怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

子供の背を伸ばしたい

2018年05月31日 | アジア事情
台湾人知り合いが何人書いて、しょっちゅうブログ記事にさせてもらっている。
そのうちの1人が私に質問してきた。
写真の品は日本でいくらするのか、と。



さっそく調べてみると結構高額だった。値段を伝えると「もっと安い同様な製品はないか」とさらに質問。
いくつか写真をコピーして送ってやった。
ああ、こんな風に台湾人と中国人にサービスすることは頻繁に起こる。
検索するくらいは喜んでやるけれど「買ってこい」となると、話は別だ。
代金を立替て、重量制限のある預け手荷物の場所と重さを私が分け与えなければならないことを彼女らはあまり考慮してくれない。

一度、はっきりと「できません」と断ったら、しつこく「なぜ?」と迫ってきた。
「はい」と言うまで詰問しつづける彼女らの根性は凄まじい。

写真の商品の成分はアルギニンで、ドイツにもこんなのがあってもっと安いですよ、とドイツアマゾン検索結果をその台湾人に送信した。
彼女、喜んでくれた。
「近所の薬局で探してみます」
一件落着。
なんでもティーンエイジャーのお嬢さんの背をもっと伸ばしたいそうだ。
ちょっとびっくりしたけれど、気持ちもわからないでもない。
小さいと、ここでの生活に不自由することは彼女も私も感じている。衣類購入がその一番の難関だ。
義姉も自分の娘に「170センチくらいになってほしい」と昔言っていたことがある。
こればかりは育つ子供の意思どおりにはなかなか行かない物事だ。ドイツの衣類は170センチくらいを標準としたものが多いと義姉は嘆いている。
16歳の姪は今のところ160センチくらいだ。さあ、どうなるかな。
さすがに義姉はアルギニン摂取などを考えないようだ。











他の人の文章も面白い。撮り貯めておいた写真を使い切りたい。

2018年05月30日 | 日本
ネット仲間の陽虎さんの文章が面白かったので、彼の許可を得て掲載。


「お肌のピークは何歳か」との、私には珍しい内容のものを書いたら、女性のかたがたから、いろんな興味深いコメをいただいた。
へー、何だか面白いな、と感じたのは、それらのなかで、「50歳が一番良かったと思います」とのコメが、それよりだいぶ上のご年齢の女性がたから、ある程度寄せられたことだ。そういうことは、確かに、それをだいぶ超えた年齢の女性でなければ、分からないことだ。
そしてそういうことをいわれているかたは、その理由として、女性にとっての人生の充実とは、子育てからも解放され、それまでの生きかたの蓄積が外面に現れてくるのはその年齢だからなのではないか、といわれているのだ。
それは、何だか、分かるな。
普通の、20代の前半か中ごろあたりで結婚して家庭を持ち、そのあたりから子育てを開始する女性であれば、ライフサイクルとしてそうなるのであろう。

また、乳がんという大病のご経験を40代の終わりでされたかたは、それを克服した後は、お肌や顔の皮膚もつるつるになったと、述懐されている。
めでたい。
そのおなじ病と現在闘っておられる別のかたも、快復されることを、心の底から祈る。
また別の方は、子どもの時代は色黒でアトピーでそばかすだらけだったが、成長して大人になってからは、お肌が白くなったと、書かれている。
そうなってから後のアルバムを見ると、その白い肌にいろんなカラーの服がよくフィットして素敵だと思うと。
さらに、子どもを生んだ後のお肌はよく褒められたとも。
これも、よかったですね。
素晴らしい。

つまり、禍福はあざなえる縄の如しとの古来からのことわざにいうように、お肌の色や状態も、ある時期ダメなことがあっても、そうそう悲観ばかりしたものでもないということか。
人生何ごとも、ある時期だけで決めつけてはダメだと。

