山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

SENGOKU危うし!

2010-11-27 21:40:07 | 時評

 本日付けの別の記事とは無関係で、SENGOKU38かSENGOKU64か知らないが、タイトルと写真との関係についてクイズとしたい。

 ⇒ 回答は写真をクリックすれば出現せり!
コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 悲劇の城跡(4) | トップ | 徳良湖そして尾花沢旧市街 »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
千石と千谷 (運び屋)
2010-11-28 11:50:51
 「千国」と「千谷」な単にSENGOKUと呼び名が同じだけではありません。千国船は出羽幕僚の年貢米を西回り航路で江戸に運んだもので、一方、仙谷氏は全共闘の「弁当運び」だったので、米を運んだことに共通点があります。彼は、安田講堂に立て籠もって機動隊に逮捕された人達を救援する役目だったのです。また、逮捕された人に弁護士を紹介していたのです。東大中退後、その後には弁護士になっているのです。
 ごめんなさい、脱線いたしました。
返信する
最上川の民俗研究 (もがみ)
2010-11-30 22:03:59
 山形新聞&朝日新聞のおくやみ欄に、最上川の研究家『柴田謙吾』氏の逝去(11月27日、98歳)の訃報が出てました。著書に「最上川小鵜飼船と船頭衆の生活 河川交通の原点」や「最上川を描く―川と暮らした人びとの民俗誌」などがあります。現在たった一人しかいない船大工に最初に小鵜飼船を作らせた人として、山形新聞に掲載されていたのを私は読んだことがあります。
 同氏は、柴田原料の創業者でもあるため、休祭日を利用して、汽車・バス・徒歩にて最上川周辺の人びとに調査を続けたのです。県内の某博物館には、縮小した小鵜飼船があります。
 同氏の俳号は「玄石」で山形芸術学園教室で俳画の講師をしてました。
 葬儀は、9月1日です。ご冥福をお祈りいたします。
          合掌
返信する
興味深く拝読 (ブログ主)
2010-12-02 00:09:42
運び屋さま
千石船は米国の運び船で、仙谷氏は弁当の運び屋だったわけですか。なるほど・・・。感心しました。

もがみ様
今日の夕方にはその柴田氏の葬儀に参列して帰った人と複数会いました。
私もかなり以前(昔々の大昔)に仙山線の列車の中で故・結城哀草果氏(茂吉の弟子)と語り合っている柴田氏と席を同じにしていたことがあります。
返信する

コメントを投稿

時評」カテゴリの最新記事