怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

いつ食べてもおいしいインド料理

2017年11月29日 | カテゴリー分けするのに飽き
親しくしているインド系英国人F子さん宅に強引に昼食をごちそうになった。
「あなたのチャパティを是非もう一度食べたい。近所の日本人も食べたがっている」
と私が懇願したんだ。
日頃、義母食を食べている私はときどき知人・友人宅を訪問して食べさせてもらっている。自分で和食でも作る努力をすればいいのにねぇ。
F子さんは持病の関係で食事時間を調整しているので、私たち二人日本人とは一緒に食べなかった。

チャパティとキドニービーンのカレー。F子さんは気を利かせてカレーがダメな場合にマーガリンとジャムを一緒に用意していてくれた。
チャパティは指で食べるものであることは普通にひろまっているのだろう。ナイフが添えられていないところに伝統食のプライドを見た。
このテーブルの茶色いビニール敷物が気になるんだ。いつ帰国命令が旦那さんに言い渡されるかわからない駐在の身分だ。買ったテーブルを傷つけたくないのはよくわかる。
味はいつものように申し分なかった。旨い。同行した在独日本人仲間は私より一枚多くチャパティを食べていた。それくらい誰にでも旨い。

食後、しばらく歓談した後にマサラティーを飲んだ。
これも私のリクエストだ。私はここ数ヶ月毎朝自分でマサラティーを作って飲んでいる。入れる香辛料はF子さんの英国みやげだ。ときどきF子さんのより本格的なマサラティーをいただいて、私のマサラティーの味にブレが無いかどうか確認したいんだ。
紅茶葉が違うようで、自分の毎朝のマサラティーはちょいと負けていた・・・
またしても敷物に気合が入っていなかった。新聞。要するに味がよければいいんだ。
マレーシアのきったない屋台の料理がおいしかったことを思い出している。

さて、先週だったか、マクドナルドのコーヒーがおいしくなったことを書いた。
無料配布キャンペーンで、そのおいしくなったのを確認したが、いまだにちゃんとおいしいままか確認したくなった。
 
再びマクドナルドへ。
うーん、カップもクリスマス。ドイツではあまり縁のないかわいいイラスト。
肝心の味は・・・うん、そのままだ!おいしい。
これで外出時のコーヒー休憩を安心して楽しめる場所を確保できることになった。
ドイツマクドナルドよ、このまま味を保ってくれよ~。数ヵ月後には元のまずさに戻るとか、ありうるだろうからなぁ・・・侮れないドイツ生活。



義母のリスぶり

2017年11月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
義母は古い物資をたくさん持っている。アンティークではなく、単に使い古した古いもの。
衣類など、穴や擦り切れたものだらけ。
その姿を10年観察していたら、私も影響を受けた。
この厚手ストッキング。日本で生活していたときは、こんな品を穿き続けるなど考えられなかった。

たとえ、他人には見えない場所がこんなになっていたとしても、着用している自分がなんとなく惨めな気分になったものだ。
実家生活ほど外出が頻繁でないことや、寒さ対策にこうしたストッキングを重ね着に使うことなども影響しているかもしれない。
日本では寒くても極端な重ね着はみっともないという意識があったものだ。また、その頃は今と違って筋肉量があって今ほど寒く感じなかったのかもしれない。厚手のストッキングを穿く時期もここより短かったかもしれない。実家でひと夏越した衣類が極端に傷むことも経験している。自然と衣類の購入量は多くなっていたのだろうな。

そういうわけで、義母と同じように、ボロボロの古い衣類を着続けることができるようになった私。
義母は私よりさらに高度な溜め込み癖があって、肩幅がやたらに広い昔の流行のセーターを長いこと大事にしていた。
誰かが着てくれるだろう、と思っていたに違いない。

瞬時に「え、要らない」と思ったが、義母が試してみろ、としぶといので着てみた。
うーん、暖かいのはよろしい。では、家の中用としてもらうことにしようか。
こうしてまた一着、わたしのボロ服が増えてしまった。

