怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

歩道の落ち葉はブロワーで吹き飛ばして、植えられている低木に絡ませておく、大雑把過ぎるドイツ。

2018年11月30日 | ひとびと
在独ブログ仲間のミドリさんから質問をいただいた。この国に落ち葉を掃き集めるためのちりとりは存在するのか、と。
彼女のブログ記事にもなっていて、私も一緒に悩んだ。

義両親たちも秋から冬に掛けてせっせと庭の落ち葉を集めているのを観察できるが、いや、私は生半可に観察していることに驚いた。
どんなちりとりを使っているかとのミドリさんの質問にすぐに答えることができなかったからだ。

ミドリさんの結論によると、ここでは落ち葉を集めるための特別に大きなちりとりは存在しないようだ。
私は数度落ち葉集めにちりとりを使っているのを目撃したものの、それはあまり例のないやり方のようだ。

ウチ周辺の公共部分清掃方法で一番よく見る光景は、ブロワーで吹き飛ばすやりかただ。
これはかなり大雑把な作業で、一箇所に集めて落ち葉を持ち去る、ということはない様子だ。
以下の写真のように植え込み部分に入れてしまうのが一般的。

その作業の現場も撮影したかったものだが、人物を撮影するのはなかなか難しい。

ミドリさんにちりとり問題を指摘されて、初めてこの光景が気になり始めた。
いったい、このままで大丈夫なのだろうか。今年に始まったことではないので、このままでいいのだろう。
あとからこの低木に絡まった落ち葉を処理しに来るのだろうか?このまま上手いこと落ち葉は腐って栄養分になっていくのだろうか。

日本でもこのブロワーは存在するようだが、まさか、こんな風に仕上げることはないだろう。
だが、あの道具だけで一箇所にまとめるのは難しいから、あとからほうきで掃き集めて持ち去るのだろうか。

疑問去らない落ち葉問題。

ちなみに、義両親たちは自作の長い柄の付いた庭用ちりとりで落ち葉などを集めて処理しているのを確認!



日本の物資や番組などが非常に多くなってきた印象。

2018年11月29日 | 日本
数年前からお茶専門店やドラッグストアなどで普通に抹茶が販売されるようになってきた。
以前は日本の紹介と言えば雪の降る中で温泉に浸るサルだったが、今日ではさまざまな生活の様子を包装している様子だ。

寿司や相撲は相変わらず人気のテーマの様子。
画面を見ているだけでも、どんな物事が紹介されているかわかるだろうから観てほしい。

高級な住まいについて。

昼食が重要だ、というタイトル。ここでも昼食が重要なはずだが。

ロボットに関しても日本は古くから進んでいただろう。

コーヒー風呂。こうした特別な物事が紹介されると、私もコーヒー風呂に入っていると思われるのかな?

まだまだたくさんあったが、特別に面白いのがあったら再度紹介することにしよう。



過剰サービスを上手く交わして快適な日常と空の旅を。

2018年11月29日 | 日本
ひと月ほど前の記事(2018年10月22日)にいただいたコメントが興味深かった。

日本の航空機内の客室乗務員の態度は、外国の彼らと比較すると日本の日本人には素晴らしく親切で気の効いたものなのだろう。
わたしもコメントをくださった「ままちゃん」と同様な経験をしている。
シャルル・ド・ゴール空港発東京行きの日本のJ航空便利用時だった。具合が悪くなり(私は飛行機の中でかなりの確率で具合悪くなるので気をつけているのだけれど)客室乗務員の許可を得て、機内後方、ドアの前の比較的広いスペースの床で横たわらせてもらった。
毛布や枕を持ってきてくれるまでは良かった。
数十分ごとに腰をかがめ、額にしわを寄せた日本人女性乗務員がわたしに「大丈夫ですか」と声をかけてくれていたのだがこれが非常に煩わしかった。
答えるために苦労して顔を上げて声を発生しなくてはならなかったからだ。動くたびに吐き気が再びやってきたんだ。
もちろん、彼女らは本当に心配して声をかけているのだろう。異変がないか気をつけているのだろう。