そういえば、一度も病気などならず当然入院などもゼロだった私も、7年前の62歳で大腸がんになって、驚いた。早期がんではなく、進行がんである。
だが悪運強く、手術をし、二週間の入院で無事この世に生還した。
退院の際、別室に呼ばれ、抗がん剤治療を3か月します、髪が抜け、やる気と食欲が激減するので覚悟して下さいとレクチャーされ、脅かされたが、元から薄いので仕方がない頭髪の外は、そのような変化は、何もなかった。
ただ、こんな変化があった。
それまでも嫌いではなく、従って食うことは食っていたものの、とくに旨い!とは一度も思ったことのなかった野菜を、旨い!と感じるようになった。
それと、それまでにそんなことはまったく思わなかった街で見かける幼児のガキを、我ながら奇異としか思えぬのだが、あろうことか、可愛い!と、つねにではないが、思ったなりするようにまで、なったのだ。
この2つは、私には、驚天動地の変化である。
それを学生時代からの旧友たちに、飲み会の席で暴露すると、必ず、「陽虎も、もう終わりだな。落ちぶれたな」と、揶揄される。
人生、一定ではないということである。





以下の写真は、いつかブログ記事にしようと思って撮っておいたもの。
近所の公園に2,3年前に設置されたものだ。
 
結構面白い。
 




そういうわけで、今日は知人の協力と昔の写真を引っ張り出してくるという怠惰をさせてもらった。
たまには、こういうの、許してくれぇ~~



息子と娘と息子のヨメは鑑賞するだけの庭

2018年05月29日 | いろいろ
毎年今頃にきれいなバラ。義母が大事に育てているものだ。

これを撮影時は非常に暑くて乾燥した日だったので、幾分しおれ気味に見える。

いま、ちょいと窓から覗くともっと生き生きしている。

車庫前にも同じ品種と思われるバラが植えられている。

どれも手入れが大変だろうなぁ。

夫と義姉たちはここで育ったにもかかわらず、全く庭に興味がない。
ついでに私も興味が無い。
義両親たちは怒鳴りあいながら庭仕事をしているので、私が手伝おうものならすぐにいろいろ言われるだろう。
刃物を扱うことも多いので危険回避のため怒鳴るように注意を促すのはよくわかる。

「ガーデニング」などと表現すると、優雅な印象だが、実際は直射日光と日焼けと病気を媒介するダニとの戦いだ。
義両親たちは数年ごとにその危険なダニに刺され、その食いついているところを注意深く取り去っている。
一度など、自分たちで除去することができず、遅い時間に救急病院へ行ったこともあるくらいだ。命がけの庭仕事。やりたくねぇ。

義父はときどきこんな話をする。
「街住まいの庭のない人たちはわざわざ公園に行かなければならない。私たちは家にいながらこうして緑を楽しめる」
公園は税金で手入れがなされている。ウチもそのために税金を支払っているのに、そのうえさらに庭を整える労働をしなければならないのだから、その分、損じゃあないか、とか思うのだがもちろん黙っておく。
庭仕事が好きな人には天国のこの環境だ。義両親たちはそれも理解している。嫌いな人もいて、それが息子と娘と息子のヨメってことも!









消費期限は無視してよろしい

2018年05月29日 | 物品
二週間ほど前、近道をしようと雑草が生い茂る道を走るように歩いた。その道が平坦でないことは想像できなかった。それで、足をくじいた。
ここ、南ドイツで草むらを無防備に歩くのは病気を運ぶダニにやられる可能性もある。二重の危険を冒して草むらを歩き、当然の結果、怪我をしてしまったと思ったほうが精神衛生によろしい・・・・

一週間ほど、痛いのを我慢して外出をしていた。
ドイツ人宅で自分の失態を告げると、彼女は塗り薬を出してきた。
「これはよく効きます」
義両親もこうした薬をたくさん持っているが、その全部が消費期限切れなので使いたくなかったものだ。
また、多くの人から「なぜ医者に行かない?」と言われる。日本在住時もそうだったが、私はちょっとのことで医療機関には行かない。
日本もそうだったが、ここでも医院・病院の待ち時間は凄まじい。2時間待って5分の診察は日本だけの現象かとおもっていたら、ここでも平気で存在する。
捻挫などはほぼ自己治癒を待つしかないと私は判断。まれに骨折の可能性もあるだろうが、この痛みの様子だとそれはありえないな、とこれまた自分で判断。

