イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

自粛の自粛の自粛

2011-04-16 21:25:56 | ニュース

震災後、あらゆる媒体に、量質ともにいつもに増して圧倒的な情報が溢れかえっていますが、何ごとも過ぎたるは及ばざるが如しで、溢れかえってるとき特有の“言葉のノーズロ感”というか無神経さが目立っています。

直近の例でいうと東京電力の福島原発事故避難者への“仮払い金”って、耳を疑うほどの無神経な言葉だと思います。

言いだしっぺが海江田経済産業相で、「ホレやらんかい」と監督官庁のトップにケツを叩かれた格好で東電も嫌々発進したから、意味や主旨を考えてもっと適切な語句をと知恵工夫するでもなく、機械的にまんま引き継いでそのまま言い続けているんだと思いますが、そもそも“仮払い”というのはおカネを“払う”側主語の表現であって、住む場所から追いたてられるように避難を余儀なくされ、生計の道も断たれて困惑のどん底に突き落とされている地元住民たちの“立場が立つように”という配慮が微塵も感じられない。“払い”に“仮”をわざわざ付けて、「本当は払いたくないんだよね」と大っぴらに白状してどうするのか。

大きな病院・医療機関で言う“外来(がいらい)”と同じ、「困ってると言うんだから仕方がない、ソッチから来れば対処してやるからありがたく思え」とデーンと構えて自分から動こうとしない、極力汗もかきたくない。動かない自分をどこまでも主役、主語に据えて何とも思わない、お役所的傲慢さがびんびん伝わってくる語法です。

“払う”側ではなく、“払いを受ける”側の身に一瞬でも立ってみたことがあるのか。簿記や会計の心得があってもなくても、“仮”“払い”という字並びを見ると不安にかられるではないですか。「仮は仮免の仮だから、いつか“本払い”になる移行段階ということか」「“払うこと”そのものが“仮”なら、払われたほうは、いずれ返済しなければならないということだろうか」とたいていの人が思うはずです。

 ちゃんとした計算根拠を立てて、生活再建まで見据えての賠償の前に、せめてもの当座のお詫びにと腹をいためる、血を出す気があって言うなら、“お見舞い金”でいいのに。“仮払い”なんてあからさまにしぶしぶ感のある語を何ゆえ選ぶのか。

“お見舞い金”だったら「いずれ返済?」なんて余計な危惧を持たずにまだしも気持ち良く受け取れ、「頑張って家業の再起が成ったら、快気祝い出そうか、半返しで」という意欲も湧こうというものです(湧かないか)。

世帯当たり100万円、単身世帯なら75万円也の、金額はじき出し根拠のわけわからなさも含めて、何度も言いますがこの国の、官製の政策には、発想立案にも実施方法論にも“豪胆さ”というものがとにかく無い、無さ過ぎる。時間かけて、もじもじウジウジ待たせて、やっとクチ開いたかと思えば、誰も喜ばないしぶしぶ感に満ち満ちた物言い。「オロオロ不安クヨクヨ心配、一生どこかしら愁眉寄せて暮らすのが日本人の本分というものさ」との信条でもあるかのよう。

「被災地復興を下支えするためにも、必要ない自粛ムードは自粛して、イベント、娯楽、消費経済活動活発にしておカネを天下に回そう」なんて最近は特に、直接被災のなかった西日本発の媒体が強調していますが、とにかくトップ、司令塔が骨の髄までミミッチイ国ですからねー。シモジモが少々カラ元気奮い立てて威勢良くしても効果あるかどうか。

いまは被災地じゃないと言っても、地下のプレート、海水、空気、つながってますからね(脅してどうする)。

コメント
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