怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

体力保持のために引きこもりたいと思う

2019年03月31日 | 交友関係
ブラジル人R子さんの誕生日会に招かれた。2008年か2009年のドイツ語クラスで一緒になり、それ以来親しくしている間柄だ。
私と彼女は全く違う性格だ。R子さんは女性の嫌な面(悪口陰口を言うが、その人物とは上手く付き合う、など)を多く持つのだが、それ以上に南米人らしい大らかさや朗らかさに私は魅せられている。
いつもは自宅で彼女の手作り料理を振舞ってくれるのだけれど、今回は面倒だったのかな、大きな中華料理レストランに行った。

こちらの人々がよくやる贈り物の形態。花に現金や商品券を添える。

ビュッフェで、食べ放題。手前は私の1度目の皿。飲み物は別料金。私のグラスには水。R子さんの招待なので私の負担はないのだけれど、水がいいんだ。ここの炭酸入り水はおいしい。
向こうに見える赤いジャケットの女性がR子さん。
長くお姑さんとの同居で悩んだ彼女だ。
「早くブラジルに帰れ!」
などという暴言をしょっちゅう言われていたらしい。
R子さんが白人と黒人との両親との間の子、という見た目も気に入らなかったようだ。人種差別は普通にどこでも存在する。日本人が差別されることだって例外ではない。
持ち物を切り裂かれたり捨てられたりすることも日常だったそうな。R子さん、よく精神が無事で10年以上同居したものだ・・・・
そのお義母さんは2年ほど前から具合が悪くなり、R子さんが面倒を見るようになってから和解が成立、仲良く1年ほどを過ごしたらしい。去年94歳で亡くなったと、このときに聞かされた。
「あなたが息子のヨメでよかった」
と、言われたそうだ。人はこんなに変貌するものなのだなぁ。
わたしはお悔やみの言葉を添えながら「これからあなたの人生ね」と誕生日らしい言葉も付け加えて言った。

何やら黒いアイスクリーム。食べてびっくり、黒ごまが混ざっていた。
ここでは黒ごまは非常に高価で、私はここに住んで以来めったに口にしていない。

隣の席には13歳女子。

お母さんはやはりネグロイド系のブラジル人。細身の素晴らしい美人だ。その娘はおそらくお父さんはコーカソイド。お母さんの美しさを引き継いだ将来が楽しみな子だ。
座っていると異様に小さいのに、立ち上がると私より背が高かった。

皆、携帯電話で記念撮影しまくりだ。
携帯電話のカメラ機能普及で、かつての(現在もだが)日本人のようにバンバン撮影しまくる習慣ができあがっている印象だ。

さて。
この誕生日会に行くのはひどく億劫だった。面倒くさかった。
だが、R子さんはここで古い友人だ。行かないわけには行かない。
義母は夜の外出を極端に嫌うので、彼女を説得したりするのも更に面倒だった。
「だれが車でここまで送ってくれるのかい?」などと凄まじくあつかましい質問をするので参った。
帰りの車まで誰かに頼らなければ外出するな、とは不思議な感覚の持ち主だ。まあ、R子さんのお義母さんのように私を苛めているわけではなく、真剣に心配しているのは理解しているのだけれどねぇ。

結局、行って楽しかった。
R子さんの旦那さんのテーブルには彼の親族のドイツ人が固まって座ってドイツ語歓談、R子さんのテーブルには彼女のブラジル人の友人たちでポルトガル語歓談。
東洋人は私一人。言葉や習慣の違いなど全く考慮に入れない招待のしかただが、ここに来てからずっとそういう扱いなので、これが自然なのだろう。
レストランが中華ってところで、私には嬉しかった。

翌日・・・
疲れと食べすぎで頭痛と吐き気に悩まされた。
やっぱり・・・・行かないほうがよかったか・・・・
その日は、また別の招待があり、早朝から連絡が来ていた。
「りすさん、今日は19時ね」
おいおい!急いで具合が悪いことを伝えたら
「頭痛薬を飲んで、水分摂取しなさい。二時間後に容態を知らせてね」
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!
普通、諦めてくれるんじゃなあいか!?
ああーーーー、た す け てぇ~



引きこもりたい・・・

2019年03月29日 | 奉仕活動
中高年の引きこもり対策記事を読んだ。
ドイツでそういう人々がいるかどうか知らないのだが、日本で起こりうるのは容易に想像できる。
一言で言えば、日本の人間関係は非常に繊細で複雑だからだと思う。

外出すると、日本の生活とはまた別の人間関係のコツがあり、それで疲れる。
彼らは強引だ。
それをなんとかやり過ごしたり断ったりするのにエネルギーが必要だ。
「どうして今日は寄付のパンがこんなに無いんですか?」と凄む東欧の女性たち。
初めのうちは丁寧に解説していたが、最近ではかなり高圧的に解説するようになっていった私。

