イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

揺すりタカり

2011-04-12 22:10:25 | ニュース

その昔、中央競馬にカブトシローという馬がいて、昭和42年の天皇賞・秋と有馬記念優勝などをはじめ生涯14勝の活躍をしましたが、勝ったり、強い相手に好走したりした次のレースで1番人気におされると決まって凡走大敗、人気薄だと思い出したように、驚くような圧勝で大穴をあけるので“新聞の読める馬”と仇名されていたものです。

本当に馬が新聞読んでたら、それこそ♪ぽぽぽぽーん の世界になってしまいますが、牡馬としては小柄で、乗り替わる騎手乗り替わる騎手軒並み手こずらせる稀代の気性難。「オレこんなに買われてんのか、貧乏人どもめウゼエな」とソラを使ったり掛かって行ったり、なんだ弱いじゃんと切ると、「舐めてんじゃねえぞコラ」と本気で走って、「ほら高配当つけてやったぜ、買わなかったヤツらザマあ見ろ」とほくそ笑んでるみたいなキャラでは確かにありました。

馬と比較しちゃ失礼すぎて、ゲキリンにふれてまたどうにかなるかもわからないけれど、今般の地震も“新聞の読める地震”ぽくないですか。

あるいはいっそ“テレビ見てる地震”と言ったほうがいいか。

311からまる1ヶ月経って、被災地各地で午後246分に黙祷を捧げたりしている映像が流れた途端「もう回想モード?淋しいなー忘れないでー」と夕方のニュースの時間に揺れたり、「あ、福島浜通りってところに原発なんかあるんだ、じゃ今度はそこらを重点的にいったほうが話題がでかくなるかなユサユサ」「東海村ってとこにもあるのか、じゃそっちも…ってちょっとズレて長野行っちゃった、このへんかな、も少しこっちかなユサユサ」とだんだん震源が南下したり。「あーみんな騒いでる騒いでる、キーモチいいなーもっともっとボクに注目してキャーキャー言ってー」みたいな。

“愉快犯”、はたまた“劇場型犯罪”ならぬ“劇場型地震”とでも言いましょうか。この1ヶ月ほどの動きを見ていると、ヤッコさんの人間性…というか地震性の根底には「目立ちたい」「人を困らせてみたい」という幼児的な欲求があるように思えてならないのです。

こういう手合いは、衆目の関心を集めている、重んじられている、どこもかしこも自分の噂で持ちきり、自分がちょっと何かやればそれっと大勢が右往左往…という状況こそがこたえられない快感なんだから、逆に、黙らせるには皆でこぞって無視軽視するに限ります。

「オマエになんか誰も興味ないよ」「好きにすれば」という態度で、もうこの際、日本全国、北海道から沖縄まで、老若男女、全員地震もないのにユサユサゆらゆら、四六時中揺れながら生活するというのはどうでしょう。スイングスイング。スロースロークイッククイック。ロックアンドロール、ロケンロール、ヘッドバンキング。揺れながら通学、揺れながらご飯、揺れながら花見。「ウチら揺れてるのが当たり前だから、アンタがいまさら揺すったって何も感じないよ」という、すげない素振りを、国家レベルでとるわけです。

原発なんかも、あらかじめ、でっかいテコを土台に入れて、ユサユサ揺らしながら発電すればいいと思います。よく知らないけど、核融合のペースが上がってコスパも良くなったりするんじゃないかな、揺らせば。ホント知らないけど。

なんなら毎日朝晩2回くらいずつ、10メートルぐらいの津波も起こしては引かせて、「今日のはちょっと低かったな」「別にいいし」とスルーする。本当に起こすと電気料金がかさんで、いくつ原発建てても足りなくなるかもしれないから、CGでもいいでしょう。

