怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

国際結婚は妻の母語で。

2014年03月31日 | ひとびと
ブラジル人宅に呼ばれて食事。去年もあったR子さんの誕生日会だった。
今回も気合の入った料理が揃っていた。

肉料理がもう2点ほどあったのだが私自身が興味ないせいか、撮影していなかった。

どれも非常においしかった。

デザートは去年と同じかな。

↓私の皿。手前のトマトのサラダは今までに食べたことがない味だった。もっと思いっきり食べたかったが胃のことを考えて我慢我慢。上の豆のサラダも良かったが、小さく切ったベーコンがまぎれていて私にはそれが食べにくかった。

数品彼女のドイツ人お義母さんが作ったものがあるが、それを除くと純粋なブラジル料理なのだそう。
ブラジル料理の方が、ドイツ料理より食べやすい・・・

今回招かれた10人のうち一人はイタリア人、もう一人はボリビア人女性がいた。そのボリビア人がブラジル人たちと話すとき、スペイン語を使っていた。ブラジル人たちはポルトガル語で答えていたぞ。この様子を見てたまげていた私にブラジル人が解説してくれた。特に勉強をしなくてもお互いの言葉がわかるのだそう・・・へえーっ!
では、同じ言語グループとされているイタリア人はどうだろう、と思い彼女に尋ねると「どちらも全然わからない」と。
彼女らの配偶者は私も含め全員ドイツ人男性。そのほとんどの男性が妻の母語を勉強していて日常会話で使っている。妻のために彼女の言葉を勉強する人がこんなに高い確率である集団は珍しい。ヨーロッパ語同士は学びやすいという動機もあるせいだろう。ポルトガル語とスペイン語がそんなに近い言語であることを考えると、ドイツ語母語の人がポルトガル語やスペイン語を学ぶのは、日本人が英語を学ぶ苦労の数分の一かもしれない。
最後にのろけ。私の夫には苦労かけているよな、日本語を話してくれてありがとう













来客歓迎

2014年03月30日 | ひとびと
義父は近所のスポーツ施設で卓球の指導をしている。そこで知り合った彼の仲間の何人かのお気に入りはウチに招かれている。

中国人の彼女が義父と彼女の彼氏を撮影しているところ。でっかいカメラはフジフィルム。(私のはちっこいフジフィルム・・・とほほ~)
二時間ほどの練習のあと、彼らと約束していた私の「ハウスバーモントカレー」を食べてもらった。
その翌日の朝、私がいつものように一人で朝食を摂っていると義母がやってきて私に言った。
「昨日は悪かったわね、パパ(義父のこと)が食卓でべらべらしゃべるものだからあなた方三人は食べることもままならなかったでしょう。次回は私がパパを適当な理由をつけて向こうへやってしまうから安心して」
いや、あのう・・・
義父の来客好きは承知だし、第一、中国人たちは義父のためにここを訪問したのだ。私のカレーはそのおまけ。
それに、義父がおしゃべり好きなのは彼らもすでに知っているだろう。これを義母に説明したが、わかってくれたかな。
私は上手く会話をしたり(たとえ日本語であっても)来客をもてなしたりするのは苦手なので、しゃべってくれる人がいたほうが楽、というのが本音。

ブログ仲間のらくだのせなかさんが生後3ヶ月の赤ちゃんと一緒にここに来てくれた。
義両親たちと一緒に一時間ばかりの短い時間を過ごした。「なんだか、おとなしいな」と義両親たちの様子を観察していた私。
これから自宅に向かって出発、というときに義両親たちがらくだのせなかさんに主張し始めた。「高速道路までの最短の道を知っているから案内する、付いてきなさい」と。私は「彼女はカーナビを持っています」と言おうと思ったが、らくだのせなかさんが適当な会話の合間にそうしてくれるだろう、と黙っていた。
ところが「普段なら、割とハッキリ断れるのに」と後からメールで報告してくれた彼女、このときは義両親パワーに負けたらしい
義父と義母、更には私まで「一緒に行くか?」と強制連行。せっかくの機会なので前を走る私たちの車から撮影。
ウチの敷地を出るらくだのせなかさん。

農道を走る私たち。
この道路はおそらくカーナビに出ていないはずだから、確かに義両親の近道案内は正しかった?