彼女が出してきた塗り薬はドイツの薬剤には珍しく、魅力的な印刷がされていた。
ふと、気がついて、消費期限を見てみたら・・・

おおっ!
油断大敵。一年前に消費期限が来ていた。
義両親だけでなく、みなやっているのね。
コメントをくださる方々にも消費期限を過ぎた薬剤を心配する必要はあまりない、という意見をくださったことがあった。
顔面に塗る薬を処方した皮膚科医に、彼の指示と次の診察の期間ではその薬は途中で消費期限が切れるとことを質問したことがある。
「あ、そんなの構わず使ってオッケーっ!」
う。医師でさえそう言うのなら、消費期限って単なる製造日を知る目安と思っていいのだろうな。

友人にもらった痛み止め塗り薬は即行効果があった。
実を言うと、家族間ならともかく、他人に消費期限を過ぎた薬剤をあげるってのはどういうものなのか、と消費期限云々より、贈り物一般に対する感覚にも疑問を持ってしまっていたところだった。
消費期限一年過ぎてもよく効く。そういうわけで、彼女の贈り物に単純に感謝。
物は大事に・・・と結論付けるのはちょいと躊躇してしまうが。








ウチのイチゴ収穫はもう少し先

2018年05月28日 | お菓子
週末午後ケーキ。イチゴが飾られている。冷蔵庫下段には余ったと思われるイチゴがあった。

このイチゴは、去年収穫したものをそのまま冷凍保存し、解凍して使ったのだそう。

庭から直接ケーキの上に載ったものと思った。
味や風味はまったく劣化していなかったんだ。冷凍保存って凄いな。
実際のところ、庭のイチゴは赤くなり始めていて来週のケーキには超新鮮なイチゴが飾られることだろう。

ケーキを食べにやってきた義母の妹は、ちょうどイチゴ狩りに行ってきたらしい。こちらのイチゴ狩りは人件費をかけないイチゴ販売で、日本の「楽しいイチゴ狩り」とは程遠いイメージだ。私はこちらで全然やったことがないが、バスや車の中から観察すると「激しく労働している」という雰囲気がむんむんする。
採取したイチゴは1キロ400円程度らしい。苗を買ってきて植え付け、水遣り、藁敷き、防鳥害ネット張りの手間を考えるとかなり安いのではなかろうか。

シンガポール旅行みやげが届いた。

右下に何やら会社名が印刷されているぞ・・・ま、いいか。今まで使っていたここで販売されていた品より使い勝手がとてもいい。
世界でもっとも高い位置にあるプール。行ってみたいけれどねぇ。
私の今後の人生で、外国旅行をする機会は諦めていると決心して約一年。今日も外国で掃除、洗濯、義母のドレイ生活を楽しもうっ

働かざるもの食うべからず

2018年05月28日 | 頑張って食べる
先週某日の昼食はこれだった。

セモリナ粉とクリームチーズを混ぜ、パン粉をからめて油で焼いたもの。
要するに、義母の大好きな甘い昼食だ。
私は見るなり、げんなりした。

「働かざるもの食うべからず」
この言葉が頭をよぎった。
昨今、先進各国では専業主婦の存在を認めず、何が何でも就業して現金を稼ぐほうが偉い、という方向へ動いている。
女性が働き易いよう、男性の家事参加を促す動きなどはすでに数十年前から読んでいた記憶がある。
昔は、特に西ヨーロッパの例を出していたな。典型的な白人男性が子供を抱いているシーンなどがテレビや雑誌に紹介されていた。
配偶者の女性はホワイトカラー系の仕事。工場でパンを作っています(自営のパン屋は別。何店舗もあるパン屋を経営している人も)、という例は出さないだろう。
実際にこちらに来て、男性が家事参加をしているのをよく見るのは中国人夫婦だ。私が白人夫婦より中国人夫婦との交際が多いからそうなっているだけ、と期待したい。

話がそれてしまった。
そう、その甘い昼食を食べたくなかったのでそのことわざを使ってみたかったんだ。
「私、今日は全然稼いでいないのでこれを食べる資格はありません」
1、2食抜いても平気さ、周囲のイスラム教徒を見てみろ!(見ただけじゃあわからないが)
このことわざ、ドイツ語にだってあるだろう。南米にでさえあったからね。なんでも聖書の言葉らしいではないか。
稼げるようになるまで不食でも構わないぞ。(このことわざはこれだけの言葉では本当に危険な解釈になりかねないので嫌いだ)