「あの男性はあなたのことを盛んに褒めていましたよ、気があるのではないですか」とソマリア人の若者が私に言った。
日本だったら、この年代の男が初対面の年上の女性にこんなことを言わないだろう。
「私も彼も既婚者です。彼はとてもいい人ですが、気があるとかないとかのレベルの関係ではありません」
と、静かに答えた。

一緒にいた彼らのドイツ語指導をしているポーランド人女性は「明日、演劇を観にいきませんか」とたまたま居合わせたドイツ人俳優との会話で私を誘った。
初対面のドイツ人俳優(市所有劇場所属の舞台俳優)に「今公開中の演劇の安いチケットは無いか」とガンガン尋ねる勇気。いや、行くのはいいけれど「安い」って尋ねるのがそもそもその作品に出演している人に失礼なのではないのか。
尋ねられたその俳優もまったく臆することなくそれに応じて、すぐに関係者に電話で問い合わせていた。
すごいよな・・・
この大らかさぶり。

発する言葉の一言一言に注意しなければならない日本の生活、という印象だ。
「既読スルー」などという問題もあるそうじゃあないか。ここなど、放りっぱなしでもたいして気にしてくれないぞ。
私に執着しているウクライナ出身難民の女は「どうして返事をくれないのか」と凄んできたが。この、凄んでくるとことがまた日本とは違うところだ。もっと優しい調子で尋ねてくれよ!
そんなだから、返事を書く気になれないのだぞ、わかってくれよ、わからないだろうな、ちゃんと言わないと!

外出すると強敵ばかりのドイツ生活だ。
ウチに引きこもって数ヶ月休養したい、とときどき考えてしまうが、ウチにも強敵がいるのを忘れてはならない。
ちょいと昼食の食いつきが悪いと「具合悪いのかっ」と義母の攻撃。
ああ、悪いさー、少しはほっといてくれっ、と叫べば、この憂鬱な気持ちも吹っ飛ぶだろうな。

今日も明日も招待が続いている・・・面倒だ・・・・
成り行きで断りきれなかったんだ。まず、これだな。多少嫌われても、激しく断ることだな。
丁寧に断っても聞き入れない人々が多いここ、あることないことでガンガン行けない理由を主張しなければならない。
がんばれ、わたしぃ~~涙ぁ~








これは最強のケーキ

2019年03月28日 | ケーキ(Kuchen Torte)
小麦粉を全く使っていない芥子の実ケーキ。
おいしいが、一切れ食べたら胃がずっしりと重くなり苦しくなった。

数時間後見たら、義両親たちはふたきれずつ食べたようだった。

昼食時の食え食え攻撃はますます激しくなってきている。
先日は義母が洗濯で忙しいので私が昼食を料理した。もちろん、義母の指示どおりの献立だ。
私の好みのものなど作ってはいけない。
その私が作った昼食を食べながら、義母は食え食え攻撃をいつものようにかけてきた。
おい、おい、私が作ったのだから黙っていてくれ・・・いや、彼女にそんな論理は通じない。
私は年々少食になるのに(少食を目指しているのだが)義両親たちの食べっぷりは衰えない。
幼稚園に通っている頃を思い出した。あの頃は普段全く食欲を感じず、弁当の時間が苦痛でならなかった。
家でもそうだったので、親の食え食え攻撃が辛かった。たまにやってくる祖母には「こんなに痩せているからもっと食べなくてはならない」と言われて嫌な思い出だ。
それでもちゃんと餓死・栄養失調などにならず、ちゃんとティーンエイジャーの頃には適度に肉付きがよくなって、それからも無事に生きているのだから子供の頃の食欲不振は不安にならないでいいと思う。
とはいえ、子育て中の親になれば、自分の子があまり食べないのは気になって仕方がないのだろう。まあ、双方の気持ちがわかるぞ。
子供の頃のいやな思い出というものも人生に必要だと思うこの頃だ。周囲は良かれと思って本人に言っていたことなどなおさらだ。
ただし、大人になってからの食え食え攻撃は嫌な思い出というより単にイラつくだけのものだ。
やめろ、と言ってももう、やめられない年代の義両親に言う気にもなれない。嫌なことを言われ続けるのが家賃と思って耐えるんじゃー。

案の定、この凄まじく胃に重いケーキを一切れしか食べられない私に義母は食え食え攻撃をかけた。
以前のようにこっそり捨ててしまおうか、とも思ったぞ。
こんなにムダにケーキを作ることが環境破壊だと思うのだが、これまた義母には通じない論理だろうな。

朝食はたいていミルクティー二杯。
牛乳やはちみつを使っているのでそれなりにカロリーは摂取している。

義母には「水分しか摂っていない」と言われてしまっているけれど。

家にいるときは水分だけの朝食でどうにかなるが、たまに午前中に人と逢うことになると、腹が鳴って恥ずかしい思いをすることとなる。

だんだん行き付けになってきた街中のカフェ。
何か食べようと思ってメニューを見ると、かなり値段がするのでやめておいた。
珍しく、水が添えられた。これ、何?・・・もしかして、ここに来て初めての経験だ。注文していない水。
日本以外でもこういうことがあるのか?日本でもコーヒーに小さなカップで炭酸水が添えられていた経験がある。おしゃれ、って思ったものだ。この画像のはどうにもこうにも日本の食堂などの水の感覚だ。
しかも、前回までは水は出なかった・・・・店の人の気分で無料サービスなのかもしれない。

