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77章解説【2】

2012年06月19日 | ジュズ・タバーラカ解説
بسم الله الرحمن الرحيم
25.われらは大地を把持するものとなしたのではないか、
26.生きた者を、そして、死んだ者を(把持するものと)。
27.そして、われらはそこに聳え立つ山脈をなし、おまえたちに甘美な水を飲ませたではないか。
28.災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。
29.「おまえたちが嘘と否定していたもの(火獄)に赴け」。
30.「三つの枝のある陰に赴け」。
31.「(遮る)翳がなく、炎に対して役立たない(陰に赴け)」。
32.まことに、それ(火獄、あるいは炎)は城のような火花を放ち、
33.ちょうどそれ(火花)は黄褐色の駱駝たちのようである。
34.災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。
35.これは、彼ら(不信仰者)が話さない日。
36.彼らが(弁明を)許可されず、また申し開きすることもない。
37.災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。
38.これが決定の日であり、われらはおまえたちと昔の者たち(今昔の不信仰者)を集める。
39.もしおまえたちに策略があったなら、われに対し策を弄(ろう)してみよ。
40.災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。
41.まことに、畏れ身を守る者たちは(木)陰と泉にいて、
42.そして、彼らの望む果物に(囲まれている)。
43.「おまえたちがなしてきたことうゆえに楽しく食べ、飲むがいい」。
44.まことにわれらはこのように善を尽くした者たちに報いる。
45.災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。
46.「おまえたちは僅かの間、食べ、楽しむがよい。まことにおまえたちは罪人である」。
47.災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。
48.また、「おまえたちは屈礼(礼拝)せよ」、と言われても、彼らは屈礼しない。
49.災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。
50.その(クルアーンの)後、彼らはどんな言葉(啓典)を信じると言うのか。

 続いてクルアーンは大地やそこに置き給うた山々や水に私たちの目を向けさせ給います:

 「われらは大地を把持するものとなしたのではないか、生きた者を、そして、死んだ者を(把持するものと)。そして、われらはそこに聳え立つ山脈をなし、おまえたちに甘美な水を飲ませたではないか。災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。」

 至高なるアッラーは大地をしっかりと持つものとなし給いました。大地はその中に死んだものたちを抱き、その外側に生きるものたちを抱きます。この生物を抱擁する、という表現は今日では引力と言われます。つまり大地がその表面にある、人間、動物などすべてのものを引き付ける力のことです。引力がなかったら、毎日起きる大地の迅速な変動のためにすべてのものが宇宙空間に飛んでいってしまったことでしょう。そのため大地は自身に生き物を引き寄せて、そこから散らばっていかないようにしているのです。

 またアッラーが人間に与え給うた恩恵の一つに、聳え立つ山々があります。「そして、われらはそこに聳え立つ山脈をなし」この御言葉の直後に何と仰せになったかに注目してください:「おまえたちに甘美な水を飲ませたではないか」水と山に関係があることを指しています。つまり山々はそこに降った雪を取りこんで人間が飲むために保存し、泉となって甘い水を湧き出させるのです。

 そして続きのアーヤはアッラーの約束の日を嘘であるとした者たちを待ちうけている恐ろしい結末について語ります:

 「「おまえたちが嘘と否定していたもの(火獄)に赴け」。「三つの枝のある陰に赴け」。「(遮る)翳がなく、炎に対して役立たない(陰に赴け)」。まことに、それ(火獄、あるいは炎)は城のような火花を放ち、ちょうどそれ(火花)は黄褐色の駱駝たちのようである。災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。」

 不信仰者たちは次のように言われることになります:おまえたちが嘘だと言っていた地獄の罰、今おまえたちが目の前に見ているそれに向かいなさい、と。「三つの枝のある陰に赴け」陰とは、地獄の煙で、その火の激しさのために三つに分かれています。「(遮る)翳がなく、炎に対して役立たない(陰に赴け)」。普通の陰のように、地獄の陰はその下にあるものに翳を与えず、また激しい暑さからも守ってくれません。また各方面から襲ってくる地獄の舌からも守ってくれません。ここでアッラーが罰を陰と呼び給うたのは、嘘つき呼ばわりしてきた者たちを嘲笑するためです。「まことに、それ(火獄、あるいは炎)は城のような火花を放ち」つまりこの類の火から城のような火花が散っていくということですが、城という言葉は、聳え立つような邸宅を指すとともに、石で出来ている家や、ナツメヤシや木の根元を指します。「ちょうどそれ(火花)は黄褐色の駱駝たちのようである」黄色に近い黒褐色の駱駝です。

