怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

12月25日の夕食は残り物

2019年12月25日 | 
クリスマス25日の夕食は、前日24日の残りだ・・・・
甘いもの、酸っぱいもの、塩味のもの、というところに意味があるそうだが。

ま、これで今年は二度と食べない、という気持ちでいられるので大丈夫。

夫からのクリスマスプレゼント。

基本、ウチの家族間ではクリスマスプレゼントは無し、という決まりだけれど、夫からはいつも何かしら贈られる。
去年はプレイステーション本体だったので、今年はゲームソフト。
この二種のゲームは日本でも人気があるようだ。
だが。
ちょいと不気味な現象があり、困ってはいないがおののいている。
これらはドイツ市場向けの商品で、表示言語は英語やドイツ語が基本だと思っていた。
もちろん、設定で選択できるのだけれど、日本語は絶望的だ。
二品とも、言語をほとんど必要としないゲームなので日本語が無くても大丈夫と踏んでいたが、いざ、インストールしてびっくり。
双方とも設定する前に日本語表示が最初からあるんだ。
こ、こわーっ
って思ったのが正直なところだ。
たぶん、ゲーム機本体のネット接続が日本のプレイステーションになっているからと予想しているがどうだろう?
右のカーレースゲームは夫も一緒にやるので、ドイツ語表示にしたいと思ったのだが、どう頑張ってもドイツ語選択が出てこないので困った。
全くわからないチェコ語(言語選択に東欧語数語しかなかった)を夫がネットで検索しながらやっとドイツ語にした。(ネット接続解除した作業)
まだ数度しかやっていないが、面白いゲームだ。コースは実際の道路が使われていて、上級になると東京の首都高速道路が選択できる。上級まで行く自信はまったくないが(夫も私もゲーム下手)どうにか首都高を走ってみたい。
昔、夜中に良く走ったんだ、軽自動車で。私もひどく若かったから怖くなかったんだろうな・・・・

今年はコンピューターゲームという私にとって新しい物事が加わった年だった。
他の人にゲームが面白くて素晴らしい、って話をすると、決まって皆怪訝そうな顔をする。これからはあまり言わないことにしよう、って決意はしたのだけれど、こうしてブログに書くことはいいだろうか?
え?やはり変?ゲームはティーンエイジャーのもの?
あはは~




だんだん難しくなるgooブログ編集画面に引越し決意が・・・どうしよう・・・・

2019年12月18日 | 気候
こちらも細々と続けていこうと思っていたのに、一向に編集画面が上手く操作できない。
困った・・・
別ブログで新しい投稿をご覧ください。
引越しするかもしれない先

ドイツ人に傘は不要

2019年12月18日 | 気候
先日、天気予報では報じていなかった雪が降った。

たまたま外出中で、ちょいと往生した。雨が降ると思っていたので傘は持参していた。
いつものように街中から徒歩で歩いた。(バス代節約と身体を鍛えるため。1年半続いているが、とても効果がある。週に数度、1時間の歩行は有益、とお勧めできる)
だんだん雪の降り方が激しくなって、足先が冷たくなってきた。靴は雨雪用ではなかったんだ。
前から、身体の前面を真っ白にしてやってくる男性がいた。傘を持っていないので、全身で雪を受け止めていた。
これは大変そうだ、と思って、ちょいと躊躇してから声をかけた。
「私、傘を二本持っているので、これ、使っていただけませんか」
すると、その男性はかなりびっくりしたような表情をした。こんな親切を受けるのが珍しいことなのだろうな、とちょいと得意になった私。
彼は丁寧に私に必要ないことを説明した。
すごいな、ドイツ人はあんな状態で平気なんだな、と再び歩き出した私。
が。数十秒後、考え直した。そういえば、ここって、少々の雨では傘を刺さない人が多いな・・・・雪の場合もきっとそうなのだろう。
くっ・・・きっとあの男は「これしきの雪でどうして傘がいると思うのだろう」と感じたに違いない。
日本人の感覚ではあの服に雪がこびりついた状態で歩くのはちょいと狂っている。わたしの感じた思いは日本育ちの日本人なら誰しも同じだと思う。
ちょいと損した気分になりながら、歩いていると・・・
今度は女が雪だらけになりながら歩いていた。
わたしは彼女の全身雪まみれの頭から靴までじろじろ眺めてしまったので、女は訝しそうに私をにらみ返した。
ドイツ人(もしかしたら、ドイツ在住の欧州人の可能性も高いが)が雪まみれ姿であるいても同情してはならない。