医療機関ではいつも長い待ち時間

2019年03月27日 | いろいろ
バス回数券を買いに近所の役所へでかけた。
ついでにウチの家庭医によって、定期健康診断の申し込みをした。もちろん、電話で予約をすることも可能だが、電話でのドイツ語会話に不安だ。医療機関はいつも非常に忙しく、ゆっくり話してくれ、というこちらの要望をすぐに忘れて早口になっていくんだ。

到着して受付に行くと、すぐに言われた。
「あとから呼ぶので、待合室にいてください」
おい、わたしは予約をしに来ただけだ、と言いたかったけれど、もう、反論さえ受け付けない迫力で話す彼女らだ。
まあ、どうなってもいいや、しばらく待ってどうにもならないようだったらこのまま帰ろう、と思った。
待合室には大勢いて、みなちょいとイライラしていた。
待ちくたびれたおじいさんが立って待っているおばさんに尋ねた。「いったいこれはどういうことかね、わしはちゃんと予約したのだけれど」
わたしも知りたかったので聞き耳を立てた。
「急患が入ったようなので、私たちは待たなくてはなりません。もうすぐ救急車が来て、患者を搬送するそうです」
なるほど。
救急車を呼ぶほどの急病なら、その患者は直接急患受付の病院に行ったらいいではないか、とも思った。もしかしたら、その人はそんな重病ではないと思っていつもの家庭医にやって来て、医師が診たら伝染性のある凄い病気だったのかもしれない。それで、来ていた予約患者たちを待合室に隔離していたのかも・・・
などと想像した。
まあ、そんなことがなくても今までの私のここの経験では、ちゃんと予約していても診察まで1時間2時間待ちは当たり前だ。
日本在住時にときどき「海外では待ち時間がない」と読んだ記憶があるが、それはどこの国の話だったか。または特別な高額医療保険に入っている人たちの話だったのかもしれない。
底辺近隣生活の私たち夫婦には関係のない話だ。
国民皆保険制度を発達させてしまっている国々は次々とそれが破綻しかけてきているようだ。
英国などは凄いらしい。
かなり具合悪くて医師の診察を受けようと思ってもそれが半年後だったりするそうだ。
運が悪いと医療を受けられずにお亡くなりになる運命の英国生活なのだろうか。
私の健康診断は5月半ばに決まった。約二ヵ月後。英国よりましだろう、と、きわめて満足・・・・って・・・・

近所の知人が定期健診で甲状腺結節が見つかった。近いうちに4,5日の入院をして放射線治療をするらしい。
義母が2016年に受けた治療と同じだ。隔離された部屋で、看護師たちとの接触もほとんどなく過ごす治療だ。
退院後しばらくは患者自身から強い放射線を発するので、子供や妊婦に近づいてはいけない。
義母は家に子供も妊婦もいなかったので普通に暮していた。私はガイガーカウンターを彼女に近づけてピーピーと警報音を鳴らせて楽しんだものだ。(義母は機嫌を悪くしていた!)
義母世代でなくても、甲状腺結節の可能性があるとかで、私もちょいと気になって健康診断を申し込みに行ったんだ。
まあ、待ち時間の2ヶ月でひどく悪くなるような病気があったとしたら、それが私の運命だと思って諦めるしかない。英国在住の人々もそのような心構えで生きているのかな。















13歳男児にアドバイスを求める

2019年03月25日 | いろいろ
テレビゲームが好きなティーンエイジャーの子供を持つ知人友人が何人かいる。
先日、その一人の家に訪問する機会があった。
午後二時に到着すると、すでに13歳の息子さんは家にいるようだった。
だが、いつもいる場所はいなかった。

テレビ周辺に積みあがっているその子が使っていた歴代のゲーム機、ゲームソフト、コントローラー。
なかには日本直輸入の品もある。ドイツ・台湾人夫婦の家庭だが、日本にも親族がいるんだ。
こんなに放りっぱなしにして、いったい、どうしちゃったのか、といぶかしんだ。もう、ゲームを卒業してしまったのか?

