怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

失礼なドイツ人

2018年12月11日 | ドイツ生活の外国
意外なことにドイツ在住者も私のブログを読んでくださっている。
私は狭い生活圏、義両親に支配された日常などで外の世界がどのようになっているわからない。他の在独者のブログをもっと読まなければならない。
先週12月3日の記事に、以下のようなコメントをいただいた。

爆笑。
日本の生活で何人かの中国人たちと交流があった。彼女らは日本人平均よりはっきり物事を言うので、その点で少々付き合いづらいところとわかりやすいところがあって興味深かった。
その中国人たちも、ここドイツに来ると「ドイツ人ははっきり言うから」と私に発言したのでびっくりしたものだ。
日本の中国人たちは何を考えているかわからない日本人に悩み、ドイツの中国人たちはガンガン言ってくることに悩んでいるのかぁ~。
「世界標準からしても失礼」ってところにウケまくった。
日本在住時にドイツに長期滞在、旅行などを経験した人々が「ドイツ人は親切」と絶賛していたのを見聞きしたものだ。あれはどういうことなのだろうか。親切と失礼、は真逆なような。両者を併せ持ったドイツ人ってことで納得しておかなければならない。

ドイツ人自身も、日本に旅行や滞在をすると人々の柔らかな雰囲気、腰の低さに感激し、母国の人々が非常に攻撃的であることに気づく様子だ。
「攻撃的」だぞ。凄い言葉を使ったな、ドイツ人Oさん。辞書で確認してしまったくらいだ。Oさんは日本が気に入り、すでに何年も滞在している。
Oさんの言葉も決して誇張ではない。何か言うと、特に店員などは非常に攻撃的な返答をすることが多い。なぜ客に向かってあんなに激しく物を言うのかいまだにさっぱりわからない。
パン屋勤務だったA子さんは嫌な客の愚痴を言っていたものだ。日本だったらそれくらいでは愚痴にはならないぞ、と思ったものだ。「客は敵」という言葉がぴったりのドイツ。実際のところ「客は王様」らしいが。神様でないところが日本との違いだ。気に入らない王様は殺してもいいドイツ、または欧州の伝統。


週末ケーキ。右端は義両親たちが二人で食べた部分。残りを夫が平らげるかな、と思っていたのだが、半分ほどでやめておいたようだ。

調子のいいときは全部食べられるようだが、もう年齢的にもそんな暴食はしないほうがいい。
なんてったって、砂糖、果糖、小麦粉、脂肪、ばかりのケーキだぞ。身体に良いはずがない、と思うのは日本人だけで、義母にいわせれば立派な食事なのだろうなぁ・・・

上のコメントをくださった方はドイツ西部にお住まいだそうだ。
そこでは「カイザーシュマルン」を「カイザーなんとかという 小さなパンケーキがたくさん入ったのに 真っ白に粉糖がかけられたもの」と表現されていてこれまたおかしかった。
ウチでは普通に食べているものが、家庭により、または地域により珍しくなるドイツ。
カイザーシュマルンに接しなくていい生活がうらやましいとも思った・・・・




ドイツ語コースの仲間と再会

2018年12月09日 | ドイツ生活の外国
2011年にドイツ語講座で一緒だった仲間と集まった。
10人ほどいたクラスで、週に二回、半年ほどの期間一緒に学んだ仲間だ。そんな短い付き合いなのにこうして時々集うことができるのは嬉しい。

ポーランド人とスペイン人と私。文化背景も現在の家族状況もみんな違うのにどういうわけか意気投合。

スペイン人のE子さんは去年母国に帰ってしまったのだが、仕事の関係で今でも頻繁にインゴルシュタットにやってくるのだそう。仕事のときは時間がないけれど、今回は休暇でやってきた。
私たち二人に持ってきてくれたのはスペインのクリスマス菓子。

トゥロンというそうだ。検索すると、スペインだけではなく、スペイン語を話す国々に広く存在するらしい。
早速、パラグアイ在住の日本人T子さん、近所のアルゼンチン人R子さんに尋ねてみた。
あるそうだ。

箱から出してみたら、ビニールパッケージに入っていて、なにやらどろどろしている。
うう?腐った?溶けた?
後日E子さんにメールで尋ねると「そういう種類のトゥロンです」という答えが返ってきた。
その直後に外出先で出されたトゥロン!

持って来たのはやはりスペイン人。
念のために彼女に「どろどろのをもらったのですが、そういうのってアリですか」と尋ねてみた。
いやいや、E子さんを疑っているわけではなくて、礼を兼ねての話題提供ね。
スペイン人は「大丈夫よ、いろいろな種類があるのよ」と当然の答えが返ってきた。
まだどろどろトゥロンは食べていない。上の画像のはおいしかった。
クリスマス菓子、どこでも特徴的なものがあるのねぇ。どんどん太ろう、この一ヶ月で!

