怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

量は少なく食べなくては

2016年10月31日 | カテゴリー分けするのに飽き
週末の料理の数は少し多くなる。
息子のために、義母がせっせと作るんだ。私に献立を決める権限はなし。

おととい炊いた黒米入り飯が残っていて、それを皿に盛り、茹で上がったばかりのシュペッツレを添えたらいっぱいになってしまった。

鶏肉入りカレーソースで食べた。
ああ、やっぱり食べ過ぎた。
食べすぎは病気の原因になりやすい。気をつけなくては。
私などは少々食を控えたほうが、胃腸を休ませることになるので、体調向上できると思う。

あまり好きでない献立。

当然、摂取量も少なくなる。
このソーセージ一本は日本の日本人成人女子にはかなり大きい。
今では、私は調子よければ2本食べることができるだろう。でも、大抵は遠慮しておく。
義母はしつこく食え食え攻撃を仕掛けてくる。自分は1本しか食べないのにねぇ。
たくさん食べるほうが評価される時代のものの考え方だろう。
おなか一杯に食べないのが、流行になる日が近いと思う。

ビーガン用食品

2016年10月31日 | カテゴリー分けするのに飽き
ドイツ、あるいは欧州のトレンドなのか。
乳製品さえ摂取しない菜食主義者の存在だ。(アジアにも菜食主義者は多くいるが、ここではそれは除外)
彼らをターゲットに、さまざまな商品が販売されている。
これはパンのお供。パプリカ味とローズマリー風味。

中身はこんな感じ。フタに「Vegan」と印刷されている。
味は肉風味。実際のところ、結構おいしい。
おそらく、新米菜食主義者のために肉風味の肉を使わない加工食品を多く開発しているのだろう。
冷蔵庫に私のこれを見つけた義父が、さっそくいろいろ言ってきた。
「こんなものを食べるのか」
彼にとってはなんだかわからないさまざまな材料を混ぜ込んだ食品は不健康極まりないらしい。

パッケージ下方に「Vegan」の文字入り。
やはり、肉断ちに未練がある人々のための製品としか思えない。

なんだか、不自然なんだよな、菜食主義者。
ここ西欧州で伝統的でない食材、大豆を蛋白源に摂取するのも奇妙な感じがする。ドイツで大豆は育たないだろうし。
鶏卵や乳製品を摂取しないとなると、一緒にケーキを食べることさえ困難だ。
もっとも、彼らはちゃんと代替食品でケーキを作る方法を知っている。
健康をテーマにしたイベントに菜食主義者団体はいつも出店していて、そうした料理を紹介している。

これはたまごの代わり食品だ。

30ミリリットルの水に大さじ一杯のこの粉末を加えて、5分待って、普通のたまごと同様に使うらしい。
ちょいと溶いてみた。夫の朝の野菜トーストに塗ってみた。
何も言わなかったから、まあ、大丈夫な食品だろう。
次回はスクランブルエッグでも作ってみるかな。

夫は鶏肉や豚肉、ソーセージなどを積極的に摂取しない緩い菜食主義者だ。
義母が昼食に肉を出せば、黙って食べる。
私が彼に肉が混ざった料理を出すのは厳禁だ。面倒だ。
まあ、彼がビーガンでないことをラッキーと思うしかない。

さて、夫からのプレゼント。

プロテイン!
「もっと身体に筋肉をつけてください」ですって。
原材料を見ると、牛乳と大豆とある。
肉を食べさせるより、こちらで栄養補給しろってってことかな。
腹筋が割れるまで頑張るとするか・・・ううっ、ありえない!


何でもいいから携帯電話を使ってみてくれぇー

2016年10月30日 | カテゴリー分けするのに飽き
三年前に私の携帯電話がスマートフォンになったとき、それまで使っていたものを義父に渡した。
比較的新しい物好きの義父なので、喜んではいたものの、今までそれを使ったことは一度も無い。

義父は「まず、説明書をよく読まなくてはならない」という性格だ。
携帯電話の場合、大抵の人々は使いながら学んでいくのではなかろうか。
義父はコンピューターで銀行口座の管理や家計管理をしたり、スカイプで世界各国に散らばっている古い友人と会話したりしているので携帯電話くらいすぐにマスターすると思っていた。

だいたい、私がここで初めて携帯電話を持ったとき、義父の第一声がこうだったものな。
「使わないときは電源を切っておきなさい」
もう、携帯電話の意味を取り違えているとしか思えない。