彼の母親である友人に尋ねると「もう、自分の部屋でやるようになったのよ」とのこと。
二階のその部屋に行くと、13歳男児はいつものようにゲームに熱中していた。他人の子でも少々心配だ。ちょいと、やりすぎなのではないか、と。もう一家庭、訪問すると女児がいつもゲームをしている例がある。一体、いつ勉強しているのか気になってしまう。
家庭用ゲーム機の大きな市場は日本・北米・西欧州が中心と書かれてある。
ドイツの子供たちが夢中になっているのは当然なのかもしれない。

さて、自室でゲームを許されることになった13歳に質問をした。
「射撃の上達の仕方」
が私が切に知りたいことだった。ゲームなど、ティーンエイジャーの方が絶対上手いに決まっている。練習方法なんて尋ねたところで「そんな方法はない」という返事になってしまうだろうと予想していた。
ところが、彼の答えは私の予想を超えたものだった。
「コントローラーは得意でないので使いません」
と、言われて、びっくりした。
彼の目の前にはモニターとマウス・キーボードがあって、それで操作をしていた。
なるほど、世の中にはさまざまな種類のゲーム機ががあるのだな、と知った。ゲーム歴わずか3ヶ月。広告などでそういった商品があるのは認識していたけれど、細かいことまではほとんど知らなかった。夫のフライトシュミレーションゲームに使うジョイスティックくらいは目の前の実物を見たけれど。

甥の2,3年前の誕生日だったか。お祝いのために訪問すると、甥M雄くんのお父さんからの誕生日プレゼントがゲーム機だった。
義父がそれを見て、盛大にため息をついているのをよく覚えてる。
ゲーム機は人生の敵、としている義父。
それを知っているので、夫も私も、私たちがゲーム機を所有していることは秘密になっている。
もっとも、ティーンエイジャーがゲームするのと、中年男女がゲームするのではまるで意味が違うだろうから、義父が知ったところでさして影響はないだろう。
最近何やら、りすは自室でテレビを見入っているようだが・・・・と思っているだろうな。
高齢者だって、ゲームが面白く感じる人はいると思う。PC操作より簡単なコントローラー。
認知症予防のためにゲーム、ってのもいいんじゃあないかと義父に勧めたくなるのをぐっとこらえている。














アニメ作品の人気は凄まじい

2019年03月25日 | 日本
映画館の前を通ると、こんなポスターが・・・

ひと目で絵柄が日本の作品と予想できた。
今更シンドバッドのアニメ化ってところがちょいと気になった。家で調べて、やはりその存在を知った
原作のストーリーなど、世界中に広まっている有名なものだ。どうして、そのアニメ化をドイツはやらないのだろう、と単純に考えてしまう。
「アルプスの少女ハイジ」などは数十回もここで放送されていたらしい。(日本のバラエティ番組で知った。出演者のタレントが「ドイツにはアニメが無いのか!?」と突っ込んでいて私は爆笑した)
数年前に、ここ欧州産のハイジが製作されたようだ。本放送当時、ドイツ語の訓練のために観た。

実写版も古くから何度も製作されているようだが、数年前に公開されたこれは素晴らしかった。

ところどころに当時の普通に暮す人々の様子があるのだが、それがまたひどく貧乏臭くて驚愕させられる。
貧しいドイツやスイスの生活。今となっては戻れないだろうなぁ。

ま、そういうわけで、世界各国で名作のアニメ化、実写化はされているということで、ちょいと安心!?

箱入りヨメ

2019年03月24日 | 
台湾人友人に招かれて、彼女の家族、友人総勢7人で行ってきた。

ドイツ在住台湾人音楽家によるコンサート。
気合が入った高レベルの演奏だった。台湾も子供の教育は熱心なのだろうなぁ、目の前にいる彼らがどのくらいの時間と金をかけられて育てられたのか、と想像した。
その結果が、親元を離れて外国生活だ。子育てにお金をかける意味はどこにあるのか、と思ってしまう人も多いかもしれない。
また、音楽家として生活するのは大変だ、という意見も聞いている。
五嶋龍さんのインタビュー動画をたまたまみていたら、彼がそんな風な発言をしていたんだ。親の七光り・・・じゃあない、姉の七光りで楽に売れているのではないか、と思っているのだけれど。

さて、コンサート会場はミュンヘンだった。
夜の遠出は基本的に夫や義母を非常に不安にさせるので控えている。だが、今回は7人でインゴルシュタットから往復するので文句を言われないだろうと私は安心してた。
ダメだった。
夫は「コンサートが終わったら電話をしろ」と命令してきた。
夫がミュンヘンの事務所から帰宅するのはコンサートが終わる時間より遅いことが多い。どうするんだ?

電話をすると、夫は「インゴルシュタットに着いたらまた電話をしろ」と言ってきた。
おい。
どうせなら、事務所からこのコンサート会場まで来ればいいのにねぇ。
他の6人にこの夫の面倒な性格を説明するのが苦しかった。

みんなで電車でインゴルシュタットまで帰り、私だけ夫の車に乗り込む後ろめたさ。
夫にはみんなを乗せてそれぞれの家にまで送り届けるような器用さはない。
まったく・・・

やはり、今後の人生、夫抜きの夜間遠出は控えることにしよう。
まったく、箱入りヨメ状態だ。まあ、仕方がない。
予想はできなかったが、私が選んだ人生だ。

ミュンヘンに向かう前にいただいた台湾人宅での飲料。

黒ごまドリンク。お湯で溶いて飲む。

おいしかった。
普段、日本食もアジア食材もほとんど口にしなくなっているの。たまに食べると本当においしい。











GYAO!

