山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

古城の如き分校校舎

2010-06-12 23:48:17 | 建物
 マスコミ関係者とともに西村山郡まででかけた。
 確か十年近く前に一度訪れたことのある建物を見るためである。
 この時もこの建物は既にかなり老朽化しており、今頃どうなっているかかなり心配であったが、今回訪れた時もなんとかしっかり持ちこたえていた。
 前回はグループで訪れ、地元の人の案内により内部も見せてもらうことができたが、今回は外観を眺めるだけで我慢した。
 この建物は最上川の対岸からも臨むことができる。
 かなりの高台に建てられており、外観も白壁の三階建てなので、遠方からの眺めはあたかも“古城”の櫓(やぐら)のようである。
 もっともこの高台一帯は近世初頭まで城郭があった所で、この校舎の敷地も城の敷地内だったようだ。眺望抜群ゆえに当然見張り櫓でも建てられていたのであろう。
 さらに話を加えれば関が原の戦いと同時期に直江兼続の軍勢と最上義光の軍勢が戦った古戦場でもあり、貴重な歴史スポットでもある。
 明治初期の村びとたちはこの古(いにしへ)から受け継がれてきた記憶を校舎建築に再現したかったのではないか。それにしても洋風でもあり、丸窓など書院造りも加味されるなど、今は過疎が心配される中山間地域においてきわめて奇抜な意匠の建物ができたことに感動せざるをえない。
 むろん、この昔の分校校舎からの眺めも抜群であり(以前内部に入って三階の窓から眺めた時は感動的であった)、もし常時入館可能であれば、これだけで立派な観光スポットになりうる。
 明治15年の建造だから、現存の校舎建築としては県内でも最古のようだ。
 しかも朝日町の指定有形文化財でもあるから、「宝の持ち腐れ」にならないよう、広範な利活用が望まれる。むろん、維持管理を小さな町だけに委ねるには無理がある。
 やはり全県的支援が必要であろう。
◆写真は朝日町立西五百川小学校旧三中(みなか)分校
コメント
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