漁船やコンテナと言わず、でっかいタンカーや航空母艦や、もしそのへんにいれば北朝鮮の不審船かなんかも押し流して、超高層ビルもスカイツリーもぶっ倒す津波を、日本の誇る特撮技術を駆使して合成、3Dテレビで街頭で映して「なんだまたやってら」「もう飽きた」とみんな揃って冷たく背を向け家路を急ぐ。もちろんみんなユサユサ揺れながら帰る。帰れば家族が「パパおっかえりー」とユサユサ迎える。ユサユサビールを飲み、ユサユサプロ野球ナイトゲームを見る。「なんだダルビッシュ、ストレート浮いてんぞ」とユサユサ悪態をつく。月河は『霧に棲む悪魔』の録画をユサユサ再生する。白い女(入山法子さん)が弓月(姜暢雄さん)とユサユサキスする。

東京では菅直人総理が「国難?何それ」とユサユサニヤニヤする。石原慎太郎都知事が「日本人、もっと我欲でいいんじゃない」とユサユサ会見する。NHKの水野倫之解説委員が「今日はウサギさんのネクタイです、ハイじゃまた明日」とユサユサ画面からハケる。

…………こんな状態が続くと、“劇場型”のヤッコさんとしては「何もしないうちから揺れてんじゃ目立ちようがねぇな、つまんない国」と嫌気がさして、「こないだニュージーランド行ったし、その前は中国四川省も行ったし、スマトラ島も行ったし、今度はドコにすっかな、あーあ、どっか目立てるトコないかな」と腰あげるに違いありません。

いつまでも日本中がわいわいオロオロ構っているから、ヤッコさんも増長するのです。ここらでビシッと線を引いて、オトナの厳格な姿勢を見せないと。皆でユサユサ、ヤッコさんは泣いても吠えても無視。始めませんかユサユサ。

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ココ⇒

2011-04-11 00:32:07 | 特撮・ヒーロー

こんなにおもしろくてどうするんだ『海賊戦隊ゴーカイジャー』。全国統一地方選挙前半戦、主要都市の首長さんらが続々と当落決定し国政の将来も占われつつある深夜に、朝の子供番組の録画見て大受けしているオトナってのもどうなんだ自分、という気がしないでもありませんが、だっておもしろいんだもの。おもしろいということの勢いを止めるのは誰にもできない。石原慎太郎さんにもできない(言うまでもない)。

8話のザンギャック行動隊長スニークブラザーズ、肉付きのいいオルフェノク(@555)みたいのの肩にできた超特大の人面瘡の様な弟ヤンガーと、弟にムギュッてして投げてもらわないとドコにも潜入できない、軟体のエヘン虫の様な(でも齧るとカタいらしい)兄エルダー、コレって逆・『鋼の錬金術師』的な、可笑しゅうてやがてシリアスなキャラか?と思わせたのは最序盤のみ。その前にすでに①開発技官インサーンと参謀長ダマラス、ゴーカイジャーの賞金首ビラを1人ずつ「キャプテン・マーベラス」「あなどれん奴だな」「ジョー・ギブケン」「なぜ裏切ったのか」「アイム・ド=ファミーユ」「まさか海賊の一味に加わっていたとは」「ルカ・ミルフィ」「札つきの女だ」…とチェックしていって最後に「ドン・ドッゴイヤー」(←ここで荘重なBGMストップ)「コイツはまあいいだろう」「ですね」ビラをポイッ!→ハカセ「捨てないでー!」。

…ザンギャック、メカ担当にして有能な料理長かつムードメーカーでもあるハカセのポテンシャルを軽視し過ぎ。「大根の葉っぱにも利用価値はあるんだから!」と、「野菜は皮や芯に栄養があるけんな」みたいなことを向井理さん似の清水一希さんが言うと格別におもしろい。俳優さんに「ダイコン」て台詞で言わせる時点でおもしろいし、しかもその葉っぱが真グリーンときた。