夫の仕事用ワイシャツが増えすぎたので一部を処分することにした。夫は衣類の処分に意識は回らないけれど、新たに買ってくるのはせっせとやっている。誰かが整理しないと、部屋は夫衣類で埋もれてしまう。

襟先の痛んでいるものを集めたら13枚になった。
義母はきっと捨てるのを嫌がるだろうと思った。案の定「袖を短くして私の庭仕事用にします」などと言った。
13枚も、庭仕事用シャツが必要かいっ?!
襟以外はよい状態を保っているワイシャツだけれど、心を鬼にして捨てなければならない。
しばらくすると、義母も諦めたようで「来週、ボランティア団体に寄付しましょう」と言った。
その団体でも襟先痛んだワイシャツの扱いは難しいのではないか・・・と考え出したらきりが無いので、思考ストップさせることにした。






片付けられない夫には金運が遠のいているのかも・・・

2017年11月27日 | カテゴリー分けするのに飽き
このスーツケースを使った夫のオランダ出張は確か9月上旬だった。
いまだに片付けられることがなく、このように転がっている。

義両親たちはもちろん数度注意している。自室ではなく共用スペースに置かれているからだ。

夫、全く片付ける気力なし。
また次の出張が予定されているのかもしれない。そうなると、出しっぱなしの気持ちは私もわかる。
義母など、毎日毎回食器や鍋を棚にしまう。、数時間後にはまた使うのだから調理台の上に置きっぱなしでもいいではないか、という考えだと、とたんにすっきりした場所が乱雑になるだろう。

親に似ず、片付けるのがひどく苦手な夫。
健康保険カードや身分証明書などをしばしば紛失するようで、何度も再発行してもらっている。現金もたびたび落としたり置き忘れたりしているのだろうな。
クレジットカード紛失も一度あった。遠距離交際中、彼が日本に旅行に来たとき、持っているはずのカードが無くて滞在先の私の実家をくまなく探したけれど見つからなかったんだ。
その時も「この人、大丈夫だろうか」と僅かに不安になったものだが、現実となった。
稼げないから、家賃払えないから親のところに居候・・・

ちゃんとスーツケース片付けろよっ
片付けられるようになれば、きっと独立して生活できるようになるよぉ~。
いや、今更そんなことを希望しない私。
せめて、週末くらい一緒に出かけて映画観てお茶くらい(食事代は払えないだろう!)しようよ~。





台所で主役になれない辛さ

2017年11月26日 | カテゴリー分けするのに飽き
仕方がないとは承知している。
食事の献立主導権を握るのは義母だ。すでに材料でさえ、私には選ぶ権利は無い。
自分のためにちょいと買い込むくらいの自由はあることに感謝しなければならないかも。
いや、野菜炒めで醤油などを使うと、とたんに苦情だ。「臭い!」感謝の気持ちも薄れてくる。

夫がいる週末の献立。週末は義両親のほかに夫の好みも考えに入れる。
魚を棒状に加工した「魚棒」(私独自の訳)は夫の好物だ。

夫の皿はたっぷりのパスタ。わたしの皿にはたっぷりの米飯。

米飯をこのように常食できる自由にも感謝しなくてはならない。
ああ、他の在独日本人たちはそんな感謝など必要ないだろう。ドイツ人の家族がいる人たちは多少なりとも彼らの好みに合わせる必要があるにしても、ほぼ全面的に言われるままになる可能性は低いだろう。
他と比べた自分の立場の悪さを考えたらきりが無い。
これも、何か無意識にやったばかな行動のバツゲーム。あるいは家賃や住宅ローンのため、と考え、日々義母料理を味わうことにしよう。

