イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

いつの世にも悪は

2011-04-21 19:51:17 | 再放送ドラマ

前回の記事、NHK『おひさま』にて、祝・現代時制までサバイバル熟年タケオ役、犬塚弘さんの俳優としてのドラマのお仕事を二~三思い出したのですが、大事なご出演作品を忘れていました。

中村吉右衛門さん版『鬼平犯科帳』第1シリーズ最終話『流星』で、おかしら愛用の銀煙管を寝室枕頭からこっそり盗み出し、また知られずに元に戻しておくという、ルパンⅢ世ばりに人を食った腕利き盗賊・浜崎の友五郎を演じておられた。

息子同様に可愛がっている、賢い甥っ子が大店(だな)の手代勤めを続けられるようにと、お盗(つと)めの腕前を封印して堅気の船頭として静かに暮らしていた友五郎でしたが、水路に詳しく操船の腕も抜群なことから、上方から鬼平の鼻をあかすべく江戸に乗り込んできた凶賊・生駒の仙右衛門から、一枚加われと誘われます。仙右衛門は金目当ての浪人どもを集め、鬼平の部下やその家族を次々に手にかける、血も涙も仁義もない悪党。友五郎は一度ははねつけたものの、可愛い甥っ子が人質に取られたと知り、仕方なく加担を決めますが、伊達に船頭やってきたわけじゃない。逃げる船をわざと浅瀬に乗り上げ、一味を一網打尽にさせます。土壇場での友五郎の選択に、お縄にした鬼平は吟味の後、いつぞやの銀煙管の件にも敬意を表して温かい言葉をかけました。

本放送が確か1990年頃のこのエピソード、10年ほど後にいくらか違った脚色で再度制作、放送され(『大川の隠居』、18日にBSフジで再放送されていました)同じ役を今度は大滝秀治さんが演じられましたが、泥っぽく渋みも苦みも濃い大滝さんの友蔵よりも、長身の背中をちょっと丸めて“俺ぁしがない船頭さ”と飄然としているが“昔ゃヤンチャでブイブイ言わせてた”お洒落さの片鱗を随所に滲み出させ、真面目ゆえの気弱さも垣間見せる、でもお盗めの腕は融通無碍というギャップに興趣尽きない、犬塚さんの友五郎のほうが月河は好きでした。

もともと『鬼平』シリーズ、歌舞伎や新国劇、新劇畑などの舞台汁(じる)・役者汁が骨の髄までしみ込んだベテラン俳優さんたちは当然のようにベテランなりの存在感を皆さん発揮されるのですが、もともと俳優専業ではない、芸人や噺家さん、元アイドルや歌手、格闘家などもゲスト起用されると驚くほどの味を出すことが多いのです。池波正太郎さん原作の物語世界が分厚いことと、何度もTV映像化されてきた伝統の重みでしょうかね。

あと、基本、おかしら長谷川平蔵率いる火盗改方の活躍を描くお話なため、ゲストの役どころは概ね盗賊、元盗賊、掏りや舐め役・引き込み、あるいは密偵など、アウトローや社会のはぐれ者、“普通の人じゃない人”だから、生粋の、根っからの役者さんじゃなくても、演じやすく、味を出しやすいのかもしれない。

犬塚さんが友五郎に扮したのはまだ60代に入られたばかりの頃で、“引退した老盗”にはまだ失礼なくらいの、飄々とした中にもいなせで悪戯っぽい風情を漂わせていましたが、クレージーキャッツの元お仲間で俳優としても活躍された、植木等さんやハナ肇さん、谷啓さんなどにもお元気なうちに一度は『鬼平』にゲストインしていただきたかったなといまになって思いますね。

先週(15日)新作SP『一寸の虫』(←こちらも2001年=10年前に放送されたエピのキャスト替え再脚色です)が放送され、物語世界は古びていないし寺脇康文さん原田龍二さん北見敏之さんなど個性あるゲストも、ゲストインすればインしただけもれなく輝く『鬼平』マジックは健在でした。