ついでに義母がらみ話題。
この集まりの予定があることを義母に伝えて家を出るとき、彼女は私にこういった。
「いつも心配するのよ、夜遅く帰ってくるのは危ないからねぇ」
夜遅いって、私が日付が替わってから一人で帰宅したことはこれまでに何度もなかったはずだ。
数時間で帰ってくる、と言っているはずなのに義母の脳内では日付が替わると思い込むのだろう。
面倒くさいのでそれを否定することもせず、家を出た。
さて、21時前に家に戻ると・・・・
「あら、こんなに早く帰ってきちゃって!」
と驚いていた。驚かなくてもいいではないか、希望通り早く戻ってきたのだから。
うう、一体義母の期待するとおりに行動するにはどうしたらいいものか、とちょいと考えてしまう。
いや、そんなこと気を使う必要ないのだろう。
彼女はちらりと思ったことを深く考えもせず、口にしているだけなのだろう。

夫や義姉がティーンエイジャーの頃、苦労しただろうな。義両親たちではなく、夫や義姉が苦労したんだ、親に理不尽なことを言われ続けたのが想像できる。
子供や孫に何も言えない立場になった今、ヨメでストレス発散しているのだろう。
ああ、サンドバッグになってやるぅ~、それが私のここでの仕事。











トルコに住むムスリムインド系英国人からのクリスマスカード

2018年12月05日 | ドイツ生活の外国
今年一番に届いたクリスマスカードはトルコからだった。

ちょいと驚いた。彼女はイスラム教徒だからだ。
表面の印刷された文字がトルコ語のようだから、トルコにも普通にクリスマスカードがあるということにも驚きだ。

裏面にも印刷された文章があり、一体なにが書かれてあるのかちょいと興味がある。
このカードを送ってくれた彼女もトルコ語はできないはずだから適当に選んだはずだ。もしかしたら「クリスマスなんて野蛮なキリスト教徒のお祭りだから祝ってはいけない」と説明されているのかもしれないぞ、あははは。
上には自筆の英語で「りすさん、メリークリスマス、良いお年をお迎えください」とあった。

送ってくれた彼女は旦那さんの駐在生活にお供してすでに5年以上だ。
今年8月までウチの近所に住んでいた。会社の命令で今度はトルコ駐在だ。
「同じイスラム教徒のたくさんいる国だから楽なのではないですか」
と、私は言ったけれど、長く住んだ英国の経験でどこに住んでも天国、と感じるらしい。
特に、ドイツ生活は満足していたらしい。某大会社に勤務する旦那さんは英国のそこより勤務条件がよかったそうな。

首都アンカラの街の様子。

クリスマスがすでに宗教を超えた行事であることを改めて確認させられる。


私は20歳代の頃、クリスマスなどキリスト教徒でもない人々が大騒ぎしてお祝いするものではない、と周囲の同世代の浮かれ具合とかけ離れた態度をしていたものだ。
信仰していないのにクリスマスにはキリスト教会の礼拝に出席したりしていた。
今考えると、かなりもったいないことをしていたものだな、あはははは。

後に、マレーシアやシンガポールなど、イスラム教徒が大勢存在する国々でもクリスマスを祝う様子を観察し、だんだん許容するようになってきたんだ。
ここに住んでから発見したのは、クリスマスや新年が冬至を境にしてだんだん日が延びる希望の節目の意味だ。
緯度の高い地域に住む人々が気分良く過ごせるように工夫したお祭りのひとつだろう。

とにかく、もう、12月は暗い時間が長く本当に気分が鬱屈してくる。日の出が午前八時近いんだぞ。
真っ暗な中を通学する小学生が気の毒になるくらいだ。
大昔のように毎日雪で大変、ということはないが、もしかしたら雪が積もっていたほうが外が白くて明るくていいのでは、などとも思ってしまうくらいだ。
香水やハンドクリームが入ったアドベントカレンダーを開きながら「あと何日で冬至がやってきて、だんだん日が長くなる」という楽しみをカウントダウンしている私。








ちゃんと記述しろ。クロワッサンを食べに行ったのに。

2018年10月29日 | ドイツ生活の外国
5,6年前にドイツ語コースで一緒のクラスだったチュニジア人女性S子さんとばったり会った。
「レストランをやるので来てください」
数年前は携帯電話の修理店をやっていたが、上手く行かなかったのか。
三人の子供のお母さんでもあるS子さん、旦那さんとその仲間とレストランをやるそうだがやはり大変だろうな。
もらったチラシはこちら。
下のほうに「9時から朝食、手作りクロワッサン」と印刷されている。