高速道路へ直進するらくだのせなかさん。
左折して家に戻る私たちの車から撮影。手を振る彼女が見えるかな?

中国人たちもらくだのせなかさんも義両親に付き合ってくれてありがとう。
みんな、義両親に合わせてくれているのだなぁ、と感激する私。もう、私一人で義両親を相手するのが疲れているのでときどきこうやって手伝ってくれるとありがたいのだ。

そういうわけで、ウチへの来客大歓迎。愛想の悪い息子とそのヨメばかりじゃあつまらない様子の義両親が手作りお菓子と弾丸おしゃべりで待機しているぞ



寿司バリエーションは海外で発達

2014年03月29日 | おいしいもの

先日友人たちと行った中国レストラン、バイキング料理の一部。巻き寿司だ。
上に載っているものは生クリームか?と一瞬の恐怖感を押さえて皿に取った。
テーブルに付いてから恐る恐るクリーム部分を食べてみると・・・チーズだった!ほっと安心。
チーズと寿司飯は合うことを経験済みだ。
それにしてもこのトッピングの仕方はなかなか日本の日本人には発想が至らないかもしれない。
握り寿司をゴマやディルで飾ってしまったここの人たちを見ているしね。ある物事を、固定観念にとらわれない自由なやり方にするにはその文化圏以外に伝えると花開くものなのかもしれない。
クリームチーズやゴマ、ディルで飾る寿司を真似してみようと思う。

甘くした生クリームだったとしても、ヨーロッパ人には受け入れられるかもしれないぞ。米の牛乳煮が普通に食べられている環境だものね。それも実験してみようか、ううう、恐ろしい

義両親のテーブルマナー

2014年03月28日 | いろいろ
外食しないわたしが招かれて街で一番古いと言われているレストランで食事。
↓豚肉のカツレツ。非常に大きいが薄っぺら。

↓料理の名前はわからないが肉料理(あはは)。付け合せのじゃがいも団子が巨大だ。義母や私の手ではできない。

ナイフが突き刺さって出てくる、と方々のドイツ在住者のブログで見たが、本物を間近で見たのは初めての私。

9名の同席者のうち私だけ肉料理以外を注文。胃の具合が悪かったものでね。

↑パンケーキスープ。その名のとおり、薄く焼いたパンケーキを細く切ってコンソメスープに入れただけのもの。
消化がいいとされる献立の一つだそう。義母にその存在を聞かされていたが、ウチで作ったことはない。この日が私の初めてのパンケーキスープ体験だった。


孫たちがウチに来ると、義両親たちは何気にテーブルマナーを彼らに指導する。
「M雄くん、両手を使って食べることはできないかな?」
当時6歳くらいだった甥が右手にフォークだけで料理を食べていたときに義母が彼に言った言葉だ。
こうした食べ方は正式ではないということを私はそのとき初めて知った。日本のマナー本で「ナイフフォークで食べづらいときは利き手にフォークだけでも構わない」というのを昔読んだ記憶があったからだ。昔の日本はそれでよかったのかもしれない。
姪は左利きで、7,8歳頃まではナイフとフォークを逆に持つことを許されていたがあるときから右にナイフ、左にフォークで食べることを強要されている様子だった。
そんな経緯があったので、このレストランでの食事の様子を観察してみた。
5人いた欧州人。そのうち二人は右手にフォークだけで食べていた。左利きの女性は堂々と右にフォーク、左にナイフを持っていた。
あれれもしかして、ウチの義両親たちは古すぎ?
左利きを否定するような古いルールは人権侵害、ナイフは凶器だからフォークだけの方が上品、などといろいろな論理で現在の行儀作法を論じることができるだろう。
もしかして、今回行ったレストランのレベルだったら自由に食べていいのかもしれない。持参の箸さえ登場してもいいのかも?