専業主婦にもこのことわざが使われているかもしれない。
現金を稼ぐことが人生で最も重要なことである、という価値観がもっともっと激しくなるのだろうか。
家事との両立ができるかどうか怖くて結婚を諦める人もでてくるだろう。朝6時の満員電車に乗って、帰りは21時、22時という生活と家事育児を両立ってどうやってやるのだろう、とティーンエイジャーの頃によく思ったものだ。
労働時間の短いドイツはそんなことないだろう、と思われるかも?
何度か書いたが、また繰りかえしておこう。短いのは大企業と公務員だけだ。その大企業勤務の近所の知人女性は3年前に結婚しているが、自分の仕事を犠牲にしたくないので子供を持つのは諦めた、と言っていた。

食うために家庭を持たないほうがいい、というのが私の結論だ。
義母の昼食を食べたくないために話が飛躍しすぎ?
もし、結婚していなかったら、ここで頻繁に出される甘い昼食を食べることもなかっただろう。
順調に中年太りに悩むこととなっていたかもしれない。いまだに胃袋だけはドイツ化しないようで、時には体重減少で心配になることさえある。

ああ、なんだか書いているうちに話が変な方向へ行ってしまった。
ごめん、ごめん、適当に読み流してほしい。




参照
なぜドイツの労働時間は短いのか
ドイツの食生活と生活習慣病






休暇旅行中の写真がぞろぞろと

2018年05月27日 | いろいろ
子供の学校の休暇にあわせて家族で旅行している人たちが大勢いるドイツ。
来月二人の娘たちがアビトゥア受験のSさん一家は、東欧の海を楽しんでいる様子。

試験直前に家族で旅行って、日本ではあまりありえないような。
試験一ヶ月前だったら、家に残って勉強するよな、日本だったら。
ドイツ、または西欧州の教育事情は、日本のそれと比較するとその子供が持ち合わせた家庭環境と生まれながらに持った資質で決定されてしまうようなところがあるのか、と思ってしまう。日本を初めとするアジア各国はみんなが平等に勉強を頑張ってやらなくてはいけないような印象さえする。
日本ほど勉強しなくても、もともと勉強できる資質の子供が高等教育を受けることができるのかも?
もっとも、日本もここも高等教育のレベルが下がってきている、とも読んでいる。アカデミックな物事がからっきしダメな姪のP子ちゃんも数年後にはアビトゥアを受ける予定らしい。


以下は北アメリカ観光旅行をしてきた人から。

仕事を兼ねた観光。

レセプションパーティ。

あまりおいしくなかったらしい。うん、北アメリカだものね。

ドイツに戻ってほっとしたそうな。

上、フランクフルト空港だそう。



脱水機が庭を飾る、何でもアリ、ドイツ?!

2018年05月27日 | 家屋
毎日、家屋と庭の手入れに余念がない義母。
夏場のベランダは日光浴用。私に「ここに長椅子を出すから、もっと日焼けしなさい」と諭した義母だ。うー、日本との感覚の差に改めて驚く。

池のハス。

義両親同居でも極楽浄土・・・!?

さて、庭の角を見ると、何やらいつもとは別の物資が置かれていることに気づいた。
ひゃっ。今年に入ってから再起不能になった脱水機。

義母の母親が使い始めたいうこの品、つい数ヶ月前までの65年間、修理しながら現役で働いてくれていた。
手洗いが好きな義母と私には必須の品だ。今は、別の脱水機を使っている。

それにしても、庭に脱水機を飾るなんて。ドイツ人って、そういうの、好きなの?ウチの義両親だけ?

何やら見慣れない鉢だとおもったら、これはその脱水機の脱水槽なのだそう。

ひゃーっ。なんでも庭を飾る根性。

去年からウチを東側を飾っているバーベキュー道具のことを記事にしていた。夏向きオブジェに変更
家の中には義母が子供の頃から使っていたケーキ型が壁を、炭を入れて熱するアイロンが棚を飾っている。
こうやって、家財道具がどんどん展示され、ついには博物館になっていくだろう。
うっほ、料金徴収してウハウハになれるかっ!