村の極小クリスマスマーケット

2017年11月25日 | カテゴリー分けするのに飽き
11月25日土曜日、人口約1500人のこの集落のクリスマスマーケットが開催された。

この日限りのミニクリスマスマーケット。大きな街のクリスマスマーケットは外国人観光客で賑わっているのとは全然違う。
近所の住民が集まって、アルコールを飲みながら歓談している。まだ時期が早いので、クリスマスツリー売りなどは暇そうにしていた。
2010年には義両親たちと一緒に来ていたというブログ記事がある。2010年12月1日記事「村のクリスマスマーケット」ずいぶん長々と書いているので、その当時はまだ私にはクリスマスマーケットが目新しい物事の一つだったのだろうなぁ。
今回は動画撮影。へたくそながらも最近はせっせと動画もブログにしている勤勉な私?!
真っ黒な部分はホルンを演奏している8人の人々。暗い中でいろいろやってしまう欧州人。日本はどこでも過剰なほど明るくしてしまうのとは対照的。



数日前に所用のためミュンヘンへ行った。クリスマスマーケット始まっているか、と期待したのだが、まだだった。

都会へ行くたびに感じるのは建築物の華やかさ。

まだ準備中なところも趣があってよろしい。

世の中の流れについていきたい気持ちはよくわかるぞ、お義父さん。でも私の話すことを聞いてくれっ

2017年11月24日 | カテゴリー分けするのに飽き
義母が風邪気味で同席できない某宴会に義父と二人で行くことになった。ここでは凄い年の差結婚の欧州人男とアジア人女夫婦がかなりいて、わたしも義父と二人で出かけるとそのように間違えられる。初めのうちは嫌だったけれど、今は「勝手にどうとでも思ってくれ」という心境さ。

その集まりは19時開始だった。
街中なので駐車場探しが難しいだろうと早めに家を出発した。
会場から徒歩数分のところの駐車場が一台分空いていた。ラッキー!と私たち二人は喜んだ。
駐車料金のために義父はパーキングメーターまで歩いて行った。私は車のそばで待っていた。
何分経っても戻ってこないので、何か戸惑っているのだろうと私も見に行った。
義父「これはスマートフォンでしか料金を支払えないんだ。硬貨が入らないんだ」
りす「え?でも、一週間前、ここで料金を払いたい女性がわたしに両替を頼んできましたよ。無事にこの機械で払ってましたよ」
義父はもちろん私のそんな体験談を真剣に聞くこともなく「ここはダメだ」と諦めた。
再び車に乗って、宴会会場から徒歩15分かかるところへ行った。
義父「ここもスマートフォンしか使えない!」と言うので私はおかしいと思いその表示を凝視した。
りす「お義父さん、ここは料金支払いは9時から18時までで、18時以降は無料って書いてありますよ」
私の言うことなど、まったく聴こえないのか聞きたくないのか、無視された。
また、別の駐車場に向かった。
そこからは20分歩かなければならない。でも、義父が使い慣れている場所なので、安心だ。
無事にそこに駐車して、私たちは急ぎ足で20分歩いた。
義父は「遅刻は大嫌いだ」とブツブツ言っていた。だったら、私の話をもっと聞いてくれよー。

すでに、みんな集まっていて歓談していた。
早めに家を出たので、そんなにひどい遅刻でもなかった。用心深い義父だものね。

後日、そのパーキングメーターを撮影した。

これをみて、ドイツ語が全くわからなくても硬貨で支払えることはすぐにわかる。

九時から5時まで料金を徴収する、というのもドイツ語の壁が高くともちょっとした常識で判断できると思う。

義父はそんなことより、この携帯電話の部分を見て舞い上がってしまったのだろう。
自分では使いこなしてみたい携帯電話(スマートフォンはもっていない!)、日々指南書を読んで理解を深めているはずなのに普通の通話すらすることができないもどかしさ。
そんな劣等感があせりを起こし、表示を見るなり「もうダメだっ」と勝手に解釈したのだろう。
でも、となりの息子のヨメがちょろちょろ口出しているのをもうちょっと聞いてもいいんじゃあないか?
ああ、そうさ、アジア人ヨメはなーんにもわからないおばかさん、ってことで、それで満足させておくほうが家庭円満。

翌日の朝、義父は義母に「街中の駐車場は午後6時以降は無料だったぞ」と得意げに話していた。
むっ。


マリファナ初体験、香辛料を吸っているような感覚

2017年11月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
街中に住んでいるB子さんの窓から外を見るとこんな風景だ。
実家生活ではもっと近所が近かったのに、今ではこれでさえ息苦しく感じるのだから慣れとは恐ろしい。
 
天井を見上げるとすてきな照明。各部屋にこれが使われている。

イケアで入手したそうだから、日本でも売られているのだろうな。かなり大きいので日本の都市部の住まいには合わないデザインかもしれない、とちらりと思った。どなたか、使っているかな?