ただ、おかしら吉右衛門さん以下レギュラーメンバーは、原作での設定を考えても、年齢的、見た目的にギリかも。…って近年、年1回のSPのたびにギリだギリだと言い続けているような気もするな。いよいよとなったら、それこそデジタルリマスター使ってシワとか伸ばしたりしてでも続けてほしいですね『鬼平』。

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ほんだらほだらだ

2011-04-19 20:27:05 | 朝ドラマ

タケオくん(@『おひさま』)が現代までお元気でよかったよかった(18日放送)。

成熟版陽子=若尾文子さんが語る、女学生陽子(井上真央さん)時代の昭和13年時制では、お母さん(角替和枝さん)からリアルに「あきらめろ、ありゃ脈がねぇ」とクギさされているように、尋常小学生坊主からのあこがれの陽子ちゃんと、どうにかなる望みはドラマ的に期待薄そうだけど、大正末のほう生まれの男子で、学校の成績はともかく身体には問題なさげだし、甲種合格で戦局煮詰まってくる前に兵隊に取られて若い命を?…とひそかに心配していたんですよ。特に信州からの入隊組はなぜか、南方など激戦地に送られた人が多いと聞いたことがありますから。

 現在時制では、成熟陽子同様80代半ば、或いは90歳近いんじゃないかと思われる成熟タケオくん、いやタケオさん、依然あこがれの陽子の近隣に在住、頻繁に自作の野菜などタダで届けてくれているようです。きゃー。劇中出てくるたびに、見るもの聞くものあらゆることにキャンキャンワンワン、スピッツみたいに反応する聞き役房子さん(斉藤由貴さん)と、今回ばかりはこっちもシンクロしてきゃーきゃー言ってしまいました。

房子さん、先週放送分の最後で「…タケオくんも気になるし」と言及してくれてましたしね。特段、女学生陽子と少年タケオ(柄本時生さん)との絡み描写や、若尾さんヴォイスの「タケオくんはそのときね…」等という説明ナレーションは無くても、昔話として画面に映った事どもは房子さんに伝わっている設定と考えてよさそう。伝われば、気になるよねタケオくん。主婦業“がんばってるのに家族に有難がられなくてショボーン”な房子さんは、登場人物の中でもタケオくんに共感する部分が多そうです。

しかも、熟年タケオ役は犬塚弘さん。出るとしたら柄本明さんしかないんじゃないかと勝手に考えていましたが、クチ下手で棒立ち気味でヌボーーッとした感じ、浅黒くてさりげなく歯が秀でて、結構、見た目の連携のいいキャスティングじゃないですか。

犬塚さん、ドラマで俳優としては3年ほど前のNHKドラマSP『海峡』以来の拝見のような気がします。戦前は数々の論文をものした教授だったのに、戦後焼け出されて闇の露天古着商をしながら粘り強く著述を続ける学者さん役。長谷川京子さんと眞島秀和さんの、海峡を渡っての許されないかりそめの結婚生活を近隣で見守る、地味でも頼もしい役でした。古くは月河贔屓枠の東海テレビ昼帯ドラマ『愛の嵐』で田中美佐子さんが嫁ぐ大河内家の、影が薄いが人のいい婿養子舅役も忘れ難い。

クレージーキャッツ時代、センターでウケを取って目立つ担当ではなかったけれど、ひょろっとノッポで面長、特徴ある風貌で、持ち楽器ウッドベースのサイズに負けてない犬塚さんが、向かって右サイドを固めていることで、クレージー全体の芸能のクォリティがかなり下支え、というか“右支え”されていたと思います。植木等さんの当たり役『無責任男』シリーズと対極を行くキャラの、クソもバカも一緒に付くような超ド真面目な侍役で主演された『ほんだら』シリーズなんてのも、かなりの拾いモノ佳作喜劇でした。