いや、日本で彼らがそれをやったら、日本人の多くは声をかけてどうにかしてくれるだろう、そしてこう思うだろう。
「日本人って親切ぅ~、サイコー」
ドイツでは、やっても無意味。




追記
gooブログ操作についての情報をありがとうございました。
別ウインドウでのプレビューは、つい先週辺りまで機能していたのに、今現在も開きません。
動画貼り付けも、ややこしくなってしまい泣けてきます。
変更をあまり否定しない私です。変わってしばらくは慣れないために『前の方が良かった』って思うものです。
だけど、機能しない、ってのは困ってしまいます。しかも、わたしだけ??
本当に、こちらのブログを使わないことになってしまうかもしれません。

年々派手になっていくクリスマスの飾りつけ、と感じるのは私だけ?

2019年12月17日 | 奉仕活動
まず、質問。
gooブログを書いているあなた、編集画面はきちんと機能しているだろうか?私のはダメで、たとえばプレビューができなくなってしまった。
私が他社ブログに引っ越そうとしているから、使えなくなってきているのか、とちょいと不安になったりして。使いづらくなったらますます離れたくなるじゃあないか?いったい、どうなっているんだぁ。

以下は11月半ばに撮影したと記憶している。

インゴルシュタット旧市街中心に立てられたクリスマスツリー。
特殊な車両や人を何人も使ってこの作業が進められていた。毎年の恒例行事なのだが、今回はこれ一つ立てるのにも膨大なお金がかかっていることに気づかされた。

ここに来た当初もそう思ったけれど、キリストの降臨を祝うなんていうクリスマスじゃあない。
日本と同様、やはりその年が終了するというお祭りに感じる。特に高緯度地域では冬至に向かう時期の天候の陰鬱さ、日照時間のなさ(もっと高緯度では真っ暗な一日だろう!)で「早く冬至が来て、だんだん日が延びる希望を見出したい」という心理状況になるだろう。
そうさ、冬至のお祭り。
スーパーの広告にはいつもには無い贅沢な食材、街中にはパーティ用の派手な服、トナカイの角を模したカチューシャをして歩くおばさん集団、サンタクロースの帽子を被っているおじさん・・・・
もう、まったく宗教的じゃあない。

そういえば、モンゴル人が言っていたな。
「わたしたちのクリスマスはドイツよりもっと派手です」
彼らのほとんどはキリスト教徒ではない。
今週末、アフガニスタン人に招かれている。「語学学校の友達も交えてパーティをします」
彼女はイラン育ちなので、かなり自由な雰囲気のイスラム地域で育っている。(イランがどの程度自由なのかよく知らないが、彼女の言動を見ているとそうなのだろうな、と想像できる)
つまり、世界各国で年末を祝っているわけだ。

20歳代の頃、私はクリスマスを祝うことにかなり抵抗があったものだ。バカだったな。
キリスト教徒しか祝ってはいけない、などと思っていたんだ。
いまじゃあ、ノリノリさー、などと書いてみたいけれど、義母の手伝いでへろへろになるクリスマスさ。
やっぱり、クリスマスは要らないっ
いや、夫はときどき凄まじくおもしろい贈り物をくれるので、ちょいと必要かも、クリスマス。
ええいっ、どっちだ、りす!!