具合の悪いB子さんは医師に処方してもらったマリファナたばこを手放せない。

私にも勧めるものだから驚いた。
「腱鞘炎の痛みにも効くかもしれませんよ」と言われてちょいと心が動いた。
喫煙の経験もないのに大丈夫だろうか、とこわごわと吸い込んでみたら・・・
咳き込むこともなく、普通に呼吸しているのと同じ感じだった。
慣れてきてちょいと深く吸い込んだら、何かいい味のする香辛料を食べているような感覚がした。
目の前にはもう一人、スーダン人の男性がいて、私たち三人はそのマリファナを回して吸っていた。
こ、これって、凄い光景だよな。
日本だったら大変な騒ぎだぞ。白人おばさんと黒人難民の三人でぷかぷかと。
「私の医師だったら、きっと腱鞘炎にもマリファナを処方してくれますよ、紹介しましょうか」
とまで勧めるB子さん、おいおい、医療用マリファナでジャンキーになってしまった? 腱鞘炎レベルでは無理かと思います、とやんわりと断った。

ちなみに今回の私のような経験では(あるいは医療用に処方された製品だからか)感覚が鋭敏になるとかトリップするとか眠くなる、腹が減る、のどが渇くなどの症状は一切なかった。
また、手の腱鞘炎も痛いままだった。
常用している調整されたこの薬剤のおかげでB子さんは自立した生活をきちんとしている。

住まいのインテリア、なんとなくジャンキーっぽい(私の勝手なイメージ)んだ。この絵などそんな印象がしないか?

B子さんがどんな病気でマリファナを処方されているのかまだ尋ねていない。
癌の痛みなどにはこうした麻薬が使われるが、まさか、癌じゃあないだろうなぁ・・・







日本語上達中の彼女に褒められた

2017年11月22日 | カテゴリー分けするのに飽き
空港勤務のM子さんとのやり取り。
彼女は日本人旅行客と頻繁に接するので日本語を勉強している。
最近はかなり高度な日本語もマスターしている。
「〇〇〇〇〇はどういいますか?」と尋ねてきて、私が返事を書こうとしている間に、彼女が書いてきた。

「とじゃけん おす ください」
もしかして、パネルをタッチするのを「おす」と表現したほうがいいのか、とちょいと悩んだ。
いや、やっぱり、私の体験からそうじゃあないほうが確実かな、と返事は
「とうじょうけんを いんさつ してください」
と答えた。
さらにゆっくりと正確にそれを録音して送った。
それに対してM子さんは「完璧です」って書いてきた。
おいおい、日本語学習者に褒められてしまった私の日本語~

M子さんはこういう体験をしている。
日本人高齢男性客にどこかを案内した。「△△はそこの裏にあります」と言ったら、その男性から「裏ではなく、うしろ、と言う方がいい」とアドバイスされたそうな。
M子さんの日本語はそれほど流暢ではない。私と話すときはドイツ語だ。
日本に住んでいる外国人が日本語を使うときは「裏」と「うしろ」の微妙な(日本人には微妙でなく大きな違いだろうが)差異を使い分けるのは、接客業をしていたら必須かもしれない。
だが、ドイツ住まいのあまり流暢でない現地人スタッフにそこまで求めるのはやりすぎではないか。日本語を使って案内してくれる、というだけでも嬉しいサービスだと思う。そこでは日本語を話すのは義務ではない様子。職員それぞれの意思で個人的に勉強している。
こう書くのは心苦しいが、日本人中年以降男性は女性に対して上から目線の発言をする場合も多く、M子さんもその犠牲者になってしまったものと思われる。
M子さんはそんなことはあまり気にならなかったようで(まだ、日本人男のそうした傾向を知らないものと思われる)私に裏とうしろの違いを熱心に尋ねていた。