2019年03月23日 | ドイツ在住難民・移民
先日こんなコメントをいただいた。


このGYAO!というサービスは日本在住の頃から知っていて、ドイツ移住が決まったときも「これがあるから大丈夫」と思っていたものだ。
こちらに来て、初めて知ったのは以下の記述だった。


GYAO!サイト内のものである。
外国での視聴はできないということは2008年に知った。
もちろん、裏技のようなことは山のようにあるようだ。
当時も今もそうだが、そこまでして日本語の番組を観たいと思わないんだ。
利用料50ユーロの日本のテレビ放送視聴サービスも存在するが、もしそんなものを契約したら、私は一日中テレビを観て過ごす生活をしてしまうだろう。

多くの在住外国人たちも、ここで母国のテレビ放送を楽しんでいるようだ。
私のようなものは少数派なのかもしれない。
だからと言って、ドイツのテレビ放送を熱心に観ているわけでもない。
考えてみると、日本在住時もそんなにテレビを観なかった。単に、テレビを観るという行動にそんなに魅力を感じないのだろう。
そういうわけで、これからも当分、日本語テレビ放送には執着しない予定。

そういえば、電子書籍も日本で出版されているものは、外国から購入不能だった。(10年ほど前に検索)
これは今でも継続してそのようなのだろうか?
もう、調べる気さえ起こらないって、怠惰すぎ・・・・







考えてみると難民知人ばかりになっている・・・

2019年03月22日 | 奉仕活動
近所の難民一家の住まい。
いつもきれいにきちんと片付いている。そろえられている家具類も品がいい。

「なぜ義理の両親と住み続けているのですか?」
母国でさえ義両親と一緒に住むのは避けられているのに、金のある西欧州でそんな生活は信じられないのだろう。
「わたしたちは家賃が払えないほど低収入だからです。節約のためね」
と私が答えると彼女は言った。
「ドイツ人って、節約節約って、そればかり!私は我慢ばかりの生活なんて耐えられないです。」
なるほど。
難民といえども母国では豊かに暮していた人も多い。消費を贅沢に楽しんでいたのだろう。

先日、生活保護受給者のための食品配布場所を通りかかった。
私も同じような活動をしているが、対象は生活保護受給者でなく、一般の人々に配るものだ。外科医のドイツ人Sさん、教員のAさんなど、とても食費に困っていると思えない人々がやってくる。
ここは本格的な援助場所、とちらりと眼を向けながら通り過ぎようとすると、そこから一人の女性が私を追いかけて声をかけた。
一瞬のうちに「え?私って、生活保護受けている人に知人がいたかしら」とあせった。
自分の意識の根底に、そうした人々との交流があることを恥じているのか、とちょいと心が痛んだ。
彼女は去年のイスラム教断食中にモスクで知り合ったアフガニスタン人S子さんだった。
「ずっと連絡くれなかったけれど、元気?」
連絡くれないって・・・・私は何度もメッセージや手紙を送ったのに返事が無いから私が諦めたのに!
それを言いたかったけれど、母国では全く教育と受けていないと思われるS子さんだ。彼女らに返事を求めるのは難しい。
彼女のいまだにへたくそなドイツ語に少々付き合った。これまたへたくそな英語混じりなのでますます聞き取りにくかった。
「来週、娘の1歳の誕生日なの。来てもらえるかしら?」
再会のノリで、ついつい承諾してしまった。

ああ、面倒だ・・・・と彼女と別れたあと後悔した。
以前はこうしたお招きに喜んで行ったのに、だんだん出不精になってきているのを感じる。

彼女の家も、真新しい立派な家具とでっかいテレビがあった。旦那さんも奥さんも働いていない。こうして、食糧の援助をもらいに来ているのはそのせいだな。不思議な世の中だ。
崩壊しかけている家具と、予算精一杯で買った小さいテレビがあるりす部屋の貧しい光景と比較すると雲泥の差だ。


どちらかというと底辺生活をしている自覚がある私たち夫婦だ。
特にこの生活に不満は無いが、難民と呼ばれる人たちが見かけ華やかに暮しているのをみると驚かされる。
まあ、せいぜい節約とは縁なく暮してくれ。あなたたちはあなたたちの方法でやってくれ、という感覚になるドイツ。


S子さんと別れたあとに通りかかったレストランの看板。
え?日本語?