だが。
その数年前に欧州の航空会社機内で具合が悪かったときは違ったんだ。
その時は機内のどこに自分が転がっていたか忘れたが、とにかく放っておいてくれた。
ときどきやって来て私を観察している気配を感じたが、声をかけることはしなかった。
私は周囲に気を使うことなく、回復に集中することができたんだ。

我家の過剰サービス発揮者は義母。
義両親たちと日常の食糧買出しにスーパーに行くと、私はすぐさま義母のそばから離れる。
彼女と一緒に歩いていて「これ、何かな?」と思って商品を手に取るとすぐさま義母が
「そんなものいりませんっ」
と言ってくるからだ。
買うために手にしているわけではない、と最初の頃はいちいち説明していたものだが、もう、これはままちゃんさんの日系航空会社の客室乗務員と同じで「監視」なんだと結論、それ以来スーパーでは離れて歩くことに決定。
サービスしすぎは日本だけではない。
ドイツでも身近にいる事実を知り、唖然・・・・。
食卓でも夫がソースをよそったりするときに、義母は鍋に手を添えたりしている。
たちまちその過剰サービスに反応して、夫はイライラした様子をしている。

話し変わって、私の奉仕活動場での経験。
杖でやっとやってくるおじいさんに、ちょいと日本風な過剰サービス振りを発揮すると、たちまち彼は喜びに溢れた表情になる。
老人施設などで働く日本人スタッフは、入所者に非常に人気があると聞いている。
つまり、日本風過剰サービスは外国でもうまく使うと効果的なんだ。
(集団介護現場では、日本人スタッフに指名が集中したり、他のスタッフとの関係を悪化させる恐れがあるのでおいそれと発揮してはならないらしい)

日本在住時、欧州リゾート地の高級ホテルの記事を読んで唸った記憶がある。
そのホテルは、できるだけホテルスタッフや他の滞在客と遭遇しないような構造やサービスシステムなのだそう。
用があるときは、自分から連絡しなくてはならないという部分が、日本にいたときの日本の日本人だった私には非常に疑問だったんだ。そんな価値観もあるのねぇ、と印象に残っていた。
そのホテルだけでなく、コーカソイド種が住む地域の物事はすべてそういった傾向にあると大まかに断言してよい。

時には頼んでも「ダメです」「できません」などと言われるが、それにもめげずに頼んでやっとやってくれるという経験もしてきたぞ。

日本の過剰なサービス振りを否定することはできない。日本の日本人はそれが当然となっているようだし、日本以外の人々もそれを快感に感じる場合が多いようだから。
嫌だったら、怒りにならないうちに「用があったら私から声をかけます」と断言することが大切なのかな、と思った。
ただし、私は日系航空会社のビジネスクラスに乗る機会などないだろうし、再び機内で具合が悪くなって床に惨めに横たわるような事態にもなりたくない・・・


















洗濯機を買えない悲しさ

2018年11月28日 | 貧困
一日中雨降りという予報なのに義母は洗濯することに決定した。
冬場は洗濯日和のお天気など存在しないので、いつやっても同じことだがよりによってこんな日にするなんてね。

どうせなら、私のジャケットも洗濯しちゃおう、と洗濯室へ持って行った。
手洗いしようと、たらいに水を入れていたら義母があれこれ言うので(バイエルン語ちりばめた言い方だったのでほとんど聞き取り不能だった)なんだか嫌になって、そのままジャケットを放り出し、自室に戻ってブログ更新に励んだ。
一時間後。義母が呼ぶので洗濯室に下りていった。
そのジャケットはポリエステル綿がたくさん詰まったもので、水を含むと予想以上に重くなってしまい、脱水機に負担がかかりすぎたのだそうだ。
それで、最後まで脱水が終わらず、脱水機は故障したと!
ああ、義母にやらせるのではなかった、ふてくされてその場を去ったときジャケットも一緒に持っていくべきだった。
などと後悔した。
脱水機が故障したら、これからの私の洗濯生活はかなり不自由になる。
相変わらず洗濯機を私が使用するのは禁止されているのだが、なぜだか手洗いは許されていて、脱水機もOKなんだ。
その脱水機が壊れちゃったら、さすがに手洗いで大きな衣類を洗う気にはなれない。