羽田空港国際線到着ロビーだったか。嫌な経験をしている。
某カウンターで場所を知りたくて尋ねたら、その20歳代前半東洋人女性職員は私に全く答えることをせず、不機嫌そうにあらぬ方向を見つめていた。
サービス業は世界一、の日本にこんなことがあるのか、とたまげた。
どうもそこは韓国人旅行客のための韓国語専用カウンターだったらしい。
そんな表示は無かったし、いや、あったとしても、彼女は「日本語わかりません」くらいの日本語をマスターしていてもいいはずじゃあないか?
上から目線日本人男性に説教されてもらいたいものだ。

それと比較したらM子さんの日本語力や態度は素晴らしい。










義父さんよ、携帯電話を使うのは諦めたほうがいいのではないか、だいたい必要なさそうだしぃ~

2017年11月21日 | カテゴリー分けするのに飽き
義父がこんな本を読んでいる。

4,5年前に私がスマートフォンに替えたとき、それまで使っていた携帯電話を義父にあげた。
新しい物事にいつも挑戦する義父、使いこなそうと説明書を熟読。それは素晴らしいとは思うのだが・・・
私は説明書をよく読んでからその品を使う人々をちょいと警戒する。そういう傾向の人物ととても親しくなることはまれだからだ。
使いながら説明を読む、というのが理想だったが、携帯電話やタブレットはもう、ちゃんとした説明書など存在しないものね。
義父には信じられない世の中の傾向だろう。

さて、この写真にある本はiPhoneの入門書だ。その脇に置かれている私のお下がりの携帯電話はガラケー。(おっと、ガラケーとは日本でスマートフォンが登場する前の普通の携帯電話って意味らしいけど!)
「これは違います」とアドバイスするのもかわいそうだ。
どんな本を読んだらいいのかまで判断できなくなっている。すでに義父は携帯電話に全然付いていけていない。
「ガラケーの使い方」なんて本、存在しないだろうし。

ときどき私の携帯電話に通話する練習をするのだけれど、実際に用事に使ったことはまったくなし。
通話でさえあらかじめ練習が必要なレベルの携帯電話操作知識だ。
「用事があるときは電話するから。使わないときは電源切っておく」と言い残して外出する義父。
そ、それじゃあ携帯電話の意味が無いではないか、と何度言っても彼はわからない。電源入れておくと電池が減る、という感覚しかないんだ!

そんな携帯電話の使い方を(使っていないのだけど)している義父、それで生活が成り立っているのだから、もう携帯電話にこだわる必要はないのではないかい?
週に数度、卓球クラブの指導に行っている義父だ。自分以外のほぼ全員が携帯電話で何か操作しているのを黙ってみているだけではつまらないのかな。
家に戻ると、りすがなにやら背中を丸めてちゃかちゃかと携帯をいじっているし。(義母、夫はやらない)

義父が携帯電話を使いそうな場面を想像してみた。
義父、卓球の練習の帰りに(午後10時ごろ)車で事故を起こす。
ウチに連絡をいれる。
早速、電源を切る。
音信不通・・・

いっそのこと、持ってもらわないほうがもしものときにイライラしなくていいかもしれないぞ~













新しい在独日本人仲間のドイツ生活入門

2017年11月20日 | カテゴリー分けするのに飽き
9月にドイツへ結婚移住してきたT子さんから届いた写真。
その一枚目がリスの写真とは嬉しい。秋口はリスがナッツ集めに忙しく、街中住まいの彼らはヒトを警戒するのを忘れてしまうのでよく目にすることができるらしい。

