◎霊魂は肉体と別にあり
(2006-02-11)
OSHOがいつものように木の上で冥想していると、冥想に入れ込みすぎて、自分の肉体が、木から落ちたのにすぐには気づかず、突然自分の肉体が地面に横たわっているのを発見した。明るい一本の線、銀色に光り輝くひも状のものが、横たわっている肉体のへその部分から出て、木にとまっているOSHOにつながっていた。銀色に光り輝くひも状のものとは、クンダリーニのことで霊線とか、玉の緒とも呼ばれる。木の上にいる自分はアストラル体のことだろう。
自分の肉体を外側から見る体験というのは、臨死体験ではよく語られる事象である。これは、OSHOにとっても初めての体験だったので、当惑しているうちに、人間の肉体と魂は別の存在であることを悟り、肉体の死が自分の死であるという恐怖はなくなったと言う。
肉体とアストラル体が分離したまま、夜明けを迎えた。近くの村からミルクの缶を頭にのせた女の人がふたり通りかかり、そこに横たわっているOSHOの肉体を見つけた。OSHOは、冥想していた木のてっぺんから、彼女らが落ちている肉体を見ているのを見ていた。彼女らはその肉体に近寄ると、かたわらにしゃがみこんだ。彼女らの手がOSHOの額に触れたとたん、まったく磁石に引きつけられたかのようにして、OSHOは自分のからだに戻り、そして目を開いた。
その後6カ月の間に、このような体験は6回起こった。起こった事象としては、クンダリーニのエネルギー・コードに乗ってサハスラーラ・チャクラから肉体次元を脱出する本格的なものでなく、『へそ』経由で肉体とつながったいわゆるアストラル・トリップ(体外離脱)と考えられる。OSHOはこの六回の体験で寿命が10年縮まったような気がしたと言っているので、最近見聞きする体外離脱体験ファンには心する点ではあるまいか。
OSHOは、深い冥想性トランス(サマディー)の中で、男性の肉体が霊魂と分離してしまうと女性の手助けなくしては肉体に戻れない。また逆に 女性の肉体が霊魂と分離してしまうと男性の手助けなくしては肉体に戻れない。男性と女性のからだが接触するやいなや、そこに電流が流れ、電気回路が閉じて、その瞬間、肉体に離れていた霊魂が戻る。だから、インドの精神世界の先達は、深い冥想性トランスや死の修行では、女性と一緒に修行していたのだと述べている。
ラーマクリシュナは、肉体をよく離れていたようだが、ラーマクリシュナは、女性が近づくのが嫌いだったようだ。だからこのOSHOの説が一般に妥当なのかどうか、もうひとつわからないところはある。
(参考:反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社)