これを目当てに仲間と一緒に午前10時に行ってみた。

ところが、入り口にはまだ鍵がかかっていて中は薄暗かった。
「ええ~、9時からって書いてあるのにぃ~」

少し様子を伺っていたら中に人がいるのを発見、ドアを叩いて呼んだ。
私に気づいたS子さんは快く私たちを店に入れてくれた。

「クロワッサンはありますか?」
と尋ねると、
「まだ朝食までできる余裕がないんです」
と答えていた。だったら、オープニングの広告に載せるなよっ、って思うのは日本人だけかもしれない。

一緒のふたりはポーランド人。彼女らは「お茶だけいいかしら?パンはそこのパン屋で買ってきてここで食べていいかしら?」と堂々尋ねた。
S子さんは快くそれを許可した。
凄いよなぁ、事実と違う広告、それにめげずドアを叩いて開けさせ、クロワッサンがないと知り、持ち込みで食おうと言う根性。
お互い何を要求し受け入れられるか否か話し合う態度を日本以外の生活では身につけたほうがよいと、こういう経験をするとつくづく思う。

すでに成人している息子娘を持つこの二人はドイツ在住30年以上だ。
私のために彼女ら二人で話すときもポーランド語を避けてドイツ語にしてくれる。
日本人にはなかなかできない気遣いかもしれない。(っていうか、日本人同士で外国語で話すのってかなり抵抗がある)
手前のJ子さんは先月長女が医学部に入学した。なんだかんだ言っても、自分の子供が医師になるのは嬉しいだろうな。J子さんは決してそういうことを他人に得意げに話す人ではない。

11時半ごろ、本格的な商売時間が始まる頃に私たちは席を立った。S子さんの旦那さんが席にやってきて料金を請求した。(大抵のレストランは店員が客の席で代金を受取るドイツ、または欧州)
一人250円ほどのわずかな収入だ、ごめんよ~。クロワッサンがなかったからだ!
その代わり、私たちはその虚偽の広告をたくさんもらっておいた。知人友人に宣伝してあげるためだ。

効果はたちまち出た。
新しい私の知人、台湾人のX子さん(在独8年、ドイツで大学を卒業、そのままこの街の大企業A社に就職)にこのチラシを渡したら、早速行ってみたようだ。

X子さんから送られてきた画像だ。
「まだ献立表がないそうです」
だそうだ。メニューはこのクスクスのみ。

軌道に乗るまでもう数ヶ月かかるのだろうか。
はやく手作りクロワッサンを食べてみたいものだ。



実家はでっかいマケドニア人

2018年09月23日 | ドイツ生活の外国
セルビア人友人一家を通じて知り合ったマケドニア人一家。彼らは国籍は違うが言葉は共通なのだそう。

19歳の長男は大学進学のために母国の学校に通わせ、夫婦と長女でドイツに働きに来た。
在独約2年。旦那さんは凄まじくハードな仕事らしいが、稼げるという点で満足している様子。
奥さんT子さんはスーパーの仕事をしている。長女は来月11歳の誕生日を迎えるが、夏の帰省時に祖父母からの誕生日プレゼントをもらった。

うさぎ。
街のど真ん中の充分広いアパートの自室で、大きなケージに入れて飼っている。

暮らしぶりも普通で、食生活など贅沢だ。
ウチのような質素なものではない。

夏休みに一家で帰省していたときの写真を見ると凄まじい。
プールつきの親族の家。自分自身の実家も豪邸。(日本の首都圏の普通の家屋との比較。あるいは今の私の住まい・・・じゃあない、義両親の家との比較)
去年もそうだったが、3週間帰省して、そのうち一週間はギリシャの海辺でくつろぐという贅沢。

ドイツに働きに来ると、贅沢な暮らしができる、というわけだな。
夫婦二人とももともと貧しい家庭に育ったわけではない。実家と親族の家が大きいのはもともと大きくて、彼らが働いて送金しているわけではないらしい。
外国に働きに行く、という発想や行動ができるのは、ある程度の経済力や教育がないと難しいようだ。
(一部、物乞いを生業にしている外国人は違う雰囲気をさせているが)

難点は長女だ。
8,9歳の時点でドイツへの移住だ。
能力のよしあしにかかわらず、母語とドイツ語を操るのは可能になるが、双方の言語の読み書きなどをきちんと教育するのは親の努力や本人の才能にかかわってくる。
学校では遅れているらしく、親は心配している。

まず金を稼ぐのが重要と思っている家庭は世界中に多いのだろう。
そうだ、教育はお金がかかる。母国に残している長男はマケドニアではなく、もっと安全な国の大学で勉強させたいと言っていた。