さっそく、脱水機を検索したら150から200ユーロで売られていることを知った。
ああ、脱水機ではなく、私専用の洗濯機がほしいなぁ・・・・300ユーロ出せば買える洗濯機あるぞ。
きっと夫も義母も反対するだろうなぁ・・・・
洗濯さえ自由にできない同居生活すでに10年を超えている。慣れてきたとはいえ、やはり悲しい。

びしょびしょのジャケットはまず、椅子に掛けられ、あらかたの水分が落ちたところで、ハンガーに掛け替えられていた。
完全に乾くのに数日かかるだろう。

どんよりとした日に、どんよりとしたできごとのこの一日。

午後から義父は元職場仲間の集まりに出かけてきた。
上機嫌で帰ってきて、これを見せた。

「皿に置かれていたのをかっぱらってきたんだ」
丁寧に折られたブーツ型ペーパーナプキンだ。
義父をこんなに喜ばせる折り紙なんだ、と少々感動。
意外とドイツにも折り紙は普及していて、義母は子供の頃折り紙の経験があり簡単な数種を折って見せてくれたことがある。
それでも折り紙はまだ日本の伝統芸だ。私もこのブーツを折って周囲を喜ばせてやろう、と一日の終わりに少々ご機嫌回復。














図書館の本のまた貸しはへいちゃら

2018年11月28日 | 節約
街中でたまたま出会ったドイツ人B子さん72歳に本を勧められた。
日本に長期滞在したドイツ人作家が、日本を舞台に書いた短編小説集だ。
「とってもおもしろいので、お勧めよ、そうだ、次回逢うときに持ってくるね」
と約束してくれた。
そして、持ってきてくれたその本がこれ。

おいおい!図書館の蔵書ではないかい?!
すぐさま私はB子さんに言った。
「日本ではまた貸しは厳しく禁止されています。ここは大丈夫なのですか?」
B子さん、元教員は答えた。
「良いか悪いか知らないけれど、きちんと期間内にりすさんが返してくれれば問題ないでしょう」
ああ!テキトーなドイツ人ばかりだぁ~。

裏表紙の内容用紹介だ。
上から四行目と、一番下の行に日本を意味する「Japan」が含まれた単語があるのがわかるだろう。
表表紙には10の漢字「十」が毛筆で書かれているように印刷されているし、これらで全くドイツ語がわからない人でも日本に関係あるないようだとわかっていただけるだろう。

さて、それを家に持ち帰ったが。
やはり、落ち着かないんだ。また貸しの本ってことで、緊張しまくりだ。
期間内に返し忘れたらどうしよう、とか、紛失、破損したらどうしよう、などと、自分の貸し出しカードで借りても同じことなのに、また貸し罪にとらわれていて困ってしまった。
実際のところ、ドイツの図書館がまた貸しを禁止しているのかどうか調べていない。だが、普通に考えて、また貸しを許す可能性は低いと思った。許されてはいないけれど、B子さんのようなおおらかなドイツ人がいっぱいいるおかげで、普通にまた貸しが行われているのは簡単に想像できる。
ああ、ドイツ・・・
大らかなところがいいところさ。
わたしはその大らかさについていけないので、数日後に図書館に返しに行った。
読んでいても頭に入らないのだもの。

少々読んだ印象では、本当に面白かった。
「金持ちのお嬢さんで、学校に行かずに家庭教師に教育を受けた」とか「英語を全く勉強したことがない」という登場人物が出てくるのは、日本出身の日本人としては現実味がまったくなかったけれどねぇ。現実にいるのか?そんな日本人?いるわけないだろうな。金持ちだったら、金積んでとにかく良い学校に入れるのが真実味がある。
そういうわけで、少々興味深い小説になってしまったので、もしかしたら買うかもしれない。

