らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

懐かしい八重洲口

2023-04-12 | 雑学

昨年10月に、東京駅丸の内駅舎の復原工事の完成から10年が過ぎました。
丸の内駅舎は1945年5月の空襲により壮麗なドームと3階部分が焼失し、1947年に2階建の駅舎として再建され、未来へ継承すべき貴重な歴史的建造物として、創建時の姿へ復原するという基本方針のもとに、5年の歳月をかけ2012年に保存・復原工事が完成したのです。

・復原された東京駅丸の内駅舎です。


東京駅は丸の内側の反対側に八重洲口があります。
丸の内側が表とすれば、八重洲口は裏側に当たることから、あまりニュースに取り上げられることがありませんが、八重洲口も大きく変貌していることにびっくりしました。
先日、偶然に観た八重洲口の映像に驚いたのですが、高層ビルがたくさん建っていました。

実は、私は60年ほど前に最初に勤務した場所がこの八重洲口だったのです。
当時、私が勤務した某銀行の八重洲口支店は駅前に建つ2階建ての建物でした。
ここに5年弱勤めた後、大阪に転勤したのです。
その後、東京には行っていないので、八重洲口がこんなに変貌していたとは知りませんでした。

下の画像の東京駅ビルには、当時、大丸百貨店があったように記憶しています。
その百貨店には仕事でもプライベートでもよく行ったものです。
懐かしいですね。

・東京駅の八重洲口です。


ところで、「八重洲」の地名は何処からついたのでしょうか?
今日は当時を懐かしみながら地名の由来について調べました。

「八重洲の地名の由来」
八重洲について調べてみると、この辺りに屋敷を構えていたオランダ人の名前からつけられたようです。
その人は1600年に日本に漂着したオランダ船の乗組員で、ヤン・ヨーステンと云う名前です。
彼は後に、徳川家康に仕え、外交や貿易の面で活躍し、家康から屋敷を与えられたのが現在の八重洲あたりで、八重洲の地名はこの「ヤン・ヨーステン」が訛って「耶楊子」(やようす)」と呼ばれるようになり、これが後に「八代洲(やよす)」となり、「八重洲(やえす)」になったものだそうです。

60ほど年前に勤務していた頃は八重洲の由来など全く関心がなく、今になって昔を懐かしみながら調べてみました。
東京のど真ん中の地名が外国人の名前からつけられていたとは意外でした。


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1 コメント

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ヤン・ヨーステン  (もののはじめのiina)
2023-04-12 16:43:45
東京駅の八重洲口側にお勤めでしたか。
iinaも若いころに八重洲口から日本橋の会社に通ってました。
お昼に退社した土曜日は、始発電車に観光客が賑わってましたから、どこか明るさがありました。

八重洲口が馴染みですから、その反対側の皇居側の丸の内は縁遠いです。
八重洲界隈や日本橋で、よく飲みました。

八重洲の地名の由来となった「ヤン・ヨーステン」は、伊東でご案内したウィリアム・アダムス(三浦按針)と一緒に日本に漂着していたのでした。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/c8f46b016dbd37967d42b9fa1a060c83

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