外から中を覗いている印象では、従業員たちは日本人でも中国人でもない印象だ。どうやって見分けるのか説明しにくいのけれど、なんとなくわかってくるものだ。
この「いただきます」の「き」の書き方が日本で育って教育を受けた人とは違うと感じた。

裏側はこんなふうだった。
「感謝」は中国語検定4級合格した私の知識によると中国語には確か無いはずだ。
また、この文字の印象も漢字を子供の頃から習っているものではない気がする。
そういうわけで、やはり、多くのベトナム人がやっている中国料理・日本料理の店と同様、この看板もベトナム人が書いたのかと予想した。
日本ファンなのだろうか。熱心に「君の名は。」などを観ているんじゃあないか、と想像すると微笑ましく思える。



欠けた皿

2019年03月21日 | 節約
外出先で用事を済ませた。
まだ昼まで時間があるのに、ちょいと空腹を感じたので珍しく一人でカフェに入った。普段は小腹が減るとパンを買って歩きながら食べるものだが、そのときは座って休みたくも思ったんだ。

このデニッシュ、おいしかったが私の身体には重すぎた。食べてからしばらく苦しかった。やっぱり、外食は危険だ。ちょいと気を許すとすぐに体調不良。
さて、食べ終えてからやっと気づいた。

この皿、欠けている。
2000年だったか、夫と知り合って、彼の両親(今じゃあ義両親)に逢いにきたとき一緒にレストランに行って、そこの皿が欠けていたのを激しく珍しく思ったものだ。
いまじゃあ、まったく感動しないがこのブログを読んでいる日本の人たちのことを考えると、いいネタだと思ってしまう。
家庭にもよるだろうが、ウチも欠けたりひびが入っている食器を平気で使っている。
危なくないのだろうか、とも思うのだけれど、今までそれで怪我をしたことはない。
日本も見習え、なんて思わない。きっと日本の人たちがこれを真似するとすぐに怪我をすると思う。
外食産業でこんな食器を使って客が怪我をしたら新聞記事になってしまうだろう。デリケートな日本の日本人の感覚と身体だ。
もともとの身体の機能、長い時間をかけて築き上げてきた生活習慣、気候などの違いで、単純に物事のある一部分をまねしようというところに無理がある。
サマータイム導入などがそのいい例だろうな。結局欧州も廃止の方向に進んでいるようだ。生活体力は完全に欧州人の方が上だ。弱い日本人はサマータイム変更時には体調不良者続出だろうと思う。1時間とはいえ、時差ボケが生じるものだ。

欠けた食器を平気で使えるのはけっして節約の心構えがあるからではなく、このくらいの欠損など、まったく気にならないのだろう。
日本人は気になって気になってしかたがない。私がそうなのだから。頂き物のきれいな飯茶碗が欠けてしまったが、処分する気になれずそのまま使っているが、やはり気になって仕方がない。完全でないから・・・
多少欠けてていても受け入れる心構えを外国生活では盛大に学べるものだ。わたしもまだまだ修行が足りない。











そろそろ義母の庭仕事開始

2019年03月20日 | 庭仕事
気温は低いのだが、太陽が出ると、その光が当たっているところは非常に暖かい。春本番だな。
庭の隅の野菜畑の準備も着々と進んでいるようだ。

温室の手入れをしている義母を盗撮。ここにはトマトときゅうりが植えられる。

太古の昔、欧州の男は狩に出かけ、女たちは育児と作物栽培に勤しんだ、と読んだ。
その遺伝子は今も伝えれているのか、義父より義母の方が庭仕事に熱心だ。

近所の知人に誘われて、20キロほど先の小さな街へ散歩に行った。

車で散歩に出かけるなんて、ウチでは贅沢な娯楽だ。
義両親たちは、ほとんど家にいるか、買い物・医者に行くくらいしか外出しない。私も次第にそんな彼らに影響されてしまって出かけるのが面倒になってきている。
誘われれば出かける、というひどい有様だけれど、まだそれを断るまでしないレベルにいるのが救いだな。
小川でくつろぐ鳥たちに本格的な春を感じた。



娯楽貧困に陥る外国生活

2019年03月19日 | 貧困
街中の古くからある小さい映画館。

こんなポスターがあって、ちょいと考えた。
うん、どうみてもイスラム教徒が多い国で作られたものではないな。イスラム教徒のヨメが来た家庭の物語?
いったいどんな内容なのだろう、と写真を撮って家に戻って調べた。
「Wo mit haben wir da verdient?」 
オーストリアの話。無心論者のお母さんの娘がいきなりイスラム教徒になった、という話のようだ。
非現実的なストーリーでないところがちょいと怖い。そんな家庭がいっぱいありそうな欧州だもの。
画像の雰囲気から、それほど深刻なものではなく、数々のトラブルを乗り越えてハッピーエンド、って予想ができる。
観てみたいけれど・・・どうしようかな。
DVDやブルーレイになったときに買う方が私にはお徳だ。何度も繰り返して観て、理解をしなくてはならないからな。最近は劇場公開からDVDになるのが数ヵ月後という速さなので、待ったほうがいいかもしれない。
ここの新作映画DVDは日本のそれらと比較するとかなり安い。映画館へ行くよりお徳だ。
まあ、日本語字幕、吹き替えが無いここの生活の知恵とも言える。映画館で映画を観るのは私には大きなムダ・・・
ここで買う日本原作ゲームも、音声は原語を残してあっても字幕が英語やドイツ語で難儀している。
一生懸命読めば、意味はわかるだろうが、日本語の男女での話し方の違い、年代、立場での違いを感じることができるのは日本語の特徴だ。それを楽しみたい。
読書、映画鑑賞などで著しく生活レベルを落とさざるを得ない外国生活。
覚悟の上で暮してはいるのだけれどねぇ・・・・