在独日本人の皆さん、日本在住ドイツ語勉強中の皆さんにもお勧めしたい。
日本語版もあるのかな?あればそれを読んでみたいぞ。






レースのカーテンは飾りなのかも

2018年11月27日 | 家屋
年に1,2度程度、義母はカーテンを洗濯する。
洗濯が終わった後、濡れたまま再びカーテンレールに取り付ける。
初めてこのやり方を目の前で義母がやって見せたときには、ずいぶん怠惰な方法と思ったものだ。
カーテンの洗い方を検索すると、大抵のサイトは洗った直後にカーテンレールにつけると記載されているのでそれが普通なのか、と納得した。(ブログやホームページは他の人が書いたものをそれとなくコピーして作られるものも多いので、上位に並ぶ記事のもともとの執筆者が同じ可能性も高いことをここ数年で知ったものだが)

カーテンを取り付ける前の部屋の印象がとても広く感じたものだ。上の写真のカーテンの向こうはサンルームなので、必要ないのではないか、とも思う。
乾くまでまっすぐ下ろした状態にしておく。
下はすでに乾いたので、このように整える。

ものすごく時代遅れなインテリアだよなぁ。と思う。
寄生している私がこんな感想を持つだけで反論をもらいそうなものだ!

レースのカーテンさえない家はここに多い。
日本の首都圏のカーテン使用目的は、外から見えないようにすることと、冷暖房効果のためだろう。
ここではカーテンはその役目をすることは無理なように思える。
ぶ厚い断熱材入りの壁と、二重になったガラス窓が暖気を逃さず、夜間は鎧戸を下ろして外から見えなくする、あるいは断熱効果を更に高める。

そういうわけで、将来はカーテンのない生活をしたいものだ、とこの洗濯作業手伝いで結論付けた。

指輪して料理は気になる、まだまだ日本人の私。

2018年11月27日 | 奉仕活動
トルコ料理教室。一人五ユーロの材料費し、買い集めた材料を撮影。

日本で言う公民館のようなこの施設のこの場所の調理場は小さく、とてもみんなが一緒に参加できない。
なので、座っておしゃべりに夢中な人も多くいた。

配られたレシピ。上に材料、中央から下部分に作り方が書かれている。
日本のように、番号をつけて手順を説明しないのがこちら風。トルコ人が書いたものだが、トルコもそうなのか、あるいはドイツ風にそうしたのだろうか。

トルコ料理のほとんどすべては油脂をたっぷり使う。

ナスの上にひき肉を載せる料理は有名だろう。

ビュレック。いろいろな形があるようで、今回は天板いっぱいに春巻きの皮のようなものを油脂や牛乳・卵などの液体を一緒に混ぜ込んで敷いた。

料理指導をするこのトルコ人女性。在独期間は長そうだがドイツ語がそれほど上手でなかった。
なぜわかるかって?私と同レベルのドイツ語だ、と感じたからだ!
この、手先にアクセサリーをジャラジャラとつけて料理する感覚はまだ馴染めない。

メキシコとパラグアイでそれぞれ滞在中に歯医者に行った経験がある。
双方とも女性の歯科医師だった。記憶が曖昧なのだが、どちらかの医師は、大きな指輪をしていて驚いたものだ。
衛生観念は日本以外は非常に緩い。

さて、できあがって、みんなで食べる。

まずはスープから。レンズ豆と野菜のスープ。

バターを混ぜ込んだトルコ風米飯とムサカ(なすとひき肉の料理)。

ビュレック。

世界三大料理は中国、フランス、そしてトルコ料理と読んで驚いたものだ。
不味くないが、それほど特別においしいとも思えない。
イタリア料理、インド料理のほうが無難に万人においしいと感じるのでは。
ドイツ料理は・・・・あははは・・・・




