山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

◆最上義光の弟の子孫宅が米沢市芳泉町に!?◆

2014-11-26 21:45:33 | Weblog

◆月に2〜3度は訪れる米沢市芳泉町で某居住者の方からまことに意外な話を聞いた。その芳泉町には何と戦国大名の最上義光の弟の子孫宅が「伊藤家」として現存しているのだという。

◆それで昨日その住居を探してみた。地区民有志が立てた説明版には確かに「伊藤家」と記されているが、どうも居住者が住まいしているようには見えない「空き家」同然の佇まいだ。
◆話によれば、最上義光の弟なる人物は現在の新庄方面に移り坂上氏を称したが、最上氏と同様に「上」の文字があるために「坂」姓に改称した。最上家改易後は米沢藩領の荒砥の統治を任され、子孫は伊藤家の養子となり、芳泉町に住むに至ったという。
◆ところが最上家の家系図を見ても坂氏を称した弟は見当たらない。だが最上義光の重臣には成沢城主から長谷堂城主になった「坂紀伊守光秀」という武将がよく知られており、しかも彼は肖像画にまで描かれている(長谷堂の清源寺所蔵)。数ある最上義光の武将の中で画像として面影が現代までに伝えられているのは彼だけである。
◆はたして坂光秀は最上義光の弟なのか。最上義光歴史館のホームページでは坂光秀の血を引く者が白鷹町と米沢市に存在すると記されているから、芳泉町に伝わる話と一致する部分がある。
◆だが、最上家と上杉家の間では長谷堂で東北の関ヶ原と言われるほどの合戦を演じている。だから最上家の親族や重臣が米沢藩に召抱えられることなどありえたとは思いにくい。昨日は芳泉町の古民家の裏畑からもダイコンなどの収穫物を山形に持ち帰ったが、この歴史ロマンも大きな収穫物であり、真相解明の宿題ともなった。
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