4年前の植木さんに続いて、昨年はメンバーの中で若いほうだった谷啓さんも他界され、犬塚さんもお淋しいことでしょうが、今作でお元気な姿を見ることができて「どっこい昭和」となんとなく元気が出ちゃいましたよ。犬塚さんを見ていると、ブーム去りし後、脇に徹して出続けること、演じ続けることで“ブームのさなかは渋いポジションだったのに、気がつけば元メンバーの中でいちばん出番が多い”立場になった、岸部一徳さんが重なることもあります。

今年82歳。まだまだ末長くお顔を見せ存在感を発揮してほしいと思います。とりあえず熟年タケオさんとしては、今後現代時制場面で登場するたびに、何かしら熟年陽子に自家産品を差し入れ、そのたびに房子にきゃーきゃーリアクションされるのだろうなあ。セリフが少なそう。一度ぐらいはびしっと、言いたいこと言えるシーンを用意してあげてほしいですね。

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上杉ケンジントンパーク

2011-04-17 22:02:45 | テレビ番組

昨日は、NHKBSプレミアム『よみがえる大河ドラマ』を途中から飛び込み視聴。昭和41年の第4作『源義経』~第7作『天と地と』の、それぞれビデオテープ原版が残っている1放送回分だけを、ハリウッドのデジタルリマスター技術で修復お化粧直ししてデジタル放送でご紹介、という長時間SPです。

記念すべき昭和38年の第1作『花の生涯』から第3作『太閤記』までは前週放送したそうで、うーむ、観たかったような、古過ぎてちょっと敬遠したいような。昭和381963年となると、実家にもご近所にもテレビがあったかどうかの記憶すら怪しい。

4作以降も、『源義経』最終話の緒形拳さん弁慶圧巻の立ち往生場面はうっすら覚えてるような気もするけれど、静御前を富司純子(当時は藤純子)さんが演じていて、義経役尾上菊五郎(当時は菊之助)さんとのここでの初共演がきっかけで7年後に結婚されたのだ、なんて聞くと、そうだっけ?出てたっけお竜さん?とおぼろげになります。

5作『三姉妹』も視聴した記憶はほとんどないけれど、クリハラ“コマキ”という、当時は非常にユニークな響きだった芸名の女優さんの記憶はある。スタジオゲストとして来演されていましたが、アイラインの描き方などちょっと昔の舞台出身女優さんにありがちな“時代止まってる感”はありつつも、そこはかと清らかな香りのする雰囲気は変わっておられず、当時からのコマキストの皆さんも胸をなでおろしたでしょう。

6作『竜馬がゆく』はOPの雲海の映像だけは結構鮮明に記憶があります。当時25歳の北大路欣也さんがとにかく若い。おまけにモノクロ放送仕様のメイクでいや増しにお顔が濃い。武市半平太役で時代劇初挑戦だったという高橋英樹さん、龍馬の猛姉乙女役の水谷八重子(当時は良重)さんも含めて、ものすごい勢いで膨大な台詞を洪水のようにしゃべっていて、終始カメラは長回し気味だし、こりゃ役者さんは大変な労力だったろうなと思いました。演出が和田勉さん。概して昔のドラマは演出が素直と言うか端正と言うか、アナログに徹してヘンな小細工をしていない(できなかった)ので、絵ヅラは古くても視聴感は嫌味がないですね。

昭和44年の第7作『天と地と』はこれも記念すべき、カラー制作第1作だそうですが、「そうそう、カラーだったね」と思い出すふしがまったくないのは、当時は実家のTVがカラー化未だしだったのでしょうな。ハリウッド由来の映像リカバー技術のおかげもあるにしても、メイクがモノクロ作品とは根本から違う。