余計な工夫してくれた・・・涙・・・いや、義母に譲ろう・・・・

2018年11月26日 | 物品
まだハエが普通に家の中を飛んでいた夏場。
ウチは余った料理などは冷蔵庫に入れることは少なく、比較的低温に保たれている台所の裏の食糧小部屋に置いておく。
ソーセージや肉などは網状の金属カバー、鍋に入っているの物は鍋のふたなどをして虫がたかるのを防いでいる。
ウチ、またはドイツは(あるいは日本以外は)ラップフィルムをかけて保存するという発想はあまりない様子。
だからラップフィルムの質が向上しないのだろうなぁ。ラップについてもここに来てから何年も悩まされたものだが、最近はそのくっつかないビニールシート状のそれに慣れてきて、あまり不満に感じなくなってきているから恐ろしい。

さて、その暖かい時期のできごとだ。
私が日本から持って来た100円ショップの電子レンジ加熱用ふたに、こういう工夫をされてしまった。

つまみ用に開いている穴に網が張られてしまったんだ。
「ここから虫が入りますから、こうしました」
と、得意げに説明する義母・・・
おいおい、これは電子レンジを使うためのカバーで・・・、と思ったのだが、きっとそれを説明しても、電子レンジ使用に慣れていない義母はこう答えるだろう。
「そんなのなくても大丈夫」
確かに、なくても大丈夫だろうが、汁気の多いものだとはねて電子レンジ内を汚す可能性がある。
「あとから拭けば良い。このカバーだって汚れたら洗うのでしょう」
って答えが帰ってくるのは明確だ。

このまま電子レンジに入れたら、きっと、網の部分は壊れてしまうだろう。
余った食事保存用のカバーに変わってしまった。
ま、いいか。
ここでも売られているけれど、大きさがこの倍ほどのものばかりなんだ。食糧小部屋に常備しているとはいえ、余計な物資を増やしたくない。

こちらのラップフィルムは、電子レンジに対応していないと誰かのブログ記事で読んだ記憶がある。
ラップをふた代わりにするのも難しい。
ま、ではむき出しで加熱するか。

電子レンジの使用は使用中も、加熱後の食品もあまり健康によくないという説で、ドイツでの普及はあまりないと昔読んだ記憶がある。
ほとんど使わないが、冷えたご飯を温めるのだけは非常に便利な道具なんだ。
私のためにだけに存在しているウチの電子レンジ。カバーをいじられたくらいで苦情することはやめておこう。



ドイツの生活も非常に贅沢になっているのだろう

2018年11月26日 | 衣類の工夫
真ん中は私のズボン。
かなり幅が広いのは10年ほど前の品だから。在独日本人仲間からのお下がりだ。彼女が太って穿けなくなってしまったから私に回ってきた。
ジーンズ姿ではちょいと不都合な場所に着て行く。ドイツではそんな機会はめったにない。
なので、あまり使わないのだがある雨天のとき、これで砂利道を歩いた。
雨に濡れたのと、砂が跳ね上がってかなり汚れたんだ。

義母によると、そんな汚れは乾いてからブラシをかければいい、ということになる。
頻繁な洗濯は生地を痛め、衣類の寿命を短くするという一般的な論理を私は日本在住時にはほとんど無視していた。
ここでは義母の目があるのでなかなか無視できない。
義母はこれを洗わないことを散々私に勧めたんだ。それを押し切って、洗濯機に入れてもらった。
ああ、洗濯一つでもいまだに義母を説得しなくてはならない。
洗濯機のない時代のここの洗濯は非常に大変だったらしい。
コンロにお湯を沸かして煮洗いが基本だったので、それはそれは大仕事だったのだろう。それを経験している義母なので、なるべく衣類は洗濯しないよう日頃から気をつけている様子だ。
だが、今のこの世の中、彼女の感覚はもう凄まじい時代遅れぶり。