夫は日本在住時にも積極的に日本のテレビドラマを観ていた。
今でも、私の帰省時などに買い物を頼まれるのでしぶしぶ買ってくる。非常に高価で、パッケージが凄まじく頑丈で重い日本の製品・・・・

なのに、私には面白くないことが多い。日本のドラマは面白くないと思うことが多いのだがどうだろう?
夫はパイロットや航空機テーマが好きなのでこれを選んだ。パイロットになる女性の物語らしいが、私は最初の2,3話で根を上げた。
どうしてそう感じるのかいまだに不思議なのだが、大抵の日本のドラマは面白くない。観ているうちにイライラしてくることさえある。
せっかく大変な思いをしてドイツに持って来た数々の日本のドラマDVDは、時間がない夫と興味の無い私のせいでそのままになっている。



どこの国の人も受信料を払いたくない

2019年03月18日 | 奉仕活動
街中で見つけたこのスティッカー。

イラストはテレビ。上にアンテナがついているなんて、まるでテレビ発祥の頃の製品を描いているな。
上の文字には「受信料徴収強制?」、下の文字には「いいえ、けっこうです!」とある。
つまり、受信料支払い拒否を訴えたものだ。
まるで日本のN〇〇受信料支払いを拒むのと同じだな、と笑ってしまう。
ここにもN〇〇のような受信料を聴取する放送局があるのではなく、とにかく、テレビを設置したら受信料支払い契約をしなければならないらしい。
日本のように、戸別訪問で支払い契約をしていない世帯を見つけることもやっているらしい。
見つからないよう、テレビは二階の寝室にしか置いていない、という人もいた。
日本のように「N〇〇は観ない」などという理由は通らない。日本でもその理由は通らないが・・・
置いてあるだけで、契約義務が発生するのだろうか。
細かいことはわからないが、とにかく、このスティッカーのように払いたくない人々もたくさんいるんだ。
日本だけではないことにほっとしたりする。

南米在住時、バスに乗っていると乗客が窓からゴミを捨てる光景によく出くわした。
それが缶入り飲料だったりすると、捨てられたそれが道路に落ちるときにかなり派手に音を立てていたのを覚えている。
「経済的に遅れている国は人々のモラルも低い」と、このときばかりにははっきり認識してしまったものだ。
日本の日本人は窓から投げ捨てはしないだろうが、その辺に置いておくのはよくあるのにねぇ。

さて、数週間前の経験。
ドイツ人夫婦と彼らのティーンエイジャーの娘さんと一緒に彼らの車に乗っていたときだ。
そのティーンエイジャーのD子ちゃんはおもむろにリンゴをかばんから取り出すと食べ始めた。成長期だもの、人生で一番量を食べるだろうな、と微笑ましく思った。
数分後。
彼女は車の窓を開けた。あれっ・・・・と思った次の瞬間、彼女は残った芯の部分を窓から投げ捨てた。
驚いたの、なんの。
南米某国の人々に少々申し訳なく思った。経済的に発展していても、車窓からゴミを捨てる人はいるものなんだ・・・
この家族は経済的に困窮しているわけでも教育や教養が無いわけではない。
夫婦とも学校の教員、三人の息子娘は高等教育を受け、長男は外国駐在生活だ。

ドイツの道路わきは、日本の感覚と比較するとゴミだらけだ。
外国人が多いからだろう、と、日本人在住者は誰しもそう思うに違いない。いや、ドイツ人自身も、この道路の汚さを作り上げている事実をみたのだから、もう、今後一切そう思ってはいけない。

用事を済ませて帰り道、D子ちゃんは再びリンゴを食べ始めた。
う。また、捨てるのだろうか、窓から・・・
彼女は食べ終わると、前の席に座っている母親にそれを渡した。
母親は、娘と同様、窓を開けると、何のためらいも無くそれを道端に捨てた。

日本で生まれ育った日本人には信じられない光景だぞ。
ティーンエイジャーばかりでなく、その親まで走る車の窓からゴミを捨てる。

日本で育ってよかった、と思った一瞬。
いや、その感覚ももしかしたら違うのかもしれない。ゴミは窓から捨てていいのかもしれない。
税金で道路を掃除しているんだ、納税者は我々で、道路清掃をする人に仕事を与えているのだから理論的に上手く機能しているって考えられないか。

次第に混乱してくる外国生活。
私は窓からゴミを捨てるようになりたくない!