「私は緊急時のために持っているんだ。例えば、運転中の事故とかね」
得意そうに言っているけれど、普段使い慣れていないと、慌てている緊急時には絶対使えないと思う。
また、万一そういう場面になって運よく連絡できたとしても、彼は当然のごとく、電源を切ってしまうだろう。

数年前、義両親と高速道路で義姉宅に向かうとき、渋滞に巻き込まれて予定到着時刻を大幅に遅れることとなった。
彼らは携帯電話で娘に遅れることを伝えるという発想さえなかった様子だ。
後部座席で言おうか言うまいか悩んでいた私は悩むだけ損した気分だった。
義姉はたいしたもので、遅れた私たちに何も言わなかったから、高齢者の扱いを知っているのだろう。
いや、違う・・・
義姉は遅刻常習者だから、他人にも寛容なのかも。
ああっ、どちらも凄すぎっ!

ときどき義父は私を相手に携帯電話のかけかた練習をしている。
家の中で。数メートル先で「もしもし、聴こえるかぁ!」とやりあうだけだ。
何か疑問があると、すぐにまた説明書を熱心に読んでいる。
三年も説明書を読み続けて、一度も外出時に使ったことがない凄まじさ。

「今は携帯電話でメッセージを送りあうのが主な使い方です」
と義両親に言ってみたが、もう、彼らには全く意味がわからない様子だ。

いやいや、これからもどんどんいろいろな新しい物資が登場して、いつかは私も義両親の今の状態になるのだろうから、彼らを馬鹿にしたり批難したりできない。
ぐっと我慢で、義父の携帯電話練習に付き合っていくことにする。

「おにぎりアクション2016」に参加しよう

2016年10月29日 | カテゴリー分けするのに飽き
在独日本人仲間のE子さんが送ってくれた動画。
「りすさんにぴったりじゃあないかと思って」ですって。


うん、私も参加しよう。
そう思い続けて約一週間経過。
ウチでおにぎり作って外出して、いろいろな人々に逢うのだけれど、まだ達成していない。
問題①
おにぎりを一つ一つラップで包んでいるので、はっきりとおにぎりとわかりづらい。
解決策。包まない。
問題②
できるだけ異人種を撮影したい、という気持ちがある。
金髪で青い目で、って典型的なコーカソイドとか、髪の毛が縮れて唇が厚い典型的なネグロイドとか。
解決策。人種を選ばない。
問題③
声をかけるのが面倒。
普通に会話するのは億劫ではないが、何の目的でおにぎり食べているところを撮影するのか、とか言うのが何気に億劫。
解決策。ちょいと努力。

そいうわけで、来週こそは、この「おにぎりアクション」に参加しようと思う。

地下の食糧貯蔵部屋にはたくさんのおにぎり用米があるし。


在独生活数ヶ月の日本人仲間J子さんに質問された。
写真のジャポニカ米にほぼ同等の品は、炊飯した翌日にはバサバサでおいしく食べられないのだとか。
私はその経験がほぼ無い。
ドイツ生活1年目はアジア食材店で日本米にもっと近い品を買っていたせいもあるかも。
その後、外国の不味い米をおいしく食べる方法の一つに、日本の炊飯器を使うことが挙げられていることを知り、海外仕様の炊飯器を使っている。
なんてったって、写真のこの米は500グラム約60円、一キロ120円、10キロで1200円だもの。
ご飯の味にとてもこだわる人ならともかく、私のように日本食を知らない人々におにぎりを普及させるためにせっせと作って配っていているのだから、米は高級品でなくてよろしい。

高齢者は難しいが、私のおにぎりに積極的に手を伸ばして食べてくれる人たちは、ほぼ100パーセント「おいしい」と付き合いでも言ってくれる。
外国住まいの日本人のあなたもおにぎり普及を試して欲しい。
国によっては粘りのあるうるち米が全く手に入らないところもあるようだ。
そういう人たちは、高い日本米を使って他人に配るのは難しいだろうなぁ。
そっか、ドイツ住まいで、まだまだラッキー、と思わなくっちゃ。

缶詰を開けるのも技が必要なドイツ生活

2016年10月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
かなり好きな昼食の献立。
ニシンの南蛮漬け缶詰とじゃがいも。

義母は極端な魚嫌いなので、じゃがいもだけを取って、バターやチーズと一緒に食べている。
義父も本音のところは「魚は義務感で食べている」のだそうだ。
午前中が忙しく、昼食の準備まで手が回らないときだけ、という我慢の仕方らしい。
嫌だなぁ、私が好きな献立が、義両親たちの嫌いなものだなんて。