 クルアーンは火から離れる火花を城やナツメヤシや木の根元に似せ、また限りのない広がりや枝分かれする様子を黄色の駱駝に似せました。クルアーンの諸節が以上のような類似させる表現を使うとき、アラビア語精神に則って、人々が慣れ親しんだ表現で語りかけます。かつてアラブの村々は各方々に散らばっており、あちこちに黄色の駱駝たちが存在していました。そこでクルアーンは業火の恐ろしさをその火花で表現しようとしたことで、火花は業火にぴったりの表現となりました。

 クルアーンは続いて嘘つき呼ばわりする者たちの甦りの日における精神的状態を描写します:

 「これは、彼ら(不信仰者)が話さない日。彼らが(弁明を)許可されず、また申し開きすることもない。災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。」

 甦りの日には、その日の恐ろしさのために、嘘つき呼ばわりしていた者たちは口を開きません。また話そうともしませんし、過去の行為を謝ろうとしてもそれは許可されません。なぜなら、アッラーが彼らに善の道を示し給うた後に迷いの道を選び給うた今、もう言い訳をする時間ではなくなっているためです。

 続いて甦りの日がしもべ間の裁きの日であることが解明されます。その日、策略は役立ちません:

 「これが決定の日であり、われらはおまえたちと昔の者たち(今昔の不信仰者)を集める。もしおまえたちに策略があったなら、われに対し策を弄(ろう)してみよ。災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。」

 甦りの日は決定的な裁定が下される日です。アッラーはその日、真理をもって被造物の間を裁き給います。またその日にアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)を嘘つき呼ばわりしていた者たちをその共同体から集め給いますが、過去の共同体の中からも同様に、自分らの預言者を嘘つき呼ばわりしていた者たちがその行為の清算のために集められます:「もしおまえたちに策略があったなら、われに対し策を弄(ろう)してみよ」つまりおまえたちにあの日の恐怖とアッラーの罰から逃れるための策略とアイディアがあるなら、アッラーの激しい一撃と復讐から身を守ってみるがいい、しかし、残念なことにその日、策略は役立たないのだ、という意味です。本当にアッラーの罰は彼らの上に襲いかかるのです。

 続いてアッラーが篤信者たちのために準備し給うている褒美の描写に移ります:
 「まことに、畏れ身を守る者たちは(木)陰と泉にいて、そして、彼らの望む果物に(囲まれている)。「おまえたちがなしてきたことうゆえに楽しく食べ、飲むがいい」。まことにわれらはこのように善を尽くした者たちに報いる。災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。」

 生い茂る木々が篤信者たちに陰を作ります。彼らは安楽と至福の中にあり、泉の近くにいる彼らは好きな時にそこから飲めます。また彼らの望む果物もあります。このような恩恵に浴している中に、上方から呼びかけの声が聞こえてきます:「おまえたちがなしてきたことうゆえに楽しく食べ、飲むがいい」この言葉は、アッラーが間に何も介さずに直接語られるものか、天使が名誉を与えるために投げかける言葉であると考えられます。この直後にアッラーは仰せになりました:「われらはこのように善を尽くした者たちに報いる」つまり、アッラーが篤信者たちに先ほど数え上げた恩恵で報い給うように、全ての善行者、アッラーの禁止事項を避け、かれの命令に従った者たちによく報い給う、という意味です。

 続いて、アーヤは享楽に耽っている嘘つき呼ばわりしていた者たちに再度呼びかけます:
 「「おまえたちは僅かの間、食べ、楽しむがよい。まことにおまえたちは罪人である」。災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。」

 至高なるアッラーは彼らに仰せになります:現世で好きにいろいろなものを食べ、楽しみなさい、この楽しみは短く、続かない。以上が人生の重要事である者は、その目から道徳心や罪からの浄化の精神が払拭されてしまいます。そのため、彼らは罰が相応しい罪人となるのです。

 最後に、アッラーはこの章を嘘つき呼ばわりしていた者たちを責める言葉で締めくくり給います:
 「また、「おまえたちは屈礼(礼拝)せよ」、と言われても、彼らは屈礼しない。災いあれ、その日、嘘と否定した者たちに。その(クルアーンの)後、彼らはどんな言葉(啓典)を信じると言うのか。」屈礼はイスラームに服従することか、礼拝を指しますが、礼拝の基幹の一つが屈礼つまり深い礼だからです。嘘つき呼ばわりしていた者たちにムハンマドに啓示されたものを信仰し、アッラーに礼拝しなさいと言われても彼らは従わず、応じません。

 これらすべての明証があっても信仰しない彼らは、今後もどんな明証があっても信仰しないでしょう。「その(クルアーンの)後、彼らはどんな言葉(啓典)を信じると言うのか。」クルアーン以上の包括した導き、強い明証を持つ啓典も言葉も存在しません。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP168~172)

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