博多の名産として知られている「明太子」は、今では日本人にはご飯のお供としてすっかりお馴染の一品になっています。
この明太子はタラの子なのになぜ明太子というのでしょうか?
そこで今日は明太子の由来について調べました。
「明太子の起源」
タラコを加工して食べる食文化は17世紀ころに朝鮮半島で広まったようです。
当時、朝鮮半島では、スケトウダラの卵を塩辛にして食べていたそうです。
この塩辛に唐辛子を加えるようになったのが、明太子の起源と言われています。
明太子が日本に入ってきたのは昭和初期のことで、その頃の明太子は唐辛子やにんにくをまぶした韓国風の辛子明太子でした。
朝鮮半島と交流のあった福岡を中心とする北九州や下関などでは、そのころから日常的に明太子を食べるようになったようです。
この明太子はタラの子なのに、なぜ明太子なのかというと、それは韓国食品であることに由来します。
日本の明太子には「スケトウダラの卵巣に唐辛子を主原料とする調味液などで味付けしたもの」という定義があります。
このスケトウダラのことを韓国語で「明太(ミョンテ)」と言い、福岡当たりでは昔から「タラ」のことも「タラコ」のことも「めんたい」と呼んでいたそうです。
明太子の名称については、明太子メーカーの老舗、(株)ふくやの創業者川原俊夫氏が、明太の子だから「明太子」と名付けたと言われています。
朝鮮で育った川原氏は、第二次世界大戦後日本に引き上げてきた際、明太子を日本中に広めたいと思い、昭和24年ころから日本人の味覚に合うよう独自に調味して、博多の中洲で販売したところ、これが大好評を得ました。
川原氏は明太子を普及させるために、明太子の製造法を企業秘密とせず、知りたい人には喜んで教えたそうです。
その甲斐あって福岡を中心に明太子メーカーが続出しました。
競争が激化する中でますます味に磨きがかけられ、博多を代表する味にまで上り詰めたのです。
昭和50年(1975年)には、新幹線が博多まで伸びたおかげで明太子輸送が容易になり、博多土産として全国に広がり、国民の間に明太子が浸透していき、現在に至っているということです。
最新の画像[もっと見る]
-
「蛇の道は蛇」の由来 9ヶ月前
-
身近な野鳥「ムクドリ」 9ヶ月前
-
身近な野鳥「ムクドリ」 9ヶ月前
-
身近な野鳥「ムクドリ」 9ヶ月前
-
ニゲラの花「蕾から種まで」 9ヶ月前
-
ニゲラの花「蕾から種まで」 9ヶ月前
-
ニゲラの花「蕾から種まで」 9ヶ月前
-
ニゲラの花「蕾から種まで」 9ヶ月前
-
ニゲラの花「蕾から種まで」 9ヶ月前
-
ニゲラの花「蕾から種まで」 9ヶ月前