外国生活の不自由さを満足させるために、長女をうんと甘やかしている両親。
10月には11歳。気難しくなる年齢はもうすぐだ!
離れて暮す長男も、甘ったれの長女も幸せに暮して欲しい。





本格中国料理を簡単に食べられるようになってきているようだ。

2018年08月17日 | ドイツ生活の外国
台湾人友人宅で中華まんじゅうをごちそうになった。

二ヶ月ほど前に開店した中国料理レストランで買ったものだそうだ。
やや小ぶりだが、非常においしかった。別の台湾人宅で一緒に手作りしたものとほとんど同じ風味だった。
工場生産などはまだ無理なここ、従業員が毎日作っているのだろう。

持ち帰り専門店だそうで、店内にはテーブルと椅子は僅かしかないのだそう。
価格表によると、このまんじゅうは1.50ユーロ。約200円。中国、台湾、マレーシア、シンガポール、ベトナム、韓国、日本など、中華まんじゅうを普通に食べられる国々から来た人の感覚では高すぎるだろうが、ここの生活だもの、1個だけ食べたいときには非常に安いと納得せざるを得ない。

更にこの献立表をみていたら・・・あれ?昨日書いたあの豆が??

ええ~、中国にも枝豆があるのね。毛豆、って・・・うん、確かに、サヤに毛が生えているのでそれはとても正確な表名付け方だと思う。いや、下に「Edamame」とあるので、日本の食文化が周辺国に伝わったものか?もう、その辺りをはっきりさせようと思うと、お互いが主張して「お前の国がぱくった」とけんかになるから止めておこう。
ここはドイツ。とにかく、遠いアジアの食文化だ。





語学学校の公開日、中国茶道は簡素でよろしい、ここでも仮装はやっぱりアリ。

2018年07月23日 | ドイツ生活の外国
半年ほど前に知り合った中国人L子さんが、彼女の勤務先の語学学校の催し物に招いてくれた。
さまざまな企業や学校などで一般公開日があるのはその宣伝のためである。

中国北部出身の女性たちは背が高い。彼女もそうで、太い縞柄のワンピースがとても似合っていた。
彼女はここで衣類の大きさが合わないくて困ることはないだろう。
インゴルシュタットとその周辺の中国人、あるいは中国語が母語の女性グループの世界は狭くて、L子さんと私は共通の知人友人が複数いることに驚いた。
この中国式茶道も、私は何年も前から台湾人に教わっていたものね。その台湾人とL子さんも付き合いが長いことを知った。

中国茶道の解説。素晴らしく簡素でよろしい。欲を言えば、もっとお茶碗を大きくして欲しい。一口で終わってしまうのは、やはり茶道と呼ばれるところの上品さから来るものなのか。
実家近所のスイス人B子さんが、日本茶道の面倒くささに怒りをぶちまけていたことを思い出す。(ちなみにウチの夫も日本の茶道が好きではない・・・)

お茶の隣には書道コーナーがあって、道具が用意されていた。撮影し忘れた私。なんてったって、見慣れた物資だったから。
まあ、我々が似たような文化を持ち合わせているのは地理的に近いので仕方がない。
お、でも、この漢字成り立ちの解説、馬と鳥は「そこでストップ!」と叫びたくなるような。中国人の間でも、むやみな簡体字化に疑問を持っている人がいると聞いた。

もちろん、この語学学校は他の言語も教えられている。ドイツ人がドイツ語授業に出席しているそうな。どういうことなのだろう。機会があったら尋ねてみたい。日本語コースも半年ほど前に開設されたようで、漫画・アニメファンの若者が嬉々として学んでいることが想像できる。いや、あまりの文法・文字の違いに辟易して半年の間で投げ出しているかも?!
ドイツ人が大好きな仮装。

イタリア語を学んでいる彼がローマ時代の兵士に扮装して練り歩いていた。
こちらの日本祭りで見かける手作りの、どちらかというと安価な感じのする仮装と比較すると、これはかなりしっかりしていた品だ。
甲冑部分は柔らかいプラスチック製。
まっすぐな脚とひげをたくわえたちょいと濃い顔の彼によく似合っていた。




豚を見たことがないアフガニスタン人には熊も豚も同じに見えるらしい。

2018年07月22日 | ドイツ生活の外国
アフガニスタン人難民Sさんが、何気に置かれているぬいぐるみのひとつを取り上げて、私に尋ねた。
「これは豚でしょう?」