旦那様はドイツ人。義理のご両親を招いて日本食を一緒に作ったそうな。
彼女は西日本出身なのでおにぎりが丸いのかと思った。(それって、お餅の話だったな)
お義母さまが三角に握るのが難しいので丸くすることになったのだそう。なるほど。ウチの義母は絶対おにぎり作りなどに参加しないぞ。うらやましい・・・

街で見かけるさまざまな物資や物事が珍しくて疑問に思うドイツ生活初心者。
すでに10年になる私には気付かなくなってしまった日本の日本人には珍しい物事を撮ってくれた。
園芸店などに売られている盆栽、と名付けられている小さな木の鉢植え。

盆栽は意外と世界に広まっている日本の物資の一つで、南米でさえあった記憶がある。ちゃんと撮影したはずだが、写真喪失。
盆栽のどこに日本人以外が魅せられるのか、それをまだ私は解明していない。どなたかご存知?

男性ヌードアドベントカレンダー。

タオルを巻いているところで私としては全く面白くない品、という感覚になっている自分に驚いた。
ちゃんとドイツ生活1年目には珍しく思っただろうに。
日本周辺国の人たちには「日本は性にたいしてあっぴろげだ」ということを複数回聞かされたことがある。
マレーシア人の男性に「ノルウェイの森」が「性描写ばかりで云々」と否定的な意見を言っていたのは当時の私には斬新だった。
その日本でさえ、男性上半身ヌードアドベントカレンダー(普通のカレンダーでも)が堂々スーパーや普通の書籍店に並ぶことはめったにない。だから、T子さんも珍しくて撮影したのだろう。

ドイツ生活数ヶ月目。
いったい、私は何を思ったのだろうと彼女の意見を参考にしてみた。
料理の味が濃い。そうさ、それは今でもそう思うぞ。なかなか味覚は現地慣れするのに大変だ。
特に、スープ類の塩辛さはいまだに疑問に思う。疑問に思うのだけれど、家族のためにスープを作るときはかなり濃い目に作らなくては、とすっかり現地化しちゃうんだ。
ソーセージもそうらしい。これについては私はあまり気にならなくなった。というか、初めからそれは理解していた気が。
日本のソーセージは日本人の減塩嗜好にあわせて薄味にしているのかもしれない。保存食として発達したのだからいくらか塩加減が強いのは日本の漬物なども同様だ。
塩加減を強くできない代わりに保存料を大量に入れるよりこちらのソーセージのしょっぱい方が本物だ・・・と、諦めることができたんだ。
もともと肉類が苦手な私、ソーセージがどんな味でも苦手は苦手、という諦め方もあった、うほほ。

建築物のいい加減さにもさっそくT子さんは気付いたらしい。
旦那様が購入した新築の集合住宅に住んでいるという贅沢な環境(義両親同居より絶対贅沢ぅ)なのに、いろいろな不具合に困っている。
床や便器がまっすぐに取り付けられていなくて、斜めだったりするのはよく聞く話。
T子さん宅のトイレは水を流すとシャワートイレ並みに上方へ激しく水が噴出すのだとか。
修理を頼んでも一向に来る気配が無い、というのもよく耳にする話。
そう、何度も「呼んでも来ない、けたたましく遅刻してくる業者」の話を聞いているうちに来ない、遅れる、は普通のできごとで興味を引かない感覚になってしまった私。
怖い。

T子さんのフレッシュなドイツに対する感覚を、私にも再び、と願っている。
あまりにも慣れすぎると、ブログ記事が面白くなくなる可能性だってあるものね。










無料配布コーヒー、おいしかった

2017年11月19日 | カテゴリー分けするのに飽き
街中のマクドナルドでコーヒーSサイズの無料キャンペーンをやっていた。
入り口のこの宣伝で知った。「Gratis」という語が無料の意味だ。ただ、ちょいと警戒した。
ここで無料で物をもらえる機会は日本の生活と比較すると非常にまれだ。この広告ももしかしたら何か条件があるに違いない、とその時はそのまま通り過ぎた。
数時間後、考え直して試してみることにした。尋ねるのは一瞬の恥、ね。