続いて②マーベラス(小澤亮太さん)とジョー(山田裕貴さん)の野球ゲームのトバッチリにハカセ「遊ぶなぁーーー!」絶叫でザンギャックのレーダーにも引っかからなかったゴーカイガレオンがスニブラにめっかる③無駄筋肉(しかもウロコ)ヤンガーの兄貴潜入させ作戦(=投げるだけ)連続ハズレでどんどんやる気なしポーズになるゴーミン兵団(最後は手のひらホウキ乗せとか2人一組で指圧とかしてた)④自分の投擲ヘタクソを棚に上げ「もうミスは許されないゼ」と気取る弟に「オマエが言うなーー」とキレる兄貴、体育座りでうなずきマーチのゴーミン兵団⑤潜入したらしたで「抜っきあっし差っしあっし忍びあし~」って転がるかぶつかって弾むしか移動手段のない兄貴⑥「こちら弟、兄貴、兄貴どうしたー!?」とつんのめるヤンガーを押さえると見せて放り出すゴーミン兵団⑦「絶好のポイントを発見した!」「どこだ!」「ここだ!」「だからどこだって!」「だからここだって!」「見つけてみろ!」「ふわぁーー…ってわかるわけねえだろ!」とヨタローのかけ合い化するスニブラ⑧ゴーカイジャーがナビィ捜索に夢中なのに、冷静に沈着にクールにハードにパーフェクトに単なるひとりかくれんぼを続ける兄貴⑨回想で狭いソファーで小ぢんまりとうたた寝するハカセ(しかも抱き枕代わりナビィ、しかもヨダレ)⑩ナビィが電池で動いてる、ヨダレで錆びると思ってたらしいゴーカイジャー⑪なぜか沖縄のパイナップル売りの様なファッションになってたナビィ。

まだまだあるぞ。⑫「ゴーカイジャー、気づくのが遅かったな!」と得意満面でビヨンビヨン出てきてあっさりジョーに場外ならぬ船外ホームランされる兄貴⑬チェンジマンモードでやられると弟の投げ武器にされる兄貴⑭続いてゴーグルファイブモードでやられるとやられてる間じゅう弟に握られてる兄貴⑭巨大化してもあっさり成層圏外ホームランされて昼間っから星になってる兄貴……と、かいつまんでもほぼ2分に一回の笑いどころ乱れ打ち。

思うに『ゴーカイジャー』のおもしろさって、笑いの豊富さや挟み込みのタイミングの良さもあるけどそれよりも何よりも“ゴーカイジャーが圧倒的に強い!”というベーシックががっちり堅固だということにある。敵と戦うこと、勝つこと、戦って勝ってさらに強くなること、すべてにまったく迷いがない。勝つことがお宝ゲットという快感・欲求充足に直結することにもまったく躊躇しないし、宇宙帝国への反逆はその結果というか「邪魔されるなら撃退するだけ」という手続きに過ぎず、“通常型”のスーパー戦隊の最大目的だった、宇宙の平和や正義、人命を守るといったたぐいにも、否定や軽蔑はしないが金科玉条と崇め奉ることもしない。しないというそのことにも迷いがなければ、チームで動く、チームで危険を乗り越え、いい結果が出ればチームで喜ぶという姿勢もまったく揺るぎがない。

今話のようにハカセが他メンバーのマイペースぶりに業を煮やしたり、他メンバーの悲しい過去や経験を慮ったメンバーが、(合流して浅いため)まだ知らない別のメンバーにさりげなく伝えたりというさざ波も立つは立つのですが、それをも含めて「お宝探しは楽しいね」「派手に行こうぜ」という気分、欲求を共有している。

頭でっかち、眉間にシワが寄るような重たい思想、使命感、抽象的な信念概念に拘泥するところがないから、とにかくさわやか。名前の通りの豪快そのもの。

ゴーカイジャー側がこんなふうにワンサイドで磐石だから、逆にザンギャックのあれこれジタバタ、悪の組織なりの創意工夫や強化ワクワク、期待はずれカッカ立腹、小癪なヤツらめ今度こそ!に安心して指さしてガハハと興じることができるのです。