ひゃっ!
イスラム教徒が100パーセントに近い国では、豚を見たことがない人々がいることは知っていた。
それが、今、目の前にいるんだ、とちょいと嬉しくなった。
「ははぁ~、Sさん、それは熊ですよ。豚は鼻が違うんですよ。見たことがないんでしょう、豚を」
と私は答えた。
すると、隣にいたSさんより少々在独期間が短いと思われる(ちょいとドイツ語が下手)アフガニスタン人男性が私に言った。
「僕は知っていますよ。一週間だけだけれど、毎日切っていました」
へ?切っていた?一瞬わからなかった私。
精肉工場、あるいは肉屋で働いていたのだろう。
「なかなか上手だ、って褒められたんだ」
ですって。
褒められたのに、一週間で辞めてしまうなんて、もったいない。
政府から支給される手当で今後の人生をここでブラブラしながら生きるのか。

大方のアフガニスタン人は、豚・アルコール飲料に接触することや、女性と一緒に仕事をすること、などを受けている様子だ。中には麻薬に溺れているアフガニスタン人も多い(豚や酒、女に溺れている人はあまりいないらしい)。
生きるために、他文化を受け入れなければならない彼らだ。
数十年すれば、彼らは彼らのやり方を主張し始めることだろう。
豚のぬいぐるみ・貯金箱もちゃんと見分けて、自分らの子供に与えないようにするだろう。
今のうちかもしれない、我慢のしどころだっ。







呼ばれるばかり、私は招くことがほとんどないことに気づいて愕然。ま、義両親同居だしぃ。

2018年07月09日 | ドイツ生活の外国
妊娠をきっかけにより広い住宅に引っ越した知人宅を訪問。

招かれたのは中国人と台湾人と私。
下の画像は豆腐なのだそう。チーズだと思って食べたら不味かったのでそれを伝えたら「豆腐だよ」と言われた。
豆腐と思って食べれば旨いと思えるかな?ちなみに、私は五香粉が大好きだ。

あとから来た中国人がアルコールフリーのシャンペンを持って来た。
それを開けたら、一気に噴出して床と新品ソファが汚れてしまった。


定年退職者たちがボランティアでドイツ語を教えている会場で知り合った難民トルコ人C子さん宅に招かれた。
私の他に来た女性たちは、C子さんが毎日通っている強制ドイツ語講座(インテグレーションコース)の仲間だ。

在独2、3年の彼女らで、文法的にはかなりおかしいドイツ語でも言いたいことをバンバン言うのでうるさいくらいだった。

トルコ人、アフガニスタン人、フィリピン人と私。彼女らを指導するドイツ人女性教師も来ていた。先生も大変ね。
フィリピン人は難民としてドイツ入国より、ドイツ人男性の妻としてやってくることがいまだに多い。(30年ほど前はとても多かったそうで、現在多くの彼女らは年金生活者になっている)

明日、招かれているのは別の中国人宅。

一般的に大陸中国人の家の中はすっきりとして上手に使われていることが多い。
台湾人はちょいとごちゃごちゃなことが多い。(汚いと感じる台湾人宅2軒アリ)

こうして、かなり頻繁にいろいろな在独外国人に招かれるのは嬉しい。
だが、最近はそれに疲れてもいる・・・
手土産に何を持って行ったらいいかとか、早すぎることなく遅れることなく到着することに神経使うこととか。
上のトルコ人の家までは、たまたま彼女と同じコースに通う近所のアフガニスタン人の車に乗って出かけたが、帰りは「買い物するから、途中までしか行けない」と言われ、ちょいと困ったりした。
ああ、面倒だ、と思うこともしばしば。

招待を断って義両親たちとずっと家にいるのも辛い。
求人広告に応募してみても、全く反応がない。
もうしばらく、招かれたらせっせと出かけることになるだろう。

招き返すのがここでも流儀だが、私はまったくと言ってもいいほどやっていない。
義両親の都合を考えなくてはいけないのは面倒だ。「勝手にやってよろしい」とは彼らは言っているが、昼食時に私の来客を招くために台所を使うのは無理だということは明らかだ。
また、残念なことに義両親たちと夫はイスラム教徒が好きではない。夫など「シンガポールはイスラムの国だから危険だ」と思っているのだからもうどうしようもない。
物理的にも、ウチが非常に交通の便が悪いので、ちょっとお茶に来ることさえ難しい。

まあ、今、招いてくれている知人たちも、そのうち育児や定職などで忙しくなり、私を招くことなどしなくなるだろうから大丈夫、と見ている。












ソマリア人による女子割礼廃止運動の講演

2018年07月05日 | ドイツ生活の外国
おそらく、わからないだろうと思って参加した。
やはり、聞き取れない単語が多すぎで、予習して出席したにもかかわらずほとんどだめだった。
講演者はソマリア出身で、実際女子割礼を受けた、という現在52歳の女性だ。
16歳のときにドイツに移住してきたそう。どういう関係でドイツ移住となったのだろう。やはり、難民として入国したのだろうか。そういえば、ソマリアも長く混乱している国だ。ああ、ドイツ語力の低さはブログで報告することも困難になる。

