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続)ムスリムの子ども教育-1-

2018年11月18日 | 預言者の教育方法

続)ムスリムの子ども教育-1-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生11」

https://www.youtube.com/watch?v=pze7K8xfzH0

 

前回までお送りした、ハビーブ・アリー先生の「ムスリムの子ども教育」についての講義は、イエメンのモスクで録画されたもので、前回で終了しているのですが、同じ先生が他の場所でされた、子育てについてのトピックを続けたいと思います、インシャーアッラー。

今回からは、エジプトのテレビ番組で、イスラームにおける子育てについて話しているシリーズをお送りします、インシャーアッラー。テレビで一般の方向けに話されているので、比較的、初心者の方でもわかりやすい内容になっていると思います。

 

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まず最初に、皆さんに考えていただきたいことがあります。それは、人はなぜ子どもを産むのでしょうか?という質問です。

 

子どもを産む理由のひとつは、「本能」です。子どもがほしい、自分の子孫を残したい、という人間や他の動物も持つ本能によって、私たちは子どもを持ちます。この「本能」を、人間の目的である、アッラーを崇拝するようになるために、というような、アッラーのご満足とつなげたものが、子育てになります。

 

現代は、いろいろな病を抱えています。そのひとつに、「考える前に行動する」、という特徴があります。情報が増えるにつれ、人々は、その情報の海の中で、深く考えることなしに、瞬時に反応することを求められます。子どもを産むことについても、同じ問題があり、正しい目的を考える前に、子どもを持つことによって、多くの人が、子どもに関する問題、子育てや家族の問題を抱え、様々な不満を漏らします。例えば、子どもの養育費がたくさんかかることについて、子どもがいることで時間がとられることについて、母親が外で働くことが困難になることについて、教育費の問題、子どもが親の意見に従わない、子どもの考えていることが理解できない、反抗期の子どもについての問題、中二病と呼ばれるような時期の子どもの扱いについて、子どもが大きくなれば進学の問題、結婚の問題、結婚した後も、嫁姑関係の問題、等々、子どもに関する親の不満は尽きません。

 

また、社会的な問題もあります。現代の子どもの傾向についての不満、今どきの若者についての不満、また、国単位の問題、例えば、一部の国では、子どもが多過ぎることを問題視し、若者の失業率の問題、教育が行き届かない問題などを挙げています。これらすべての不満や問題はどこから来るのでしょうか?多くの国は、少子化問題に悩まされていますが、ムスリムの人口は増え続け、子どもも増え、少子化の問題はないにもかかわらず、せっかくたくさんの子どもに恵まれても、家族間の問題、社会の問題、国の問題、様々な問題があるのは、なぜでしょうか?

 

原因のひとつに、多くの子どもを持つバラカ(祝福)と、子どもを持つ正しい「目的」がうまくつながっていないことがあります。なぜ、子どもを産むのか?という質問にも、「みんな産んでいるから」、「結婚したから。結婚したら子どもを産むものでしょう」等、本来の目的とうまくつながっていないことが、様々な問題の原因となっています。

 

なぜ子どもを産むのか?という質問の答えは、大きく分けて、二つあります。一つは、本能と崇拝行為との連携、つまりこの二つがつながったものです。まず、最初の「本能」は、自分の子孫が欲しい、子どもを増やしたい、という、アッラーが人間に与えた本能があります。そのため、最初の子どもが産まれると、父親は何にもまして喜び、初めて自分の子どもを見た時の感動を一生忘れません。母親は、出産という死と隣り合わせの激痛に耐え、出産後には二度と子どもを産みたくない、と思うにもかかわらず、赤ちゃんを抱いて、母乳をあげたり、その匂いを嗅ぐと、出産の大変さをすべて忘れてしまいます。出産した日は、二度と子どもを産まない、と決意していても、数年たつと、また子どもが欲しくなります。これは、アッラーが与えた本能、人間の持つ欲望です。しかし、目的なく本能に従うのではなく、もっと注意深く、善いニーヤ(意思)を持つことで、出産は、イバーダ(崇拝行為)にもなるものです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

《子どもを増やしなさい。そうすれば、私は最後の審判の日に、自分の共同体の人員の多さを誇るであろう。》ブハーリーとムスリム伝承

 

このハディースについて、ひとつ注意すべきは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、それを誇ることを必要としている訳ではない、という点です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、最初に天国の扉を開けられる御方で、アッラーから最も愛されている御方で、最後の審判の日に、ウンマの人員の多さを誇ることを必要としている訳ではありません。その上で、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、こうおっしゃっているのは、ただ、私たちのためです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、私たちに、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が誇ってくださる対象となるという名誉を与えたいと思ってくださっているのです。子どもを持つ時のすばらしい「目的」の一つは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が誇りに思ってくださるような子どもをたくさん持つこと、それによって、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、最後の審判の日に、誇りに思ってくださるという名誉を手に入れること、という「目的」です。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

 

