イタリアにポンペイという都市があります。
ポンペイ遺跡として有名な都市ですが、紀元79年8月24日に、背後にそびえるヴェスヴィオ火山の大噴火によって、市街が約8mの火山灰で埋没してしまいました。
後年、農夫が火山灰により失われたポンペイ遺跡を発見しますが、大噴火によって火山灰に埋没したこの日は「ポンペイ最後の日」と言われています。
「フニクリフニクラ」
そのヴェスヴィオ火山にかつて存在した登山電車「フニコラーレ」の集客のために、1880年に作曲されたコマーシャルソング(CMソング)がフニクリ・フニクラという曲です。
どなたもよくご存じだと思います。
どうぞお聴きください。
・「フニクリ・フニクラ」Funiculi’ Funicula’ ステファン・ポップ サルバベルカント祝祭合唱団
「ポンペイ最後の日」
紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の麓にあったポンペイの市街は、火山の大噴火で、一昼夜に亘って火山灰が降り続き、約8メートルの火山灰によって古代の大都市が埋没しました。
1738年に農夫によって火山灰により失われたポンペイ遺跡が発見されたことから、古代ローマの都市国家ポンペイが、当時の町そのものとして出現しました。
一夜にして街全体をそのまま眠らせたことにより、時と共に失われ、風化し、残されることもなかったであろう人々の生活がそのまま残っている貴重な遺跡となっています。
・ヴェスヴィオ火山の大噴火です。(ウィキペディアより)
「ヴェスヴィオ火山」
手前の遺跡はジュピター神殿跡で、神殿跡の奥に見える山が1944年前に大噴火したヴェスヴィオ火山です。
噴火前は3000mを超える富士山のような綺麗な山だったそうですが、噴火により山の3分の2が吹っ飛び、現在は1281mと1132mの二つの山になっています。
・ジュピター神殿跡から眺めるヴェスヴィオ火山です。(10数年前の写真です。以下同じ)
「大噴火で亡くなった人のレリーフ」
ヴェスヴィオ火山の大噴火に伴い、発生した二酸化硫黄や硫化水素などの有毒ガスによって、ポインペイでは多くの人が亡くなり、膨大な量の火山灰が降り、人々の上に積りました。
長い年月が経つと、人間や動物の肉体は腐食し、微生物による分解でなくなります。その結果、火山灰の中が空洞化します。
考古学者等はそこに石膏を流し込み、石膏が固化した後、火山灰を取り除くことで人や動物のレリーフができあがります。
この方法によって、往年の人々の顔の表情や容姿、衣服から装飾品までがレリーフで再現されているのですが、その数は1200体に上ると云われています。
・人のレリーフです。
2000年前にすでに車道と歩道が設けられていました。
これが一昼夜に亘って降り続いた火山灰によって地中に埋まっていた古代都市ポンペイの市街です。
埋もれてしまったポンペイの人々も聴いて楽しんでいそうです
さすがに難しい今日の誤変換でしたから、
「平静 狭行くよ尾行」の「狭」を普通の「今日」に差し換えました。
今朝の「フニクリ・フニクラ」を「
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/51e49a8c696ee129eb0f376199a10265