ドイツ語で「洗濯頻度」と検索したら、驚愕した。
「Tシャツは一度着たら洗濯」という意見がゾロゾロ出てきた。下着はもちろん毎日交換。
義母に言わせれば無駄なエネルギーを使っていることになるだろう。
わたしも毎日下着は交換したいと思っていたのだが、洗濯手伝い時に私以外の家族のパンツ(下着の)の数が異様に少ないのでいまだに悩んでいる。
私はパンツを交換しすぎなのではないか、と。
努力して2,3日続けてはけるようになったのだが、それでも彼らの洗濯に出ている少なさにはかなわない。
一枚を4,5日着用するのがいいのだろうか。ウチは平均的ドイツ人から逸脱しているのかもしれない。
パンツ毎日交換、は贅沢な生活、と定義しているわたし。


その日の朝「うちに来ませんか」と招かれた近所の台湾人+ドイツ人夫婦家庭。
ドイツ人旦那さんによるチョコとバニラカスタードクリーム。

台湾出張時に買ってきた紫芋の粉を使って大判焼き作りを一緒にした。

ドイツ人旦那さんはこの芋の味が合わないようで、一口食べて残していた。

「何か台湾で必要なものはないか」と尋ねられ、買ってきてもらった折り紙。

ここでも手に入るが、高いので、安いと予想した台湾で買ってきてもらった。
両面色印刷がされている高級品。100枚入り約150円。

彼らはこの家に引っ越してきて約1年。
いまだに中古で購入したこの家の方々を直しながらの暮らしらしい。到着して、テーブルに付いて10分もすると暑くなってきた。
セーターを脱いだ。木綿のタートルネックシャツ、その下には肌着を二枚重ね着している私。
自宅ではとてもセーター無しでは過ごせない。いったい、室温を何度に設定しているのだろう、と尋ねた。
「うーん、よくわからないけれど25度だと思う」
ええええええ!25度!
それは贅沢が過ぎるぞ。
私は、義母の話をちょいと聞かせた。義母が子供の頃は暖房は台所にしかなくて、寝室などは非常に寒かったこと、石の壁にはびっしりと氷が張り付いていたこと。
ドイツ人だんなさん30歳台は「ああ、知っている」と言ったが、経験はしていないだろう。
ウチの暖房は外気温が0度にならないと機能しないように設定されている。また、ある程度以上には室温が上がらない。もっと暖かくしたい、とスイッチを上げても切れてしまうんだ。
「お義父さんに相談したら」
と台湾人夫人が私に言ったが、そんなこと、恐ろしくて義父に言えないぞっ

これを書いている今も、中綿がたっぷり入っている外出用上着を着ている。
何となく寒くて、暖房機を触ってみたら、冷たい。えええー、どうして切れている?
室温を見ると20度。
ああ、22度くらいあると快適なんだけれどな・・・
義父に言ったところで「もっと着込みなさい」と返事が来るのは確実だ。
我慢、我慢。義両親たちも家の中でブクブクに着込んでいるものね。
寒さも我慢の同居生活。



今日のケーキ

2018年11月25日 | ケーキ(Kuchen Torte)
週末ケーキ。

プラムのケーキ。夏の収穫を冷凍したプラムだ。
ケーキの生地はクヴァルクを小麦粉に混ぜたもの。
カスタードを流し込んで焼いて固めてある。
義父の乳製品禁止期間が終わったので、再びそれらをバンバン材料に使ったケーキだ。

私はこのケーキを食べない予定。
おにぎり作って食べようっと!
私の唯一のここで食べられる和食。もちろん海苔など高級食材は使わず、米飯と塩だけだ。おいしいだ~、うほほほほ。




息子のための昼食なのに彼は仕事に出かけた義母の悲劇の恩恵を受ける近所の友人

2018年11月25日 | ケーキ(Kuchen Torte)
まずは、昨日義母が焼いた(いちいち「義母が」って書かないと、私が焼いたと勘違いする読者もいるからね、いや、いないか、あはははは~)さくらんぼ入りケーキの残り画像。

