうにしている様子がうらやましい。
旅行のドイツは楽しいだろうな~
数日、ノイブルクでホームステイを楽しむそう。
でっかいケーキや、しつっこい料理を楽しんでほしい。


これはノイブルク在住、知人日本人女性の飼い犬、たろう君。
彼女もホームステイ受け入れの協力をしているそうで、この場にも来ていたのだ、
たろう君と一緒に~
このたろう君、ちょっと気弱なようで、証拠に尻尾がいつも下を向いている。
「たまには尻尾を上げてごら~ん」
と私は言いながら、嫌がられるのを覚悟して尻尾をつかんでグイと持ちあげた!
すると!
たろう君、私の足元に擦り寄って動かなくなってしまった・・・
ひええ~、ごめんよ、たろう君~




手先仕事

2009年08月19日 | ここの生活
いつも行くショッピングモール+個人医院が集まっているビルに
以下のような手作り装飾がされてあった。

夏らしく、海の中の様子を表現したモビール。
吹き抜けになっている各階の四つのかどに飾られていた。

少々稚拙な印象を受けるが、大人が製作したものに違いない。

細部を見ると、少々荒っぽく感じるのは日本人だけかもしれない。


これは手すり部分から容易に目に留まる位置にあるのだ。
日本だった、もう少々丁寧にテープを使うように心がけると思う。


紐でとめただけでは不安だったのだろうか、テープの乱雑さが気になる私。


さて、話は義母の台所仕事になる。
彼女と一緒に下のような丸い団子を料理したときのことである。

義母は独身の頃、花嫁学校のようなところに通っていたそうで、そこで家事全般を習ったらしい。
この団子を作る実習のとき、上手に丸く作れたのは義母だけだったらしい。
「私はいつも母の家事を手伝っていたからよ」
と自慢する。
が、同時に私もうまくつくっているのにも驚いていた。
「子供の頃、泥遊びで身に付けました」
と私は説明した。


さて、ハンバーグ作りをたびたび義母はするのだが・・・
彼女の形作るハンバーグは、日本の基準から考えるとかなり荒っぽい。
大きさは揃っていないし、きれいな楕円に仕上げることもしない。
真ん中を少しへこます、という知識も無いらしい。
わたしのほうがきれいに早く仕上げるのである。
追記:この時作ったハンバーグは写真で見える倍量。
2,3日分を一気に作るのだ。冷凍保存などはせず、2,3日はハンバーグ攻めの食卓となる。
お義母さ~ん、わたし、ハンバーグ嫌いになりそう~

うすうすは感じていたのだが、ヨーロッパ人、器用さにおいては日本人に劣るような気がしてならない。
モビールやハンバーグレベルの話なら許せるけど、
自動車などの生命にかかわる製品は大丈夫なのだろうか。


これは今日、ウチにやってきた夫の従妹である。
フォークでビンからピクルスを取り出そうとしていたのだが、やりにくそうで、
ついには指でつまもうとしていたので、あわてて私が箸を差し出したのだ。
箸を日常的に使っていない彼女でも、フォークより使い勝手よさそうにしていた。

適当な道具や指導で手先の仕事もやっていけるのだろうな。
とりあえず、ドイツ車も安全だろう!




日本を目指すドイツ人たち

2009年08月16日 | 日本
C子ちゃんは去年の今頃からしばらく私とドイツ語・日本語の交換学習をしていた高校生だ。
今年3月から日本の某所でホームステイし、某高等学校に通っている。
実家の家族とは連絡しているようだが、予想していたとおり
私とは音信不通である。
彼女の第一印象が書いてある記事がこれだ。
留学生C子ちゃん(2008年7月)
もう一つC子ちゃんのケーキ(2008年8月)

お父さんから娘の近況をしばらくメールでもらっていた、それによると
3ヶ月でホームステイ先が合わず、変えたとか・・・
ま、わかるような・・・

日本に憧れるドイツ人若者はC子ちゃん以外にもこの周辺にぞろぞろいるらしい。

ふとしたきっかけで、地元新聞編集者の女性と知り合った。
彼女の19歳の娘アニャが今月から日本に滞在しているそう。
来月9月に彼女も娘に会うため2週間ほど日本旅行するので私に日本語の挨拶や習慣を教えてほしいそうな。

