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68章解説【4】

2014年08月29日 | ジュズ・タバーラカ解説
34.まことに、畏れ身を守る者たちには、彼らの主の許に至福の園がある。
35.われらが帰依者たちを罪人(不信仰者)たちのようにするというのか。
36.おまえたちはどうしたのか。いかにして(そのように)判定するというのか。
37.それとも、おまえたちんは啓典があり、それ(その啓典)でおまえたちは学ぶ(調べる)のか。
38.まことにそれ(啓典)にはおまえたちに、まさにおまえたちが(好ましいものとして)選ぶもの(内容)があるのだと。
39.それとも、おまえたちにはわれらに対する復活(審判)の日まで達する(有効な)誓約があるのか。まことに、おまえたちには、まさにおまえたちが判定するものがあると。
40.彼らに問え、彼らのいずれがそれに関する保証人かと。
41.それとも、彼らには共同者たちがあるのか。それなら、彼らの共同者たちを連れて来させよ。もし、彼らが真実を語る者であるならば。
42.脛が露わにされ、彼らが跪拝に呼びかけられるが、できない日。
43.彼らの目は伏せられ、卑しめが彼らを捉える。かつて、彼らが健全だった時、彼らは跪拝に呼びかけられていたのであった。
44.それゆえ、おめたはわれを、この言葉(クルアーン)を嘘として否定する者と共に、構わずにそっとしておくように。われらは彼らの知らないところから彼らを徐々に追い込むであろう。
45.そして、われらは彼らを猶予する。まことにわが策略は強固である。
46.それとも、おまえが彼らに報酬を求めたため、それで彼らは負債に押し潰されているのか。
47.それとも、彼らの許には隠されたもの(不可視界の知識)があり、それで彼らは書いているのか。

次にクルアーンは、アッラーが畏れ身を守る者たちのために来世で準備してくださっているものの解明に移ります:
 「まことに、畏れ身を守る者たちには、彼らの主の許に至福の園がある」

不信仰状態にあり、そして預言者(アッラーの祝福と平安あれ)に対する敵対心でいっぱいだったクライシュの貴族と金持ちたちはこの聖句を聞いて、その多くが貧しかった信仰者たちに言いました:アッラーは君たちよりもわれわれを現世で厚遇し給うたのだ。もし来世が真実なら、来世でもアッラーはわれわれに厚遇し給うはずだ。そこでアッラーは次の御言葉で御返しになりました:「われらが帰依者たちを罪人(不信仰者)たちのようにするというのか」つまり二集団の差ははるかに大きいのに、どう考えたら各集団が同等になると考えられるのか?という意味です。クルアーンはその言葉を続けます:「おまえたちはどうしたのか。いかにして(そのように)判定するというのか」つまり、何を基に、信徒たちと罪人たちを同等とするという不思議な見解を出したのか?という意味です。

続いてクルアーンは彼らにこの見解の根拠を出すよう要求します:
 「それとも、おまえたちんは啓典があり、それ(その啓典)でおまえたちは学ぶ(調べる)のか。まことにそれ(啓典)にはおまえたちに、まさにおまえたちが(好ましいものとして)選ぶもの(内容)があるのだと。」

つまり、アッラーからおまえたちに啓典が下され、その中にあるおまえたちの主張するものを読んだのか、またはこの啓典の中におまえたちが選び、望んだものがあって、おまえたちの欲に沿っているのか、という意味です。

クルアーンは続けて彼らの主張が不当であると訴えます:
 「それとも、おまえたちにはわれらに対する復活(審判)の日まで達する(有効な)誓約があるのか。まことに、おまえたちには、まさにおまえたちが判定するものがあると。」

つまり、おまえたちにはアッラーから審判の日まで有効な、確実な誓約があるのか、そしてその誓約の中に、おまえたちがおまえたち自身のために判定するアッラーからの善きものや褒美があると。

続いてアッラーはその使徒に彼らに次のように言うよう命じ給います:「彼らに問え、彼らのいずれがそれに関する保証人かと」つまり、来世で彼らにも信徒たちが得る同等のものがあると保証する者は誰なのだと彼らに問え、という意味です。