もちろんさくらんぼはウチの庭の収穫物。酸っぱい品種で、ケーキにしてもまだ酸っぱかった。
この一台を昨日の午後、三人でここまで食べた。私はふたきれしか食べなかったので、それとこの3つを除く部分を義両親二人で食べたのだろう。
毎回毎回、あっぱれな食いっぷりに感動だ。ドイツ人は食品が高価な日本に住むのは大変だろうな。夫は日本在住時(独身)いつも半額で買った食パンにマーガリンを塗ってその上にきゅうりとトマトを載せて食べていた。例外なく、そればかり。朝も、夜も。昼食は節約のため食べていない様子だった。

さて、本日の昼食はこれだった。息子の好物を焼いた義母。アプフェルシュトゥルーデル。

日本人の感覚だと、とても四人で消費する量ではない。一週間ほど持つだろう。
我々はほぼ、これを昼食時に全部平らげる。

私の皿。もう一切れ食べた。

残念なことに、夫は週末にもかかわらず、仕事に出かけてしまった。
そういうわけで、例外的に三分の一ほど余ってしまった。
夫がいないということで、私もずっとここで義両親たちと過ごすのがうっとおしく感じ、朝に連絡の入っていた近所の知人宅に訪問することにした。
このアプフェルシュトゥルーデルを持参して!
義母によると、このアプフェルシュトゥルーデルは一般的なものと違い、水分を多く含むのだそう。
私もほとんどこの品を他で食べた経験が無いが、イメージ的にはもっと乾いたものだと思っていた。
義母の好みでこんな風な独自な焼き方になったらしい。

読者の数名は、きっとこれを試してみたいだろう。
せっかく余ったこの数切れも、近所の人に渡ってしまうことが決定。

追記
タイトルの変な文章、投稿後20時間後に発見。
まるで日本語文法を外している。いよいよ日本語力が崩壊してきたか?
同時にドイツ語が進歩していれば許されるだろうが、全くそういう風に感じない。
困った、もう、まともに操れる言語がなくなってきた、ってことかい!
長々と謝罪文句を書いてみたが、記念のためそのまま訂正せずに残しておくことにした。



暗いドイツの冬。冬至まで日がどんどん短くなり、太陽のおでましが少なくなる。

2018年11月24日 | 気候
本日11月24日、私の住む周辺の日の出は7時36分、日没は16時25分。
この調子でどんどん日照時間が短くなる冬至までのこの時期だ。
きちんと調べていないが、高緯度地域でクリスマスを祝うのは、この日照時間に関係しているのだと思う。
冬至までのがんばれば日照時間が延びてくる、という我慢の時期。
年が変わるのが冬至直後、という西洋のカレンダーもその発想だと思う。
太陽がなくなっていく時期から、やってくる時期へ。

西洋人たちの移住・侵略がなかったころの南半球の「夏至」(現地では冬至っていうのかな?)はどうだったのだろう、と考えてしまう。

今でも春節を古いカレンダーで祝っている中国を初めとする東洋の国々。
二週間づつ前倒しになる断食月、イスラムのカレンダーはどういう発想で作られたのかな。
などといろいろ思考してしまう11月下旬。

比較的天気のいい晴れた日が続く関東の冬には、クリスマスの意味は「西洋の真似事」としか思っていなかったものだ。
ここに来て、クリスマスの意味がわかった。
広告にはクリスマスに向けてのパーティー衣装やプレゼントばかりだ。宗教色など全く感じない。
暗い時期を明るく過ごす工夫としか思えない。




第3反抗期は永遠なり。ちゃんとどこかで食べているようなので安心だけど。

2018年11月24日 | 
義両親たちが、勝手に自分の仕事部屋を片付けてしまったことで御冠の夫。
いつも「片付けなさい」と親たちに言われているのに、全く無視しているからだ。
義両親としては、自分たち自身の息子とはいえ勝手に乗り込んできて寄生されてしまい、自分たちの財産である家をめちゃくちゃにされたらたまったものではないものねぇ。
こういうときには、義両親たちに同情してしまう。私だってあまり掃除や整理整頓が上手なほうではないが、体裁を整える程度にはきれいに保っている。
夫の仕事場は、私が手を入れてはいけない。ましてや親もやってはいけない。
だが、あそこまで放置していると、家屋損壊まで繋がるから、まあ、仕方がない。
それで、夫は機嫌が悪く、わたしに「朝食は要らない」と帰ってくるなり私に宣言した。
起床してすぐに家を出て行ってしまった。
親の顔も見たくないのだろう。
まったく、第二反抗期より始末の悪い第3反抗期だなぁ~