せっかくのタダメシの機会だったのに体調のせいでスープしか注文できなかった私の哀れさ。
いや、元気なときでもこんなに大量の肉を食べることは無理かなぁ。ああ、エコノミーに出来上がっている自分の身体がこんなときには恨めしいぃ





海外でお好み焼き、手作りソース

2014年03月27日 | 文化
夫がお好み焼きを食べたい、と言い出したので張り切ることになった。めったに日本食らしいものを食べてくれない彼だ。(義両親は絶対食べない)自分だけのために日本食を作るのが面倒になり、次第に日本の食材や調味料を手に入れないようになってしまった私。
お好み焼きソースを買うのはもったいないので、クックパッドを初めとするネット情報を収集したところ、以下の材料で作ることができると判明。

左のウスターソース、真ん中の醤油、その右隣のケチャップはここの普通のスーパーマーケットで手に入る品。
一番右のABCソースと左から二番目のオイスターソースは近所のアジア食材店で購入。
ABCソースはインドネシアで好まれている甘くてどろっとしたソース、オイスターソースは一般スーパーでもあるのだが、今回はタイ産のものを購入。
これらを適量混ぜ合わせるとお好み焼きソースと焼きそばソースができてしまうのだ。
混ぜて自分の好みの味に調合する作業はとても面白いし、それぞれ単独で調味料として使うこともできるので経済的な部分もある。ただ、収納場所が数倍必要かな、あははは~
 とんがりキャベツ。
大阪出身の在独日本人仲間に尋ねた。ここの一般的なキャベツは硬くて日本のもののような食感を出すのが難しいのだ。その答えがこのとんがりキャベツだった。形は違うが、日本のキャベツと全く同じように使うことができる。
こちらに来てからほとんどお好み焼きを作っていなかったから、キャベツのことなどどうでもよかった自分を発見。(胃腸薬としてキャベツスープを大量に作ったことがあるが、くたくたにやわらかく煮るのはどんなキャベツでもOK)
T子さんよ、情報をありがとう~。もっと早く尋ねればよかった!

 カレーソースの素。
日本のカレールーの代用になるかと買ってみたこちらの普通の製品。早速試してみたが、うう~ん、やっぱり難しいかな。
夫に食べさせても「イチ」(とてもおいしい、という意味)をもらえなかった。
ハウスバーモントカレーの世界制覇を願う。

カレーも自分でスパイスを調合して作っている海外在住日本人がぞろぞろいるだろう。私はそんな根性は無い。ハウスバーモントカレーが一番。


薄いのがおいしい鶏肉シュニッツェル

2014年03月26日 | おいしいもの
シュニッツェルの名で有名なこちらのカツレツ。旅行ガイド本などでは牛肉を使ったものが紹介されているようだが、ビ・・・おっと、今後は「ビンボー」という言葉をネット上で使わないことを先日自分に誓った私・・・エコノミー生活のウチでは豚肉か鶏肉を使う。

用意された鶏肉は約400グラム。どの部位を買ってきたのかまで注意を払えなかった私、主婦失格。だって、義母が台所を支配しているのですものっ。
この400グラムをできるだけ薄く切る。いや、できるだけ薄く切るつもりは無いのだろうけれど、こちらでは異様に薄くする様子だ。
切った後には肉たたきハンマーで叩いてさらに薄っぺらくする。小麦粉をはたき、溶き卵にくぐらせ、パン粉を付けるのだがこのパン粉も顆粒状で薄っぺらさを増長させる。ドイツのカツは薄いほど価値が上がるのだろうか?