へへへへへー。









「怠惰」だの「怠慢」のタイトルにしたがる深層心理

2019年12月15日 | 頑張って食べる
編集画面の不具合なのだろうか、まだ上手く操作できないこのブログ・・・
10年以上書いているのに今更こんな事態になるなんて。

それはともかく、義母のクリスマスクッキー焼きは順調だ。
いつもなら私もできるだけ協力するのだけれど、今回はなにか無意味さを感じ、ちょいと遠ざかっている、義母から。
ブログタイトルになんだか怠け者の私という意味の言葉を入れたくなるのは、私のこんな性格が反映しているのだろうと思う。
普通の日本女子だったら、同居のお義母さんの手伝いをするなんて当然だろう。
どことなく、わたしはその当然を回避しているんだ。
彼女が嫌いというわけでもない。ちょいと高圧的なもののしゃべり方をするのが第一印象の怖い人物だけれど、まあ、同居の義親としてはかなり上手くやっていける性格の人だとずっとおもっている。
でも、べったり付き合うのは苦手で、ちょいと距離をおきたいのが私の性格なんだろうな。
ほとんど義母一人で焼いている今年のクッキー。
もう、長いこと一緒にやっているのに、いまだに私の一挙一動にいろいろ言うのが疲れるのさー。
性格を否定していないよ、大丈夫、ガンガン言ってくれ!でも、今日はこれでもう上に上がってゲームさせてね・・・・

クッキーが詰まった容器が並ぶ地下室、ときどきわたしはそこまで行って、一掴みつかんでりす部屋に逃げ込むんだ!


クリスマスマーケットで働く知人

2019年12月13日 | 交友関係
gooブログの編集画面が変更されたようで、それは一向に構わないのだけれど、どうも操作がうまく行かず困惑中。 たとえば、プレビュー画面を開くことができない。 画像を並べてみたものの、いつもとだいぶ様子が違い、うまく行かない。 ちょいと不安なので、やはり、引越し先にこの記事を任せてしまうことにしよう。 以下をクリックしてください。 クリスマスマーケットで働いている年金生活者の知人

自分の心配より義両親のことを考えるべきだと痛感させた品。

2019年12月12日 | ここの品々

こちらをご覧ください。
「怠惰にドイツで同居」

この編集画面が変更されて、ちょいと戸惑っています。
24時間後にもう一度チェックしますので、もし変だったら待っていてください。


ガラス瓶容器が復活する兆しがあるかもしれない

2019年12月10日 | 節約
プラスチック容器やビニール袋排除運動がどこの国でも盛んになってきたようだ。
体感的には、ドイツはもともと日本の生活よりずっと使用量が少ないように感じる。買い物に行くと、買い物した物資より包装が多いと思った経験は日本で何度もした。ここではそんな感覚になることは無い。
それでも、まだ減らそうというのだから、ちょいと衛生観念を変えなければならない。
義母など、野菜を買うときは1セント(1円の感覚)徴収されるビニール袋を使わないので、そのまま買い物カートに入れる。そのカートの汚さは日本の数倍だろう。時には子供が土足で乗っているのでさまざまな最近やウイルスがカートにこびりついているに違いない。
ピーマン(パプリカ)などは加熱せずに生で食べるので、ちゃんと洗ったとしてもちょいと怖い。
日本より低温低湿なので、細菌が繁殖しにくい、と自分を言い聞かせて口に入れるようにしている・・・・・

日本人海外在住者のレシピで簡単なたくあんを作ってみた。酢・砂糖・塩を混ぜた液に切っただいこんを入れるだけ。
黄色い色はウコンの粉だ。

このガラス瓶で作ると、なんだかおしゃれじゃあないか?
伝統的に使われているらしいこのガラス容器だ。

地下の食糧保存室には使われていないガラス瓶が並んでいる。ここからひとつ拝借したんだ。

さまざまな大きさがある。

干しりんご、干しミラベレ(スモモのような果実)