缶切りを使わないでも開けられる品が多い昨今。
ここでは、あけている途中でつまみが取れてしまうことがしばしばある。
初めてそれを経験したときは、まず驚いて、次の瞬間には、
「缶詰さえ低レベル」
って、不機嫌になったものだ。
何度も経験すると、いちいちそんなことを気にしていられない。
充分に開ききったところで壊れるのは構わないが、途中だと面倒なことになる。
ラジオペンチがこういうときに便利だ。
缶切りも必需品。
どちらも、日本の安くて上質な品を揃えている。

集まりにはいつも同じ顔が来る傾向にある。

2016年10月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
さまざまな講座やボランティア集団がある。
どういうわけか、関心や興味が同じな集まりに参加するようで、知った顔に出会うことが多い。

先月、生活困窮家庭の子供のために文具を配る活動をちょいと手伝った。
その時、やってきた5人の子持ちのシリア人難民B子さんがランドセルともう一つ欲しいとこだわっていた。
私と一緒にその場にいたボランティア女性は「平等に配らなくてはならない」と断固拒否。
拙いドイツ語と激しい訛りのあるドイツ語で言い争いをしてた二人を呆然としてみたのは私。
B子さんは急に私に近づくと「ねえ、彼女を何とか説得して!」と言ってきた。
どうも、私を甘く見ていたようだ。この人なら、きっとランドセルをくれる、と。
新参者の私には、古参のボランティアを説得する気力は全く無かった。ごめんよ、シリア人!

さて、数週間後の別の会合。
開始から半時間ほど過ぎたところで、B子さんがやってきた。
びっくりしたのは私だ。
その会合のテーマはやはり、在住外国人女性のためのものだったが、まだドイツ語が不十分な彼女には無理だろう。
周囲の支援者たちが、この会合を勧めたのだろうか。
このときは、私は彼女に自分の連絡先を教えた。

さらに、それから一週間後。
路上でばったり、B子さんとその旦那さん、まだ学校へ行っていない二人の子どもと出くわした。
「まだ、ランドセルがあるかしら、と思って向かっていたのです」
と、彼女と旦那さん。旦那さんはかなり年上なのだろうか、しわが深く白髪混じりだったのが印象的。
いや、母国での苦労で老けて見えるのか。
B子さんは32歳で5人の子持ち。いつもきちんと頭巾をしていて、彼女の髪に白髪があるかどうかわからない。
「住んでいる難民住居は、カビがひどいんです。もう少しまともな住まいが欲しいと、市に訴えてきたところです」
携帯電話を取り出すと、写真を見せてくれた。子供たちはいつも具合が悪いのだとか。

難民支援活動はしていない私だけれど、外国人市民という意味では同じ範疇だから、いろいろな場面で彼らと出会ってしまうのかな。
でも、私にランドセルや住居のことを言っても、無駄だよぉ~。

臨時で開かれた会合。
 
図書館内のカフェだ。なんだか懐かしい風景だな、と思ったら、菊の花を私はそう感じたようだ。

結局、この集まりには一度しか来なかったB子さん。
みんなまともに継続的に来てくれないことを嘆いていたフィリピン人とのトラブルの話し、これからの活動の計画・・・だんだんややこしくなってきた。

組織的な活動にあまり馴染めない私も、少し真剣に取り組まなくてはならない羽目に陥っている。


マレーシア人のドイツ出張

2016年10月27日 | カテゴリー分けするのに飽き
ドイツで北欧某国の会社に勤務しているKさんが数ヶ月前から東京勤務になった。
Kさんはマレー系マレーシア人だ。
どうしてドイツにマレー系マレーシア人のエンジニアが多いのかというと、マレーシア政府がせっせと外国に若いマレー系を留学させているらしい。
もちろん、そこで学んだものを母国で発揮させてもらいたいという目的なのだが、留学した本人たちは、たいていその留学先の給与や生活レベルの高さに魅せられて現地就職をしてしまうらしい。
Kさんもその一人なのだろう。

Kさんは二週間の出張で、東京からドイツにやってきた。同じくマレー系マレーシア人の奥さんも一緒だ。
彼らのために、パーティが開かれた。
 
私も親しくしているマレー系マレーシア人Z子さんの料理。
そういえば、彼女もマレーシア政府がドイツに派遣し、ドイツ語を学んでマレーシアの学校でドイツ語を教える予定だった人物だ。
ドイツ留学中にドイツ人男性と結婚したんだ。
この日の料理はかなり辛かった。ほんの少ししか食べられなかった。