逢う前のメールのやり取りで、彼女の娘が書くブログを教えてもらった。

公開ブログのようなので、ここにその一部を紹介してもいいだろう。

アニャさん、日本語力はC子ちゃんより上のようだ~


写真公開は日本の生活では少々危ないとは思うが・・・
今さら「やめたほうがいい」とアドバイスするわけにもいかないなぁ~

アニャのお母さんによると、アニャは子供の頃から日本のアニメや漫画が大好きだったそうな。
おお、またか。
日本の伝統芸能や歴史、ハイテク技術に憧れて~、というのは聞いたことがないぞぉぉぉ~

来年春まで滞在予定だそう。
アニャの場合、C子ちゃんのような高校生留学ではなく、ワーキングホリデーらしい。
ギムナジウム卒業、大学入学資格試験を終えてからの日本行きなので、
他人の私から見てもちょっと安心。
ドイツでは19歳は成人だが、日本では未成年。
飲むなよ、吸うなよ~

アニャさんの日本生活が安全で楽しいものでありますように!
また、来月のお母さんの訪問もよい経験になりますように!
箸の上げ下ろし、お辞儀の角度、挨拶用語をひと月で叩き込もうと計画している
珍しく、熱心なわたし、りすさ!






夫の名刺作り

2009年08月13日 | 
来月、夫とその仕事仲間は日本からのお客様を迎えるそだ。
日本人=名刺交換、の習慣イメージは定着しているらしく
少々日本語ができる夫に、日本語版名刺作成の仕事が回ってきた。
夫の携わる業界は日本人でも外国語に堪能な人が多く、日本語にする必要もないと思うのだが、
印象をよくするための策略でもあるらしい。

PCの前で固まっている夫。
それぞれの名前のカタカナ表記に苦心しているようだ。
「りす、これはどう書いたらいいですか?」
やっと、私に相談しに来た。
夫の仕事に協力できる、って結構うれしいものだ。

ドイツ語の音の日本語訳、特に人名は、日本で知られている地名や著名人に
あわせて選んだ。
「R」や「L」などは英語と同様、ドイツ語も少々難しく、でもカタカナ表記ではラリルレロ、で代用。
Krumm(伊達公子の旦那様の姓)の「r」はのどの奥を鳴らすような音だが、「ル」で代用しているだろう。

そういえばMichaelを以前は「ミヒャエル」と表記した書籍が多かったのに、
最近は「ミハエル」とするようだ。
シューマッハをこうしているので、今回の名刺作りもこれに続く事にした。

さて、わが夫の姓は、日本人にとって(また、英語圏の人にも)ものすごく難しい音である。
日本で勤務時は、日本人に発音しやすいよう、かなりかけ離れた音を使っていた。
今回、新たに名刺を作るので、夫は希望した。
ハーゼ(夫)「もっと、本物に近いカタカナはない?」
りす「ない」
ハーゼ「プリ!(機嫌の悪いのを表現する私たち夫婦の言葉)、なにか考えてください」
と言うので、答えてやった。

りす「ウ~」
義父母、夫も電話に出るとまず、自分達の姓「ウ~」と低くつぶやく。
ドイツでは「ハロー」と出る人と、姓を名乗る電話の出方がある。
極端な書き方だが、ウ~と低くうなっているように聞こえるものだ。

夫は機嫌悪い。
ハーゼ「変!この ~ は何?日本語ではない!」
多少語尾を上げるので、~を使ったのだが、まあこれを本気で名刺にするのはふざけすぎだな、あはは~

そういうわけで、再びすでに日本の知人達にも知れ渡っている元のカタカナ表記にする事に決まった。

機会があったら、夫を呼んでやって欲しいものだ「ウ~さん」と!





インゴルシュタットの名所旧跡の一つ。
中世からある塔。
週末には内部見学ができる場合有り。

来月の日本人お客さんはミュンヘンまでしか来ない。
私の出番はないそうで、がっかり。






西洋墓地の謎

2009年08月09日 | ここの品々
今日は墓地の写真と話題が出てくる。
いつもの調子で書いてはいるが、なにぶん話題は死にまつわるもの、
お嫌いな方はご覧になるのを控えるのをお勧めする。








