カンボジアとフランス語 2


(前のエントリーから続きます)

 不幸なことですが、カンボジアというとこの虐殺というのがイメージとして大きく、なぜこんなことが起こってしまったのか知りたい、という動機でカンボジアに興味を持つ人が大変に多いです。

 わたしがフランス語系人としていちばんはっきりさせておきたいのは、このポルポト派の悪というのが、フランス中心のヨーロッパ大陸合理論が生み出す巨悪の系譜に連なるもので、それはフランスを中心とする合理主義思想の「本質的」欠陥を示すものではないか、ということです。

 ポルポトがフランスに留学したとき、フランスで同国人学生たちによるマルクス主義研究グループに入って筋金入りの共産主義者になったのは周知の通りです。

 彼とその一派がおこなった虐殺があんなに大規模になってしまったのは、不幸にもカンボジアが周囲の大国の利害関係のはざまに落ち込んでしまったからでもあるのですが、たしかにポルポトは、恐怖政治を生んだフランス革命時の山岳党、大粛清と強制収容所を生んだソビエト政権と比べて考える必要のあるもののはずなのです。

 ところで写真は、捕えられた人々が閉じ込められていた狭い独房がひしめくたてものです。
 ご覧のとおりこの博物館の表示はクメール語と英語だけで、フランス語はありません。国立博物館などはクメール=仏=英語表記なのですが。

 この博物館の設立にどういう国やどういう勢力が関わったのか、実はあんまりはっきり分かりませんでした。中に展示してある写真には「UN」ではなく「US」なんとかという機関の名前が書いてありましたが・・・(しっかり控えておけばよかったです)。

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トゥールスレン


 人類史上最大の蛮行といっていいポルポト派の虐殺の記憶が生々しく残るトゥールスレン博物館。

 拷問と虐殺の場になったこの場所は、刑務所になる前は学校だったのですね。

 建物の上から鉄条網越しに鉄棒が見えました。そのころからあったのでしょうか。
 この鉄棒に口があったなら・・・
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