デザートはしっかりいただいた。おいしかった。

Kさんは日本数ヶ月の滞在中にかなりのレベルの日本語を習得していた。マレーシア人は語学習得能力に優れている人が多い。
日本の職場では英語が使われているが、やはり生活には日本語が必要ということで、勉強しているのだとか。
彼のお祖母さんがシンガポールで生まれ育った中国系だそうで、孫の彼も、かなりモンゴロイド種風の特徴を備えていて、日本の雑踏で特に目立つというわけでもない風貌だ。
奥さんのS子さんは四年のドイツ生活経験がある。
彼女に、イスラム教徒としての東京での生活の感想を聞いた。
「ドイツより、ずっと過ごしやすいです」
これにはかなりたまげた。
イスラム教徒と接するのは、歴史的には長い欧州だから、きっとドイツの方が良いだろうと予想していたからだ。
「近所のショッピングモールには祈祷所があります。ここにはないでしょう?」
むむっ、日本、空港どころか物を売る場所にもイスラム祈祷所を造ったのか。
「ハラールフードも簡単に手に入りますし、ハラールレストランも多いです」
そのハラールレストラン、大丈夫?とちらりと思ったが黙っておいた。
とんかつを提供しているハラールレストランを見たことがある私だ。
「回転寿司、大好き!」とか「ダイソーとセリア、素晴らしい」という発言。
イスラム教徒としての生活より、そのほかの面で日本の生活はドイツより楽しくて便利らしい。
「人々は優しくて親切です」
これも、ドイツ生活との比較だ。ああ、よくわかるぞ!
イスラム頭巾の女性たちを嫌う高齢者も多いドイツだ。日本では、そのイスラム教徒の存在が、まだ物珍しいので大事にしてくれるのだろう、と彼らと話し合った。

Kさんも、物価の高さを除けばおおむね東京の生活には満足している様子だ。
「でもね、日本の会社では働きたいと思いません」
数週間前の超過勤務続きの女性の死亡事件がテーマになった。
日本に住みたいけれど、日本の会社で働きたくない、という外国人の意見は以前にも聞いたことがあった。

集まったのは、私を除き、みなイスラム教徒。
成人女性は皆、頭巾着用。
 
私は無宗教主義を公言しているけれど、こうして彼らの集まりにも招かれている。
彼らは意外と大らかだ。
東京周辺で在住していると思われる頭巾女性を見かけたら、日本語でいいから積極的に話しかけてみることを提案する。
「あなたのお国の料理を教えて欲しいです」
とか、喜ばれる質問だ。

図書館の本返却でグローバル化を見た。

2016年10月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
明日が返却期限の書籍を持って図書館へ急いだ。
ところが、臨時の休館だった。
あわてることはない。数ヶ月前に設置された自動返却機を使えばいいんだ、と入り口すぐそばのそこへ行った。
あれれ?作動しないぞ。

画面をちらりと見ると、ぱっと目に入ったのは真ん中の日本語。

決して、日本人来館者が多いからこうなったのではないのは明らかだ。
この機械を作った会社が世界各国にこれを売り込んでいる様子がよくわかる。
ちょいと前だったら、ドイツ語だけの表示にするようにしただろうが、そんな手間をかけるよりどこでも売れるよう同じにしておいたほうが製造のコストが下がるのかな。
「システムは調整中です」
なんてちょっと回りくどいぞ。
ドイツ語のように「ただいま使えません」としても、外国に住む日本人には全然平気だ。

ここでは家電も説明書が各国語で書かれているものがついていて、分厚くなっている。
ドイツ語のページを探すのが一苦労だったりすることもあるぞ。
どうせなら、日本語も入っていればいいのに、どういうわけかないんだ!
日本メーカーの製品だったりすると特に悔しく思ったりする。

物もそうだが、人もあちこちへ転勤を命じられたり、自らが外国に就職を希望する時代になっていることを感じている。

さて、返却できなくて困った私。
仕方がない、明日、またここに来ることにしよう。
何しろ、期限を一日過ぎると、超過料金が発生するものね。
日本の公立図書館にも真似してもらいたいぞ。なにせ、グローバル化、グローバル化、と意地悪く思ってしまう悪いりす。