まだ8話終了したばかりながら、エピソードごとの出来不出来が限りなく少なく、毎話前のめりで、確実に面白がらせてくれた戦隊って、いままでも何作もあったけれど、『ゴーカイジャー』には、ほとんど別次元と言っていい磐石さを感じます。

放送開始間もなくにメガ天災に襲われて、経済的社会システム的にも日本全体が国難という“負の節目”な年に当たってしまいましたが、この番組はそれごと撥ね返せる、とてつもなく大きな“正”のパワーを持っている。

楽しむこと、夢をかなえることに真っ直ぐ忠実。そのための戦いなら買って出る。挑んで勝つ。勝って勇気を鍛え、誇りを磨く。すべてがツラくない、苦しくない、「気持ちいい!」に直球でつながって行く。日曜の朝、親子で観て心躍らせ合うのに、こんなにふさわしい番組が未だかつてあったでしょうか。無かったとは言わないけれど。今年は特にある。

この気持ちよさの源泉、“レジェンド戦隊”という形で過去の34スーパー戦隊を物語の中に有形無形に取り込み「それぞれに魂入れて作ったシリーズ、ぜんぶフィーチャーしているんだから、面白くならないわけがない!」という製作スタッフ側の、それこそ磐石の自信からきているのだと思います。自分たちの作ってきたもの、いま作っているものに誇りと自信を持っている。当たり前のことですが、そういうTV番組が少ない時代だから、いや増しにワンサイドで『ゴーカイジャー』がおもしろく感じられるのかもしれません。

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いまさら笑うな

2011-04-09 20:48:03 | 昼ドラマ

立ち上がり一週終わった『おひさま』、太陽の陽子(八木優希さん)の物語にしては親友ユキちゃん(荒川ちかさん)が奉公に出されてしまったり、最愛のお母さん(原田知世さん)が持病の心臓で亡くなってしまったりと涙の別れの話ばかりでしたが、現代に戻って若尾文子さんが「“太陽”もだいぶくたびれて、もう“夕方”ぐらいかしらねぇ」なんてうまいこと言ってくれると、物語のテンションは下がるんだけど、視聴感としてはホッとしますね。青春に戦争が挟まるヒロインだけれど、無事サバイバルして現代も安曇野にとどまり、現代の主婦斉藤由貴さんに「ステキです」と言われるような店を持って、当面ご家族関係なんかはまだ語られないものの、とりあえず自足して暮らしていると、冒頭からわかっている。安心安心。

今週は個人的には涙の別れより、陽子ちゃんが東京から越してきて以来目がハートマーク釘づけのタケオくん(勝隆一さん)に釘づけの一週間でした。何とかしてこっちを向いてほしい、声のひとつもかけたい気満々、5年生になってからはめでたく席も隣になってチャンスもありありなんだけど、一度も気づいてもらえない。しかも気づいてもらえないというそのこと自体、ドラマ上もまるっとスルーされているという。

今日(9日)なんか、お母さんの葬列で淋しそうだった陽子ちゃんに「元気出しなっ、これ、オラの宝物、なっ元気出しなっ」と自作の竹トンボを手に一生懸命ひとりリハーサルしながら近づいてきたのに、陽子ちゃんはすでにお父さん(寺脇康文さん)の似合わない寒いダジャレで爆笑中。せめてお兄ちゃんのどちらかでも、ご両親のどちらかでも「なんだタケオのヤツ」「陽子ちゃんに話しかけたいのか?」と見とがめてツッコみのひとつも入れてあげればまだ救われるのにね。

