「真田丸の史跡を訪ねる」の2回目は真田幸村終焉の地と言われている安居神社をご紹介します。
「安居神社」
安居神社(やすいじんじゃ)は大阪市天王寺区にある神社で、昨日ご紹介した一心寺から道を隔てた向かい側100mほどのところに鎮座しています。
安居天満宮、安居天神とも言われていますが、創建年は不詳です。
ご祭神は少彦名神で、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられています。
神社の名称は、菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとった為に、その名がついたという伝承があります。
・安居神社の参詣道です。
参詣道入口には「真田幸村戦没地」の石碑が建っています。
「拝殿」
拝殿には真田の鎧と「真田日本一の兵(つわもの)」と書かれた幟が飾れれていました。
「真田幸村の銅像」
大坂夏の陣で真田幸村が戦死したのが安居神社境内といわれています。
慶長20年(1615年)5月7日、天王寺口の茶臼山に布陣した真田幸村は、毛利勝永らとともに徳川幕府軍と大激戦を繰り広げました。
一時は幸村や勝永らの獅子奮迅の戦いぶりに幕府軍が大混乱になり徳川家康を窮地に追い込んだのですが、大兵力の幕府軍相手にさすがの幸村も力尽き、安居神社境内の一本松の下で休息しているところを松平忠直隊の武将に討ち取られました。
神社には幸村の像と戦死跡の碑、そして幸村が休息していたといわれる二代目の一本松「さなだ松」があります。
・真田幸村の銅像と真田幸村戦死の碑」です。
・真田幸村陣没の旧跡です。
「さなだ松」
慶長20年(1615年)5月7日、大坂夏の陣で真田幸村は天王寺付近に松平忠直の軍を迎え奮戦したが、遂にこの神社境内の一本松(さなだ松)の下で戦死しました。時に49歳でした。
当時の松はすでに枯死していますが、社殿復興を機に昭和26年4月24日これを記念して植樹されたのが現在の松です。