付かず離れずの関係

2016年10月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
アフリカ人のM子さんが私に買い物を頼んだことがあった。
「りすさんの日本の親族に笹葉茶を送ってもらうように頼めませんか?もちろん代金は支払います」
帰省前に、あるいは帰省中に私に買い物を頼む人は多いが、私の日本の親きょうだいを利用して日本の物資を手に入れようとする人に出くわしたのは初めてだ。
頭ごなしに断るのも失礼だと思ったので、アマゾン日本の英語ページで彼女の欲しいものが掲載されているページを見せたりした。
「こちらにも発送可能です。日本に在住するあなたのお友だちのところに送付して、彼女に送ってもらうののいい手です」
その後、連絡がないので放っておいた。
数週間前、久しぶりにメールが来た。
「今日の午後、お茶でもいかがですか」
こうした急なお招きは、特別な場合を除き、私はすぐに却下だ。
まったく、買い物や急な呼び出しって困るよな・・・と私は感じるのだけれど、彼女にしてみたら「どうも、りすに嫌われている様子だ」としか思えなかったらしい。
それは誤解であることを丁寧に説明し、私は容姿も性格もいいM子さんを大事にしたいと思っていることを伝えた。

そのまま掲載できないのが残念な写真だ。
10年ほど前だったらファッションモデル級だっただろう、M子さん。

インド人のJさんは私をひと目見るなり気に入ったようだ。
「お互い時間があるときにお茶しましょう」
こうした気軽なお招きは一応、はい、と答えるのが礼儀だろうと思ってそうしたが、彼はインド人。
一体、お互い既婚者の我々がそういうことをしていいのだろうか、ともお互いの文化背景を重ね合わせて考えてしまった。
日本ではどうだろう?既婚者の異性が、特別な目的でなく単に会話を楽しむために逢うことってあるのだろうか?
インドだと、なさそうな気がする・・・ドイツ人はあるそうな。
では、我々はその、ドイツ風の習慣でそういう約束をしているのか??よくわからない。
今のところ、Jさんは多忙で、とてもじゃあないけれど外でお茶する暇もないようだ。

「私の仕事が一息ついたら、ウチで食事はいかがですか?弟は料理が上手なのですよ。旦那さんと一緒にいらしてください。私の娘も喜ぶでしょう」
彼は妻子と弟と暮している様子。
一気に家族ぐるみでの交際を申し出てきたので一安心だ。
インドの家庭料理、おいしいのはここで何度も経験している。是非、招かれたい。

特別親しくないけれど、挨拶程度の付き合いができる知人友人が多くなってきていることに幸せを感じる昨今だ。
もちろん、お茶や食事に招かれるのも嬉しいぞ。

イスラム教徒のJさん。
私がおにぎりを勧めながら「これはハラール(イスラム教徒用肉抜きアルコール抜き食材を使った料理・食材)です」と言ったら、「あ、何でも構いませんよ。私はイスラム教徒だけれど、ここの生活ではあまり細かく気にしていませんから」
こういうイスラム教徒がいることを予想していたが、その実物は二度目だな。一人目はドイツ語コースの講師だった。奥さんは改宗していないドイツ人女性だった。

奴隷ヨメ生活もなかなかよろしい

2016年10月25日 | カテゴリー分けするのに飽き
「何か洗濯物が上にありますか」義母が私に尋ねた。
義母の洗濯は突然開始されることがある。
彼女の予定、一家の洗濯物のたまり具合などによるのだろう。ちなみに、天候がその要因になることはまず無い。
晴れようと雨だろうと全く関係無し。日本の生活ではいい天気だと洗濯日和と考えたのにね。
食事はもちろん、洗濯も私に主導権は無い。
ここ数年は手洗いに限っては自由にやらせてくれるようになった。食事については昼食以外は私自身が自由に食べることができることを明記しておこう。

義母の相変わらずの洗濯方法。
一度目の洗濯(白物洗い)の廃液を溜めておき、その廃液に汚染度の高い洗濯物を浸す。
以前は卒倒しそうな光景だったが、今じゃあ合理的で洗剤の節約にもなるいい方法じゃないかぁ、と感心している(ウソっぽい、ちょいと誇張。私のブログはそういう記述も多いので注意)。

知人宅を訪問すると、彼女の家では大抵洗濯機が稼働している音がする。
「毎日洗濯しますよ」ですって。
2、3週間に一度、という伝統的な洗濯頻度のウチとは大違いだ。
「洗濯機は保障期間を少し過ぎたところで必ず故障します」と彼女は言っている。
「値段は関係ないわ」ですって。
ウチの洗濯機はすでに私が来る前から使っているから10年を超えているだろう。
頻繁な洗濯はもしかして、洗濯機に負担がかかるのかもしれない、とも考えられるし、日本でもよく言われているように、ここでも「最近の家電の故障しやすさは故意にそのように製造されている」のかもしれない。

義両親たちの肌着の洗濯物の数が少ないのと比較して、私のが異様に多い。
パンツなど、彼らは同じ物を3,4日穿いているのは間違いない。
冬場は暖房で手洗いでもすぐ乾くので、パンツの洗濯での消耗を避けるためにも(日本からのパンツは貴重品、ここのパンツで私サイズ、私の求める品質は皆無)手洗いしている。
ああ、やっぱり、ちょいと遠慮しているかな・・・洗濯機に負担がかからないように、って!