義父母たちは新聞の死亡広告に、近隣に住まう知人が載ると、
墓地での埋葬に出席する。
すると、下のようなカードをもらって戻ってくる。



左は表紙、中は亡くなった人の顔写真と名前や生年月日と没した日などが印刷されている。

わたしはこの埋葬に出席したことがないのでその詳細を知らない。





これがウチの集落の墓地である。
教会の周辺に墓地があるものだったらしいが、私は別々のものしか知らない~

比較的最近作られた墓地で、墓石なども新しい。
この墓石、高さ約1メートル幅およそ150センチくらいあるかしら、
関東周辺で見慣れた標準の数倍の大きさがあり、
また、美しく装飾されていたりして、鑑賞していて飽きない。



左の写真を更に拡大すると、右になる。
墓石の前に花などが植わっているが、
その地下、約2メートルくらいのところにご遺体が眠っているとのこと。

さて、数週間前、義父母といっしょに、ウチの墓の手入れを手伝った。
盆も近いし・・・おっと、違うか。
主な仕事は植わっている草花に水をやる、という作業だ。
なんだ、うちの庭の手入れと同じか。

でっかいジョウロに水を入れ、墓石の前の花に水をやる。
「もっとだ、もっと。じゃんじゃんやらないと花が枯れる」
とせかす義父。
水を汲みに行って、もどって、じゃあじゃあと溢れんばかりに土にかける私。
と、突然、疑問に思った。
りす「この土の下に、遺体があるのですよね?」
義父「そうさ、へんな事言っていないで早くもっとどんどんかけろ!」
次第に怖くなった私。
ご、ご遺体は水浸しにならないかい?
いや、ここに眠っているのは義父の母、つまり夫の祖母、30年ほど前に若くしてなくなっているのですでに土になっているのか?
それにしても、土葬の習慣に慣れていない私としては怖い。
水浸しにしている~ 水浸しぃ~

もっと疑問はこれだ。
一般的には木製の棺に入れて、埋葬するらしい。
数年後には棺も中身も土に還る。
土に還る、ということは土の一部になる、ということだろうか?
筋肉とか、血液とかは、土に吸収されるから、その体積の分だけ、
埋葬時に上から埋めるのに使った土が、へこまないかい?

へこんだら、その上から、また、土を追加するのだろうか?

考えれば考えるほど、怖くなり、水遣り作業もなんとなく気まずい。
疑問に思っているより、尋ねてすっきりさせたほうがいいと感じ、
夫にぶつける。
すると夫はこんなバカをみたことがない、という表情で、
「大丈夫です、土は凄く固くしてありますから」
でも!でもでも!!
棺と遺体の間には空気の部分だってあるだろうに。
私の発想によると、絶対、埋葬して数年後には花の植わっている部分が陥没すると思う。
いろいろ私がまくし立てるが、日本語能力の限界が夫にはあるらしく、
私をますますバカにするだけで終わった。


水遣りの途中で、目の前の土が陥没でもしたら、卒倒するしかない!
疑問が解決されるまで、西洋墓地の手入れは怖くてできないりす。








閉店後

2009年08月05日 | 風景
先月半ばに撮影した、午後9時に近い街中心の様子。


まだ、明るいのに、少々の飲食店を除き、すべて閉店。
午後8時までしか営業できない決まりがあるらしい。
日中はアイスクリームを片手に大勢の人々が行き交うこの通り、
午後9時前には淋しい姿となる。

が、日本のように、シャッターで店を閉めてしまわず、展示の品を見せるようにしておくのがこちら流。


普段思いつかなかった、ショウウインドウの撮影。
左の紳士服、かなり奇抜な衣装が並んでいるが、ちゃんと売れるかな?


夏物衣類のセール時期であった。若者向けの衣類は小さめのものが多いので、
私にも大きさが合うことがある。
が、デザインが若者むきで・・・買えないことも多い。


商品の展示の感覚が日本と少々、いや、だいぶ違うような気がする。
ちょっと、ごちゃごちゃ、かな~、これ・・・


右はH&M、そろそろ日本のこれ、もう話題になっていないのかな?




