らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

お花見の起源

2023-03-17 | 季節

暖かくなってきましたね。
大阪の桜の開花発表は未だですが、東京では3月14日にソメイヨシノの開花が発表されました。
東京のサクラの開花発表は、去年より6日、平年より10日早く、1953年(昭和28年)に統計を取り始めてから、2020年と2021年と並んで最も早くなりました。
満開については、民間の気象会社は1週間後の今月21日頃、日本気象協会は10日後の24日と予想しています。
そこで今日は花見の起源について調べてみました。

「花見の起源」
お花見の起源は奈良時代までさかのぼります。
・梅の花見
この頃のお花見の主役は桜ではなく、遣隋使が中国から持ち帰った梅の花で、お花見は貴族独自の文化でもありました。
京の都の貴族は自分の邸宅に梅園を設け、梅を眺めつつ歌を読む風流なお花見を楽しんでいたそうです。
・桜の花見
平安時代に入ると遣唐使制度が廃止されたことをきっかけに、お花見の主役は桜へと移り変わりました。
この頃から「花」と言えば桜のことを示すくらい日本人は桜好きになり、サクラの花見のルーツとなりました。

「日本最古の花見」
日本最古のお花見が開催されたとされているのは812年と言われています。
京都の神泉苑(しんせんえん)というお寺で嵯峨天皇が「花宴の節」をおこない、歌や音楽を楽しんだと伝わっています。
そのため神泉苑は「お花見発祥の地」として今なお親しまれており、平安時代の趣を感じる庭を眺めながら桜見物を楽しむことができます。

・熊取の昨年の桜です。


「醍醐の花見」
貴族だけではなく、各地方の武士に花見の文化が広まったのは鎌倉時代以降です。
派手好きとして知られる豊臣秀吉は700本の桜を醍醐山に植え、1,300人もの客を招待して「醍醐の花見」を開いたといわれています。
秀吉のこの醍醐の花見から、豪華絢爛な花見は、桜を見ながら宴会を楽しむというスタイルへと変化していきました。

江戸時代になると、お花見も庶民に広く浸透するようになりました。
現在も花見スポットとして有名な浅草(隅田川堤)や飛鳥山の桜は、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗が植えたものだと伝わっています。

なお、三色の団子が串に刺さった「花見団子」が食べられるようになったのも江戸時代からで、この団子のピンク色は「桜」で春を、白色は「雪」で冬を、緑色は「ヨモギ」で夏を表現しています。
秋はないので「飽きずに」食べられるなんていう洒落も利いており、いかにも江戸らしいと言われています。

お花見の楽しみ方は少しずつ変化しながら現在に至っていますが、昔から日本人に親しまれてきた日本の花見文化は、今では世界各地からお花見目的で観光客が訪れるようになってきました。

「世の中は三日見ぬ間に桜かな」
桜は開花から1週間ほどで満開になります。
江戸時代の俳人、大島蓼太の句に「世の中は三日見ぬ間に桜かな」があります。
この句は、三日間外出しなかったら桜の花がすっかり咲きそろっている、即ち、いつの間にか桜が咲いていたということを詠んだものなのです。
「いつの間にか満開になり、いつの間にか散ってしまった」とならないように、コロナ対策を十分にして、3年振りに制限のないお花見をお楽しみください。

コメント (1)
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