家事の主導権が無い、奴隷主婦生活もあと少しで八年か9年になるなぁ。
自分がちょいと人並みでない感覚であることが幸いしていると思う。
「こうでなければならない」と考えるのは、上手く行かないときにもっとも危ない考え方だし、
「こうしたい」という希望をあまりにも強く持ちすぎると、そうならない場合にストレスになりすぎる。
「ま、テキトーに」とのらりくらりとやっていくのがいいのかもしれない。

実際のところ、最近、ちょいと上手く行かなかったことがあり、落ち込んでいるところ。
家の中のことじゃあなくてね。
ま、そういうこともあるだろう、テキトーに交わして、心のエネルギー充電中。

赤くなりきらなかったトマトを採取して、このように保存する義母。
これらのトマトは義両親たちの朝食になる。
私たち夫婦には貴重な完全無農薬、本物有機栽培の自家栽培トマトだ。遠慮している。本当。
寄生夫婦、奴隷ヨメの自覚充分さ!

衣類はもらい物

2016年10月24日 | カテゴリー分けするのに飽き
手持ちの衣類のほとんどが頂き物か中古の品だ。
以前は新品でも趣味の合わないもらい物や、ちょいとした傷やほつれが気になる中古品などあまり興味がなかった。
ここでは自分のサイズがないことが、もらい物や中古に喜ぶようになったきっかけだった。
「とにかく、着ることができればいい」
という感覚に一時期なったものねぇ。
子供服売り場をうろうろすることさえ躊躇した思い出。
ドイツ人でも子供服売り場を自分のために買うこともあるらしいし、長身の中国人女性も「C&A(ユニクロとほぼ同じ価格帯の衣類店)の男児服は私にぴったり」と言っていた。

最近のもらい物はこれだ。

右のパーカーは男児用。152-158というサイズ表示だ。義母の妹の孫からのお下がり。
素材は綿100パーセント。C&Aの品なので、そんなに悪くも無い。
左は何年か前に日本の親族にいただいたユニクロのフリース製品。サイズM、もちろん成人女性用。
腰の辺りがくびれているのがそれとわかる。
着た時に、ファスナーを閉めるとそれぞれのデザインの違いがはっきり出る。
男児用は、やはり男児用。
でも、私が着ると、いちおう体裁は整うので大切な一枚となった。
夏場にちょいと羽織るときにかなり便利だ。

何度もこの二着を着たり脱いだりしているうちに、決定的な違いに気付いた。
ファスナー。
こちらの品、ダメね。
閉めるときにちょいと苦労する。
日本からの品、まったくそうした手間がかからず、さっと上げることができる。

「日本の品も最近は悪くなってきました」
と報告してくれる人もいて、実際、帰省時にそれをちょいと感じることもある。
でも!
でも、まだまだだ。
ファスナーひとつでもそれを感じるんだぞ。
だいじょうぶだ、日本の人たち、安心してくれ。

小さい我家

2016年10月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
人口が密集している市街地の住宅と比較すると、ウチは単純に大きいほうだとは感じる。
特に、実家からここにやってきた当初は贅沢な空間がたくさんあるウチの様子にいちいち驚愕していたものだ。
ところが、慣れとは怖ろしいもので、最近は「もっと収納場所が欲しい」「台所、狭いぞ!」とちらりと思ってしまう。
実際のところ、ウチは、ここ周辺の家屋と比較すると小さいんだ。
一番左がウチ。
すぐ隣が1.5倍ほどの大きさであることが一目瞭然だ。右に続く家屋も、単純に比較するとウチより小さいものが存在しない。

日々の掃除はもちろんのこと、暖房費、壁塗り替えなどの手入れに凄まじい金額がかかっているのではないか?
特別に金持ち地域ではないここ、皆、日頃の食費を削って家屋維持に執念を燃やしているのか?