民族衣装の専門店。
サイズの問題もあり(大きすぎ)わたしには関係ない店。


少々値段のはる店。
が、ここでも私はサイズの問題があり、関係ない店。


ウチの普段使いの食器のほとんどは角が欠けていたり、割れかかっていたり、長年の使用でシミができている。
詳細はまともな食器が欲しい
欲しいな~、きれいな食器。


家具屋も閉店後に街を歩く人のために、シャッターなどを使わずに見せている。
独立して生活したら、こ~んな食器、あ~んな家具をそろえよう、って楽しむことができた。

午後9時のバスでウチに向かったりす




多民族国家ドイツ

2009年08月03日 | 近隣の人たち
戦後ドイツにおける移民の多くはトルコ人であることは日本でもよく知られているだろう。

街中を歩くと、頭巾姿のトルコ人女性の他にさまざまな外国人がいることに気づく。

一見、ヨーロッパ人なのだが、連れている仲間同士で交わされている会話がどうがんばって聞いても理解できない言語のことが多い。
つまり、ドイツ語でないのだ。
そういう人々は昨今大抵東欧諸国出身のようである。

また、中国人も非常に多い。
わたしはちょっとだけ中国語をやったことがあるので(中国語検定4級レベルさ、あはは~)
韓国語とその他の似たような東アジアの言語を聞き分けることができる。
中国レストランが異様に多い。
在独20年の中国系シンガポール人女性に言わせると、ここ何年かで急に中国人が増えたのだそう。
人口10万人強のこの地域の中心街に4店舗、郊外になると私の思いつく限りでは6~7店ある。
ときどきそれらの店に食べにいき、愛想のよさそうなウエイトレスのお姉さんに尋ねると、
「上海出身です」
「香港です」
「長春からです」
などと答えが来るので、ほとんどがここで育った2,3世ではなく、数年前にやってきた移民らしい。

タイ人をお嫁さんに迎えるドイツ人男性も多く、彼女らの顔立ちは一定の傾向があるので、すぐにわかる。
日本在住のタイ人女性は色白の人が多いが、ここは浅黒い人が多い。
日焼けがステイタスのヨーロッパ人らしい選択だ~

いまの暖かい季節には、サリー姿のインド人女性の姿を見ることもできる。
エレガントだぞ~

アフリカ人も、欧州の他の地域ほど多くないが(フランス語圏に多いらしい)外に出れば必ず見かける。


もちろん、日本人も大都市ほどではないが、数十人の在住を確認(正確な統計でない~)している。

義父の先祖のように、ドイツ国籍を持ちながら欧州各国を移住している家系も多いだろう。
「彼女は△☆◎人です」
という言い方を義父は好まない。
その人が保有する国籍と、出身国が一致しない場合が多い欧州の傾向を考慮しなくてはならないのだそう。
日本人イコール、日本に住んで日本語を話す、
というイメージを払拭しなくてはならないのである。

ここは多民族国家かなぁ

ドイツ人も、こうした状況にある程度慣れているようだ。
どうして私がそう推測するのかというと、以下の経験からである。

街中で高校生くらいのお姉さんに尋ねられた。
「時計を持っていますか、いま何時ですか?」

服を見ていると、高年おばさんに尋ねられた。
「もしもし、あなた、サイズは34くらいかしらね、この服、どうかしらね、孫に買ってやろうと思ってね」

物乞いの男女。なにやら寄付を求めて、紙に書かれたものを差し出しながら
私が財布を開くのを待っていた。

ウチからさほど遠くないところを自転車で走行中、車の中からお兄さんに尋ねられた。
「◎△◆ギムナジウムはどこにあるかご存知ですか?」


以上、すべてドイツ語でなされている。
ドイツ語ができるかできないかの確認もなしでいきなり、である!

私の容姿はヨーロッパ人離れしている。
東洋人を極めている。

日本で金髪碧眼の見ず知らずの人に、日本語で
時間を尋ねたり、服の相談をしたり、寄付金を要求したり、高等学校の場所を尋ねたり、
する、かい???

今や、人種の違う人々をいちいち区別していられないくらい、
たくさんの異なった肌の色、顔立ちの人々が生息しているのだ。

そういった意味では日本は異人種に対し、いまだに構えて接しなくてはならない雰囲気がある。

夫なども日本在住時に大抵英語で話しかけられたそうな。

私がここでドイツ語だけで話しかけられるのとは大きな差である。
まあ、許してやろう。
夫はいつまでも日本の住民として受け入れられていなかったのかもしれないことを思うと、
在住2年にも満たない私をドイツ生活者として認めている寛大なドイツの人々に感謝しよう。






大手スーパーの週末のレジ周辺の様子。
黄色いシャツのスタッフは客の買った商品を袋詰めする、というドイツには極めて珍しいサービス担当。
普段有料の袋も無料!
ああ、このままずるずると日本風になってくれないかなって、ちょっと願ってしまう~