この焼く様子もビ・・・じゃない、エコノミーな感覚で凄まじいといつも思う。隙間無くフライパンに並べられ、一度に焼いて燃料費を節約。日本ではたっぷりの油でカラッと揚げるのだろうが、ここは普通に油を敷いてじわじわと焼き上げる。

私の皿。いろいろエコノミーだが、実を言うとこの薄っぺらカツが私は大好きだ。玄米は多めに炊いてしまい3日も続いたので食傷気味。じゃがいもを飯代わりに添える。コンロの鍋に入ったからしソースは写真を撮ったあとに盛り付けられた。自家製野チシャのサラダも。

ドイツ人の肉摂取量平均は確か一人年間60キロだったか。ウチはその平均を大きく下回っているだろう。
環境を守るためには肉食を減らさなくてはいけないことをドイツ人は知っているのだろうか。知っていても食べたいのだろうな。



年齢差結婚

2014年03月25日 | 義母
義父が勤務していた会社からパーティの案内状が届いた。

退職者、現役の勤務者を含めた大掛かりな宴会が企画されているらしい。この案内状の質の良い紙からもその気合の入れ方が伝わってくる。
出席希望日と人数、三種類あるメニューの選択などが書かれてある。
そのメニューだが、訳してここに公開しようと思ったのに知らない材料や料理法ばかり出てくる。いちいち辞書を引くのが面倒になったので中止、えへへ。外食しないとレストランでは普通に出される献立などにまった知らないで過ごしてしまうものだ。
肉、魚、ベジタリアンの三種類の主料理がある。それぞれに相応しい前菜、付け合せやデザートがコースになっている。

当然義両親たちは出席するものだろうと思った。義母が読み上げていると、最後の一文に彼女が憤った。

「何これ。正装しなくてはいけないみたい。じゃあ、行くのやめるわ」
えええっー、もったいない!お義母さん、素敵な服をたくさん持っているじゃあないか、どうして?
正装しなくてはいけないという、そう命令されるのが嫌なのか?
「んじゃ、私がお義父さんと二人で行きます」と言いそうになった自分を抑えた。
義父と二人で行ったら彼のかつての仕事仲間たちはこう尋ねたいのを我慢するだろう。
「前の奥様は亡くなったのですか」
義父の妻に間違えられる可能性はここでは高い。親子ほど年齢の離れたアジア人女性と再婚するドイツ人男性は多いのだ。間違えられてもどうってことないのだけれど、おいしいもの食べたさにわざわざ義母の替わりに息子のヨメがしゃしゃり出るのも妙だしね。
じゃ、夫と義父と私の三人はいかがだろう??おいっ、そんなにタダ飯を食べたいのか、わたし?!

まだ返事を送るまで期間があるので、それまでに義母の気分が変わってくれるといいな。
義両親と私と三人で行きたいなぁ。あ、やっぱりタダ飯にこだわっている??だってぇ~コース料理なんてもう何年も食べていないもの。



サンスターの歯間ブラシ

2014年03月24日 | 物品
義父が自分のために買ってきた歯間ブラシを見てたまげた。サンスターの製品ではないか!

右は私が日本で購入したもの、左は義父が買ってきたもの。「G・U・M」のロゴマークがそのままで泣けてくる。
うれしいな。
ここに来た一年目、自分のサイズの歯間ブラシを探して回ったがなかった。もちろん、当時(2008年頃)はサンスターの製品は無かったように思う。
他のメーカーではあったが、サイズが大きいものばかりだった。欧州人は歯の間まででかいんだな、と勝手に解釈していた。

↑これは日本のサンスター。サイズはSSS。15本入りで確か300円だったか。タイ製。

↑こちらは義父が買ってきた欧州サンスター製品。これによると、様々なサイズ展開があるようだ。0.6とか0.8などの私のサイズもある??
6本入り5ユーロ(約700円)日本で買ったものよりかなり高い。見た目の頑丈さなどはサンスターが市場調査をしてどういう形状の製品が好まれるか研究したのだろう。さすが、日本メーカー(勝手に絶賛)。
ともかくこれからは歯間ブラシが無くなることを恐れることは無くなった。こちらにもある、という安心感。
なるべく日本での買い物に頼らないように生活を工夫している。サイズが合わない問題って大きい。いまだに解決できないブラジャー問題。ここではA70を見つけにくい。(ティーンエイジャー用、って手もあるけれど、やはりティーンエイジャー体型に作られているのよね、おばさんにはムリムリ!)
義父は「私のを使ってもいいぞ」と言ってきた。ちょっとまて、彼のは2ミリメートルもある巨大サイズ。歯肉が裂けるよ~。私のサイズのことなどまるで気にしない義父、さすが・・・。とほほ~

いまだに義両親は一本も義歯が無いらしい。生活体力も日本人とは大違いだが、身体のパーツの持ちもちがうのか?ウチの義両親たちが特別に丈夫なのか?毎日の質素な食卓、または油まみれの食卓がそのような身体を保つのか?