三軒ほど隣は、一戸の家屋ではなく、壁がつながった集合住宅か、もしかしたら二世帯住宅かもしれない。
ドイツでも地上階が親、二階以上に子供夫婦が暮しているという二世帯住宅がとても多い。
玄関が完全に別な場合より、一緒で、入ってすぐに上と下に別れているのを多く見てきている。
ウチもそうできないものかなぁ、と考え続けてきたけれど、一向にそうする提案もないので、このまま突っ走るしかない。


もうすぐハロウィーン。
二年ほど前に、ウチにお菓子をもらいに来た6,7歳位の女の子がいた。
後ろにママが控えていたけどね!そりゃ、心配だろう。
義父は全くハロウィンについて知識が無い様子。
義母が食糧小部屋からさっと菓子を掴んで、彼女に渡していた。
「なるほど」と思った私は翌年にはちゃんと包装した小さい菓子包みを用意したものだ。
でも、去年は空振り、誰も来なかった。
今年は誰か来るかな?

ティッシュは使わない

2016年10月22日 | カテゴリー分けするのに飽き
風邪はまだ治らない。家の中では結構調子いいので、油断して無理をしたり外出したりするととたんに反動が来るので慎重にすごしている。
南米某国在住の日本人友人からも風邪の報告が来た。
あちらは南半球、亜熱帯に属しているとも言われる場所なのに今頃風?と思ったら、冷房でやられたらしい。

時ほぼ同じくして、風邪でお鼻ズルズル咳も止まらず、先ほど今夜の演奏の依頼をキャンセルしたところです。ハープと歌の演奏だったのですが到底無理な状態です。夫は代役探しに奔走してます。
原因は冷房をつけて寝たこと、夫が暑がりで我慢できず、自分に責任があるので私に文句は言えません。私の枕もとのお供は鼻をかむトイレットペーパーと咳止めシロップ、6時間ごと5ml飲んでます。ティッシュは未だに普及してません。


音楽家の彼女、頻繁にステージでの演奏会がある様子だ。
最後の一文「ティッシュは未だに普及していません」に、自分が途上国(日本政府の援助は一時期ものすごかった)に暮していて、物資が豊富でないことを嘆いているのかしらと予想。
私がそこに暮していたときは「西欧州もきっとこうなのだろうな」と思ったものだ。
ラップフィルムを使わない皿の上の残り物保存方法も私はそこで学んだし、実際ここに来て義母がそうしているのを見て「やっぱりぃ」と喜んだものだ。
もっとも、風邪を引いたときにティッシュで鼻をかむのは危険なことを知っているので、私はずいぶん昔から古布を使っていた。
頻繁にティッシュで鼻をかむと、鼻周辺の皮膚が痛んでくるんだ。真っ赤になった鼻で学校にいるのは屈辱だった。
布だとほぼ影響なし、という現実にびっくりしたものだ。
ドイツでも、箱のティッシュをふんだんに使っている家庭は少ないと思う。
ウチは全く買わない。他の家庭でも、置いてあるのを見たことが無い。売られているのは確認しているので存在しているのだろうが、南米同様「未だ普及していません」なんだ!
日本のティッシュやラップフィルムの消費の仕方は、世界的に見ると異様な量なのではないか?

風邪薬を服用することはしないけれど、痛み止めは時々使う。
日本から持参した痛み止めの消費期限が近づいているので、ドイツの品に挑戦してみることとなった。
心配なのは、ドイツ人成人平均体格のおよそ半分位の自分が、こちらの薬品の量に耐えられるかどうかだった。

説明書には、なんと、ちゃんと体重で摂取量が説明されていて感激した。
何とか40キロ以上を保っている現在、私は一度に1~2錠摂取可能だ。
日本の品の多くが15歳以下の摂取を禁止しているのとは違う発想のこちらの市販薬。
結局、痛いの我慢して摂らなかったんだ。日本人得意の我慢ね。まだまだ立派に日本人なわたし。
なかなか薬さえも消費しないぞ、うほほほほ。




治癒を早める方法、ストレス(義両親)除去。

2016年10月21日 | カテゴリー分けするのに飽き
風邪の治癒まで平均一週間から十日ほどかかるそうだな。
「かかったかな」と感じたときからまだ一週間を過ぎていないので、今現在もふらついているのは普通なのだろう。
比較的用事の無い生活をしているはずなのに、様々な断りの連絡を入れなくてはならないし、布団でうんうん唸っていても、そばに置いてある携帯電話には「りすさん、げんきぃ~?」とちょいとむかつくメッセージが入って、いちいち「病気です」と書かなくてはならなかったりで、なかなか多忙な風邪治癒生活だ。

義母も夫もいろいろ協力的だ。
夫の協力はあっさりしていてよろしいが、義母のはしつこくて怖ろしい。
「なぜ肩掛けをして寝ないのですかっ」と、たまたま肩掛け(日本から持ってきた優れもの、義母にも贈って凄まじい好評を得ている品)を外して台所でお茶を淹れていたのに。
 