梨のシロップ漬け。これは容器のふたのところにゴムが挟まれていて密閉度がさらに高い。

どうしてなのかわからないが、ジャムは空き瓶を使うんだ。

日本のジャム作りレシピには保存容器の熱湯消毒が書かれてあるけれど、義母はそんなことをしない。
きちんと洗っているかどうかも疑わしい。
やはり、気候の関係でここは日本ほど清潔にしなくても大丈夫な事柄が多いのではないか、と予想している。

写真のガラス瓶は、かなり大きくて、片手でつかむのにちょいと注意が必要だ。重量もかなりあるので日本人高齢女子には扱いが難しいかもしれない。
それでなくても、日本は軽くて小さい高品質な物資を尊ぶ傾向があるので、こうした大きなガラス容器を日常的に使うことはできないだろう。
軽くて丈夫なプラスチックが喜ばれた時代は終わり、再びこうした過去のものが活躍するのか。
いや日本だったら、また新しいプラスチックフリーで環境に優しいって言われる製品を作っちゃうのではないか、とも想像していまう。



嫌なものは食べなくていい自由があるっ

2019年12月08日 | 頑張って食べる
本文は以下のサイトでご覧ください。
怠惰にドイツで同居
2019年12月8日記事 
嫌いなものを食べなくていい自由を義母に認められているって、素晴らしい(涙)




郵便局じゃあなくて、スーパーに行って郵便業務の場所を探す

2019年12月07日 | 物品
ウチから5キロメートルほど先にある郵便局は、スーパーの中にある。
スーパーの一部を使った郵便局だ。
考えてみると、日本のような郵便局はここにはあまりない。普段、意識しないでこうしたスーパー内郵便局を使っていた。これって、場所の節約でいいんじゃないか。
スーパー内郵便局は郵便業務だけだ。12月になってから長い列ができるようになった。
こんなに忙しいのはこの時期だけなので、大きくて立派な郵便局は数箇所でいいのかもしれないぞ。
そこで買ったのはこれ。

嬉しいじゃあないか、日本国民。
もう、古典と言われてもいいアニメ作品だな。
そのうち、ポケットモンスターも各国で切手柄になることだろう。

切手を買って、外に出て自転車の施錠を外していたところ、視界に何やらばあさんがゴミ箱の陰で嘔吐している光景が目に飛び込んできた。
えっ
私もここで数回外出時に具合が悪くなったことがある。
しかも、寒い時期に。
その辺で座り込んでいても、数分で寒くてたまらず、辛かったものだ。
その感覚を瞬時に思い出したので、そのばあさんがひどく気の毒になった。あいにく、自動車を持たない私だ。住まいまで送っていくこともできない。
少なくとも声をかけて様子を伺うことはできるだろう、とティッシュを手にして彼女に近づいた。
「あ、どーもっ」
こちらの人たちは日本人のように平身低頭で礼を言ったりしない。ひどくぶっきらぼうだ。
彼女は受取ったティッシュで荒っぽく口の周りを拭いていた。
わたしは再び自転車に戻った。
振り返ってばあさんを観察すると・・・・
え?まるで何事も無かったように、スタスタとスーパーの中へ入っていくのを目にした。
・・・・・・・。
吐いているのは演技じゃあなかった。実際、吐しゃ物がまだゴミ箱周辺に新鮮に残っている。
まるで、生活体力が違うじゃあないか?
ちょいと具合が悪ければ、吐いてすっきり?
確かに、そういう経験が私にもあるけれど、嘔吐から復帰まで私の場合数十分必要だ。