箱から商品が出ているだけで珍しい光景だと楽しめるドイツ生活初心者

2018年05月26日 | 近隣の人たち
ドイツ生活1年目の日本人女性T子さんから解説無しの写真が届いた。

ちらりと見て、なんだかよくわからなかった私。何が面白いのか?
スーパーの冷凍加工魚売り場の様子で、中身がぽつんと一切れ出ている。
なるほど、そうだ、それは日本ではありえない光景だ!
彼女に解説されてやっと、驚いた。

こちらに来て数年はそうしたきちんとしていないドイツの光景に本当にがっかりしたものだ。
最近ではそうした感覚を失わないように気をつけよう、と自分に誓ったばかりだった。
それなのに、黙って見せられた驚愕の(日本の日本人にとっては)写真に気付かなかったなんて・・・
次第にテキトーになっていく自分なのかと恐怖を感じる。

食品売り場で包装が壊れて中身が散乱している光景など、日常茶飯事だ。
砂糖や小麦粉が顕著で、落とすと確実に袋は破ける低レベル製品だ。
日本の砂糖、小麦粉のパック、壁に投げつけてもびくともしないのではなかろうか?

こちらで普通に売られている米500グラムパック。
何個かまとめ買いすることが多いので両手に抱えるようにして持って歩くと危ない。
落とすと、これはまれだけれど、やはりパッケージが破れて米が散乱する。
一度、やってしまった。
店員にその事実を伝えた。「決してわざとじゃあありません」と、日本では絶対言わなくてもいいせりふを強調した。
簡単に無罪確定。

そういうわけで、ドイツの買い物時には商品が壊れないように扱わなければならない。
日本ではそんなことありえない商品も簡単に壊れてしまうことを、今更ながら復習した。





断食しない自由もある様子。

2018年05月25日 | ドイツ生活の外国
数ヶ月間ドイツ人宅に住んでいたアフリカ人A君20歳は、役所の指示で難民住居に引っ越した。
久しぶりにそのドイツ人宅で彼と逢って、嬉しかった私。
ドネルケバブをおいしそうに食べていたので尋ねた。「Aさんの宗教は何でしたっけ?」(嫌味じゃあなくて本当に忘れてしまっていた)
「イスラムです」
このように、断食期間でもまったく関係なく普通に過ごしているイスラム教徒は普通にいるようだ。
新興宗教を除き、すでに広まって長い期間を経ている宗教にはそれぞれの解釈ややり方を普通に認めているような部分があるのを感じる。
今年初めに出産したエジプト人A子さんも今年は断食なしだ。体力をを消耗する乳児の子育てだ。そんな時期に断食を強制されたらたまったものではない。
ドイツ人D子さんの旦那さんはドイツ人で、彼は数十年前にイスラムに改宗したそうな。
ここ数年は、高齢で体力がなくなり、断食はしなくなっているそうな。これはイスラムの経典には例外としてないと思うのだが、どうだろう。
トルコ在住者のブログに断食が始まると死者が多くなる、というのを読んだことがある。すでに高齢で断食には耐えられない体力なのに無理をしてしまう人もいるのだろうな。そうやって人口の極端な高齢化を防ぐ目的がイスラムにあるとしたらそれは凄い考えだ、とも思ってしまう。イスラムができた時代は戦乱が絶えない世の中で、その中を高齢者が生き抜くのが大変だったのを考慮したのかも?

