震災後にここで「(被災者慰問チャリティと復興支援というエクスキューズができて)相撲協会がひそかにホッとしてそう」という意味のことを書いた記憶がありますが、どすこい…いやどっこいそう簡単にはいかなかったようです。
サッカーJリーグやプロ野球、個人競技のオリンピック選手までがおカネを出し顔を出し汗をかいて行動を起こす中、「大相撲も手をこまねいているわけにはいかない」「て言うか、何か動ける地合いに早くしないと」とばかり一気大量処分に出たものの、拙速に過ぎて、処分された当事者の力士や親方衆から「調べが不十分だ」「納得行かない」との声が続出、勧告受けても退職届を出さず、さらに厳しい“解雇”を甘んじて受けた親方もいて、もやもや感はさっぱり払拭されないまま。
結局、“どこからどこまでが八百長で、そこをきれいに切り取ったから、あとに残ったのは八百長に染まっていない、一度も染まったことのないキレイな大相撲、どうぞ安心してご覧下さい”なんていうわけにはいかないし、いかないことを観るほうもわかっている。要は落とし所をどこにするかであって、相撲協会としては時間との戦いで無理やり作った落としどころがココ、という23人処分だったのでしょうね。
あと、盗っ人にも三分の理じゃないけど処分された力士たちにも言い分はあるのと同じくらい、観るほう、見せられるほうにもプライドというものがあるということ。なんだかドサクサと処分と言うか、「“処理”だけしました」みたいな状態で、そんなにホイホイ待ってましたと相撲に興じる気分にはなれない。さなきだにすでに、野球のナイトゲームなど、大施設での大量電力消費は自粛ムードだし、チャリティだ激励だと恩に着せられたって「そう?」ってくらいの体温の、被災なんか何もしてない場所、人口が日本の半分以上はあるわけです。今般、医療や物資・仮設住宅など焦眉の急がわんさかで、まだそれどころじゃないという実態はあるものの、特に被災地から「早く相撲を見たい、見せて」という声があまり聞かれないのは、月河としては「まだ日本も捨てたものじゃない」と胸のすく思いでした。相撲に限らず、世の中“ファン”“贔屓”ばかりじゃない。あまり世間というものを舐めないほうがいい。
正規の5月場所に代えて、入場無料の“技量審査場所”なるものが設けられるそうですが、ジタバタする相撲協会~「やっぱり相撲はいいな」「元気をもらえる」と喜ぶひと握りの“ファン”~おおかたしらけた目で遠巻きに見る世間一般…という構図はもう少し続いたほうがいいと思います。確かにメガ災害だし国家的な難局かもしれないけど、何でもかんでも敷居が下がって、目尻が下がって、涙もろく“感動乞食”みたいになるのには絶対反対です。
一昨日だったか、横綱白鵬らが被災地を訪問してちゃんこ鍋をふるまったというニュースが流れていましたが、こんなとき、斯界を代表する横綱が外国人ひとりで、逆にラッキーだったなと思いました。なんか“キレイ”という幻想、フィクションに、辻褄を合わせやすいですもんね、外国人ならね。