夫からはアスピリン、義母からは塗り薬やシロップ、お茶が提供された。
義母が差し出す飲食物や薬品は注意が必要だ。どれも怖ろしく古い品である場合が多いからだ。
案の定、咳止め茶は三年前までの賞味期限だった。
 
私もすでに長いこと義母に古い食品を摂取させられているから、この程度では驚かない。
お茶のような乾燥品だったら「ま、いいか」と、早速ガンガン飲んでいる。
本格的な薬品や水溶液の品だと躊躇する。
一応、有り難いフリをして受け取り、そのまま何もせず、という人間関係を上手く交わすワザを体調激悪のときもこなさなければならない。

数時間前、義両親たちは知人の見舞いのために出かけていった。
午前中は布団から起き上がるのが困難だったのに、彼らがいなくなってからなぜかするすると動けるようになり、りす部屋の掃除機かけを済ませた。
横になる気になれず、このようにブログ更新もできるぞ。
うん、病は気から、だなっ。


中国語の素養が必要なドイツ生活

2016年10月20日 | カテゴリー分けするのに飽き
某東南アジアに住む日本人友人S子さんの孫のお誕生日ケーキ。
S子さんの旦那さんは中国系現地人で、彼女の息子さんも中国系現地人の女性と結婚したようだ。
すでに中国系移民が現地に移住してからの歴史が長いこの国、それぞれの民族のやり方で生活している典型的な多民族国家だ。

ああっ、もう、某国なんて書かないほうが良いな。マレーシアね、マレーシア。
昔は憧れたんだ、多民族国家の面白さはすばらしく感じた。
今、住んでいる場所が、まさしくそれに向かって猛進中なのに、なぜか不安に感じるのはどういうわけだ!?

さて、このケーキのチョコレートに書かれてある名前が、しんちゃん。
伝統的な中国語名で、二つの漢字からできている。
その前の部分が日本語でも「シン」とほぼ同じ発音の文字を使う。
本場、中国大陸では、日本語のぶり仮名に相当するような拼音と呼ばれる特殊な使い方のアルファベットを使う。
それによると、しんちゃんの「シン」の部分はXinとなる。
中国国内と世界の中華人民共和国の拼音で学習した中国語学習者しか正しく読めないかもしれない。

義父のスポーツクラブの仲間に「新」さんという中国人女性がいて、彼女のこの名前もXinと綴る。
中国人のパスポートなど公式書類はすべて中国式拼音で書かれているので、彼らも極自然にそれで通してしまうのだろう。
困るのが、周囲の中国語の知識の無い人々だ。
義父など、二年も付き合いのある彼女をやっと、正しく「シン」と呼べるようになった。
Xがあるので、どうしても「クシン」と呼びたくなってしまうようなのだ。
その他にも、読み方の難しい名前がたくさんあり、義父はここ数年急激に増えた中国人仲間を呼ぶのに混乱をきたしているようだ。

彼らも、このマレーシアのしんちゃんのように、普段は読みやすいように表記すればいいと思う。
もっとも、ドイツ語綴りと読みの規則でどう工夫してもどうにもならないアルファベット表記もたくさんある。
Weiさんが良い例だ。
ヴァイ、となってしまいがち。ウェイとどうしても呼んでもらえない彼女、諦めて「ウィ」と呼んでもらうことにしたようだ。
ドイツ語母語の人たちは子音+「エイ」の音を発音するのが難しいのかしら?
いっそのこと「Way」にしたらいいかもしれないぞ。英語の素養のある人は(大抵そうだが!)すぐに読める。

日本在住中国人たちは、漢字表記の自分の名前を日本の読み方で呼ばれて満足しているのだろうか?
私の知っている限りでは、日本語読みで大丈夫だったので、そういう人たちも多くいることだろう。
中にはこだわって、難しい子音の発音やアクセントを正確に要求する人もいるのかな?

台湾人などは大陸中国との差別化に熱心で、彼らの名前をアルファベット表記するときは中国のそれとまた全然違う綴りなので、もう、判読不能。
漢字で書いてもらって、辞書で調べて大陸中国の拼音を読み、やっと正しく彼女を呼ぶことができるんだ。
もっとも、そうした煩雑さを彼らもよく知っていて、本名なのか愛称なのか欧米人風の名前を名乗る人々も多いので、それはかなり楽に感じるドイツ生活。
日本にいたら、きっと漢字を日本語読みされちゃうだろうな。いや、日本も多民族国家化激しくて、モンゴロイド顔の人々を平気でアレクサンダーとか、ロベルト、とか呼べるようになっちゃうだろうな。