イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

いそばば回れ

2011-09-14 00:05:44 | 朝ドラマ

まぁいろいろツッコみの余地はありつつとりあえず開店した“百白花”(@『おひさま』)、壁面のお品書き短冊に「もりそば 十五円」「たぬきそば 十八円」とありました。城下町松本の一等地(か?)から辺鄙な安曇野に越してきての強行開店ですから、さすがに海老天そばとか鴨南蛮は出せないだろうけど、山菜そばやとろろそばは安曇野のほうが美味しいのを出せそう。

 昭和25年設定で、ベーシックメニューのもり・かけ単価十五円というのは正しいのかしらんと思い、当該年代の記憶がウチで唯一ありそうな高齢組代表に意見を求めたところ、「昭和25年当時なんて、外の店でカネ払ってものを食べる余裕などなかった」。郷里を離れ社会人一年生ぐらいだったはずのヤッコさん、お昼ご飯はどうしてた?コンビニ弁当なんかも当然なかったでしょ?と訊くと、「あたぼうよ」ってな勢いで、寮母さんが作ってくれる麦飯のおにぎりだけ持って出勤していたそうで、会社の会議室兼会議のないときは休憩所みたいなところに、お新香や梅漬けや佃煮があれば食べるし、無ければ無いで何も食べなかったそうな。

そば一杯にしても、お昼を店で外食なんて行為は、まずは店のあるような都会に住んでいて、なおかつフトコロによほど余裕のあるひと握りの人だけに許された超贅沢だったのが昭和25年頃の日本。百白花の「もりそば 十五円」「たぬきそば 十八円」が合ってるのかどうか答えられる生活を、当時、送っていた人間は、月河宅には存在しないことがわかりました。

ただ、高齢組その2の言うには、「官製はがきは2円だったような記憶がある」。こちらは当時、実家近くの特定郵便局の手伝いを頼まれてしていたことがあるのでなんとなく郵便関係はうすらぼんやり覚えているのだそう。

平成23年現在、郵政はがき(“官製”の言葉は小泉改革で消滅しましたな)は50円。そして、ウチの近所のローカル駅近くで、そんなに気取ってないそば屋さんの、トッピング無しのかけ・もりが380円ですから、はがき2円の7.5倍にあたる15円で、田舎の家族経営の店“百白花”のかけ・もりが食べられるというのは単純計算で当たってなくはないと思います。

そもそも論になりますが、蕎麦の名産地ではあるけれど、稲作に適した水利の良い平地が少ないためやむなくそうなったに過ぎない、高冷で凶作の多い信州で、“店でおカネを払ってまで、救荒作物である蕎麦を食べる”習慣・嗜好が戦前からあったのかどうか。本当はお米が食べたいのに蕎麦しか作付け収穫できないからやむなく蕎麦を食べている地方の庶民なら、外食という贅沢が許されるなら白いご飯ものを選ぶのではないでしょうかね。

昭和50年代前半だからもう30年以上前になりますが、信州のとある中規模都市を訪れたとき、「信州と言えばそば」と思い駅前広場の一郭にあったそこそこ小奇麗な店に入って、いそいそとかしわそばを注文したら、めんの太さやカタチといいだしの味といい盛りつけといい、まるっきり全国チェーンのファミレスの様なしつらえだったので軽く驚いた思い出があります。

駅前広場からちょっと中通りの、観光向きな顔をしていない家族的なお店はないかと探したら、たいてい暖簾に“中ば”の文字がありました。ラーメンスープの匂いのする店内では、たとえメニューにあるにしても日本そばを食べる気はしません。信州地元の住民の皆さんにとっては、地元でとれた日本そば“だけ”を有料で食べるためのお店って、案外需要がないのかなぁと、ふと思ったものです。

そんな暴論仮説が成立するなら、“松本で、明治生まれの徳子さん(樋口可南子さん)のお祖父さんが開業して、三代続いている丸庵”という設定自体、現実味がなくなってきます。

地方在住の身から勝手なイメージで言わせてもらうと、“専門職人さんのこだわり原料の、こだわり手打ちの、こだわりだしのそばを、わざわざ専業店に足を運んで、お金を払って食べて、リピーターになる”というのは、やはり田舎の第一次産業従事者ではなく都会人、とりわけ、西日本よりは東京と東京圏の、大セレブではないが小贅沢が楽しめる、たとえばコーヒーとケーキを注文できる小銭がポケットにあったら、あえて「文庫本を買おうか、それともそば食うか」と迷うことが可能な階級の人たちにふさわしい志向のような気が。

…偏見かな。『おひ』スタート前は、そんなこんなも含めての“そば作り&食べ文化”“そば屋文化”がドラマの中で重要な要素となって、蕎麦の品種や栽培と生育、どうやって実を採ってどう挽くか等も出て来るかなと期待したのですが、そば屋嫁である陽子(井上真央さん)のそば打ち修業すら、“舅(串田和美さん)姑に夫(高良健吾さん)、指南役多くして船が山に…”というコミカル処理で終わりそう。

「安曇野を舞台に」という縛りがまず何期も前からドンとあって、「安曇野と言えば何?」「風景」「もっと、設定上の生業になるようなのない?」「蕎麦かな」「じゃ、それで」で決まったような、それくらい、そば、そば屋というものに愛も関心も感じられないドラマになってしまいました。

ドラマの放送前情報だけで、こんなんだといいな、こんなのが見られるかも…と勝手にハードル上げて待つと、放送開始してから十中八九裏切られるんですよね。『おひさま』に関しては、渡辺俊幸さんの劇中音楽という“喜ばしい予想外”があったので差し引き、ギリで及第つけられるか。サウンドトラックCD、『ゲゲゲの女房』のように第2集も出ないかな。

コメント
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