『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

80年代登場

2017年09月12日 16時51分11秒 | 塾長の友人

とても気分よくビールを飲めた。当然にして話もまた楽しくできた。突発性難聴の俺だったが、80年代こと渡辺君(大学進学塾『オールラウンド』代表)の声の質はよく聞こえた。何度か聞き返しはしたが、話の流れを遮断するものでもなかった。

親父さんとお袋さんがピアニストで親父さんは今も祇園でピアノを弾いている・・・えらい出自やな。そんなご両親の影響もあったのか、普通の社会への入り方ではなく、紆余曲折した履歴で人生が進んでいく。高校時代は勉強をしなかったそうだが3年の受験期となり焦る・・・それでもみんながやってるから俺もしなくっちゃてな感じだったそうな。京都大学を目指して浪人、ここで初めて数学や古典を基礎の基礎から学ぶことになる。

「たぶん高校時代はさせられていたんでしょうが、僕にその気がないのでひどい点でも平気でした。それに親もまた何も言わない・・・浪人してですね、本当に勉強っておもしろいって感じたのは。浪人は2年しました。結局は京都はダメで後期の神戸もだめで山口県立へ。しかし在学中に大阪大学への編入があることを知り、山口で個別指導のバイトをやってたんですが、理由を言って京都へ戻って予備校に入り、合格しました」

通り一遍の方法ではなく、情報を丹念に探していくことで自分にとって有利な展開が見えてくる・・・そんな初めての経験だったのだろう。

そして流れに逆らうことなく、卒業後に就職はした。しかし仕事の内容はともかく、職場の人間関係に苦しむことになる。心身ともに疲れ果て、20代の最期にオーストラリアに単身渡ることになる。よいコーディネーターとの出会いが大きかったと渡辺君は言う。そして31歳の誕生日まではワーキングホリディの申請ができることを知り、オーストラリアで申込むのと同時にニュージーランドのワーホリにも申し込む。

「受かった場合は1年間ペンディングすることができるんですよ。調べてみて分かったんですが・・・だからオーストラリアでさらに1年、そしてニュージーランドのほうは1年ずらして、それからニュージーランドへ向かいました。聞いてた話ではワーキングホリディは30歳まで、でも情報を精査すれば30歳を過ぎても暮らすことができる」

「就職した頃はレールからはずれるのが怖かったんですよ。でも、オーストラリアとニュージーランドで過ごした月日が僕を変えてくれたような気がするんですよ。昔の僕だったら、皆が進むルールからはずれたらダメなんだと自分に言い聞かせ、無理をしていたはずですが、今は違うな。調べてみることでいろんな可能性があるということが分かる。皆と同じ道を行かなくとも、自分の道を行くことができるんだと気づく。今の僕はふつうの人たちとはかなり変わった道を歩いていると思います。そのことで人からいろいろ言われますが、そのことに不安や恐れはないんです。自分が自分であるために生きる・・・そのためにどんな道を歩いていこうか、そんなことを客観的に考えている自分がいます。できればウチの高校生たちにも、今のレールだけがレールじゃないことを知ってほしい。今のレールでうまくいけばそれでいい。でも、うまくいかないときは調べてみる。すると必ずどんな自分にでも、どこかに道が開ける。その道を自信を持って歩いていく、そんな人生を送ってほしいんです。僕は勉強を教えるのに加えて、僕にしか教えられないことを教えてあげたいんですよ」

缶ビール5本、心地よく酔った・・・

 

今度来るときは土産はいらない。

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