トースターいろいろ

2014年03月24日 | 頑張って食べる
去年12月に買ってもらったポップアップ式トースターを愛用している。過去記事参照「チーズをとろけさせたい」
 
ふと思いついて、実家から焼き網を送ってもらい、それを使ってパンを焼いてみた。焼き網を使わないときより安定していてよろしい。
なぜこのトースターももっと安定感のある焼き台を備え付けないのか不思議でならない。
っていうか、すでにわたしはオーブントースターを持っているのだからそれを使わなくっちゃ!
義母にオーブントースターを持っていることをまだ知らせていない。彼女がいないときにこっそり使う。
 
冷凍物の「フィッシュ&チップス」。一人前を上手に解凍・加熱することができた。うれしくてこの量全部食べたらやはり胸焼けが・・・ああ、アブラ物は気をつけなくてはいけないのに!フィッシュ&チップスなどめったに食べないから(もしかして人生で初めてかもしれない)興奮しちゃってついつい過食ぎみにぃ~
いずれにせよ、オーブントースターでチーズをとろけさせたトーストを食べるのは夢の生活さ。

焼き網も普段は食料小部屋に隠してある。本当はトースターの後ろにでも置いておきたいのだが、必ず義母が尋ねるだろう。
「これは何ですかっ。みっともないから使うときだけ出して使うようにしなさいっ」
はいはい、言われる前にそうしておきましたよ~お義母さん


おまけ画像。ある朝、台所にはぱっかりと割れた皿が置かれていた。
ま、まさか、接着して再利用する気なのかしら、と心配した私。シミ、端が欠けても全然気にしない我家、くっつけて更に使うことさえ厭わないだろう。
あれから接着皿を見かけないので、諦めて捨てたようだ。ああ、よかった・・・





アレヴィー派、頭巾なしイスラーム

2014年03月23日 | 文化
アレヴィー派というイスラム教の施設に行ってきた。
 
彼らの料理教室が開催されたのだ。

たっぷりの油脂と小麦粉で作られるクッキー。

オレンジ色のシャツの女性はカメラに向かってにっこりとポーズ。この集団の中で一番きれいな顔をしていたから自分の容姿に自信があるのだろうな。でも、ブログ掲載許可を尋ね損ねたので残念ながらモザイク・・・

参加者はトルコ人、在住外国人、ドイツ人。

これまた油脂まみれのパンのようなもの。トルコ料理はすでに経験しているので私は今更驚かない。

これはここのトルコ料理でよくあるブルガーサラダ。やはり油脂まみれだが私にも食べやすい。

大勢が料理に集中している中で、私を初めとるする数名はこのアレヴィー派について説明を聞いた。
これは礼拝室。よく知られているイスラム寺院の礼拝室とはまるで違う。礼拝の仕方、断食月なども違うのだそう。
 
掲げられている人物画は12人のイマーム(指導者)だ。人物画がイスラム教の施設に掲げられることも驚く。
 


ややこしい宗教の話はともかく(宗派間の争いもあるようで、虐殺されたアレヴィー派の人々を悼む写真や記事の掲示もあった)食卓は整った。
料理はどうみてもトルコ料理だ!私の好きなブルガーサラダはサラダ菜に載せて食べるととてもおいしい。


参加者の中に一人異質な女性が・・・頭巾をしているのでひどく目立った。ここのアレヴィー派の女性たちのすべては頭巾をしていなかった。クルド系トルコ人でアレヴィー派の女性がそっと私たちにささやいた。「彼女は宗派の違うムスリムですけどここの雰囲気が好きでよく来るのですよ。私たちはすべてのほかの宗派や宗教に対して寛容な態度を取ります」
アレヴィー派が寛容でも、この頭巾女性の家族はここを訪れるを快く思っていないかもしれない。
豚肉やアルコール無しの食卓であることは共通しているので、頭巾の彼女も一緒に食べた。

