
シュルレアリスム展 謎をめぐる不思議な旅 は問いかける。
「現実とはいったい何なのか。 私たちが普段接している日常は、本当の現実といえるのか。 現実と夢の境界は果たして存在するか」
現実をめぐるこういった謎に正面から向き合った芸術運動が、シュルレアリスム(超現実主義)でした。 第1次世界大戦など西洋の近代社会の歪みが露呈し始めた20世紀初頭、パリに集まった若い芸術家によって立ちあげられたこの運動は、1920年代以降、世界各地に拡がり、文学、美術、写真、映画など、広範囲の文化・芸術に深い影響を及ぼしました。 (パンフレットより)
「見えるもの、形あるものが現実のすべてではない、 見えるものの背景にあるもうひとつの真実に目を向ける」
今月は自画像である。 それぞれ鏡のまえ。 自身のことは性格や姿かたち、 すべてを知りすぎていて描きにくい。 どんなに誇張しても相手が自分で責任は軽いが、 匙加減で若くなってもこれは詐欺。
真に迫るかといえばそうはいかない。 現実は見たくない。 それに技量不足、 観たふりしながら見えてはいない。 客観的に見るほうがよほど楽だ。
タイムリーな展覧だった。
「美は痙攣的なものであろう。さもなければ存在しないであろう」 アンドレ・ブルトンの
心にのこることば。 美は心が痙攣しないと存在しない。
心が動く。 驚く、 ぞくぞくする、 わくわくする、心地よい、 釘付けになる。 おもしろい。 身震いする。 悲しい。
心を飢えさせてはいけない、 童心を持ちつづけ常識を捨てるところから始まる。
とても面白く、 シュールな世界は心を解き放した。 これから 力を抜いてキャンバスに向かう。
自分の特質はなんだろう。 見えないところに本当がある… 隠していても描けば出てしまう。 自画像は 真実を打ち明けるのだろうか。
出品作家 ジャン・アルプ ハンス・ベルメール ヴィクトル・ブローネル アンドレ・ブルトン サルバドール・ダリ ジョルジオ・デ・キリコ ポール・デルヴォー マルセル・デュシャン マックス・エルンスト レオノール・フィニ パウル・クレー マン・レイ ジョアン・ミロ パブロ・ピカソ イヴ・タンギー 他
また指導者の、またはラグタイムさんの受け止め方が素晴らしい。
心が痙攣…う~ん、言い得て妙なり。そういう捉え方というか心の未知の部分が啓発されて、そんなことも自分の中にあったんだわ、と。波立たないで、通常心で、美を発見しようとしても他に感動を呼び起こし共振共鳴はしないのね。
私も冬眠から覚めなくちゃ…もう年をとっているのだから、なんとか早く気が付かなくっちゃ!
少し慌ててきょろきょろ見回していますが、しかし…もう諦めの境地に近い……。
ようやく咳が前よりは鎮まりましたが、かなりしつこい。直りにくい体質に変わりつつあるなと、自重しなくてはと感じています。
指導者は、今はおりません。 モットーは楽しみながら自由に。 しかし、仲間の批評は辛辣、厳しいものです。 お返事遅くなりました。
自画像は確かに描いたり拝見したりは興味深い。
でも、こうした公開の中での一個人が特定されるのは、やはり無理な話でしたね。
適わぬ夢を膨らませてしまい、反省しています。
「そんな風に見えるんですか?」と聞いたら「見えてないの?眼が悪いわね」って。
まあ、デッサンはともかく見えているだけのものを表すのでは絵は写真にはかなわない。
難しいんですねー。絵は。
さらに自画像となると、内なる自分を客観的に捉える作業をすることになるのでしょうか。
絵画展を見にゆくと、必ずといっていいほど自画像がありますね。
なかなか自分の姿を描くということの意味がわからなかったのですが、昨年ロダン展をみて、1枚ページがめくられた気がしました。
限られた人だけが出来る楽しく厳しいチャンスをラグタイムさんなら真面目に取り組まれることと思います。
ところで、シュルレアリスムの人って自画像描くのかしら?楽しそうな展覧会ですね。見にいってみようかしら。
見たままは写真にはかなわない。 見た物を絵のように描きます。自分の心を通して感ずるまま。誇張したり、省略したり楽しいです。
写真は機械が見た物、そのままという気がしますが。
どうぞお出かけ下さいね。