ここで年齢を重ねるということは、周囲の大多数の欧州人と同じ体力を持つと予想されてしまう生活を受け入れなければならないということでもある。
ちょいと吐いても「すぐ復活するだろう」と、ゲロゲロやっているりす婆さんを目の前に、ドイツ人がたむろしていて、でもりす婆さん、なかなか起き上がらないっ。ころっと地面に横になって数分後、息をしていないことに気づいてドイツ人たち、大慌て、ってシーンを想像してうなってしまった。
日本の経験では、往来で生理痛で動けなくなっているところで救急車を呼ばれてしまって大変な思いをした経験がある。あれも迷惑だったな。自宅から遠い病院まで後日保険証を提出しにいったものだ。
まあ、周囲がどう反応するかは運もあるだろう。
運命を受け入れるという覚悟も必要だろう。昨今多い孤独死をするよりは、往来でころっとお亡くなりになるのもなかなかいいかもしれない。











隣のクッキーは旨そうに見える、いや、実際に旨く感じるのはなぜ??

2019年12月05日 | 頑張って食べる
ウチは11月下旬から12月20日頃まで数回に分けてクッキーを焼き上げるが、他の家庭では11月に全部を一気に焼くことも多いようだ。
いまだ、クリスマス前にガンガンクッキーを焼く意味がわからないが、とにかくそうした習慣が根付いていることを否定するわけにも行かない。
義母が毎年11月下旬に「今年は焼く気がしない」と言いながら、ノリノリで焼いているのを苦々しく思うことすでに10回以上。
焼くのは許せるが、その後の食え食え攻撃は苦しい。
「食べないなら来年は焼きません」
と言い放つのを聞くのも年中行事となっている。

ときどき、他人様の焼いたクッキーをいただく。

クッキーといえども、他の人が焼いたのは味が違って興味深いのでありがたくいただく。
義母に報告すると機嫌を悪くするだろうから、黙ってりす部屋でこっそり食べるんだ。
「うぅ~、うまいぃ~」
って思うことしばしば。
おまけに、義母のより見た目が麗しいことが多い。
義母は、丁寧に形作る人たちを少々ばかにしているところがあるので「もっと丁寧に作りましょうよ、もっと凝ったものもいいな」と言ってはいけない。
上に掲載した写真は20歳代ドイツ人女子が焼いたものだ。
義母のより丁寧に焼かれていることが明らかだ。
砂糖も控えめで、まるで日本人向けだ。ドイツも若い世代は砂糖摂取を控えるようになってきているのだろうか。
間違っても、このクッキーを義母の前で褒めてはならぬ、と急いで全部平らげた。
へへっ







義母は容赦が無い、クッキー作りを手伝え、と

2019年12月01日 | 義母
相変わらず調子はよくないが、ずっと横になっているほど悪いわけではない。
ボランティアの店番もちゃんとこなしている。そんな様子を見ている義母は、自分のクッキー作りを手伝わせようと躍起になっている。
毎年のように「今年は作りたくない、気分が乗らない」などと言っているくせに、結局焼くんだ。わたしはいつも「じゃあ、今年はやめましょう」と言い出したいところを我慢しているんだ。
夫はまったくクッキーを食べないし、義父も付き合い程度にしかつままない。
わたしがこっそり包んで、知人友人に配っているので減っていくんだ。

あ、そうだ。この時期のクッキー作りが何を意味しているかわからない新しいリすブログ読者は過去記事の12月分を読んでみるといい。
拷問期間と呼んでいい・・・

以下の写真は11月26日に撮影したもの。
今年のクッキー作りはレープクーヘンが始まりだった。

レープクーヘンとは、大量の香辛料を入れて焼いたもので、その香辛料の香りに馴染めない日本人も多い。
私はすっかり慣れてしまったので、比較的好きな食べ物のひとつになっている。
義母の得意レープクーヘンはじゃがいも入りだ。さまざまなバリエーションがあって、茹でて潰したじゃがいも入りはおいしいもののひとつだ。

生地をスプーンで直径5,6センチあるオブラートに載せていく。
焼きあがって、冷えたところでチョコレートを塗る。

そういうわけで、りすは生きていて、しかも比較的活動的にならざるを得ない生活をしている・・・・