ドイツにおける最多の移民はトルコ人だが、そのトルコ人にもいろいろなものがあると改めて認識させられた。
人種、宗教、言語など、日本のように比較的同質さを良しとする環境に育った私には、故国がいろいろありというトルコの状況をすぐに把握するのは難しい。

他のモスクもそうなのだが、ここにも市長が訪れてお互いの理解を深める行事が行われているそう。
いつも驚かされるぞ、多民族国家振りを発揮しているドイツ。












干し野菜作り

2014年03月21日 | 家屋
ベランダに布団や洗濯物などを干してはいけない、とこちらに住み始めた頃に義母に言われた。だいたい忠実に守っているが、彼女の留守を狙って干すこともある私。
先日は干し野菜づくりに挑戦した。

庭の緑とプラスチック製洗濯ばさみ、切ったにんじんが似つかわしくないのはよくわかる・・・
ネットは雑誌の付録。
この雑誌はブログ仲間のらくだのせなかさんからの頂き物。
3,4時間干して外出前には取り込んで義母の目に触れないようにしよう、とたくらんでいた。
なのに、うっかり忘れて外出してしまい、日が暮れてからあわててしまった。

左、干した直後、右、干しあがり~。キンピラ風にするとコリコリしておいしいんだ!

どうやら義母は気づいていて黙っているようだ。何だろう・・・ベランダ干し物解禁の前兆だろうか。
面と向かって尋ねれば、かならず「だめです」というに決まっているだろうから、何も報告せずにこれからしばらく堂々と干し野菜作りに励んでみようと思う。

街中で、干されているパンを見つけた。ネットなどに入れず植木の上に置かれた食べかけのパン。



おいしくなかったのかな、おなかが一杯になってしまったのかな。
それにしてもこんなところに干してしまうのだろうか。いや、なぜ捨ててしまうのだろうか。


ホロコーストを忘れないための活動

2014年03月20日 | ひとびと
バスの中で見つけた小さな広告。


「2回の奇跡の生還」
写真の色合いとこの言葉で容易に想像がつく。

ホロコーストの生還者が講演をするようだ。
犠牲者のモニュメントも普通にこの小さい街にもあるドイツだ。こういうところは何も思うところなしに凄い、と圧倒される。

残念なことに開催される場所と時間、家まで帰るバスの都合で行くことができない。

最寄のバス停

2014年03月18日 | いろいろ
ウチから歩いて約80メートルのところにバス停があるのだが、朝と午後の一部の時間帯を除くとバスが来るのは1~2時間に1本だ。
ウチから二キロほど南に歩いたところまで行くと1時間に2本のバスがあるのでそこまで歩いたり、そこ止まりのバスに乗ってウチまで歩くことがある。
 
午前中に街中から家に戻るバスは10時を逃すと12時過ぎまで無い。この日は11時のバスに乗って「二キロ向こうの最寄のバス停」から歩くことにした。
新しい住宅が建ち並ぶ脇を歩いて農道に出る。
 
十字架が私の無事な帰宅を願ってくれているようだ、うるるるる~。延々と続きそうな農道。
 
農道の左がわと右側。もう少しするといろいろな作物が植えられる。菜の花の頃は非常に美しい。
 
よく通るのは農業用作業車。一般の自動車も時々見かけるけれど、通っていいのかしら?
盛土をした上に道路が通っている。
ここまで来るのに15分。
 
4年前に完成したのだが、直後からこんな風に落書きだらけ、ゴミが散乱していることもしばしばだ。
いつもちょっと嫌な気分になりながらここを通り過ぎると・・・

目の前に集落が広がる。あと10分、あと5分、と元気になるし、寒い冬場は身体が温まってくる。
雪の日などは道路と畑の区別が付かないので危険だったりする。夜などは街灯がないのでまさしく危険。

不便な田舎暮らしだが、毎日1時間ほどの歩行は健康によいとされることを読んだり聞いたりすると、この二キロ先の最寄のバス停は使えそうだ。
知人・友人の多くはわざわざお金を払って運動をしにいっているぞ。私は無料でできちゃうんだ、さすが、田舎暮らし!