クール日本語

2019年03月17日 | 日本
閉店した店の前を通りかかったら、こんな子供用衣類を見つけた。

忍者は将軍やサムライとともに昔から欧州で人気だな。

最近は「郵便番号」も好まれているのか。

この間抜けな感じが日本の日本人に受けるのではないか、と予想。
ドイツみやげにこんなTシャツがいいかも、って思った・・・・

手洗いするのも遠慮がちに

2019年03月16日 | 衣類の工夫
天気予報によると、来週からしばらく最高気温が10度を超えるとある。
冬物をしまいこむのはまだ早いが、少しずつ洗濯して保管しようと思いついた。まずは手袋や帽子、スカーフなどの小物からだ。
いまだに洗濯機使用を禁止されている私だ。手洗いすることには制限をされていないはずなのだけれど、どうしても遠慮がちになってしまう。
義両親たちがいないときにさっさと洗ってしまうことも多い。今日は堂々、彼らがいるときに洗ってみた。

中央手前に位置する円柱の物体は脱水機だ。これが存在するおかげで手洗いが非常に楽に住む。
ここの生活で二度ほど、洗濯機を使わず手洗いをする人の話しを聞いている。洗濯機がいくら発達しても、手洗いには敵わない部分があるのだそうだ。手洗いの方が生地が傷まない。
私もそれを痛感している。特に、ここでは自分に合うサイズや好みの衣類を見つけるのが難しいので、日本から持って来たもの、ここで見つけたお気に入り、頂き物を大事に使っている。
洗濯機を使えない生活は、偶然にも衣類を長持ちさせなくてはいけない環境にぴったりあっている、ということになった。
いまじゃあそれほど不満ではない洗濯機使用禁止生活。
生活レベルを落とすのは非常に難しい、と読んだことがある。いや、できるものだ、と断言しちゃおう。

ここ数ヶ月は、下着のパンツも手洗いのほうがいいと発見。
日本から持参した貴重なパンツを義母の洗濯機洗いに任せると、だんだん色がくすんで、しかも縮んでくるんだ。
洗面所で4,5枚を手洗い用せっけんでさっと洗うのは、長々と2時間近く洗濯機の中でぐるぐる回っているよりよっぽど生地が傷まないのは明確だ。
そういうわけで、最近は手洗い仕事が増えてきた。義母には遠慮しながらせっせと手洗いを楽しんでいる。

義両親との昼食の献立のひとつ、芽キャベツ。

まず、茹でてから、そのあと油で炒めてパン粉を絡ませる義母。炒める前に私は自分の分を4,5個自分の皿にとることをすでに10年くらいやっているのだけれど、いまだに義母は「なぜそんなことをするんです、油とからめたほうが絶対おいしい」と毎回毎回、私を非難するのだからたまらない。
高齢になると、絶対他のやり方を認めないという脳になってしまうのだろうか、不思議でならない。

さて、その食事中の義両親たちの会話。
義母は「そんなにひじを上げないでスプーンを使いなさい」と義父に言った。
視界の片隅に義父の様子が見えていたので、義母の言葉にはっとした。義父はなにもわざと無作法をしたわけではない。きっと体調が悪くて、いつもの食事の動作ができないのだろう。
義母はそれを察しできなかったのだろうか。あるいは、身内であるという気安さが相手の体調など考慮しない発言に至ったのだろうか。
案の定、義父は「こうしないと、痛いんだ」と答えたので痛ましかった。
そんな答えが返ってきても、義母はあれこれその動作について言及するのでさすがの私もちょいといらついた。
「年とることをそんなに批難してはいけない」と叫んでみたかった。そんなことを言うのもまた、無作法なような気がしたのでとりあえず黙っておいた・・・・

夫もちょいと気になる発言を私にする。
太ももをもっと太くしろ、という要求をするんだ。日本で知り合った頃と今ではそんなに体型が変わっていない。
なのに、ここ数年、激しく「太れ」とうるさいので参っている。
義父の変化した食事での動作と同様、女性の体型について「こうなれ」というのは非常に難しいことを世の中の男性たちに知ってほしい。せめて、太ってしまったのを痩せろ、というのはどうにか努力で改善できるかもしれない。健康維持にもそれが必要な場合は多いだろうし。
もともとやせ方体型を太くするのは困難なこと、しかも、年齢がすすんでからはますます大変であることを認識して欲しい。中年太りの可能性を彼は期待しているのだろうか。太ももだけ太くなればいいが、確実にそれ以外の部分にも脂肪が付くと予想できないのだろうか。
そうして太ることが健康にも影響してくる危険も考えないのか。「もっと食べろ」と義母と同じようなことを言う夫だ。消化能力を超えて食べる危険を訴える私。彼を喜ばせるために無理して食べて翌日下痢しているという事実を知らせているけれど気にしていない様子・・・

そういうわけで、家族といえども、ちょいと気をつけて発言しなくてはならない・・・
って、ここの人たちにそんな繊細な感覚を求めることに無理があったか。
繊細な感覚が無いので、わたしはここで言いたいことをかなり言って、日本より精神的に楽な生活をしてることを認めざるを得ないのだけれど!
「お義母さん!お義父さんにそんなことを言ってはいけません!」
「私はこれ以上太るのは無理です!」
でっかい声で言いたい。