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さて、所用の帰りに、紅葉が美しいと言われる岡山県備前市にある「旧閑谷学校(きゅう しずたにがっこう)」を訪れました。
ここにある「楷の木(かいのき)」の紅葉は日本一美しいと言われていますが、私が訪れた時は、残念ながら紅葉には少し早く、日本一の紅葉は見られませんでした。
代わりに国宝に指定されている「旧閑谷学校」をご紹介します。
「旧閑谷学校」
旧閑谷学校は江戸時代前期の寛文10年(1670年)に岡山藩主池田光政によって創建された、現存する世界最古の庶民のための公立学校です。
藩主池田光政が初めて閑谷の地に来観した時、「山水清閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛し、地方のリーダーを養成する学校の設立を決めたのだそうです。
この学校の永続を願う藩主の意を受けた家臣津田永忠は約30年かけて、元禄14年(1701年)に現在とほぼ同様の外観を持つ、堅固で壮麗な学校を完成させました。
閑谷学校の名声は古くから天下に聞こえていたようで、高山彦九郎や頼山陽、大塩平八郎、横井小楠などの儒学文人も来遊しており、少年時代の大鳥圭介など藩外からの来学もあったと記されています。
・正面が講堂、その左に続いている建物は飲室、右の紅葉している木は「楷(かい)の木」、そしてその右の建物は校門です。
「校門」
閑谷学校の正門で「鶴鳴門」(重要文化財)とも呼ばれており、泮池の石橋と聖廟を結ぶ中間に位置しています。
屋根は備前焼の本瓦葺き、棟に鯱を載せた正門です。
「講堂」
講堂は学問の殿堂です。旧閑谷学校を代表する建物で国宝に指定されています。
入母屋造り、しころ葺きの大屋根と火灯窓が壮重な独特の外観を形作っています。
創建当時は「茅葺き」でしたが、その後改築され現在の堅牢な「備前焼瓦」に葺き替えられました。
「講堂内部」
内部は十本の欅の丸柱で支えた内室と、その四方を囲む入側とで構成されています。
また、拭き漆の床は生徒たちによってよく磨かれており、火灯窓から入る光をやわらかく反射させています。
・国宝に指定されている講堂の内部です。
「楷(かい)の木」
四季を通して情緒豊かな「学問の木」です。
聖廟前に植えられた二本の楷の木は、中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰り、苗に育てられた内の2本です。
紅葉の季節には美しく色づく楷の木を見ることができますが、今回は少し早かったようです。
・左は紅葉した「楷の木(かいのき)」です。
「石塀(せきへい)」
この石塀は300年を経て今も整然たる姿をたたえています。
学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀は、備前焼瓦と並んで、旧閑谷学校に独特の景観を生み出しています。
「火除山」
正面の小高い芝生の丘は「火除山」といって、この奥にある学舎や学寮から火災が発生しても講堂に及ばないように人工的に造成されたものです。
国宝や重要文化財は全てこの丘の手前に位置しています。
「閑谷神社」
閑谷神社は閑谷学校の創始者、池田光政を祀っています。
もとは「東御堂」、または光政の謚をとって「芳烈祠(ほうれつし)」と呼ばれていました。
本殿内には御神体として光政の座像が安置されています。
「聖廟」
聖廟は儒学の祖、孔子の徳を称える最も重要な施設です。
孔子廟、西御堂とも呼ばれ、最も重要な施設として中央の一番高い所に配されています。
奥の大成殿には孔子像が安置され、毎年10月には儒学の祖、孔子の徳を称える「釈菜(せきさい)」の儀式が行われます。