フィットネスクラブに車で乗り付けている友人たちに言われる。「なぜ車を買わないのか」と。
一番の理由は「金が無い」なのだがこれを言ってもどうにもこうにも彼女たちを説得できない。「中古の小さい車なんて安いのよ、諸経費も安いよ」とまくし立てられる。
義母の昔話を聞いている私だ。「昔は仕事場が少なかったから、20キロ先まで毎日歩いて通った人もいるのよ」
通勤片道徒歩20キロのドイツを知ってしまっている私、仕事でもないのに自動車を所有するのはためらわれる。
さて、最寄のバス停までたった2キロだ、せっせと歩こう!







マットレスは何年使えるか。

2014年03月17日 | ここの品々
義両親たちが自分たちのベッドマットレスを買ってきた。

どこにでも売られているような真っ白の普通のサイズの品。

かなり重たい。義両親たちは車で受け取りに行っていたが、日本人の70歳代が持ち上げて運ぶことが難しいかもしれない。生活基本体力が全然違うことをマットレス運び一つ見ても思う。(体力差についてはビール入りビールケースを小指でぶら下げていたり、でっかいベビーカーをひょいと持ち上げて車に積み込んだりしたり、枚挙に遑が無い)

古いものは地下室に運ばれた。

見て、びっくり。きれいに使ったものだ!いったい何が不満だったのか、横に倒して寝てみた私。

スプリングを使った品で、その感触が伝わってくるが、特に差し障るような印象ではなかった。
義母にどうして買い換えたか尋ねたら、やはりスプリングを包んでいた布部分が薄くなり不快になってきたからだそう。何年使ったのか恐る恐る聞くと・・・「ええと・・・40かな」ええええ!!そ、それは充分に使い尽くしましたねぇ~。物持ちのいい義両親のことだから100年と言われても驚かない予定だったがやはり驚いてしまった。
「普通は10年くらいで取り替えるらしいけれど、それは業者の陰謀ね」とも。ああ、私もそう思うぞ。

もう彼らは買い換えないかな、などと不謹慎なことを考えた私。
いや、最近の物資は昔のものほど長持ちしないかわりにニンゲンは長持ちしたりするから10年後に買い替えになるかもしれない。そのときは私が運転して私がマットレスを運ぶのかもしれない。将来に備え、体力増強に励もうと思う、ひえぇぇぇ






バイエルン風キャベツ煮物

2014年03月16日 | 頑張って食べる
義母の母親が所有していたという古いレシピ本から「バイエルン風キャベツ煮物」を作ることになった。


キャベツ1個は荒い千切りにしておく。
私の三徳包丁が活躍する。義母たちは日本の家庭で多く使われているあの大きさの包丁に恐怖を感じるらしい。
鮮やかな包丁さばきの私に「指を切るな」と義母は心配そうにいつも声をかける。(つまり、全然鮮やかじゃあないのさ~)
 
鍋に油を敷き、砂糖少々、たまねぎのみじん切り、クミンシードを入れ、少々色づくまで炒める。

 
千切りキャベツ、塩コショウ、スープの素、酢などをいれてよく混ぜ、キャベツが柔らかくなるまで煮る。

 
できあがり。酸っぱいのはザウアークラウトと同じだが、ザウアークラウトは発酵させた酸味だから全然違うもの。
じゃがいも団子を添える。
じゃがいも団子は市販の「団子の素」を使った。義母は何度かじゃがいもから団子作りに挑戦したがあまり上手く行かないので団子の素を愛用している。

質素な食卓。
パラサイト夫婦を抱える我家はいよいよ食費を削るようになってきたか・・・私は栄養失調にならないようときどき友人宅に押しかけて栄養補給に努めることにする・・・自分で料理しろよって、あははは~