最終話ではないけれど、終盤の最大のヤマ場=川中島の戦いの回が保存されていてラッキーでしたね。当時は撮影用のビデオテープがえらく高価で貴重だったため、放送が終了すると別の番組撮影用に使い回すのがつねだったそうで、保存されている作品はごく稀だそうです。

主役・上杉謙信役の石坂浩二さん28歳、これまた若い。謙信と言えばコレ…のトレードマーク白頭巾も弁慶風で、それはともかく鼻ヒゲが超絶似合ってない。『天地人』後半戦での妻夫木聡さんといい勝負なくらい似合ってない。よく少女漫画に出てくる“ヒゲと法令線だけで老けてる、二枚目中年お父さまキャラ”みたい。

設定の川中島の頃は謙信公は30代半ばぐらいだったはずで、別にそんなに無理クリ外見を老けさせなくてもよかったんじゃないかと思いますが、青年期からずっと演じてこられて、川中島をピークに持ってくる作劇上、どこかに“年を経て達した境地”感を出す必要があったのかもしれません。謙信視点での独白ナレーションも多く、とりあえず石坂さんの、後年数々ナレーター起用もされる、発声・口跡の聞きやすさは際立っています。

ただ、聞きやす過ぎ軽やか過ぎて、戦国時代モノっぽくなかったかも。『太閤記』で緒形拳さんの太閤秀吉の側近・石田三成役が好評だったことがこの作品での主役につながったのでしょうが、当時月河の実家家族や大人たちなどは「越後の軍神にしてはちょっとカンロクがないねえ」と評していた記憶が。特に実家母方の祖父や伯父たちには、いまで言う戦国武将マニアみたいな人が結構多かった。

あと、スタジオトークで石坂さん本人が時効バレしていたように、武田信玄役高橋幸治さんとは別撮りで合成しての一騎打ち場面だったので、信玄ひとり座して守る本陣へ、単騎突っ込み馬上から斬りかかる謙信!という迫力もいまいち、いま2いま3…(以下略)。その分、両陣営の主要脇役さんたちの活躍や顛末を個別に追うシークエンスを挟んで、序盤から継続視聴していた人なら「あぁあの人が討たれちゃった」「あの人は生き残った」とそれなりに手に汗握る回ではあったでしょう。むしろ、この回の後の2話をどうもたせたのか疑問なほど。

ドラマリプレイの後スタジオに戻ると、“ミスター大河ドラマ”石坂さんもさすがに御年今年70歳の年輪ですね。かつての細身二枚目俳優さんの、中高年になってからの太り方としては全然許容範囲なんだけど、クチもと、特に歯の色の濁り方にお年が。あんまり人工的な、義歯義歯したホワイトニングも逆に見苦しいですが、昨年暮れの『紅白歌合戦』での復帰したての桑田佳祐さんのアレなども思い出して、もしや『水戸黄門』降板の原因になった病気の影響が?と要らない心配してしまいます。

高齢ベテラン俳優さんたち、現役でご活躍を続けられるのは役者として幸せなことですが、露出のしかたが難しいですね。一歩間違えれば、出るほうも疲れて、観るほうもがっかり、なんてことになりかねないですからね。

大河出演本数、演じた役柄数では石坂さんより多いか少ないかわかりませんが、“大河が俳優キャリアのステップアップに直結した”例では緒形拳さんも最右翼だったと思います。『太閤記』では主従でしたが、実は石坂さんより4歳上なだけ。お元気であれば当然コメントゲストオファーができたでしょうに。

作品で役を演じるのが俳優さんの本業ですが、TVドラマ界も熟したジャンルになってきているだけに、ベテランさんには“草創を語り伝える”という役割も大きいと思う。いまさらながら惜しい人を亡くしました。

…あと、高橋幸治さんの信玄が、石坂さんの謙信のことを「越後の小童」と呼んでましたな。いまドラマ界で「コワッパ!」が似合う人と言えば、『霧に棲む悪魔』の榎木孝明さん扮する玄洋伯父さま。劇中で時計いじってるうち、時間が戦国時代に戻って止まっちゃってるのかな。