くつろぎすぎな姿勢で携帯電話操作に夢中なA君。

ドイツに来てからイスラムについて思考することが非常に多くなった。
日本在住時よりイスラム教徒と日常的に接するので、必然的にその知識を得ざるを得なかったからだろうな。
しかしながら在独30年の台湾人S子さんは全く知らない様子だった。トルコ食堂で「豚肉の料理はないですか」と屈託もなく尋ねていたので私がたまげてしまった。
ここぞとばかりトルコ人親父さんは自分たちの宗教について彼女に説明していた。
現在の西欧州生活はイスラムについての知識は必須かもしれない。
もっとも、イスラム教徒との接触がまったくなく生活することも可能だ。義両親などそうだもの。
「トルコ人はいつも女性を後ろについて歩かせる」
とイスラムの女性蔑視を蔑視する発言を義父はしていたな。もしかしたら先を歩かせるのは危険だから、という配慮かもしれないのにね。








バイエルン州の休暇時期

2018年05月24日 | ひとびと
春の市民祭りが始まった。有名なオクトーバーフェストを10分の一位の規模にしたものと考えてよろしい。
世界中から報道各社がやってくるオクトーバーフェストと比較すると、地元新聞社・テレビ放送局くらいしか来ないここ。
 
視覚的な美しさの演出はどうにもこうにも欧州の方が勝っているような気がするが、どうだろう?
また人種的にも明るい髪色、大きな体格などが見栄えをよくし、伝統衣装は彼らによく似合う。
 
紺と青の民族衣装を着た女性は知人のM子さん。そうそう、フランスの空港で搭乗直前にパスポートを空港職員に盗まれた彼女だ。命までは盗られなかったのでこうして明るくお祭りに参加。無事で何より。

ただいま学校が休暇中なので、家族で旅行をしている人々も多い。
ウチはもう、今後の人生、一切そうした楽しみのための旅行はないと決まっている。
かなり淋しいが、こうしてこもってブログを書くのも楽しい人生だ。
各地から休暇旅行の報告写真が届く。
掲載許可をもらった台湾人一家の写真。

イタリア旅行中。

まだまだわからない、知らないことが多いドイツ

2018年05月23日 | いろいろ
ラジオ放送でたびたび流れる歌をテレビで聴いて驚いた。

ソニーの製品のコマーシャルソングだったんだ。日本でもこの曲が使われているのだろうか?
何度もラジオで聞いているうちにすっかり好きになってしまった。(繰り返しの報道が人々を洗脳させる効果だろうな)
テレビを観ることは重要、とこちらに来て感じる。どうしても言葉の壁が立ちはだかるので避けてしまう。
うん、今日からはテレビをもっと観ようと思う。

動画検索ついでに、インゴルシュタットの1945年の様子の動画を見つけたので貼っておこう。

この田舎街も徹底的に空襲でやられたのだな。
日本のように燃えないのが特徴だな、とか不謹慎に考えてしまった。
こんな目に逢っても、戦後の目覚しい復興を遂げたとかで、ドイツも日本も素晴らしいと感じているその他の国々の人々は多いようだ。
武器を売りたい人たちのせいで世界で戦乱が絶えることがない。
日本とドイツだけでも、今後街が破壊されるようなことが起こらないことを願っている。

ヨメと母親の仲を取り持つ

2018年05月23日 | 
週末に夫が夕食を私に希望することがある。
義母には作れないピザやラザニアだ。ところが、義母はそんな夫の考え尋ねることもなく、ケーキを焼く。
彼女がケーキを焼く、ということはそれがそのまま夫の夕食になる可能性が高い。

私は夫に言った。
「あなたがピザが食べたいと思っても、お義母さんはケーキを焼くことがあります。そうすると、私の存在は無意味です」
これを聞いた夫は、おそらく、多くの世界中の自分の母親と妻の間の関係の面倒くささと葛藤する男たちと同じ反応をした。
「仕方がありません!」
この発言を快く思わない女性は多いだろう。また多くの女性たちもそれを支持するだろう。

思い通りにならないことをそのままにしないのが良い生き方、となっている流行に乗り遅れている私。
指差した黒い鳥を夫が「白い」と言っても「そうね」と妻が同意し続けることができるかどうか。
同級生の結婚式で牧師がしたお祝いの説教だ。非常に印象的で、いまでもときどき思い出している。
間違いを訂正しないのはおかしい、と言っている間はまだまだ修行が足りない。夫婦の間だけでなく、あらゆる人間関係でも応用できるのではなかろうか。
今でも、義両親との同居はよくない、とアドバイスをくれる近所の友人にちょいとあきれているけれど、何も言わずに有り難く聞かせてもらっている。