クルアーンはその言葉を続けます:
「それとも、彼らには共同者たちがあるのか。それなら、彼らの共同者たちを連れて来させよ。もし、彼らが真実を語る者であるならば。」

共同者が意味するところは:アッラーの共同者であると彼らが信じていた偶像のこと。または信徒たちと不信仰者たちいずれもがアッラーからの恩恵を同等に与えられるという自分たちの意見を共有している不信仰な人たち。もし不信仰者たちがこの共同者たちに依存しているのなら、彼らを連れて来させよ。つまりこれは彼らに対する挑戦です。アッラーからの恩恵が彼らにあることを保証するような共同者などいないのです。

続いて聖句は彼らの行く末の来世における光景の描写に移ります:
 「脛が露わにされ、彼らが跪拝に呼びかけられるが、できない日。彼らの目は伏せられ、卑しめが彼らを捉える。かつて、彼らが健全だった時、彼らは跪拝に呼びかけられていたのであった。」

脛が露わにされるとは、アラブ世界でことの恐ろしさや酷さを意味します。ここでは極限の恐ろしさの中で偉大なことが露わにされる審判の日を指します。その時、不信仰者は崇拝と義務としてアッラーにスジュード(跪拝)するよう求められますが、跪拝のために曲がるべき関節がかちかちに固まってしまい行えません。その瞬間、彼らの悲嘆は増大し、視線は低くなり、激しい恥の念が彼らを覆います。健康だった彼らはかつて現世でアッラーに跪拝することに呼びかけられていたのに、拒否していました。

「それゆえ、おめたはわれを、この言葉(クルアーン)を嘘として否定する者と共に、構わずにそっとしておくように。われらは彼らの知らないところから彼らを徐々に追い込むであろう。そして、われらは彼らを猶予する。まことにわが策略は強固である。」

アッラーはその使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に語り給います:かのクルアーンを嘘だとする者たちをわれにまかせておくように。「われらは彼らの知らないところから彼らを徐々に追い込むであろう」彼らが気付かない間に彼らに罰を少しずつ少しずつ近付けよう。「そして、われらは彼らを猶予する」つまり、彼らを猶予して、罰を遅らせる。そうすることで彼らはさらに罪を犯し、そして罰も大きくなる。

「彼らを徐々に追い込む、彼らを猶予する」この二表現は、アッラーによる彼らに対する復讐の先延ばしのと彼らに健康を謳歌させて放置することの具体化です。そのため彼らはアッラーの恩恵を不信仰と罪の口実としながら、彼らは恩恵を受けていることが、彼らを罰に近付かせている原因になっていることに気付きません。それどころか、それが自らの滅亡の原因であるのに自分らは信仰者たちよりも厚遇されていると思い込みます。これはアッラーの慣行なのです。アッラーは不正者たちにすぐ復讐せず、いくらばかりか猶予して正道に帰る機会を与え給います。もし迷いの道を歩み続ける場合、罪をもって彼らを捕らえ給います:「まことにわが策略は強固である」つまり、われの罰は厳しい。策略とは、他人に害を加えることにおける詐欺です。策略という言葉がアッラーに関連付けられる場合、アッラーの敵、不信仰者たちの策略を破損させ、彼らの策略に対して報い給うという意味を持ちます。カイド(策略)は争いという意味も持ちますので:アッラーの彼らに対する争いは激しい、という意味にもなります。

アラブの多神教徒たちは、バドルの戦やその他の戦で彼らに不幸が訪れるまでこのような状態にありました。そのため彼らの多くが殺され、また仲間たちの間が引き裂かれました。

次に、前の話の続きに見えるような、多神教徒たちの行動についての聖句が述べられます:
 「それとも、おまえが彼らに報酬を求めたため、それで彼らは負債に押し潰されているのか。それとも、彼らの許には隠されたもの(不可視界の知識)があり、それで彼らは書いているのか。」

つまり:彼らが真実の受け入れを拒否する理由は、おまえがアッラーのメッセージを述べ伝えることに対する報酬を彼らから求めていることで、その報酬が彼らの経済的余裕を押し潰しているというのか。使徒よ、なぜおまえは彼らから報酬を求めるのか。それとも彼らは不可視界やアッ=ラウフ・アル=マハフーズの中に刻まれたものを見ることが出来て、自分たちが裁定するものを書いてそれを自分たちのための証拠にしているのか?

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP37~40)
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