「このコーヒー、本当に無料だったら試してみたいです」
レジの女性は躊躇無く、私の注文をレジ機に打ち込み「あちらから受取ってください」といつものコーヒー受け取り場所を指差した。(コーヒーだけの注文だとコーヒー製造機の近くまで行かなくてはいけないその店)
あまりにもあっさりしていたので躊躇して損した。

しかも、宣伝文句の通り、以前より確実においしくなっている。
ここは一般的にカフェやレストランのコーヒーは不味いことが多い。最近はこちらの味に慣れてきてしまったせいもある。また旨いだのまずいだのは個人の感覚の差もある物事だ。
不味い、とはっきり書くのを避けていた過去記事だがこの異物混入は書いちゃったみたい。珍しく、外食2008年4月20日記事
その当時よりコーヒーの味レベルは上がったマクドナルド。

ちょいと寄ってコーヒーを飲むには適当な場所なので、これからもこの旨さを保って欲しいと願っている。
コロコロ変わるんだ、味が・・・・

お客様は神様ではなく王様とされる接客態度。王様は時にギロチンにかけられるここ。

2017年11月18日 | カテゴリー分けするのに飽き
70歳の親族が大腿骨の手術で入院中。
義両親と私の三人でお見舞いに行った。

ネット仲間と「こちらの入院では昼間は部屋着のようなものを着て、眠るときにはパジャマに着替える」という話題になった。
私自身は入院したことがないが、お見舞いで入院している人を訪問するのは数え切れないほど経験している。
パジャマだったか部屋着だったか思い出すのが難しい。どちらにしても同じような印象だからか。
二人部屋のもう一つのベッドは使われていないので、個室状態だった。
日本でも地方都市などは病室は広いのだろうか。
手前でベッドに腰掛けているのは義母。

見舞い客が持ってくる花束の数々。色合いが日本のそれとちょいと違うのできれいに感じる。


さて、この見舞いの帰りにスーパーに寄ったときのこと。
5,6点の食品を持って、レジに並んだ義母。
義母の後ろには誰もいなかった。義母の前の女性が財布を出して支払おうとしているときに、大柄な中年女性がやってきた。
義母に「これ一点だけ買うので先に支払わせてください」と断って義母の前にたった。
これはよくあることだ。手に持っている買い物が少なかったりすると、前に並んでいる人が「お先にどうぞ」と譲ってくれることもある。
だが・・・その女性、そのスーパーの制服を着ている。レジの女性と親しげに話していたので確実に従業員だ。
従業員が勤務中に、いや、休み時間だとしても制服姿で、客に断ったとしても客より先に支払わせてくれって頼むって、変すぎないか?
義母の後には誰もいなかったし、買い物点数も少なかった。
義母の後で支払う礼儀というか心の余裕、ないのかい??
・・・なーんて思うのは日本人だけなのかも。
義母は全く不快にも疑問にも思わなかった様子だ。
心の余裕がないのは日本人の私、だな、と発見。





かわいいは厳禁。夫の趣味に合わせるのは大変。

2017年11月16日 | カテゴリー分けするのに飽き
激安で手に入れたこの靴。
長い間展示されていて売れ残ったものなのだろうな。内側に少々汚れがあるが、表面の光沢のある部分には傷一つ無くきれいだ。

こうしたデザインの靴を私は日常的に使うことができない。
つま先がすぐに痛くなるんだ。また、公共交通機関での移動なので歩く距離も自動車を日常的に使っている人たちよりも長い。
歩きやすさを考えると、足がすっぽり覆われる形の靴の方が絶対いい。

夫に見せる機会がなかなか無かった。今夜、ちょいとした宴会があり、義父と一緒に出席する予定なので靴を選んでいた。義母は風邪を引いてしまったので私が替わりに行くんだ。義父は身長がそんなに高くないので、彼のために私はかかとの低い靴を選ぼうと思って、この靴を出してみた。
仕事に行く前の夫に見せたら・・・・
「いいけど・・・このリボンが気に入らない」
と、言った。
ああ、やっぱり。
彼はリボンとかフリルとか、大昔のヨーロッパでは普通に愛されていた女性らしい工夫を嫌う。
スカートもギャザーがあったりたっぷりとしてひらひらしているのは嫌がる。
靴を見せるんじゃあなかった、とちらりと思った。返品しろ、とは言わなかったので、黙って夫と外出しないときに使うことにする。

