らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

慈眼院

2015-10-25 | 地元紹介

日根神社の鳥居をくぐって参道を進んでいくと、一番奥の鳥居の手前左側に鐘楼が建っていました。
神社の境内に梵鐘?
不思議に思ってその方向に回ってみると、慈眼院の表示がありました。
しかし、名称はお寺のようですが、山門はなく、塀の内側は境内らしくもなく、建物もお寺らしくありません。
早速、慈眼院について調べてみました。

「慈眼院」
慈眼院(じげんいん)は大阪府泉佐野市にある真言宗御室派の寺院で、山号は大悲山です。近世末までは隣接する日根神社の神宮寺でした。
国宝の多宝塔は、石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとして知られていると云うことです。
また境内が「日根荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されているようです。

泉佐野市は、鎌倉時代、藤原北家の流れを汲む有力貴族の九条家によって開発された、日根荘(ひねしょう)という名の荘園が広がっていました。
現在の泉佐野市ほぼ全域に渡る日根荘のうち、かつての日根野村には日根神社という古社が祀られていますが、その日根神社の神宮寺を担っていたのが、真言宗御室派の仏教寺院、慈眼院なのだそうです。
日根神社に隣接するその境内には、鎌倉時代に建造された金堂と多宝塔が今もなお残されており、それぞれ金堂は重要文化財に、多宝塔は国宝に指定されています。
天武2年(673年)天武天皇の勅願寺として、覚豪阿闍梨によって創建された慈眼院は、泉州の最古刹だそうです。

・お寺らしくない慈眼院の門と建物(本堂?)です。右は鐘楼です。


「金堂」
金堂は多宝塔と同じく鎌倉時代の建立で、国指定の重要文化財です。
文和2年(1353年)南北朝の戦火で炎上した後、後村上・後亀山の両帝の勅命で再興されました。
文亀元年(1501年)より、前関白九条政基が荘園の直務支配のために慈眼院に滞在し、「慈眼院日記」(宮内庁蔵)を記しています。
天正13年(1585年)豊臣秀吉の紀州鎮撫の時、金堂、多宝塔を除く一山が炎上しましたが、慶長7年(1602年)豊臣秀頼によって一山が再興されました。

・文永8年(1271年)に再興された金堂です。
 平面方3間、屋根・単層本瓦葺で、小堂ながら鎌倉期の端正さをよく現しているそうです。毘沙門堂・一願薬師堂とも言われています。


「多宝塔」(多宝塔の拝観には事前予約が必要ということで、ネットの画像を使用しています。)
多宝塔は、石山寺、高野山金剛三昧院の塔と並ぶ日本三名塔の一つで、 鎌倉時代に建立されました。
その高さは10メートル余、我が国 最小の塔とされており、泉佐野市では唯一の国宝となっています。

・3間2層、全高10メートル余の多宝塔です。
 その優美、典雅の趣は他に比類がなく、石山寺・高野山金剛三昧院のものと共に、日本3名塔と称されています。


・弘法大師の銅像と鐘楼です。