昨日ご紹介した慈尊院から119段の石段を上った高台に「丹生官省符神社」が鎮座しています。
「世界遺産・丹生官省符神社」
丹生官省符神社(にうかんしょうふじんじゃ)は、弘法大師(空海)が慈尊院を開創した弘仁7年(816年)、その守り神として地元にゆかりのある丹生明神・丹生都比売(にうつひめ)と高野明神・高野御子(たかのみこ)の二神を祭った神社で、元は紀の川の河畔に鎮座していました。
その後、現在の地に移され、神々を合祀し「七社明神」とも称されましたが、明治に入って三殿となりました。
「町石道(ちょういしみち)登山口」
高野山町石道はここ慈尊院(丹生官省符神社)が登山口となり、高野七口といわれる高野山の登山道七本のうち、弘法大師(空海)によって高野山の開創直後に設けられた参詣道で、紀ノ川流域の慈尊院(海抜94m)から高野山壇上伽藍(同815m)を経て高野山 奥の院 弘法大師御廟に至る高野山への表参道です。
町石道が開かれた当初、弘法大師は慈尊院から高野山までの道沿い一町(約109m)ごとに木製の五輪卒塔婆を建立したとされます。
高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22キロメートルの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4キロメートルの道中に36基の、合計216基の町石が置かれており、慈尊院から数えて36町(1里)ごとには、町石の近くに「里石(りいし)」が合計4基置かれているようです。
平成16年(2004年)7月7日「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されている「丹生官省符神社」の鳥居です。
「拝殿」
丹生官省符神社は橋本市、かつらぎ町、九度山町の荘園の総社として栄えました。
「社殿」
社殿三棟は木造一間社春日造、桧皮葺、極彩色北面で重要文化財に指定されています。
向かって右から一殿、二殿、三殿と配置され、同規模同形式の社殿となっています。
御祭神は
・第一殿・・・丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ) (丹生明神)天照大御大神の御妹
・第二殿・・・大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ) (気比明神)五穀酒造の神
誉田別大神 (ほんだわけのおおかみ) (八幡大神)応神天皇に坐して武勇の神
・第三殿・・・市杵島比売大神 (いちきしまひめのおおかみ) (嚴島明神)福徳寿の神 多くの氏神社をお祀りしています。
拝殿の奥に本殿3棟が鎮座しています。
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また、丹生からは、水銀が採れたことをいっていそうです。
水銀のことを古来「丹(に)」と呼び、貴人たちは健康と長寿を願って飲んでいました。いまでは、毒であることはわかっていますが、
銀色をした水玉が不思議に思え尊んだそうです。
神社の御神徳と特質を調べると、次のようでした。
丹(に・たん・あか) : 銅の製錬技術にはなくてはならないもので、古墳にみられる赤土は、魔除けやくすり(不老不死=長寿の妙薬
=即身成仏の考え)、日の丸など契約を交わす証としても朱印は現在に伝わっています。
>卑しい系では癒されないかもしれませんね。 ・・・ このペンギンには癒されます。
ペンギンは、姿もよちよち歩くさまもかわいくて癒されます。
距離を表すものなんでしょうが、
どんなものか見てみたいですね。
距離を表すものなんでしょうが、
どんなものか見てみたいですね
町石(ちょういし)は高野山への道標(道しるべ)として、1町(約109メートル)ごとに建てられている高さ約3メートル強の五輪卒塔婆形の石柱です。
ウィキペディアの画像でご確認ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1%E7%94%BA%E7%9F%B3%E9%81%93