先日、夫と二人で皮膚科健康診断(がん検診)に行った帰りにショッピングモールに寄った。
夫が良い、と言った展示されているジャケットはなんと金色。
ぎゃー、と言いそうになるところを抑えて「ふむ、ここはZARAだからそんなに値段がしないから私にも買えるかも」と答えておいた。
その時に私が着用していた外套は長い丈の黒のダウンジャケット。寒さを防ぐのを第一目的としたお洒落感ゼロの製品。皮膚科健診はパンツ一丁になるので、なるべく重ね着をしないで外套に頼ろうと思ったその日の計画だったんだ。

二人でそれぞれこれを食べた。揚げた魚肉のサンドイッチ。

食べながら行きかう人々をそっと観察していた夫、「あの女性のような髪形がいい」とこっそり言った。こっそり言わなくても日本語だから周囲にわからないのに。
彼の指摘したその女性の頭を見るとほとんど男性状態。今でさえ私はベリーショートなのにこれ以上短くしたがっている。刈り上げさせたい様子。

そのうち、私は男か女かわからないような格好で外を徘徊してることだろう。




ウチのじゃがいも消費量は年間100キロを超える。

2017年11月15日 | カテゴリー分けするのに飽き
義両親たちが広告の品を買いに行った。
30キロで6ユーロ(約1000円)のじゃがいもだ。

家庭にもよるだろうが、ドイツの主食はじゃがいもであると言ってもいいかもしれない。
ただし、日本の朝昼晩主食の米飯を食べるのが普通だったのと(過去形)比較すると、ここはパンが朝夕の主食になることも伝統だ。
この広告のじゃがいもは品質をちょいと疑うほど安い。大丈夫なのかい??もう、何年もこの激安じゃがいもを食べている義両親たちは周囲の同世代と比較するとハチャメチャに元気なので、少なくともこの安じゃがいもは影響していないと想像せざるを得ない。
ウチではもっぱらじゃがいもを食べるのは義両親たち。夫は麺類、私は米飯だ。
それぞれ調理しなければならないので、その手間のコストは高いだろう。
そんなことを考えながらこの広告を見ていたら、年間にどれくらいじゃがいもを買うのか知りたくなり、義母に尋ねた。
彼女の得意な暗算ですぐに答えが出た。
「だいたい120から130キロね」
つまり、ひと月10キロだ。家族4人で10キロだが、私たち夫婦二人はほとんど食べないことを考えると二人でひと月10キロかぁ。
高齢者夫婦がひと月10キロの米を消費するのはあまり無いだろう、少なくとも日本の日本人では。
じゃがいもであったとしても10キロは結構な量ではないか?
お義母さん、計算間違えていないかい?
間違えて10キロだとしても、広告の激安じゃがいもは10キロ約300円だ。
米10キロ300円は先進各国でもありえない値段だ。ここで手に入るジャポニカ米は最低10キロ1400円から上は際限なく高価だ。
調理にかかる燃料コストはほぼ同じと予想できる。
・・・とすると、じゃがいも食の方が経済的かな。
節制した生活の私には、米飯食を諦めることを考えなくてはならないかもしれないぞ。義両親たちだって私がじゃがいもを食べれば経済的って、口に出しては言わないだろうけれど思っているのは確実だろう。
うわわわわー。


ところで、写真右側の玉ねぎも激安ではないか?
5キロ約150円だ。
普通のスーパーもここまで安くないが、食料品一般は日本のそれより安い。
日本人は摂取カロリーが低いから、食品購入量も少なく、それでも売り手はさまざまなコストを回収するために値段が高くなってしまうのだろうな。
食品の包装でさえ、丁寧で気合が入っている日本だもの。