卒業式のシーズンとなりました。
嘗て、卒業式には意中の男子に告白して学生服の第2ボタンをもらったり、好きだった女子に贈ったりする習慣がありました。
この習慣は1980年代に大きなブームになりましたが、今でも続いているのでしょうか?
「第2ボタンを贈るルーツ」
第2ボタンを贈るのは次のような逸話からのようです。
太平洋戦争末期に大阪のある学生が学徒出陣で出征するときのことです。
その学生は既に戦地で戦っていた兄の妻に憧れを抱いていました。
秘めた思いを抱えたまま、やがて彼の元にも召集令状が届きます。
そして出征の日、せめて自分のことを忘れないでいてほしいとの願いから、最後に手渡したのが第2ボタンでした。
戦時中のあの頃は、金属が貴重であり、学生の自分が身につけているもので一番大事なものと言えば金属のボタンだったのでしょう。
この逸話が第2ボタンのルーツと言われています。
「何故第2ボタンなのか?」
ボタンの中でも第2ボタンは心臓に近い位置にあることから、自分の気持ちに近いという事もあったのではないかと言われています。
学徒出陣に際して、戦死してもう2度と逢えなくなるかも知れないという旅立ちの際、1番大切な人に想いを伝え、形見として渡したのが着ている服の第2ボタンだったのです。
「卒業式に第2ボタンを渡す習慣」
では卒業式の日に、女性が男性から第2ボタンを貰うようになったのはいつ頃からなのでしょうか?
これは1980年代の歌謡曲が影響しているようです。
・「春なのに」
1983年1月に発売された柏原芳恵の「春なのに」があり、この歌詞の中に、
♪春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに 春なのに
ため息また一つ
記念にください ボタンを一つ
青い空に捨てます
と、ボタンが歌われており、更に1985年2月に発売されてた斉藤由貴の「卒業」では
・「卒業」
♪制服の 胸のボタンを
下級生たち にねだられ
頭を掻きながら 逃げるのね
本当は 嬉しいくせして
と、この曲にも胸のボタンが歌われています。
これらのヒット曲が、第2ボタンのことを幅広い人に認知させ、女性が第2ボタンをもらうことを定着させたのではないかという事です。
「最近の卒業式では」
時代と共に学校の制服は詰襟からブレザーに主流が変ってきており、これに伴って第2ボタンのやり取りが減りつつあるということです。
ただ、卒業式に大切な人に大切なものを贈るという文化は今も続いており、第2ボタンに代わって花束を贈っているようです。
これは5年ほど前に卒業式に花を贈る動画がSNSで話題になり、それ以来、大阪のフラワーショップでは注文が殺到するようになったということです。
花束は卒業式を終えた高校生の男性が母親にプレゼントしたり、彼女にプレゼントしているそうです。
今でも一部の学生の間では、ボタンに代わって花束を贈るという習慣が続いているようですね。
微笑ましいですね。
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柏原芳恵の「春なのに」や斉藤由貴の「卒業」の歌詞にこの胸のボタンが出ていたのでしたか・・・。
「1円の利益にもならない方に時間を使うことは無駄」「タダで使おうとしている人はお呼びではない」などと朝礼の場で訓示している光景が浮かびます。
お客さまは神さまとまでは言いませんが、客の声は貴重なサービスを見直す材料になり得ます。
この掲示板は、かなり利用されているサイトのようですが、末が知れます。
怒りより「呆れた」というのが実感でした。