そうこうするうちにドラマ時制も昭和13年秋に進み、5年半の間に陽子ちゃんが井上真央さんになったのと歩調を合わせて、タケオくんも、特に眉のあたりがお父さん役・村松利史さんそっくりだった勝隆一さんから、お母さん役・角替和枝さんのほうに、当たり前にそっくりな柄本時生さんに成長。“タケオ”と役名がカタカナなのが、また大正生まれの農家のせがれっぽくてリアルなんですよね。年代が年代だけに兵隊にとられてしまいそうですが、ひと言ぐらい真情の言える場面があるといいな。柄本明さんファミリーからは『ゲゲゲの女房』のスガちゃん柄本佑さんに続く参戦。お兄さんは「夕顔畑に風が吹く」、今度は舞台が信州なので「蕎麦畑に風が吹く」ですね。

若尾さん陽子の述懐「“戦前”ねえ…私はあんまりその呼び方は好きじゃないの、私たちは“戦前”と思って生きてたわけじゃないから」にはまったく同感です。故・山本夏彦さんもエッセイでたびたび触れておられた。“戦前”と言う呼称も、“軍靴の音が高くなる一方の、非・民主的で不自由な暗愚の時代”という固定イメージも、所謂“戦後”しか知らない、“戦争”そのものも知らない時代の人間の、無知と傲慢が作った大きな誤りだと思います。

さて、陽子ちゃんパパのダジャレじゃないけど、『さくら心中』は無事(???)昨日8日をもって終了。劇中、1話につき2回のCMタイムが挟まることをうまく利用して話の焦点をちゃっちゃと切り替えながら、さくら(林丹丹さん)&陸雄(佐野和真さん)の頭でっかちマネごと心中ものの見事に玉砕の巻と、さくらを“寝取った”にっくき間男のはずの健(真山明大さん)とあっさりふじ川にて和解の一献、そこへリッキー“梓川賞”決定の電話に、豊香姉さん(小野真弓さん)は健の子を宿して芸者落籍(ひき)祝いと、子世代は一気のおめでたラッシュ、そして桜子(笛木優子さん)だけが独走のお涙モードで、花無き千年桜を残しこの世をあとにしました。

いやーよかった。いやホント。当初の桜子&比呂人(徳山秀典さん)純愛物語としても、桜子ひとりを見つめ続けた義兄・勝(松田賢二さん)の片思いストーリーとしても、まったくハッピーエンドとは真逆だったけれど、「ここまできたらこうでもなるよりほかしょうがないでしょう」というところへ、ラスト2話ほどでチカラワザ着地させました。さすがは腐っ………いやいやっ、お年を召されても脚本中島丈博さん。アノ伏線がココとココへ来て、これこれこうつながって、みたいな細けぇ整合性なんか、津波のように一切合財なぎ倒してゴールに持って来る潔さは余人の追従を許しません。この後はゆっくりお休みいただいて、忘れた頃の再会、いや忘れなくてもいいけど、とにかくまたお待ち申し上げております。

そしてさてさて、来週11日(月)からはこの枠新作『霧に棲む悪魔』が始まります。海外ミステリ(=ウィルキー・コリンズ『白衣の女』)翻案もの、風岡大Pに金谷祐子さん脚本、演出クレジットの一角には奥村正彦さんもしっかり加わっているとなれば、作風はある程度保証されているので、ヒロイン入山法子さん相手役姜暢雄さんらのキャスト組み合わせよりも、期待はこの枠初参戦、音楽の羽岡佳さんでしょう。

昼帯連続ドラマ、サスペンスもの、いずれも豊富なキャリアをお持ちですが、偶然にも2月にNHKの単発SPドラマ『風をあつめて』のクレジットで、“音と名前”が初めて一致した作曲家さんです。家族モノにして子育てモノ、しかも難病モノという、月河にとっては難行苦行以外の何ものでもない、むしろ積極的に“この世から抹殺したい”ジャンルのドラマだったにもかかわらず、不思議に呼吸や脈拍に沿うてくれるような、言わば“生物学的に心地よい”音楽のマジックに乗せられて、なんとなくチャンネルを据え置いてしまいました。