《人が死ぬと、次の三つ以外は止まります:継続するサダカ、有益な知識、ドゥアーしてくれる善良な子どもです。》ムスリム伝承

 

《死者は死後、位を上げられて言うでしょう:主よ!これは何ですか?彼は言われるでしょう:あなたの息子があなたのために罪の許しを請うのだ。》アル=ブハーリー伝承

 

子育てにはアッラーゆえの自我との戦いがあります。子どもを養育するためにハラールのお金を稼ぐこと、良いムスリムに育てるよう教育すること、これはジハードの一種です。子どもがウンマ(イスラーム共同体)を発展させる役割を担えるよう、人々の役に立つ子どもを育てること、それによって、人類の発展にも貢献すること、こういった目的意識をしっかり持つことによって、子育ては、アッラーへと近づく崇拝行為になります。

 

イバーダ(崇拝行為)は、一般的に、自我にとって「重い」ものです。夜明け前、眠いのを我慢して、ファジュルの礼拝に起きること、真夏の暑い日にラマダーンの義務の断食をすること、こういった行為は、最初はとても大変で、自我がやりたくないことです。もちろん、それを習慣づけることで、その「重さ」は軽くなり、ついには自分が望むものになり、甘美なものへと変化していき、イバーダ(崇拝行為)に込められたアッラーの英知を知ることになりますが、一般の人にとって、イバーダ(崇拝行為)をし始めた時には、大きな困難を伴います。しかし、子育てというイバーダ(崇拝行為)は、ある種の本能、それを望む気持ちに沿うもので、喜びのイバーダ(崇拝行為)とでも言うようなものです。この種のイバーダによって、アッラーへの感謝や、しもべ性の実現という別の扉を開けることもできます。

 

【われは、両親に対し優しくするよう人間に命じた。母は懐胎に苦しみ、その分娩に苦しむ。懐胎してから離乳させるまで30ヶ月かかる。それからかれが十分な力を備える年配に達し、それから40歳にもなると、「主よ、わたしと両親に対して、あなたが御恵み下された恩恵に感謝させて下さい。またあなたの御喜びにあずかるよう、わたしが、善行に勤しむようにして下さい。また子孫も、幸福にして下さい。わたしは悔悟してあなたの御許に帰ります。本当にわたしは、服従、帰依する者です。」と言うようになる。】クルアーン砂丘章46-15

 

この種のイバーダは、他のイバーダの困難を簡単にできるようにしてくれる効果もあります。

 

なぜ子どもを産むのか?という質問の答えの二つ目は、夫婦の関係を安定させ、家庭という根を深く張ることです。実際には、多くの人がこの目的を忘れ、子どもがいない期間は夫婦間の愛情を深め、初めての子どもが産まれても、その愛情は続きますが、2人目、3人目、となると、子どもに関心が移り、夫婦の愛情を育くむことが難しくなるように感じてしまう人も多くいます。奥さんは、子どもの世話で忙しく、ご主人は、妻が子どもたちだけに興味を持ち、自分にまったく関心がないように感じてしまったり、また、ご主人が子どものために仕事を増やし忙しくなり、奥さんは、ご主人が自分の要求よりも、子どもたちの要求ばかり聞いているように感じたりします。こうして、多くの夫婦が、子どもを持った後、関係が悪くなったり、関係が冷え切ってしまうことがあります。

 

また、子どもを持ったことで、子育てについて夫婦で意見が違ったり、子どもの教育に関する意見の相違が浮上したり、食育について、生活習慣について、子どもが父親の言うことをよく聞くのか、母親の方の言うことをよく聞くのか、等、様々な点で夫婦間で対立したり、意見が食い違い、問題が起きることもあります。本来は、子どもを持つことは、アッラーからのバラカ(祝福)であり、子育てにより、アッラーに近づくこともでき、ウンマの発展、人類の発展に貢献するすばらしいことであるはずです。自分が、子どもによって、不満や問題を抱えることになるのか、それとも、イバーダになり、アッラーのお喜びを得ることができるのか、その分かれ目は、子どもを持つことに関して、「目的」を持つことです。

 

そのため、ある先生のところに弟子が行き、「私には子どもが産まれましたが、子どもにとって良い教育をするために、何が必要でしょうか?」と尋ねた時、先生は、「いつ産まれましたか?」と尋ね、彼が、「昨日です。」と言うと、「その質問をするには、遅すぎました。」と言いました。昨日産まれたばかりの子どもの教育について尋ねているのに、遅すぎるというのです。先生はこう続けました。

 

「子どもにとって善い教育とは、結婚に際してのあなたのニーヤ(意思)から始まっています。

次に、子どものために、信仰深い妻を選ぶこと、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のスンナに基づいた結婚生活、妊娠中の妻の食べ物をハラールにすること、出産時のスンナ、あなたの子どもに善い教育を施すために、これだけのことが、すでに終わってしまいました。」

 

子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます

すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)(「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思))をしておきましょう。

 

ムスリムの子どもたちに、アッラーのご加護がありますように。

 

 


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