結局その日は無事にピザを焼くことができた。

「うん、1、ね」
こちらの学校の6段階評価の最高評価だ。

昨日は義父の希望で昼食がピザになった。
冷凍物を食べさせられるのはごめんだ、と思った私はすかさず言った。「私が焼きます!」
義父は粉を捏ねたり発酵させたりする手間を知っているので遠慮がちだったが、私の強力な押しに負けてくれた。
珍しく、夫以外の家族のみんなが私のピザを食べてくれた。嬉しかった。


食べ物記事ばかりで申し訳ない

2018年05月22日 | おいしいもの
一週間前の母の日に、義母は早朝にスポンジケーキを焼いた。

ケーキを焼く用がなくても、早起きの私はその焼かれたスポンジを早速撮影した。なんだか、いつもと違って形が乱れているぞ・・・

ま、サルも木から・・・じゃあない、焼きなれた義母もたまには失敗するさ、形より味が重要ね。
ところが、このスポンジ台は形ばかりでなく、中まで火が通っていなかったらしく、彼女はこれをもう一度焼いてから冷凍保存した。その日の午後に食べる母の日祝い用は、なんとまたその朝に作り直していたのだ。

今日、その冷凍保存した失敗スポンジを使ったケーキを食べた。

スポンジのところどころの密度がちょいと高く、ふわふわでなかったけれど、それはそれでおいしかった。


こんな風に食べ物のことばかり読まされているあなた、申し訳ない。
私は特に料理や食事に関することに興味があるわけではないのだが、なんとなくテーマにしたくなるんだ。
外国の暮らしで気になる物事のひとつには食べることが重要になってくるのではなかろうか。人によってはお金だったり家族関係だったりで、ドイツ在住者の他のブログでもその興味の対象がさまざまであることを伺わせる。
いつぞや、私の食べ物テーマばかりのブログに困った読者が「もっと別テーマを」と懇願してきた。
ごめんよ、気にはしているのだが、どうしても食べ物になっちゃう~






豚肉シュニッツェルは臭くて固くてまずかった

2018年05月22日 | 頑張って食べる
かなり前に「豚肉が臭い」と記事にしたことがあった。
コメントに複数の方から「豚が去勢されないのでしかたがない。動物を去勢しない動物愛護精神があるからだ」という内容の意見をいただいた記憶がある。(今考えてみると、去勢しようがしまいが最終的には食肉として殺されるのだからほんの気休め。食肉を売って生活しているのだから最大限の配慮とは察することはできるけど。余計な手間をかけたくないから去勢しないのかも)
自分の過去記事を検索してみたけれど、見つけることができなかった。
普通にグーグルで検索してみたら、たくさん出てきた。ドイツだけでなく、各国で臭い肉に悩んでいる日本人がいるようだ。

さて、よく考えてみると、私の嗅覚は非常に弱い。二十台半ばごろまでひどい鼻炎に悩まされていたものだ。
そのせいなのだろうか、他の人に「ここは匂う」と言われてもわからないことが大半だ。
そんな私が、しっかり調理された肉の臭さを感じ取ることができるのだろうか、と気付いた。
臭いにおいではなく、臭い味なのかもしれない・・・なんとも表現しがたいのだが、とにかく、日本では経験できない野性味のある肉なんだ。

先日の昼食は豚肉のカツレツだった。ドイツ語では日本でも広く知られている「シュニッツェル」ね。
この肉も「臭い感じ」がして咀嚼、嚥下するのが非常に辛かった。
ひどく固くもあったけれど「臭い感じ」と比較すればどうでもいい問題だった。
義母は嘆いていた。「ひどく固い肉ね。次回はあのスーパーで買わないわ」と食後につぶやいていた。

邪道の米飯添え。以前は義父が盛んに私のこの食べ方を批難してものだ。最近は諦めたのか高齢でしゃべるのが億劫になったのか(それは考えられないけど一応書いておく)黙っている。余計なストレスを与えなくなった義父に感謝!
食べにくい肉だったけれど、残して捨てるのは命を犠牲に生まれ育ったこの豚が可愛そうだ。
死に物狂いで食べきった・・・・

将来、夫と二人で暮すことになったら、私が肉を料理することは一切なくなるだろう。