“この人の手になるオリジナル曲が、ドラマのあらゆる場面、心情と伴走で、3ヶ月、月~金聴ける”と思うと、放送前から心が躍る。そんな気持ちも久しぶりです。この枠は2009年『夏の秘密』以来、文芸原作ものとしては07年『金色の翼』以来の登板となる金谷さんの脚本も“中1年”で休養じゅうぶんと見ました。要注視。週5回の留守録設定、チェックに一分の気も抜けない季節の到来です。

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問題が残った残った

2011-04-07 16:34:28 | スポーツ

震災後にここで「(被災者慰問チャリティと復興支援というエクスキューズができて)相撲協会がひそかにホッとしてそう」という意味のことを書いた記憶がありますが、どすこい…いやどっこいそう簡単にはいかなかったようです。

サッカーJリーグやプロ野球、個人競技のオリンピック選手までがおカネを出し顔を出し汗をかいて行動を起こす中、「大相撲も手をこまねいているわけにはいかない」「て言うか、何か動ける地合いに早くしないと」とばかり一気大量処分に出たものの、拙速に過ぎて、処分された当事者の力士や親方衆から「調べが不十分だ」「納得行かない」との声が続出、勧告受けても退職届を出さず、さらに厳しい“解雇”を甘んじて受けた親方もいて、もやもや感はさっぱり払拭されないまま。

結局、“どこからどこまでが八百長で、そこをきれいに切り取ったから、あとに残ったのは八百長に染まっていない、一度も染まったことのないキレイな大相撲、どうぞ安心してご覧下さい”なんていうわけにはいかないし、いかないことを観るほうもわかっている。要は落とし所をどこにするかであって、相撲協会としては時間との戦いで無理やり作った落としどころがココ、という23人処分だったのでしょうね。

あと、盗っ人にも三分の理じゃないけど処分された力士たちにも言い分はあるのと同じくらい、観るほう、見せられるほうにもプライドというものがあるということ。なんだかドサクサと処分と言うか、「“処理”だけしました」みたいな状態で、そんなにホイホイ待ってましたと相撲に興じる気分にはなれない。さなきだにすでに、野球のナイトゲームなど、大施設での大量電力消費は自粛ムードだし、チャリティだ激励だと恩に着せられたって「そう?」ってくらいの体温の、被災なんか何もしてない場所、人口が日本の半分以上はあるわけです。今般、医療や物資・仮設住宅など焦眉の急がわんさかで、まだそれどころじゃないという実態はあるものの、特に被災地から「早く相撲を見たい、見せて」という声があまり聞かれないのは、月河としては「まだ日本も捨てたものじゃない」と胸のすく思いでした。相撲に限らず、世の中“ファン”“贔屓”ばかりじゃない。あまり世間というものを舐めないほうがいい。

正規の5月場所に代えて、入場無料の“技量審査場所”なるものが設けられるそうですが、ジタバタする相撲協会~「やっぱり相撲はいいな」「元気をもらえる」と喜ぶひと握りの“ファン”~おおかたしらけた目で遠巻きに見る世間一般…という構図はもう少し続いたほうがいいと思います。確かにメガ災害だし国家的な難局かもしれないけど、何でもかんでも敷居が下がって、目尻が下がって、涙もろく“感動乞食”みたいになるのには絶対反対です。

一昨日だったか、横綱白鵬らが被災地を訪問してちゃんこ鍋をふるまったというニュースが流れていましたが、こんなとき、斯界を代表する横綱が外国人ひとりで、逆にラッキーだったなと思いました。なんか“キレイ”という幻想、フィクションに、辻褄を合わせやすいですもんね、外国人ならね。