来た人々は二人を除いて全員女性で約30名。
重い内容の講演だっただろうけれど、後半はソマリア支援活動の報告会のようになっていた。

ドイツだけでなく、欧州各国、また日本だってかなりの額を援助しているはずだ。

それでも、そこに住み続けられなくて欧州に移住してくるのだから、今までの援助はいったい何だったのだろう、と思ってしまう。

集まっているドイツ人たちは難民に対して肯定的なのだろう。
武器を製造して売ると、そのツケは回ってくる。
街を歩けばドイツ語会話が聞こえないくらい外国人だらけのこの街。

多民族国家として、末永く上手くやっていって欲しいものだ。






嫌われる難民

2018年06月07日 | ドイツ生活の外国
難民と個人的に知り合うと、彼(彼女)が難民であることというより、ひとりの人間として無意識に観察する。
アフガニスタン人難民Sさんなどは、何度もブログ記事にしているように非常に評判がよい。彼に「出て行け」と感じるドイツ人はいないだろう。

さて、同じアフガニスタン人でこういう人物がいる。

画像左、寝転がっているのはアフガニスタン人難民N30歳。
モザイクをかけているのでわかりにくいが、Nと話している彼女はドイツ人女性80歳。
Nは、ソファに寝転がりながら自分の親よりも年上の人物と話している。非常に奇妙な光景だった。
「アフガニスタンは女性の権利がありません」
と、はっきりSさん(評判のいいほう)が断言していたことを思い出した。
そうか、このNは、女性を見下して寝転がって話しているのか?あるいは、語り合うほど親しくなるとアフガニスタンではこういう姿勢でも良いのか?
またはNがドイツの生活で似たような光景を目撃して、自分も許されると思ったのか。

Nが帰ったあと、ドイツ人80歳B夫人は憤りながら私に言った。
「まあ、あの男はひどい格好だったわねっ」
そうか、やはり、彼女も我慢していたのね。
「頭は良いけれど、話す内容がいちいちいらだたせるわねっ」
私も同じ風に感じているんだ。Nと一緒に話していると、普通の会話でもムカムカしてくるんだ。
彼の話すドイツ語のアフガニスタン訛りがそうさせるのかとも予想していたのだけれど、それだけではない。
職安には就業するように指導されていて、何度もさまざまな事業所に数日試しに行っているのだけれど
「あれは僕には合わない」
と、まともに仕事が探せない。
その話だけでも、普通のドイツ人、在住外国人は苛立つだろう。
その上、あの性格では周囲の人々になんとなく避けられて「なぜ自分はうまく行かないのだろう」と感じているに違いない。
「人前で寝転んで話すなっ」
と、彼に指導したところで、彼にはどうしてそれが悪いのかさっぱり理解できないのかもしれない。
逆切れが怖いので、誰も注意しないだろうが。

いつぞやは二人きりのとき、下半身に関する現在の状況を言われ、恐ろしくなった。
「〇年やっていないんだ」
そんな話、普通にするのか、知人程度のアフガニスタンの女性と。しないだろう?
同胞ではないからとバカにされているのか(日本人を初めとするモンゴロイド種の我々は世界各国でバカにされる傾向にある。アフリカでもそうらしい)、西洋ではそんな会話が許されていると思っているのか。
アフガニスタン人難民男性、単身でここに在住している多くは独身で、恋人や配偶者を見つけるのはちょいと困難な様子。
ましてや、こんなNに興味を持つ女性などいるわけない。
帰れよ・・・
と、思っているのは私だけではないはずだ。難民に対する偏見ではなく、N個人がここに相応しくないと感じるからだ。
でも、滞在し続けることができちゃうのだろうな。
ああ、天国のドイツ。
ドイツ政府よ、せいぜい頑張ってくれ、と考えると、ちょいと気持ちが楽になる。所詮私にとっては外国、という諦めさ。
















無料食事提供縮小されたらしいインゴルシュタットイスラム寺院

2018年06月02日 | ドイツ生活の外国
今年も行ってみたイフタール。イフタールについての過去記事はこちら イフタール2017
この去年の記述には、トイレがひどかったことが書かれてある。
今年は別のモスクに行った。そこのトイレは素晴らしかった。床が光っていた。トイレの床を光らせるって