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自粛の自粛の自粛

2011-04-16 21:25:56 | ニュース

震災後、あらゆる媒体に、量質ともにいつもに増して圧倒的な情報が溢れかえっていますが、何ごとも過ぎたるは及ばざるが如しで、溢れかえってるとき特有の“言葉のノーズロ感”というか無神経さが目立っています。

直近の例でいうと東京電力の福島原発事故避難者への“仮払い金”って、耳を疑うほどの無神経な言葉だと思います。

言いだしっぺが海江田経済産業相で、「ホレやらんかい」と監督官庁のトップにケツを叩かれた格好で東電も嫌々発進したから、意味や主旨を考えてもっと適切な語句をと知恵工夫するでもなく、機械的にまんま引き継いでそのまま言い続けているんだと思いますが、そもそも“仮払い”というのはおカネを“払う”側主語の表現であって、住む場所から追いたてられるように避難を余儀なくされ、生計の道も断たれて困惑のどん底に突き落とされている地元住民たちの“立場が立つように”という配慮が微塵も感じられない。“払い”に“仮”をわざわざ付けて、「本当は払いたくないんだよね」と大っぴらに白状してどうするのか。

大きな病院・医療機関で言う“外来(がいらい)”と同じ、「困ってると言うんだから仕方がない、ソッチから来れば対処してやるからありがたく思え」とデーンと構えて自分から動こうとしない、極力汗もかきたくない。動かない自分をどこまでも主役、主語に据えて何とも思わない、お役所的傲慢さがびんびん伝わってくる語法です。

“払う”側ではなく、“払いを受ける”側の身に一瞬でも立ってみたことがあるのか。簿記や会計の心得があってもなくても、“仮”“払い”という字並びを見ると不安にかられるではないですか。「仮は仮免の仮だから、いつか“本払い”になる移行段階ということか」「“払うこと”そのものが“仮”なら、払われたほうは、いずれ返済しなければならないということだろうか」とたいていの人が思うはずです。

 ちゃんとした計算根拠を立てて、生活再建まで見据えての賠償の前に、せめてもの当座のお詫びにと腹をいためる、血を出す気があって言うなら、“お見舞い金”でいいのに。“仮払い”なんてあからさまにしぶしぶ感のある語を何ゆえ選ぶのか。

“お見舞い金”だったら「いずれ返済?」なんて余計な危惧を持たずにまだしも気持ち良く受け取れ、「頑張って家業の再起が成ったら、快気祝い出そうか、半返しで」という意欲も湧こうというものです(湧かないか)。

世帯当たり100万円、単身世帯なら75万円也の、金額はじき出し根拠のわけわからなさも含めて、何度も言いますがこの国の、官製の政策には、発想立案にも実施方法論にも“豪胆さ”というものがとにかく無い、無さ過ぎる。時間かけて、もじもじウジウジ待たせて、やっとクチ開いたかと思えば、誰も喜ばないしぶしぶ感に満ち満ちた物言い。「オロオロ不安クヨクヨ心配、一生どこかしら愁眉寄せて暮らすのが日本人の本分というものさ」との信条でもあるかのよう。

「被災地復興を下支えするためにも、必要ない自粛ムードは自粛して、イベント、娯楽、消費経済活動活発にしておカネを天下に回そう」なんて最近は特に、直接被災のなかった西日本発の媒体が強調していますが、とにかくトップ、司令塔が骨の髄までミミッチイ国ですからねー。シモジモが少々カラ元気奮い立てて威勢良くしても効果あるかどうか。