朝食摂らない主義の人々も多い昨今だ。大丈夫だろう。
ちょいと前に送られてきた夫の事務所での食事。スーパーで売られているサラダだ。

この住まい周辺と違い、一歩事務所の外に出れば、あちこちに商店や食べ物店が並ぶミュンヘンだ。

また、ときどき仕事の関係でこんなものを食べる機会もあるようだ。

見るからに高カロリーだ。ビュッフェだから、胃に詰め込めるだけたっぷり食べてきただろう。
そういうわけで、たまの朝食抜きも心配しないでよろしい、と自分を納得させている私。

以前にも記事にした夫の朝食の作り方。

パプリカで土手を作り、すりごまを振る。

にんじん千切りにミックスベジタブル缶詰の中身を混ぜ、ケチャップとマヨネーズで和えてパンの上に載せる。
その上にスライスチーズを敷き・・・

10分ほど焼いて出来上がり!



ゴミ捨てもテキトーで自由そうなドイツ

2018年11月23日 | 物品
こちらに来た頃、日本の知人の一人に「そちらは小さなゴミひとつも丁寧に分別して捨てるのでしょう」と質問をもらったものだ。
すでに在住1ヶ月でそんなことはないと言えた私だった。
日本より自由にゴミを捨てられる、時には道端にぽいっとやることも可能だ。
南米在住時に、経験した一番嫌な思い出は、バスで飲んだ缶飲料のその空き缶を窓から捨てることだった。
からんからん、と音を立てて道路に転がるそのゴミ。経済発展の遅れている国は、人々の精神も遅れているのだと定義づけたものだ。
ところが。
さすがにドイツでは窓からゴミ投げ捨てはしないようだが、とにかく汚い。
単純に東京周辺と比較すると、汚い。
また、ゴミ収集についても遅れているのだろうか。

住宅密集地の粗大ゴミだ。ここは収集場所なのだろうか。何の表示も無い。

表示があったとしても、非常に目立つ場所にこうしたゴミを集めること自体がおかしいと思う。

薄っぺらい家具を解体したものなのだろう。ここの家具はこうした安っぽいものが多い印象だ。

洗濯機を下から見る経験は今後もあまりないだろうから、撮影しておいた。

考えるだけでうんざりする人々として登場する人物たちは国際的に同じ傾向。

2018年11月23日 | 義母
先週の週めくりカレンダー。
食卓テーブルの脇に置いてあるので、誰もがこれを見る。義母には見てもらいたくなかったのだけれど・・・

真ん中に「思うだけで憂鬱になってしまう人々」と解説があり、その人々のイラストが描かれてあるわけだ。
一番左は、歯科医。右端は駐車違反取り締まり担当官、その左隣は税務署員。
歯科医は同意できるなぁ。歯医者にはできるだけ行きたくないものだ。
駐車違反を取り締まっている人々、税務署員もここでは私は直接関係ないのであまりよくわからない、というのが正直な感想だ。

さて、左から二番目。それは「姑」。
いやだな、早くこの週が去って、次のページをめくりたいものだ、と思ったのが日曜日。
めくった次の日月曜日にさっそく義母は攻撃をかけてきた。
「りす、これ読んだ?」
きゃーっ
「へ?」
まるで知らない、という風に反応してみた。
なんて言ったらいいのかもごもごしていた。ドイツ語の壁も高いしねぇ。
すると、
「わたしは、いやな人物じゃあないでしょ」
と、義母は勝手に決定したので、ほっとした。

単刀直入にあっさり言ってきたので、これをテーマにしても大丈夫と思っていたのだろう。
ってことは、私の日頃の鍛錬はうまく行っているということだな。
・・・って自己判断して、ほっとした。