いや、壊れているのか改修したときに残しておいたのか、そんな一部もあり。

便器の形状が面白い。

去年のモスクでは、断食月中の無料食事配布をしなくなってしまったのだそう。
信徒の寄付でモスク運営がなされているのだろうから、できなくなる可能性だって大有りだ。
下の写真は二年前のものだ。今回は食卓で何となく雰囲気的にカメラを取り出しにくかった。
ドイツ中のモスクには主にトルコ人が集っているのだろうが、ここ何年かで急激に増えた各国難民イスラム教徒も来るようになった。
仲良くしているアフガニスタン人難民Sさんも来ていた。

食卓で隣に座った2歳と0歳の子供を連れた女性と親しくなった。アフガニスタン難民だそう。
食事を終え、外にでて彼女の旦那さんを待っていたら(イフタールの食堂は男女別室)私の携帯電話が鳴った。
「Sさん!私はここにいます」
と、手を振りながら彼に合図した。
新しい知人とその旦那さんは、Sさんと私を夫婦だと思ったらしい。
あとで、Sさんは私に嬉しそうにそう報告したんだ。おいっ。喜ぶなっ。
結婚したくてたまらないSさんは結婚していると思われるだけでも嬉しい様子。
彼は散々彼の神様に願っていることだろう!「私に妻を与え給え」

夕焼けを背景にしたミナレット。
多民族国家ますます激しくなるドイツ。いや、西欧州。うーん、日本もそうなのだろう。世界の民族入り乱れ促進運動がなされているに違いない。

断食しない自由もある様子。

2018年05月25日 | ドイツ生活の外国
数ヶ月間ドイツ人宅に住んでいたアフリカ人A君20歳は、役所の指示で難民住居に引っ越した。
久しぶりにそのドイツ人宅で彼と逢って、嬉しかった私。
ドネルケバブをおいしそうに食べていたので尋ねた。「Aさんの宗教は何でしたっけ?」(嫌味じゃあなくて本当に忘れてしまっていた)
「イスラムです」
このように、断食期間でもまったく関係なく普通に過ごしているイスラム教徒は普通にいるようだ。
新興宗教を除き、すでに広まって長い期間を経ている宗教にはそれぞれの解釈ややり方を普通に認めているような部分があるのを感じる。
今年初めに出産したエジプト人A子さんも今年は断食なしだ。体力をを消耗する乳児の子育てだ。そんな時期に断食を強制されたらたまったものではない。
ドイツ人D子さんの旦那さんはドイツ人で、彼は数十年前にイスラムに改宗したそうな。
ここ数年は、高齢で体力がなくなり、断食はしなくなっているそうな。これはイスラムの経典には例外としてないと思うのだが、どうだろう。
トルコ在住者のブログに断食が始まると死者が多くなる、というのを読んだことがある。すでに高齢で断食には耐えられない体力なのに無理をしてしまう人もいるのだろうな。そうやって人口の極端な高齢化を防ぐ目的がイスラムにあるとしたらそれは凄い考えだ、とも思ってしまう。イスラムができた時代は戦乱が絶えない世の中で、その中を高齢者が生き抜くのが大変だったのを考慮したのかも?

くつろぎすぎな姿勢で携帯電話操作に夢中なA君。

ドイツに来てからイスラムについて思考することが非常に多くなった。
日本在住時よりイスラム教徒と日常的に接するので、必然的にその知識を得ざるを得なかったからだろうな。
しかしながら在独30年の台湾人S子さんは全く知らない様子だった。トルコ食堂で「豚肉の料理はないですか」と屈託もなく尋ねていたので私がたまげてしまった。
ここぞとばかりトルコ人親父さんは自分たちの宗教について彼女に説明していた。
現在の西欧州生活はイスラムについての知識は必須かもしれない。
もっとも、イスラム教徒との接触がまったくなく生活することも可能だ。義両親などそうだもの。
「トルコ人はいつも女性を後ろについて歩かせる」
とイスラムの女性蔑視を蔑視する発言を義父はしていたな。もしかしたら先を歩かせるのは危険だから、という配慮かもしれないのにね。








ドイツ人女性と結婚したいイスラム教徒も断食月を守っている。

2018年05月18日 | ドイツ生活の外国
全世界のイスラム教徒の断食月が始まった。

こんな画像が私に送られてきた。ドイツ語で書かれている。大きく「ラマダン」とある下の単語の意味は何だろう。
「Vergebung」辞書には」1赦し、容赦、2授与、譲与ってある。1の意味ってとてもキリスト教的な印象。もしかして、2?
イエスの行った奇跡や処女懐胎、三位一体の神など御伽噺のような物事を受け入れなければならないキリスト教と違い、イスラムはかなり簡単だ。
理解は簡単だけれど、ひと月にも及ぶ日中の飲食を断たなければならない義務はいささかきついかな。一神教はどれも難しい面が多すぎる。