いまは被災地じゃないと言っても、地下のプレート、海水、空気、つながってますからね(脅してどうする)。

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ジュリアン猿真似

2011-04-14 15:58:15 | 朝ドラマ

まずは快調と言っていいでしょうか『おひさま』は。紺の制服に白のセーラー衿、キャスティング聞いた当初は、24歳井上真央さんにさすがにツラいか?ともチラッと思いましたが、さすがはかつての名子役さん、要らないフェロモンを殺して、折りたたんで芝居するのがうまい。

…て言うかそういうのは初めからあんまりない女優さんで、そこを買われてのNHK朝の顔オファーだったのかも。本屋の娘でファッションとアメリカにあこがれる、後の世で言う“飛んでるオンナ”育子の満島ひかりさんはモガ風断髪で浅黒めの、目鼻立ちくっきり南国系美人、大地主のご令嬢で許婚ありの真知子役マイコさんは面長で襟足シニヨンが似合う和風美人。タマゴ型おデコちゃんの陽子が真ん中に入ると、絵に描いたようにキャラ分けのはっきりした女学生三人娘のできあがりです。

13日(水)にはお父さん(寺脇康文さん)にも内緒で、禁じられている映画館に3人で入り、隣席のチンピラ(千原せいじさん)に手を触られて「ワタシ汚れてしまった、もうお嫁に行けない、男のヒトなんか大嫌い」と号泣したかと思えば、打ち明けたお父さんが「その男とっ捕まえてやる!」と怒ってくれて、しかも大好きな長兄春樹お兄さま(田中圭さん)から久々の帰省を知らせる葉書が届くと、たちまち破顔一笑ウキウキご機嫌モード。下校途中の寄り道買い食いさえ秘密の大冒険だった時代の多感な乙女だから…と言うより、10代半ばぐらいの女の子っていつの世もこういうもんだろうなと思います。鏡に映る自分と、自分の身にくっついてまわる小っさな快不快、喜怒哀楽が世界のすべてで、同じ場所で同じ相手の顔を見ながらでも、南極と北極ほど気分が上下する。他愛ないと言えば他愛ないけど、自分と世界とが切り離されていく大人への道程の一段階。それを人は青春と呼ぶ。嗚呼。

男尊女卑、軍国主義、前近代的な時代と言っても、社会規範や、カッコいいカッコ悪い、恥ずかしい誇らしい、新しい古いの座標がちょっとスライドしているだけで、基本は少しも違わない。

ただ、如何せん今回の朝ドラは、時代物は時代物でもオリジナルなので、昭和13年秋も、安曇野の高等女学校も、旧弊な教師たちも、進歩的なお母さんも、すべて作家さんがアタマの中でこさえた昭和13年秋であり女学校であり教師たちであり…なので、たとえば『ゲゲゲの女房』のような、実体験談原作のドラマに比べると、或る一時代を特定の状況のもと、それなりに個性のある信念や心情をもって生きた人物たちの活き活きした交流や衝突があまり感じられず、“上澄みだけ掬った”“人工的に描いた書き割りのような”浅さは否めません。乙女の他愛無さも、古い価値観を押しつける教育への反発も、成績優秀で優しい自慢のお兄さまラブに隠された白馬のプリンス願望も、何となく輪郭がふわふわしていて類型的。

貧乏しても誰もやつれず、年を重ねても肌色ぐらいしか老けなかった『ゲゲゲ』もかなりのメルヘンファンタジー度だったけれど、家電三種の神器の時代に料金未払いで電気止められてロウソク生活とか、テレビを題材にした漫画を描くのに自宅にテレビがなくて質屋から中古を買うとか、「あの時代にコレはないだろう」と思う描写にもいちいち説得力があったのは、実在の水木しげるさんと布枝夫人という実生活者の、血がかよった実体験という裏づけがあったればこそでした。

『おひさま』の今後も、オリジナルフィクション、こしらえ物なるがゆえのふわふわ感、類型感を“朝の心地良き絵空事”“地デジ電波を使った、家族向け時代もの絵本”として楽しめるか、興がれるかどうかというところでしょう。

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