“熱海の観光”シリーズ、ご紹介しています「起雲閣」は今日が最終となりました。
大正7年(1918年)に内田信也の「内田別邸」として築かれた起雲閣は、1947年(昭和22年)に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊者を迎え、日本を代表する文豪たちに愛されました。
建築は、日本、中国、欧州などの装飾を融合させた独特の雰囲気を持つ和館、洋館からなっており、現在は熱海市指定有形文化財として一般に公開されているものです。
「孔雀の間」
舟橋聖一はこの部屋を好み、その代表作「芸者小夏」「雪夫人絵図」はここで執筆されました。また、武田泰淳も「貴族の階段」をこの部屋で執筆したそうです。
1992年(平成4年)12月には将棋の谷川浩司竜王、羽生善治王座による「第五期竜王戦」の会場にもなっています。
「金剛の間」
金剛は螺鈿(らでん)細工によって模様が施された洋館です。
この建物は、根津嘉一郎別邸のガーデンハウスとして1929年(昭和4年)に竣工しました。
様々な色調の石を用いた暖炉、柱と梁に施された彫刻や螺鈿(らでん)の装飾など、格調高い迎賓の雰囲気があふれる仕上がりとなっています。
(参考)
螺鈿とは、鸚鵡貝(おうむがい)、夜光貝、鮑貝(あわびがい)、蝶貝(ちょうがい)などの真珠光を放つ部分をとって薄片とし、種々の形に切って漆器或いは木地などの面にはめ込んで装飾とするものです。
「ローマ風浴室」
ローマ風浴室は、床・壁の内装から浴槽の仕様まで当時の姿を再現したも のですが、窓のステンドグラスや装飾的な湯出口は創建当時のものを用いて いるそうです。
この浴室では、嘗て、舟橋聖一が「孔雀の間」で執筆し、溝口健二が監督した『雪夫人絵図』の撮影も行われたそうです。
「染殿の湯」の由来
「起雲閣」の敷地の内、源泉地付近を「染殿」と称し、平安時代、京都粟田口の僧 善祐が住んだ処と伝えられています。
善祐は寛平8年(896年)陽成院(第57代陽成天皇)の御生母(皇太后)・二条高子と人目を忍ぶ仲となり、ために熱海に流されたとの記録があり、当時、屋敷の名称であった染殿がそのまま地名になったと云われています。