イスラーム勉強会ブログ

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【クルアーンのマナーとその徳について】など

2009年05月21日 | 求める者たちの道しるべ
クルアーンの最もすばらしい点は、それが至高偉大なるアッラーの御言葉であること。アッラーはクルアーンを幾度となく褒め称えている。たとえば:
「この書はわれが下した祝福されたもの」(家畜章92節)、
「まことにこのクルアーンは正しい道へ導く」(夜の旅章9節)、
「前方からも後方からもそれ(クルアーン)に虚偽は近づかない」(広げる章42節)

ウスマーン・イブン・アッファーンによるハディース:
《クルアーンを学び、教える者こそ、最も良い者である》(アルブハーリー)

アナスによるハディース:
《至高偉大なるアッラーには、(かれに属する)人々がいる。》アッラーの使徒よ、一体彼らは誰なのですか?と言われ、《クルアーンの人々である。彼らこそはアッラーの人々であり、特別なのである。》(アンナサーイー)

別のハディース:
《アッラーは、クルアーンを意識し考えた者の心を苦しめない》

などなど・・・他にもクルアーンの徳を扱ったハディースは多い。

【ティラーワ(読むこと)のマナー】
ウドゥーを保った状態で読むのがふさわしく、もちろん、ウドゥーのマナーも網羅しておくこと。胡坐をかいたり、横になったりせず、うつむいていること。また高慢さが漂うような座り方はしないこと。

最も好ましい状態は:
マスジド内で、サラー中、立った状態で読むこと。

読む長さについては、先代の習慣に相違がある。ある者は一日で読みきり、ある者は一日に何度も読みきっていたという。3日、毎週、毎月読みきっていた者もいる。彼らは集中してクルアーンを読むことや知識の拡散に努めていた。読むだけではなく、他の方法も使ってアッラーを崇めた。

一番良いのは:
大切な(現世的)仕事に支障をきたさず、体の害にならず、また丁寧に読み上げること・読解が失われないようにするのが一番良い。
アブドゥッラー・イブン・アッバースの言葉:クルアーン全てを早く読み上げるより、雌牛章とイムラーン家章を丁寧に、また熟考しながら読み上げることを好む。使える時間を見つけたときには、たくさんの報酬を勝ち取るためにクルアーンをたくさん読みなさい。

継続性について:可能な範囲でそうすること。

【音声を美しく、良くすることについて】
クルアーンを美しく読むことは好ましいことである。美声の持ち主でなくても、出来るだけ美しく読もうとする姿勢が大切。しかしメロディーを付けて読むことを、先代は嫌っていた。

ハディース:《公然と読まれるクルアーンより、隠れて読まれる方が良いのは、ちょうど公然と行われるサダカより、隠れて行われる方が良いのと同じ。》(アブーダーウード、アッ=ティルミズィー)→しかし、自分自身に聞こえる声で読むこと。

クルアーン暗記のためや、倦怠感や眠気を払いのけるために声を出して読むことに問題はない。
サラー中の読み方(長さ、声の出し方など)については、法学書を参照。

ミスハフ(本の形になったクルアーン)を持っている人は、クルアーンが放置された状態にならないように、毎日数アーヤ読むことが好ましい。

偉大なクルアーンを読む者は、アッラーがいかに被創造物にかれの御言葉を理解させ給うたかに注目するべき。そして読んでいるものが人間の言葉ではないと知ること。そして崇高なる話者の偉大さを想起し、かれの御言葉を熟考すること。熟考こそが、読むことの目的である。何度もアーヤを読むことでしか熟考が実現されないなら、何度でも読むこと。
アブーザッルによると、預言者(平安と祝福がありますように)がある夜、「あなたが仮令かれらを罰せられても、誠にかれらはあなたのしもべです」(食卓章118節)を繰り返し読まれた。(アフマド、アン=ナサーイー、イブン・マージャ)

クルアーンを読む者は、目を通す全てのアーヤに見合う解説を求め、理解しようとすること。「かれは、諸天と大地を創造し給うた」(家畜章1節)と読んだなら、かれの偉大さを思い知り、目に入る全てのものにかれの御力を見出そうとすること。

「あなたがたが射精するものを見たか」(出来事章58節)を読んだなら、一滴が肉と骨、血管と神経、さらには頭や手、足、といったものに分かれ、尊い性質である聴覚や視覚が現れていく様子についてよく考えること。

嘘呼ばわりする人たちについての部分を読んだなら、命令に不服従な場合の報復に対する恐れを想起すること。

理解を禁じる原因から遠ざかること。たとえば、ある文字を読まなかったとか、その文字は正しく発音されなかったと悪魔に囁かれ、結局何度も読むことで、意味の理解しようとする集中力が散ってしまう。

以上に、読む者がある罪にしがみついているとか、高慢であるとか、傾倒しやすい誘惑に試されていることも含まれる。これらは心の影の原因である。ちょうど鏡の上の袋のようで、真実が写し出されるのを妨げる。心は鏡と同じ、欲望は錆と同じ、クルアーンの意味は鏡に映し出される姿と同じ。欲望を取り除くことによる心の運動は、鏡が輝くのと同じ。

そして、自分には力も何もないと認めること。満足の気持ちを持って自分を見ないこと。自分は努力不足であると思う者の気持ちは、アッラーにお近づき出来る要因になるだろう。
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2 コメント

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Unknown (mai)
2009-06-04 15:48:55
いつもすばらしいことが書いてあって毎日読んでいます。すばらしいことが書いてあって、すごく自分にためになることばかりです。
もっとイスラームのことたくさんの人に伝えってください。私はイスラーム教徒です。インシャーアッラ世界中の人がムスリムになるように
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ありがとうございます (伊曼)
2009-06-05 11:54:37
maiさんコメントありがとうございます。毎日更新していないのに毎日に読んでくださり光栄に思います。インシャーアッラー読んでためになったことは、maiさんの周りの人にも教えてあげてください。またコメントしてくださいね。
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