アフガニスタン人難民のSさんも「明日から断食だ」とちょいと憂鬱そうな、でも張り切っているような、どちらとも取れる口調で私に話しかけてきた。
「ドイツ人女性と結婚したいです」
彼の結婚願望はよく知っている。ひと月まえには日本人女性じゃあなかったかい?そう揶揄したくなったところを抑えて尋ねてみた。
「結婚する彼女にはイスラム教徒になってもらいたいでしょう」
彼の答えはこうだった。
「いえ、信仰は個人の自由です」
この答えには驚いた。私の知る限り、イスラム教徒と結婚する多くの女性は改宗しているからだ。
「では、宗教の異なる二人の間にできた子供たちはどうしますか」
この答えにも「子供自身が選ぶべきです。イスラムは強制させる宗教ではありません」
そういえば、ここドイツで何組かの異教徒夫婦を知っている。旦那さんはイスラム教徒、ドイツ人の奥さんはキリスト教徒。
Sさんはそんな夫婦をもっと知っていて、別姓・・・じゃあない、別宗教家庭がうまく行っている例に感化されているのだろう。
「アフガニスタンのご両親はそんな結婚を許さないのでは」とも攻めてみたが、イスラムも地域や個人の考え方に非常に違いがあるようだ。イスラム教徒になってくれれば嬉しいだろうが、強制するものではない、という考え方が根底にあるようだ。

一つ屋根の下、別宗教は苦しいだろうけどね。屋根の下位のレベルだったら折り合いをつけるのが簡単なのかもしれない。
ひとつの国家にイスラムと別宗教が混在する困難は有名すぎる。
ひとつの国家に存在しなくても、わざわざ遠征して喧嘩していた時代もあったことだし。

二週間ほど前に台湾人と一緒に入ったトルコ食堂を外から観察してみた。
この店の親父さんも断食しているのかな。奥さんが店の料理を作っているけれど、彼女は味見もしないのかな?

店のガラスに貼られた献立を見ていたら、こんなのを発見。

ワインがある。アルコール飲料の販売もしているのね。トルコでは普通に酒類が販売されていると読んでいる。
真面目なトルコ人ドイツ語教師がビールを飲んでいたシーンを思い出す。
彼らは「アルコールを酩酊するほど飲んではいけない」と拡大解釈をしているのかもしれない。
それぞれのイスラム信仰方法、万歳。








もうすぐ断食月、スーパーには断食カレンダーが置かれている。

2018年05月10日 | ドイツ生活の外国
トルコ人が経営するスーパーのレジの脇に置かれてあった広告入り持ち帰り用カレンダー。
断食月のお祈り時刻を記したものだ。

私にとって関心がある時刻は右から三番目の行だ。
日没の時刻で、インゴルシュタットのモスクで無料食事の配布が始まるんだ。
ほぼ毎年のように出かけている私にとって重要だ。
午後9時に食事をするのは、私の日常であまりないのだが、それはイスラム教徒にとっても同じだろう。
もっとも、断食月には日中一切飲食をしない彼らだ。子供の頃から断食する親兄弟を観察して、何となくやってみようかな、って動機で始めるのだそうだ。
イスラム教徒の断食も長年の慣れなのだそう。やったことない我々が真似するのは危険かも。
「断食は健康にいいです」と去年のイフタール(無料食事配布)でそばにいたトルコ人に言われたことがある。
むやみに食べ過ぎている我々も、食を控える時期を持っていいと思ったものだ。
さて、このカレンダーにはアジア食材も扱っているという広告が載っている。

以前はトルコからの食材ばかりだったのが、最近は移民・難民の客を見込んで各国の食材を販売しているようだ。
中央からやや左に、キッコーマン醤油らしきものが見えるぞ。
二年ほど前に、この欧州キッコーマン醤油1ℓボトルをもらったのだが、いまだに使いきっていない。
いかに、日ごろ日本食を食べていないか、自分で感動してしまった。
レジのお姉さんも、英語を駆使して客を相手している。黒い頭巾姿の肌のきれいなトルコ人だ。
英語を話したがるのはインド人と思われる人々、アフリカ人。
アフリカ食材もあるのか、この店?
インド系英国人のF子さんもこの店の常連客で、スパイス類や、チャパティ用の粉を買っているようだ。
そういうわけで、トルコスーパーも移民・難民のおかげで商売繁盛。

いよいよ来週火曜日か、水曜日からラマダーン。
その、どちらかまだはっきりしないってところが、緩い感じがしてよろしい。
「あれ?昨日からだったの?」とか一日遅れではじめるイスラム教徒もいるのだろうな。