団塊の世代やそれ以前の世代の者にはまことに昔懐かしい写真が2つ。一つが昭和35年の日米安保反対闘争で国会を取り囲む洪水のようなデモ隊の人波であり、もう一つが東京大学安田講堂の塔屋に籠城する反体制過激派学生たちと放水している警官隊との対決の写真である(確か昭和43年)。
あの頃の学生や若者たちには硬軟の違いはあるものの、また事の良否は別にして政治や社会に対して真正面から体を張って挑んだ者が多かったのだが、彼らの子どもたちの世代は既に骨の髄までのリモコン世代。身辺にはリモコン装置が溢れている。
リモコンがあれば、寝そべりながらもチャンネルや音量を、空調については室温や風向きなどを思いのままに変えられる。もはや彼らにはリモコンなしの生活などは考えられない。だが、政治や社会はそうはいかない。リモコンは効かない。だから手を出す気にはなれない。
かくしてリモコンに慣れきった現代の若い世代はリモコン装置が開発されていない政治や社会に対して挑もうとはしなくなったのである。
あの頃の学生や若者たちには硬軟の違いはあるものの、また事の良否は別にして政治や社会に対して真正面から体を張って挑んだ者が多かったのだが、彼らの子どもたちの世代は既に骨の髄までのリモコン世代。身辺にはリモコン装置が溢れている。
リモコンがあれば、寝そべりながらもチャンネルや音量を、空調については室温や風向きなどを思いのままに変えられる。もはや彼らにはリモコンなしの生活などは考えられない。だが、政治や社会はそうはいかない。リモコンは効かない。だから手を出す気にはなれない。
かくしてリモコンに慣れきった現代の若い世代はリモコン装置が開発されていない政治や社会に対して挑もうとはしなくなったのである。
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