先日、昭和34年の松竹映画「お早う」を観ました。
この映画はNHK-BSがデジタル修復版として放送したものをBDに録画していたものです。
映画の中ではテレビが普及する頃のシーンが出てきたのですが、このシーンの中でも、昭和32年頃の実際の当時の世相においても、テレビの普及によって「一億総白痴化」という事がよく言われていました。
この言葉はよく覚えているので懐かしくなり、今日のテーマに取り上げることにしました。
「一億総白痴化」
一億総白痴化とは、社会評論家の大宅壮一(1900ー1970年)が生み出した言葉で、流行語となりました。
評論家の大宅壮一は、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」と言い、この言葉はこのような意味合いから作られた造語です。
この言葉は、低俗番組を放送するテレビが日本国民を愚衆化する点を危惧した言葉として1957年頃の流行語になりました。
「時代背景」
この言葉は、もともとは『週刊東京』1957年(昭和32年)2月2日号における以下の論評が広まったものです。
テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。
この『一億白痴化』の中程に「総」がつけられて広まり流行語となったのが『一億総白痴化』ですが、「総」は、松本清張が「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」という表現で「総」をつけたという事です。
「大宅映子が一億総白痴化を解説」
娘の大宅映子氏が7~8年前の講演で次のように述べています。
父が作った新語の「一億総白痴化」とは、テレビというのは目から入ってきて刺激がものすごく強く、茶の間にいながらにして、いろいろな情報がバンバン入ってきて、考える暇を与えません。
しかも、視聴率競争があるので、どんどん刺激が強くなります。
父は「人間というのは刺激をより求めるものであって、見ているのは、ばかばかしいと思いながら、つい見てしまうのが人間だ」と書いているのです。「それに慣らされてしまうと、考えることをしなくなって、みんながどんどん白痴になるよ」ということです。
白痴化の「化」というのは傾向を表す言葉で、警句だったわけですが、今は、この「化」がもう取れてしまったのではないかなと、私は何年も前から思っています。
と述べています。
「テレビ黎明期の警鐘の言葉」
「一億総白痴化」の流行語から67年、テレビは私たち国民にとってなくてはならない存在となっています。
大宅壮一が主張した「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という主張は正しかったのでしょうか?
確かに、テレビ番組の中には非常に低俗なものもありますが、そこは視聴者自身が番組の善悪を判断して視聴していると思います。
現在では「一億総白痴化」というこの言葉を知らない人が多いのではないでしょうか。
この言葉はテレビの黎明期における警鐘として、大宅壮一が言ったのではないかと思います。