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おかちめんこい

2011-04-05 22:03:22 | 朝ドラマ

今週からようやく始まった新しい朝の連続テレビ小説『おひさま』はどうでしょうね。前のクールの朝ドラの、最終週とラス前の週、2週にわたって本編終了後に次クール作のスポットが入るのがつねらしいのですが、「わたしは太陽の陽子です。」という、シンプルイズベストな、世が世ならもっと好感度大だったはずのスポットが、震災と原発で“日本中生きた心地がしない”中でのオンエアとなって、いきなりアンラッキーっちゃアンラッキーでした。

しかしこの時期の新朝ドラが、太陽の陽子の『おひさま』でよかった。昨年秋口の「れんぞくてれびしょうせつ、てっぱんっ!」が来てたら、ネガキャン以外の何ものでもなくなってたでしょうから。当時も「(終盤放送中の『ゲゲゲの女房』が)しっとりしたドラマなのに余韻が台なし」とさんざんな不評だったものです。いざ『てっぱん』本編の放送が始まると結構好意的に受け入れられていましたが。

さてと、斉藤由貴さん扮する現代の主婦による、回想世界への導入がちょっとステロタイプにドタバタ気味でしたが、陽子“完成形”=若尾文子さんが語る昭和7年の陽子役、八木優希さんがとりあえず可愛いじゃないですか。絵に描いたような美少女というより、ややファニーフェイス寄りなんだけど、昭和おかっぱの嵌まり具合といい、ほわほわモサモサ生えっぱなし眉毛といい、NHK朝ドラに実に似つかわしい、古き良きナチュラル感がある。なんとなく岸田劉生描く『麗子像』の美人ちゃん版みたいな(麗子像がブッサイクという意味ではないですけど)。

設定の、“東京から越してきたインテリ技師さん(寺脇康文さん)と、女優のような別嬪お母さん(原田知世さん)との娘”“村の学校で、ひとりだけ洋服に靴履いてる近代的な女の子”という、“たぶんそう見えていたのであろう”イメージが、類型的美少女とは少し違う優希さんの顔立ちにしっくり合うのです。昨年の『ゲゲゲ』の幼少布美枝&小学生藍子役菊池和澄さんの、児童劇団に在籍するような子には珍しい、透明感あるおっとり加減といい、NHK朝ドラは子役さんの選定キャスティングに独特の感度がある。

陽子“女学生~成人”を担当する井上真央さんも、10数年前は宮尾登美子さん原作の『藏』で主役・烈(松たか子さん)の幼少時代を演じておられました。幼くして、いまで言う網膜変性を発症し徐々に視力を失って行きながらも、持ち前の根性とプライドはむしろどんどん強靭に、開花していくという難しい役どころでしたが、父親役鹿賀丈史さん、叔母で育ての母役の檀ふみさん、祖母役香川京子さんといったベテランどころにまったく位負けしない、「愛くるしい」なんて形容がむしろ失礼に思えるくらいの底力ある子役さんだった記憶があります。その後演技キャリアを積みしっかり進学・卒業もされて、成人朝ドラヒロインにオファーキャスティングされるまでになって、『藏』時代のNHKスタッフさんが、もし朝ドラチームにいまおられたら、さぞや感慨深いものがあるのではないでしょうか。

ヒロイン一代記ものの王道朝ドラは、序盤の子役さんによるツカみで半分以上決まるようなところがあるし、49歳にしていまだ青年青年していて、亀山薫ちゃんのイメージも根強い寺脇康文さんが厳父に見えないとか、真央さん→若尾文子さんのリレーに「年とって生え際が後退するんならわかるけど、デコが狭くなるってアリか」とか、細けぇことにはいまからあんまり引っかからないほうが得策というものかも。

安曇野の野山を連想させる押し花をメインにしたOPタイトルも、短め控えめで、ドラマ本編に集中しよう、集中して観てもらおうという配慮が感じられます。春のお彼岸が過ぎて、北国の当地も陽光だけはおひさまに満ちてきたことだし、ポジティヴに見守るとしましょう

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