まずは快調と言っていいでしょうか『おひさま』は。紺の制服に白のセーラー衿、キャスティング聞いた当初は、24歳井上真央さんにさすがにツラいか?ともチラッと思いましたが、さすがはかつての名子役さん、要らないフェロモンを殺して、折りたたんで芝居するのがうまい。
…て言うかそういうのは初めからあんまりない女優さんで、そこを買われてのNHK朝の顔オファーだったのかも。本屋の娘でファッションとアメリカにあこがれる、後の世で言う“飛んでるオンナ”育子の満島ひかりさんはモガ風断髪で浅黒めの、目鼻立ちくっきり南国系美人、大地主のご令嬢で許婚ありの真知子役マイコさんは面長で襟足シニヨンが似合う和風美人。タマゴ型おデコちゃんの陽子が真ん中に入ると、絵に描いたようにキャラ分けのはっきりした女学生三人娘のできあがりです。
13日(水)にはお父さん(寺脇康文さん)にも内緒で、禁じられている映画館に3人で入り、隣席のチンピラ(千原せいじさん)に手を触られて「ワタシ汚れてしまった、もうお嫁に行けない、男のヒトなんか大嫌い」と号泣したかと思えば、打ち明けたお父さんが「その男とっ捕まえてやる!」と怒ってくれて、しかも大好きな長兄春樹お兄さま(田中圭さん)から久々の帰省を知らせる葉書が届くと、たちまち破顔一笑ウキウキご機嫌モード。下校途中の寄り道買い食いさえ秘密の大冒険だった時代の多感な乙女だから…と言うより、10代半ばぐらいの女の子っていつの世もこういうもんだろうなと思います。鏡に映る自分と、自分の身にくっついてまわる小っさな快不快、喜怒哀楽が世界のすべてで、同じ場所で同じ相手の顔を見ながらでも、南極と北極ほど気分が上下する。他愛ないと言えば他愛ないけど、自分と世界とが切り離されていく大人への道程の一段階。それを人は青春と呼ぶ。嗚呼。
男尊女卑、軍国主義、前近代的な時代と言っても、社会規範や、カッコいいカッコ悪い、恥ずかしい誇らしい、新しい古いの座標がちょっとスライドしているだけで、基本は少しも違わない。
ただ、如何せん今回の朝ドラは、時代物は時代物でもオリジナルなので、昭和13年秋も、安曇野の高等女学校も、旧弊な教師たちも、進歩的なお母さんも、すべて作家さんがアタマの中でこさえた昭和13年秋であり女学校であり教師たちであり…なので、たとえば『ゲゲゲの女房』のような、実体験談原作のドラマに比べると、或る一時代を特定の状況のもと、それなりに個性のある信念や心情をもって生きた人物たちの活き活きした交流や衝突があまり感じられず、“上澄みだけ掬った”“人工的に描いた書き割りのような”浅さは否めません。乙女の他愛無さも、古い価値観を押しつける教育への反発も、成績優秀で優しい自慢のお兄さまラブに隠された白馬のプリンス願望も、何となく輪郭がふわふわしていて類型的。
貧乏しても誰もやつれず、年を重ねても肌色ぐらいしか老けなかった『ゲゲゲ』もかなりのメルヘンファンタジー度だったけれど、家電三種の神器の時代に料金未払いで電気止められてロウソク生活とか、テレビを題材にした漫画を描くのに自宅にテレビがなくて質屋から中古を買うとか、「あの時代にコレはないだろう」と思う描写にもいちいち説得力があったのは、実在の水木しげるさんと布枝夫人という実生活者の、血がかよった実体験という裏づけがあったればこそでした。
『おひさま』の今後も、オリジナルフィクション、こしらえ物なるがゆえのふわふわ感、類型感を“朝の心地良き絵空事”“地デジ電波を使った、家族向け時代もの絵本”として楽しめるか、興がれるかどうかというところでしょう。
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